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主人の死と向き合えていなかったこと

こんばんは。
歩き出しては立ち止まり、迷ってはお坊様方にいただいた回答をもう一度読み返し、気持ちを切り替えてきました。そして、ようやくひとつ先へ進めたかのように思えていた矢先に、ある音楽を耳にしました。それは、2人で良く聴いていた曲でした。
私はとても嫌でした。聴いていられませんでした。なぜだかそのときはわからなかったのですが、あとからじわじわと気づきました。
私は主人の死に全く向き合えていませんでした。
亡くなったらどうなるのか、それがわかれば生きていける、そればかり気にしていて、根本的なことを受け入れていなかったのです。

主人の為にお葬式や新盆はしっかりやってあげたかったし、会社の方が来られてもしっかりした様子を見せたくて気を張っていたし、子供たちにはあまり悲しい顔を見せないように、もちろん子供たちが辛いときは一緒に悲しみに寄り添い、いままでと変わらない元気で明るい家族でいたくて頑張ってきました。主人の為、子供たちの為に進んでいくしか、生き方がわかりませんでした。
周りの人に「ちゃんと前に進めてるよ」って言ってもらいたかったのかもしれません。

そのために死を受け入れる時間は後回しに、どう向き合っていくことが幸せなのかを優先に考えてしまったのだと思います。

主人の死を受け入れるためには、どうすべきなのでしょうか。向き合う必要性があるのかすら私にはわからないのです。

身近な人の死
有り難し 8
回答 1
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

事実に立つ―機が熟す―

ゆこ様おはようございます。

これまでのご相談ではずっと、

亡くなったご主人は「今どうなっているのか」「会えるのか」という問いであり、おっしゃる通り「どう向き合っていく」のかという視点だったのでしょう。

ゆこ様の

「亡くなったらどうなるのか、それがわかれば生きていける、そればかり気にしていて、根本的なことを受け入れていなかったのです。」

このお言葉は私にも大変響くところがございました。

何よりもまずは「ご主人が亡くなったという事実」に立つ、受け入れるというプロセスが必要だったのかもしれません。

そのために何をなすべきか、どうすべきか…

お仏壇で手を合わせる、お墓参りをするというのもその一つでしょう。しかし私としては何よりも、ご主人についてのお話を「聞く」、そしてゆこ様が「語る」ということが大きい様に感じます。

例えばですが、

ご主人の親御さん、旧友・友人、会社の同僚・上司などを訪ねて、ご主人はどんな人だったか、皆さんにとってどんな存在だったか、失ってこれから皆さんはどう生きていくのかという話を「聞く」。

そしてゆこ様の気持ち・思いを「語り」、聞いてもらう。もちろん月命日に僧侶にお参りに来ていただいて、ご主人への思いを聞いてもらったり、僧侶から死についての話をしていただくことも考えられるでしょう。

これまでは日々の生活とどう向き合っていくか、そのためにはご主人の死をどう考えたらよいか、ということに追われ、「大切な人の死という事実」に真正面から向き合う時間や機会が得られなかったのかもしれません。
いや、自分でもわからないまま無意識にゆこ様のお気持ちの深い所でそれを避けていて、ようやく機が熟したのかもしれません。

「向き合う必要性があるのかすら私にはわからない」

とおっしゃりますが、私としてはやはりその事実に立つことが大切ではないかと考えます。それは苦痛を伴うかもしれませんし、簡単な事ではないでしょう。

あらためまして、大切なご主人のご命終に謹んで哀悼の意を捧げます。

またいつでもなんでもご相談ください。お話をお聞かせください。ご主人への思いをいくらでも語ってください。

南無阿弥陀仏

合掌


質問者からの有り難し - お礼

吉武さま。
今朝、吉武さまよりお返事をいただけたとき、またお会いできたことと、共に考えていただけたことに、嬉しくて涙が溢れました。
ありがとうございました。

1日1日を真面目に生き抜いても、その先の未来は何があるのかとか、考え込む日がありますが、今まさに「機は熟した」となれば、少しずつ向きあって行こうと思います。
吉武さま、私が主人の死に向き合えるように、乗り越えていけるように、これからも応援してください。

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