hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

ありがとうのお気持ち

回答数回答 2
有り難し有り難し 11

いつもアドバイスをいただくことができて頭でまとめてます。ありがとうございます。アドバイスいただいたことをちゃんと心にとめています。ですが落ち着かないときにまたご相談させてもらっています。同じようなことを何度もすみません。色々なお話しを聞かせていただいてその都度強くなろうと受け止めているのですが弱い自分になってしまいます。頭に何度も心にこれからもよろしいでしょうか。きちんと聞いてます。すみません。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いつでもご相談ください。

過去に二度ほどご縁をいただいております。やはり心配です。
私としては前々回の質問への中田師のご回答に同意です。(以前に私もそういう回答をしておりますが…)

せいらさんが強くなれば済む問題でしょうか。

そして果たして強くなることなどできるのでしょうか。

また、強くなったとして、イジメや嫌がらせがある職場でせいらさん一人がそれを気にしなくなればいいなんて強さは本当の強さでしょうか。

「理解してもらえない」「努力はすでにした」という立場に固執するのでなく、どこまでも理解を得るために努力し続けることが大切ではないでしょうか。

けして楽な道ではないでしょう。でも耐える苦しみと、理解を得ようと努める苦しみでは苦しみの先にあるものは変わってきます。

仕事はみんなでするものです。その職場でやりたいことがあるのでしょう。ならばチームワークは必要です。

「体調がすぐれないことが多く欠勤が多くて申し訳ございません。」
「迷惑をおかけして本当にすいません。」
「いつもカバーしていただいてありがとうございます。本当に感謝してます。」
「ウソはついていません。ごまかすこともありません。私なりに精一杯しておりますが、至らぬところがあれば教えてください。よろしくお願いします。」
「教えていただいてありがとうございます。」

一つ一つの真摯で誠実な態度の継続はきっと伝わります。一人の理解者が生まれることでよいご縁がつながっていくことでしょう。

もちろんまたいつでもご相談ください。何度でもお話を聞かせていただきます。一緒に考えさせていただきます。

でも実践するのはせいらさんです。応援しております。

{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
このお坊さんを応援する

せいら様こんにちは。
前までのご質問に目を通していないままで書きますので、的外れになっていましたら聞き流してくださいね。

変な言い方をしますが、仏教は望みを叶えてくれる教えではありません。仏様はその解決方法では苦しみは終わらないと考えておられるからです。医療関係で働かれているせいらさん。風邪なのに「一生懸命頑張って目薬さします頑張ります!」という人がいたらどう思いますか?「いやいや頑張る方向、方法が違うでしょ」と思いませんか?仏教は望みを叶えることではなく、まず風邪の原因を知りましょうという教えです。

弱い自分を感じている人は「どうしたら強くなれるのか」と考えます。強くなったら解決すると思っています。実は世の中に強い人はいません。他の人はどう考えているのか。「強くなろうと思っていない」のです。弱い自分が問題なのではなくて、強くならなければならないという「思い込み」が苦しみを生み出しているのです。

想像で話しをしますがせいらさんのお母さんはひょっとしたら不安を抱えた人でせいらさんの気持ちを聞いてくれなかったかもですね。あるいは「こうするべきよ」という「正しさ」を教える人だったということはないでしょうか。性格の多くは幼少期の親との関係が影響している場合が多いです。お母さんに心の余裕がなかった→受け入れてもらえなかった→自分にはその価値がないんだと「思い込み」ます。

成長するにしたがい「何者かにならなければ価値がない」という思考が常識になります。正しくいきなければならない。という正しさに執着してしまう。正しい自分でいなければならなくなります。見捨てられる恐怖がつきまといます。自分が嫌いなのは自分が好きになりたい裏返しです。ただ、好きになりたいのは「理想の自分」だけなのですが。

「弱くてもいい」「怒ってもいい」「嫌だっていってもいい」「嫌われてもいい」「落ちこんでもいい」と声に出すこと。自分が否定している「自分」にOKを出してください。これはリハビリです。言いにくければ「今はいい」と今はをつけるとハードルが下がると思います。ノートに嫌な部分を書き出して「それも私の一部」と言って抱きしめる。弱い自分が出てきたら「あー自分を大切にして欲しいんだねー大丈夫だよー弱くてもいいんだよ」と声にだす。

頑張らないことを頑張ってみてください。あなたは立派で価値のある人です。

{{count}}
有り難し
おきもち

御縁があって一般人からお坊さんになりました。現在は小さなお寺の住職をさせて...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございますご心配して下さり感謝しています。
目的までは耐える気持ちは変わらずです。思っていってくださるのにごめんなさい。
変わりたいです。

「hasunohaのお坊さんに感謝」問答一覧

何度もお話を聞いていただいたご報告とお礼

こちらで何度かボランティア活動に関するご相談をさせていただきました。 一度目は子供の人間関係も絡んでのボランティア活動への悩み、二度目はボランティア活動の代表となった事への重圧や至らなさについて、お二人のお坊さんにお話を聞いていただきました。 その後ですが、自分の体調不良や、仕事や育児や家事で物理的に時間が取れず、これ以上は活動に身を置けない事を周囲に伝え、活動から身を引き、卒業生保護者の元代表(一度目の相談で親子共々関係に悩んでいた方)を主体に活動を継続する、という結論に至りました。 何のためのボランティアなのか、自分の心身をボランティア活動に捧げる事が難しい状況なら、今まで先頭に立って活動を進めていた方にお任せして、元の形に戻すのが良いかな、読み聞かせは楽しい事だけど、義務になってしまっては聞く子供達にも失礼かな、と、こちらで相談させていただいた事で、じっくり考えて、結論を出せました。 (お名前をお出しして大丈夫でしょうか)中田様、佐藤様、相談に乗っていただき、ありがとうございました。 お陰さまで、悔いのない答えが出せました。 今回は、相談というより、お二方にお礼がいいたくて、投稿いたしました。

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

考え方を変えてみました (お礼)

以前こちらに悩み事を相談しておりましたが、今回はお礼をしたくてこの文を書いています。 私は今までずっとネガティブな方向にしか考えが及ばず、人と関わるときも「こう言ったらダメなのではないか?変に思われるのではないか?」と周りの視線や自分がどう思われているかを過度に気にし、学生時代から自分の思っていることを中々口に出せず、ストレスで精神科を受診したり不眠になったりしていました。 考え方を変えてみたら、少し前の自分よりとても生きやすくなりました。 自分が思っているほど、相手はそこまで自分のことを気にしていないということが分かってから、相手が不快に感じたり、傷つける言葉じゃなければ大抵は大丈夫だし、身構える必要が全然なかったことに気づくことができました。 あと、どうでもいい小さなことでも心の中で自分を褒めるようにしてみたら毎日を少しだけ気楽に生きることができるようになりました。 これからまた暗い気持ちになることも沢山あるし、人に傷つけられたり、逆に傷つけてしまったり、沢山嫌なことがあるかもしれないけど、今は少し前の自分より生きやすくなっています。10年以上悩み続けて、やっとこの考え方にたどり着くことができました。 まず自分から変わろうとしてみるって本当に大切なんだなと思いました。 色々と相談に乗っていただきありがとうございました。

有り難し有り難し 23
回答数回答 1

私の心の現状と心構え

お久しぶりです。以前、インターネットでたくさんの人を傷つけてしまったことでご相談させていただきました。前回相談させていただいた時よりもほんの少しですが安定してきたので(まだまだ不安定ですが)また相談させてください。   弁護士の先生に何度も相談させていただいて、私のしてしまったことは刑事では裁かれることはほとんどないことがわかりました。 何も分からないまま過去を後悔してばかりいるよりも、こうしてお坊様方に相談したり弁護士の先生方のご意見をいただいたりして反省に少しずつ繋げていきたいと思います。民事の面では裁かれるかもしれませんがそれは傷つけてしまったものとして当然です。お相手様を深く傷つけてしまった、亡くしてしまったかもしれないこと、相手の心の傷、ご遺族の方々への賠償は当然のことです。   それともう一つ良いことではありませんが、自分の反省に繋げられるのかと思い申請したことなのですが、私が書き込んでしまったところの運営様がデータのエクスポート(チャットログなどを開示すること)をしてくださることになりました。 自分の書き込んでしまった言葉をもう一度見つめ直して、言葉の鋭さを身をもって感じ、反省に繋げることができたらと思います。   最後に、ハスノハの皆様への感謝を書かせてください。私がまだ反省の「は」の字も知らない頃にこのサイト「hasunoha」を知りました。あの頃は自分が法律で裁かれることが怖いだけで、傷つけてしまった人のことなんか頭の中にすらない状態でした。しかし、心から懺悔、反省することの大切さをたくさんのお坊様方が、つぶやき門前の方々が教えてくれました。   今でもまだ法律で裁かれることは怖くないわけではありませんが、それと同じくらい、それ以上に傷つけてしまった方々の心を考えてみようとする自分がいます。 ハスノハに出会うことができなければ私は今バケモノだったかもしれませんし、この世にいなかったかもしれません。   自分のしてしまったことから逃げるのではなく、きちんと向き合うことの大切さを教えてくれたことに、感謝という言葉では表しきれない思い出いっぱいです。 向き合うことも一筋縄ではいきませんでしたが、逃げそうになった時も皆様のお言葉のおかげで踏ん張ることができました。   これからまだ先は長いですが、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

月日は流れて

こんばんは。 いつもお世話になっております。ありがとうございます。 初めて相談させて頂いてから7年が経ち、年齢も三十代から四十代の後半に差し掛かるようになってきました。 悩みも家族や自身の事が中心だったのが、仕事へと変化していきました。過去の問答を見返しましたら、数年前はかなり仕事が苦しかったように思えました。 今は、まだ仕事で悩む事も多々ありますが、6年半の経験値から、少し落ちついて出来ている部分もあります。 このような変化も諸行無常なのかなと思ったりもします。様々な方々に支えて頂いていると、あらためて思います。 このような変化がある中で、きっとこの先も、また少しずつ違う景色が見えてくるのかなと思いました。 まだまだ上り坂も下り坂も、まさかもあるとは思いますが、その都度、出来る事をしていこうと思います。 年齢的には健康に気をつけて過ごしていきたいです。あまり無理はせずにボチボチでいきたいと思います。 また重大な事でお世話になるかもしれませんが、今日は近況というか、思っております事を書かせて頂きました。 月日は流れていきますが、お坊様方も御身体にお気をつけてお過ごし下さい。 いつも、ありがとうございます。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

お坊様とhasunoha管理者の皆様へ

こんにちは hasunohaを利用させていただいているよっしーと申します。 hasunohaに携わっている皆様、今まで本当にありがとうございました。 このような場所でお礼をするなんて場違いだと思いますが、どうかお許しください。 このhasunohaに出会い、私は人生がとても変わりました。 ここに出会わなければ私はずっとネガティブで暗い人間のままでした。 お坊さんの法務は毎日休みがなく、とても忙しいと聞きます。そんな中でも親身に相談にのってくださる皆さんには本当に感謝しかありません。どうか、無理をせず、お身体に気をつけてお過ごしください。また相談させていただく機会があるかもしれません。その時はまたよろしくお願いいたします。 また、このhasunohaを管理してくださっている方々、このようなとても心が落ち着く、素晴らしいサイトを作っていただき、本当にありがとうございます。これからもこのサイトが永遠と続くよう願っています。 本当にありがとうございます。 皆様本当に、無理をせず、お体に気をつけてお過ごしいただければ幸いです。 私は国語が苦手ですので、とても汚い分だったと思います。本当に申し訳ございません。回答はしないでいただいて大丈夫です。 みなさんに届いてくだされば十分です。 ここまでお読みくださりありがとうございます。何度も申し訳ございませんが、無理をせず、お体だけには気をつけてください。 ありがとうございました。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

これも偶然という名の巡り合わせでしょうか

こんばんは、風涼です。先日はご助言を頂いてありがとうございました。 昨年の末に母が亡くなりましたが、その二ヶ月前にコロナ禍による退職と なりました。おかげで寄り添う時間にかなり恵まれて、また少しでも楽に なればと思い購入した空気清浄機も、最後の一日だけですが見せてあげる ことも出来ました。早目に届いたおかげです。   それと普段の呼出しブザーもその日に初めて鳴らなくなり、原因を調べる ために、家族がより多くの会話を交わすことが出来ました。意識を失って 倒れた瞬間も、父親に支えられたまま苦痛を訴え、抱かれながら心停止を 迎えました。あまりに恵まれた巡り合わせに、今でも感謝しています。   あれから半年以上経ちましたが、地元の石川県珠洲市では先日地震があり、 自宅の方は幸い震度2で済みましたが、余震で仏壇の花立が倒れてしまい、 同じ床の間に飾ってあった、母の写真立てに水がかかったようでした。   パタンと倒れた写真立てに水が溜まり、台紙などがその大半を吸い込んで、 床の一部が濡れただけで済みました。花の方も傷みはありませんでした。 水をぶっかけられてご立腹かもと思いはしつつも、守ってくれたのかなと 嬉しく思ったりもしています。   当時は、やはり終末期のことばかり浮かんでいたのですが、今では自分が 子供の頃のことまで、思い起こせるようになりました。後悔や悔いまでも 肯定しながら過去にしてしまうのは、生きていくための防衛本能として、 決して悪いことだとは思いませんが、寂しくもあります。   不安とは違うと思いますが、心の落ち着きどころとして、何処を目指せば 良いのだろうと日々、考えたりもしています。母の生きた足跡は私や家族、 親族や友人達のこれからに、少なからず影響を与えると思います。   正直に申し上げれば、信仰心の自覚もない私が、仏壇に手を合わせるのは 自己満足に過ぎないと感じてもいますし、顔を洗って歯を磨くことと同じ、 ただの日常になってしまってはいないかとの思いはあります。今はまだ、 自問自答して行きたいと思ってます。   また取り留めもない話で申し訳ありませんが、写真立ての話も不思議な 巡り合わせに付け加えたいと思い、ご報告させていただきました。何か、 少しでも伝わるものがあれば幸いです。ありがとうございました。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ