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仏教では愛国心をどう考えますか?

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 私は仕事の関係で、中国や韓国の方々と接する機会が時々あります。 中にはあまり友好的ではない方もいます。 彼らが日本の悪口を言う時や、ニュースなどで反日運動を目にする時などは非常に腹が立ちます。 

 しかし一方、最近ネットなどでよく見かける極右的な意見には賛同できません。 あまりにも極端なコメントを見ると背筋が凍るような悲しい気持ちになります。 

 教育現場などでも取りざたされているように、健全な愛国心を育てる事は必要なのかもしれません。 しかし私自身も恥ずかしながら愛国心をどのように表現するのが良いのか戸惑うことがあります。 

 仏教的な観点からは「愛国心」をどのように捉えるべきなのでしょうか? 愛国心をもつことは望ましいことではないのでしょうか?  

 また、中国や韓国の方々の非友好的な態度に接するときは、どのように対応するのが良いのでしょうか? 是非ご意見を拝聴させていただければと思います。 


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

愛国心はあってもいいが憎しみはダメ

「愛国心」と言うときは、日本人ならば、日本と日本以外を区別したうえで、日本に対して愛着を持つことを意味します。
例えば、日本の税金を使って教育を受けた子供が、大人になってたくさん税金を納めるお金持ちになったときに、日本を捨てて海外に出てしまったら、日本としては損をします。
ですから、国という制度上、愛国心を重視するのは仕方ありません。
日本というチームに所属しているなら、少なくとも相手チームのためにオウンゴールとかはしてくれるなよ、ということです。
仏教でも、世俗社会の営みとして、日本人が日本のために働くこと、◯◯高校の学生が自分の高校のために部活を頑張ること、家族が自分の家族のために働くこと、を否定はしません。
しかし、それは、具体的な行動は否定しないということです。
感情面では、仏教では、自分と他人、自国と他国を分別してえこひいきしたり、他を憎んだりすることを推奨しません。
仏教は、怒りや憎しみをなくし慈悲の心を育てたほうが幸せになれると考えます。
愛国心があるのはかまいませんが、愛国心を理由に他人(外国人や、愛国的でない日本人)を憎むことについては、仏教では善しとしません。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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地上に線を引かない

 「仏教的な」お答えを、ということですが、まず(よくある話ですが)ナショナリズムとパトリオティズムのことはご存じですか?私なりのとらえ方で言えば、「ナショナリズム」は、為政者が国という線を引いて、「お前はこっちだから、こっちを大切にしろ、守れ」という使い方であるのに対し、後者は「生まれ故郷とか地元」といった、自分を中心とした緩いエリアをイメージ(愛郷心とも呼ばれます)しているようです。
 「日本の悪口」を言う、という時には、明らかに前者の思想ですね。彼らは「戦争で日本を倒した」という物語の上に立って、「だから我々の言うことを聞け」と、現政権から言われているのですから。
 一方、後者のとらえ方では他者を悪し様に言う必要がそもそもありません。お国自慢という程度でしょう。
 私見ですが、「地元を大切にしよう」という、誰もが肯かざるを得ないことを足がかりに、「だから、その地域を含んでいる国を大切にしろ。その国を運営している我々の言うことを聞け(私は総理大臣なのだから)」に盲従すると、いいことにならないような気がします。
 それよりも、恐らく鎌倉仏教に顕著なのですが、「私もあなたも凡夫でしょう」という、分け隔て無い見方をするのが日本仏教だと思います。
 …「日本の?」と言いたくなるでしょう。しかしお釈迦様も、生まれてすぐ占い師さんに「一国の王様になれば偉大な王に、そうでなければ人類全体を救うだろう」と言われたそうですが、後者の道を選んで仏教に繋がったのです。つまり、そもそも国という境界を飛び越えてる。
 さて、「非友好的な態度にあう」の件です。彼の国では、ひょっとして「愛郷」がしにくいのではないか、と勘ぐることがあります。
 「国などというものはどうでもいい」というつもりは毛頭ありませんが、教科書で読んだような、言葉で表現される「我が国」ではなく、目に浮かぶような「我がふるさと」を大事にする。その具体性を忘れてはいけないのだろうと思います。ですから、「私たちは、生まれた地域・育った所のことも、クニと呼びます。あなたの育ったクニは、どんな所ですか」と返してみてはいかがでしょうか。「へぇ、それは行ってみたいですね」という話になれば、もう友好関係につながるでしょう?

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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今さらの回答ですが

仏教は国家の存在そのものは否定しません。四恩(しおん)への感謝を忘れてはいけませんという教えがありますが、四恩とは父母の恩,国王の恩,衆生の恩,三宝の恩です(異説複数あり)。国王へ感謝するのに愛国心を許さないというのは無理がありますから、愛国心も否定できないでしょう。

そもそもお釈迦さま自身が王子だったのですから、国家が正しく運営されてこそ民衆も豊かになるという発想は自然と組み込まれているのです。だからお釈迦さまはビンビサーラ王やアジャセ王へ誠実な国を作るよう説きましたし、後世の仏教も古今東西を問わずそれに倣っています。まぁ、一言に仏教と言っても、実際は八万四千の法門という言葉があるほど多様ですから一概に全てとは言えませんが…

さて、発句経というかなり古いお経の中で、お釈迦さまはこうおっしゃったと言われています。
「荒々しいことばを言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。」(第133偈、中村元訳、岩波文庫)
「こわれた鐘のように、声をあらげないならば、汝は安らぎに達している。汝はもはや怒り罵ることがないからである。」(134偈)
「しかし愚かな者は、悪い行いをしておきながら、気がつかない。浅はかな愚者は自分自身のしたことによって悩まされる。ーー火に焼きこがされた人のように。」(136偈)

他人を恨み、謝罪させた所で自分の苦しみは収まりません。自分で恨むことを止めなければ自分自身が救われないのです。千年恨み続けるということは、千年間自分の首を締め付けることになります。どちらの国にしても仏教を棄てた人にはそこに気付けないのです。
(一方、日本人も忘れつつありますが…昔は罪を憎んで人を憎まずと言ったものですが、最近は徹底的に断罪しろ!という風潮が強くなってきていますね。これも自分の首を絞める心の有り様です)

自分の国を愛しましょう。そして他国も母国と同じように愛しましょう。そうしないと自分自身の心が乱れるだけです。

最後に、非友好的な態度に接した時、道元禅師はこうすれば良いとおっしゃいました。
「(言い返してこじれさせるより)聞こえないフリをして無視するくらいの方が好きです」

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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ダライラマ十四世の講演をよく拝聴しますが

私はダライラマ法王の講演をよく拝聴します。インターネット上でいくらでも聴かせていただけますので、あなたにもお勧めしたいと思います。

法王が必ずおっしゃるのは、自分たちは地球人である、ということです。人種、民族、国籍などで区別してしまいがちですが、まず何よりも地球人であるということです。今は宇宙から地球を映した動画が簡単に見られますが、どこを探しても地球上に国境らしきものは見当たりません。人間が勝手に「ここは自分の土地だ」と境界を作り、それが大規模なものになったのが国境というものでしょう。もともとない「自分の土地」を作り、そこに線引きするから争いが起こってきたし、これからも起こり続けるのでしょう。国家というものがなくなるとは思えませんが、何国人という立場を唯一無二のアイデンティティとするのではなく、まずは地球人という自覚に立つのが、仏教の考え方であるといえるでしょう。

そのうえで確かに民族による文化の違いはあり、お互いに違いを認め合い、大切にしあうことも必要です。それを無視して例えば西欧なり中国なりを規範として、それに無理やり同化(アシミンレーションといいます)させるようなやり方は乱暴であると否定されています。言い換えると排日を国是としているような●●や××のような国のやり方は間違っているといえます。そんな国のやり方に染まってしまっている人たちとお付き合いなさるのは大変でしょう。

それでも、根気よく付き合っていくうちに分かり合えることもあるはずです。私は外国人のための日本語教室でボランティアをしていますので、人間同士仲良くやれることもあることを実感することもあります(そうでないこともありますが)。国家がやっていることはみな似たようなことだといえます。昔、日本が中国にしてきたことと、中国がチベットやウイグルにしていることに違いなどないはずです。しかし、これを言ってもけんかになるだけで何にもなりません。しかし、個々の人間同士が分かり合えることもあるのではないでしょうか。

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私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...
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質問者からのお礼

ご回答を下さったお坊様方 ご多忙の中、皆さま見ず知らずの私の疑問にご丁寧に答えて下さってありがとうございました。


願誉浄史 様
ありがとうございました。仏教では、自他を分別すること自体があまり望ましくないのですね。おっしゃって下さったお言葉を肝に銘じ、慈悲の心に近づけるように努力してみます。

佐藤良文  様 
ありがとうございました。パトリオティズム、あまり意識した事がありませんでした。今度攻撃の刃を向けられた時は、教えて下さった会話例を参考に、「自国に愛郷心を持ちながらも、他国の方々の愛郷心も尊重する」方向に話題を仕向けるようにしてみます。


藤岡俊彦  様
ありがとうございました。ダライラマ法王の講演、私も探して聞いてみたいです! また、外国の方と接するときは同じ「地球人」という言葉を意識してみるようにいたします。 私は未熟なもので、つい相手の幼稚な挑発にも乗ってしまう傾向があるのですが、心して自制するようにいたします。 

大慈 様 ありがとうございました。「四恩」いうお言葉、勉強になりました。日本に暮らしている以上は日本を愛すのは自然な事なのですね。そして自国と同様に他国も愛することができるよう努力してみます。少なくとも隣国の方々には熱心な仏教徒は多い筈なのですが、その件においてはダブルスタンダードなのかもしれません。今度挑発されたときは、さりげなく「聞こえなかったふり」をしてトボけてみる方法もとってみます。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

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日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

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