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家と違う宗派のお経や念仏を唱えてもいいのでしょうか?

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家は、禅宗で、今お付き合いしてる方は、浄土真宗なのですが、たびたびお世話になってるお寺は、真言宗です。

真言宗のお寺で、護摩たき(字が間違ってたらごめんなさい)していただいたり、真言を教えて頂いたり、御守りを頂いたりしてます。

この様な事は、本来よくない事でしょうか?

実家とは、疎遠で、今後の付き合いもありません。が、それでも、禅宗の方法で色々と進めるべきでしょうか?

と、言っても仏壇などありません。ので、特にいま何か出来る訳でもありませんが、私の様な檀家にもなってない人は、今後どうしたらいいのでしょう?

何か1つの事でも、アドバイスいただければ、ありがだいです。

よろしくお願いいたします m(__)m


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

個の宗教心は、家にしばられません。

大抵は親と同じ宗教宗派を信仰するのでしょうが、そこから外れたからと言って罰が下ることはありません。

教祖や宗祖は、親と違う信仰になったから、新しい教祖・宗祖になったのですから。

hanakoさまが、良いと思う宗派に帰依なさってください。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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和尚はホームドクター

山の頂上を目指すにはどの道から登っても必ず到着するものです。
どの道を歩んでもいいのです。
自分は自分の道を選択して歩む事が赦されています。
それも仏教の寛容性。
仏教はそういう迷いや人の決めたルール、争いや苦しみやからも離れた所に目覚めるものだからです。
そうするべきだ、こうしなければならない、というのは人間のルール。
仏教は、その人間の決めたルールではない心、悟りに至るための道であって、そこに至るための施設(せせつ)として、❝設けられている❞ものが各宗派の違いです。
だからどの宗派であれ、ちゃんと悟りの心を提供してくれるお医者様(坊さん)のところを菩提寺(ホームドクター)として関わりを持った方が、生きている人も亡き人も共に救われましょう。
念仏がしっくりくる方は念仏へ、禅がフィットするかたは禅へ、お真言、阿字観がしっくりくる方はお真言、阿字観へ。
さて、以下は個人的なお願いですが、今はみな霊園にお墓を持たれてしまう方が増えていますが、それはお寺業界人、丹下の個人的意見ですが、霊園というのは、神道さんキリスト教、その他の方が選択される手段であって、お寺ではなく霊園業者という「個人の会社」に投資・布施?して墓地を借りている状態ですので、そこに「お寺さん来てください」というカタチは正直お寺からすると勘弁してください、ズルい、なあり方です。(-_-;)
お寺にお墓を持つ、菩提寺を持つという事は、その宗派を信仰・護持して日本の仏教の存続を支援していきますということです。霊園、個人業者に投資されては、どんどん寺院崩壊、仏教荒廃になってしまいかねません。菩提寺さんのご本尊のおひざ元、お寺さんとの寺院・檀家さんの関係を持っていただくことがお寺や日本仏教への直接的な助け・支援になっていくことなのです。
お寺は、そうした、みな様方のお布施・ご浄財によって成り立っていますので、そうした面を考慮して頂けますと、こうして無料相談のサイトを立ち上げてくださった仏教者の方々や、存続が危ぶまれております各地のお寺や仏教文化を残す、支援につながります。
いずれご結婚されたのちに、ご両家の祖霊を祀るお寺を選ぶべき時が来ます。
その時に、霊園ではなく、お寺存続のためにもどこかのお寺の檀家さんなっていただけたらありがたいです。(丹下の個人的意見です)

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何の問題もありません。

hanako 様 ご質問の件ですが何も問題ありません。禅宗(曹洞宗の例)ですと、全ての仏様はお釈迦様に繋がっています。過去・現在・未来の諸仏・・・いくつく先は全てお釈迦様ですので、特に気にすることなく現在の形を続けられてもよいと思います。

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小黒澤 和常
大本山總持寺安居ののち、松岩寺副住職となる。テレビ朝日系お坊さんバラエティ...
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みんな自由です

宗教は自由ですので、ご自分が一番しっくりくる宗派をお選びになると良いと思います。

家の宗派と個人の信仰は別という方も多いですよ、檀家になっているとその家の仏事は菩提寺に依頼するのが筋ですが、私のように檀家さんがゼロのお寺では個人の信仰でお寺に集まります。

お寺のくる方には他宗のお寺のお檀家さんであったり、仏教ではない方もいらっしゃいます。ですが私は全ての皆様にようこそおいでくださいましたと迎えます。なぜなら個人の信仰は自由ですから。

よい宗派、よいお寺と巡り合えますように。

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サラリーマン家庭で育った私が作った小さなお寺。目指すは「アットホームテンプ...
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「今後」、どんなことが起こりそうですか?

 こんにちは。色んな宗派があり、いろんな教えに直接触れられるのはいいなぁと思います。私はお寺で生まれたので選択権なし(笑。本当はあります)。
 さて、現在いくつかの宗派との繋がりがあるとの事。それ自体はそのままで結構と思いますが、「今後どうしたらいいのでしょう?」は、実際にはどのような事を想定されていますか?その辺りを具体的にお聞きになると、具体的なお答えが得られるのではないかと思います。「特になし」であれば、そのままで結構ですが。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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質問者からのお礼

色々な宗派のお坊さんにアドバイスを、頂き嬉しかったです(*^^*)
お一人づつのお言葉を考えながら、私なりの答えを出そうと思いました
ありがとうございましたm(__)m

「念仏について」問答一覧

きらびやかな誕生に比べて人生がしょぼい

母が富士山に登った時にゲロッとつわりが来て僕を妊娠していることが判明。そのストーリーゆえに「おまえは富士山の神様から授かった子かもしれんな」と父に言われた事が自分の自尊心・自己肯定感の源になってきました。 富士山の神様は浅間大明神=木花咲耶姫ですが、母の実家の隣にはこの神様を祀った神社があったり、大学に進学して富士山と関係ない地方に住んだら僕の苗字がついた神社があったので参拝してみたらそこの祭神も木花咲耶姫だったりと、ただならぬ縁を感じています。 子供の頃は明らかに他の同級生に比べても知能がズバ抜けていたし、数年前にIQを測ったら132でした。 ただ、そのキラキラした誕生ストーリーの割には実際の人生がキラキラしてないのです。社長でもリーダーでもなく、しがないサラリーマン歯科医。金持ちでもないし住まいも田舎。人に慕われるような人気者でもなく、5年も婚活してやっと結婚できてもつまらない理由で離婚させられ、再婚相手が見つかったと思ったら婚約破棄。今3度目の婚活中で、もうじき40歳になります(この辺りの経緯は過去質問を参照ください)。 ここから浅間大明神の子に相応しい英雄になれるドラマが自分の人生にあるとは思えないし、あったとしてもそれに耐えうる根性が自分にあるかも怪しいです(5千万円の借金にビビって開業あきらめた弱虫ですから)。 念仏者としては神の子より凡夫の方が良いのかもしれませんが、自分の自己肯定感の源と現実との格差をどう縮めたものかと時々情けなく思います。

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迷いを抱えたまま回向をすることについて

3年前に父が亡くなり、うつ病となってから、自分の心を整理するために宗教・哲学・心理学など様々な本を読みました。 その中でも自分の腑に落ちたのは仏教の教えです。釈尊が説かれた「諸行無常」「諸法無我」の教えは、抑うつ症状に苦しむ中での支えとなっています。 しかし、一方で仏教を学ぶにつれて迷いが出てきたこともあります。それは、我が家の宗派である浄土宗の教えについてです。 我が家は祖父も父も信仰に厚い人だったこともあり、私も毎日遺影の前で念仏を唱えて回向することが日課になっています。しかし、自分なりに様々な宗派の教えを学んでいく中で、法然上人の説かれた「智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏すべし」という教えにある種の苦しさを感じるようになってしまいました。 日によって体調が安定せず、中々快方に向かわない現状が続く中、「阿弥陀様におすがりする」という考え方が、自分の中で上手く飲み込めないように感じてしまっています。 最近ではむしろ「それ仏法遥かに非ず。心中にして即ち近し。」という弘法大師の言葉のように、「自分の心と向き合う」ことに考えが向いているところがあります。 自分の心の問題は時間をかけて解決していけば良いとしても、今悩んでいるのは毎日の回向についてです。上記のような迷いを抱えたまま、念仏を唱えることは問題ではないでしょうか。やはり心が伴っていなければ回向に意味はないのでしょうか。父の祥月命日がもうすぐという中で、悩みが深まっています。 家族にも医師にもカウンセラーにも相談できない中で、「ハスノハ」さんを見つけました。お答えをいただけますと幸いです。

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南無阿弥陀仏のお念仏で極楽に往けますか?

浄土宗のお坊さんにお聞きしたいです。 私は、浄土宗の信徒です。歳は70歳を超えた現在今更ながら恥を忍んでお聞き致します。 (ご住職様は日頃、京都にお勤めでお寺にはおられませんのでこちらにお聞き致します) 私はずっと、南無阿弥陀仏と心から信じて唱えていると、ご本尊様が臨終の際に極楽浄土に導いて下さると信じていました。毎朝晩、ご燈明をつける時一生懸命にお願いをしておりました。 従って日常の行いは大切ではあるけれど、その行いによって六道輪廻のどこかに落とされる?という教えは、浄土宗には関係ないものとずっと思っておりました。 それ故、葬儀の後の七日毎の逮夜は審判ではなく供養をしていると思って勤めておりました。 ところが本日、親鸞聖人に関係のある某団体主催の勉強会に参加させて頂きました。 その際、講師の先生曰く 〇お釈迦は南無阿弥陀仏と唱えれば極楽浄土に行けるとは一切言っておられませんとか。  そんなのなら、誰もが極楽へ行けますよとか。 〇六道輪廻はあります。魂とは別に?根底に肉体という物体がありその物体が輪廻しているとか。 私の様な凡人にはよく理解出来ませんでしたが、今まで心より信じていましたご本尊さまのお導きによって極楽浄土へ行ける事を否定されている事に大きなショックを受けました。 今まで思っていた通り、心よりお念仏を唱える事でご本尊様に極楽浄土に導いて頂けると信じていてよろしいでしょうか? よろしくご指導下さい。 ★法然上人のお弟子さんの親鸞聖人に関係する会という事でしたので参加してみました。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ