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お寺は地域のために開放するべきではないのですか。

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近所のお寺の奥さんの言動に失望し、傷ついたのですが聞いて下さい。
私は特別支援学校の職員ですが、いつも生徒15名と他の職員3名と共に散歩をしているのですが、その散歩コースに近所のお寺が含まれており、境内で休憩し生徒達もはしゃいで走り回って楽しんでいます。
トイレも拝借しております。

ある日、帰校しようとお寺を出た所、お寺の奥様に呼び止められ「あなた方にはモラルがないのですか?」と、いきなり怒られました。
一方的に「あなたは、よそ様のお宅に勝手に上がり込んで勝手にトイレを使って庭を荒らしても何の挨拶もなく知らぬ顔で帰るのですか?
来る時は前もって、いつ、何時頃行ってもいいですか?と連絡するのが常識でしょ」と言われました。

納得できないのですが、お寺は地域の為に存在し、誰でも自由に出入りが出来てトイレも自由に使ってもいいのではないですか?
奥様が仰るには、「うちは観光寺院ではありませんし、トイレも公衆トイレではありません。」だそうです。

これでは生徒達が可哀想です。
お寺は皆そうなのですか?


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お坊さんからの回答 8件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お寺が求めているのは見学の精神 ではなく 参拝の精神

こんにちは、名探偵コナンじゃなかった、丹下と申します。
私の推理では、そのお寺の方は、それまでにいろんな方が来て、ハタハタ迷惑していたのでしょう。
実はわたしも中国のお寺に団体で見学に行った時、そこに修行僧たちがハタハタ迷惑そうにしていたのを覚えています。
みんな観光、物見、見学的な感覚でお寺にズカズカ入り込んできますが、場所によってはそういうスタンスで上がり込んでくる人というのは、ハタハタメーワクという事を私は初めて経験しました。
観光寺に来る人は見学の人と参拝の人がいます。
先日も、法事の合間にどかどか入り込んできて本尊様の前で、長ーくお経をあげていく「信仰という名の元に何でもやっていいと勘違いしている人」がきました。
お寺は、公共施設ではなく【半公共施設】です。
何故なら、住んでいる人がいます。
プライベートだってあります。
先日も、近所の小学校がお参りに来た時も、その方々は連絡をしてくださいました。
別になくてもいいと思いますが。
ですが、あった方が❝心が通っている❞ということをその奥様も言いたかったのではないでしょうか(そうであってもなくても、そう思うというのが、こちらの我や正義を引っ込める仏道修行というもの)
今から申し上げることは、別に悪く言う訳ではありません。よく聞いて、ああ、人間世界というものはそういうものかーと理解して頂きたい為に申し上げるのですが。
教育者的立場にある人は、およそ高い理念を皆持っています。それは我々僧侶も同じです。
自分たちが、教育者として常に人道的立場であろうとするため、時おり正義心が優先されます。それが為に、自分の正義、理念に相反する人を見ると何となく拒絶感にも似た反発感情が生まれてしまうという事があるそうです。
そういうのを捨てて普通に考えてみましょう。
「ああ、お寺といっても嫁いだ一女性の立場としてみれば、確かに観光寺ではないし、勝手に入り込んで、こっちは子供もいたから正義的立場だと思い込んでいたけど、それはよく考えてみれば、礼節を欠いていたと言えば欠いていたなぁ」と思ってみましょう。
それがお寺を❝見学❞ではなく、❝お参りする❞という敬いの精神なのです。
自分の正義を貫きたい気持ちに参拝してみてください。
その扉を開けたところには「何」がありますか?

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私の感覚では

こんにちは。私は東京のお寺です。よく地域の「地元のお寺、見て回ろう」というグループ(区で主催しているようです)がお越しになりますが、いつの頃からか、予告をしてから来るようになりました。また、近所の子どもたちが野球だのサッカーだの自転車だの、練習に来ています。こちらは特に予告なくやって来ます。基本的に答えは「どうぞ」ですが、行事と重なったりする時はご遠慮いただきます。また、ゴミを散らかしている時は、しばらく閉鎖します。
子どもが15人…それは正直言って、あらかじめご連絡いただきたいです。公園に寄るのと同じ感覚ですか?せめてお参りであるなら、また違った受け止めになるかとは思いますが。あとは頻度ですね。
地域柄が分かりませんし、そもそもコッチは関東ですから、感覚が異なる事は大いにあり得ます。
しかし、予告やお断りがあったのならまだしも、そうでなく訪れて、対応に怒りを感じておられるのは、些かお門違いと感じます。「生徒たちが可哀想」という事であれば、おとずれる先の調査をしておくべき、と存じますが如何。

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おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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いろんな見方があるでしょうが、挨拶はすべきと思います

 どれくらいの頻度で、散歩をし、お寺さんの境内で休憩してこられたのか質問だけではわかりませんが、或る程度の規模の団体で定期的に訪問し手洗いを使用しているなら、事前の承諾や使用後の挨拶があったって良いのではないかと思います。飽くまでも、私個人の考えです。

  小学校で学校周辺の地域を探索するという授業の一環で寺を訪問する場合は、事前に学校からは電話がありますし、当日は教員の方が挨拶に来られます。地域の歴史探訪の中高年グループが寺町散策の中で当寺を訪問する場合、事前に案内役の方が説明に来られます。

 特別支援学校の職員として生徒さんたちを引率されるのも大変かと思いますし、交通安全の面でもお寺の境内の散歩するほうが安全だと思います。生徒さんたちが生徒達もはしゃいで走り回って楽しんでいる光景はいいですね。それだけに、そこのお寺さんから言われた言葉は水を差されたような気分だったかもしれませんね。
 生徒さんたちが走り回っている光景は教員にとって、嬉しいことでしょう。但し、お寺の境内は公園や校庭のように、子供さんたちが走りまわることを前提としておりません。もしかしたら、境内の草花が踏み荒らされたりしたことも有ったかもしれません。掃き清めた参道が靴跡がついてしまったり、砕石が蹴散らされたりということがあったのではないでしょうか?団体で利用すれば、お手洗いの汚れ方も違います。1回2回なら苦情は言わないと思います。定期的に休憩し、手洗いも使用したなら、事前連絡をしなくても、当日挨拶したり帰る時に御礼を言ったりするのが礼儀だと思います。そういう挨拶の仕方を生徒さんたちに身をもって示すことも教育ではないかと思います。


お寺は地域の為に存在し、

  これは個々のお寺によって、違うと思います。我が寺は地域社会と共存し地域社会に協力してはおりますが、「地域の為に存在する」とは思っておりません。我が寺は基本的には檀信徒の為に存在し、同時に多くの方々に仏様との御縁を結んでいただけるよう努力し広く門戸を開くようにしているつもりです。「誰でも自由に出入りが出来てトイレも自由に使ってもいいのではないですか」と言われるのは、あなたの価値観の押しつけのように感じます。お寺の境内にあるトイレが公衆トイレとして使用される場合も有れば、飽くまでも参拝者のためのトイレの場合もあると思います。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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連絡すれば済む話では?

いつも仕事として生徒を連れて散歩してて、そのお寺に寄ってトイレを利用するのであれば連絡するのは当たり前だと思います。
トイレは参拝者の為に設けてあるものであって、トイレを必要とした全ての人の為に作っているものではありません。
もちろん使ってはいけないとまではいいませんが、やはり節度の問題かと思います。
それだけの人数が定期的かつ頻繁に利用しているにも関わらず挨拶も連絡もなしというのは少し問題かと思います。
「利用してもいいですか?」と一言声をかける配慮をするのが、社会人としての常識だと思います。
その一言でお互い気持ちのいい関係が保てるように思いました。

※うちにもトイレはありますが、設置費用は決して安くはありませんし、維持費も案外かかっています。
全て檀家のお布施と寄付で成り立っていますので、参拝者以外の方の利用は基本的にはお断りの姿勢です。
だからといって鍵が付いているわけでもなく立て看板もありませんから、自由に使ってもらえる状態ですが…

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始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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そうではないお寺もありますよ。

同じ地域や宗派であっても、
住職の考え方次第で、
お寺の運営も雰囲気もガラッと変わります。
「お寺は檀家のため」という考えなら、
他の方が来られるのは嫌でしょうね。
そのお寺はそのような考えのところなのでしょう。
でも、それが善いとも悪いとも決められません。

「お寺は地域のため」と考えるお寺もありますから、
他のお寺を探されるのが良いかもしれませんね。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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まあ、宗教法人の敷地は一応私有地ですからねぇ。

一言声をかけていれば快く「どうぞ」と言われていたのかもしれません。
お寺は、宗教法人の施設です。
住職としては、宗教法人の構成員(檀信徒)から施設の管理を任されている責任もあるので、万が一の事故でもあって建物等の破損があったら、法人の役員会や檀家総会で報告しなければなりません。
現代社会では、昔ながらのたたずまいのお寺といえども、法人として組織運営によって成り立っていますから。

なお、上記のコメントは、そのお寺の奥さんを弁護するために申し上げているのではありません。
怒りはストレスの原因なので、相手(お寺)の立場を想像することで、怒りを冷まして平安な気持ちになっていただきたいのです。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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地域との関係性による

ホトトギスさんご質問の意図ご察しますが地域とお寺の関係性によります。

都市部のご寺院さんは、防犯上、仏事の多忙さや施設の広さなどから、比較的クローズなところも多いですが、地域に密着したお寺さんだとまた違ってきます。

いずれにせよ、お寺さんごとに事情が違い、地域やご住職によってお寺開放の考え方が違うので、トラブルにならないようにした方がよいと思います。

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小黒澤 和常
大本山總持寺安居ののち、松岩寺副住職となる。テレビ朝日系お坊さんバラエティ...
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残念なことです

ホトトギスさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺、觀音寺 中村太釈です。

私も子どもを支援学級に通わせているため、ホトトギスさんの「失望し、傷ついた」という言葉に含まれるニュアンスが痛いほど私に伝わってきました。

私は、寺は公共の場所であると考えています。トイレも宅配の業者さん、郵便配達の方、通りかかりの方に利用してもらっています。境内が生徒たちの声で賑わしいのはうれしいことだと私は思います。以前は近所の子どもたちの遊び場でしたから。

時には、呼ばれない人も来ることがありますので、寺院も管理面で気をつけていることはあります。お賽銭や仏像が消えることがありますので。

御縁がなかったのでしょう。せっかくの仏縁が生まれず、残念です。

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徳島県の高野山真言宗寺院で住職をしています。 本山布教師心得として自坊の...
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質問者からのお礼

貴重なご意見ありがとうございました。
私の勉強不足であり、お恥ずかしい限りです。
何年もの間、何も言われなかったので、大丈夫だと思っておりましたが、ずっとお寺の方も我慢されていたのかも知れません。反省しております。

「お寺とのトラブル・嫌なできごと」問答一覧

住職さんが怖かった

生前沢山可愛がっていただいた親戚のおじいちゃんが亡くなり、葬儀に参列して来ました。その時の住職さんが怖かったので、相談させてください。 先日、親戚のおじいちゃんが亡くなったと連絡が入り、ショックでした。 お葬式の時にきちんとお別れしよう。と思い、お寺に向かいました。 お寺に付き、葬儀が始まりました。住職さんは真っ赤な服を着てだるそうに部屋に入ってきました。服が真っ赤だった事も驚きですが、あまりにもだるそうでしたので、「お疲れなのかな…?」と思いました。 住職さんは部屋に入り、遺族や参列者にお辞儀もお話もなく、一直線でお焼香台へ行き、お焼香をし、そのまま葬儀が始まってしまいました。普段お世話になっているお寺では、葬儀が始まる前に住職さんから一言挨拶が必ずあったので驚きました。 その後、滞りなく葬儀は進み、住職さんから「お焼香。」と一言あり、遺族の方がお焼香台へ向かいました。コロナ禍でお焼香は遺族だけに絞るお寺もあると聞いていたので、私達は行っていいんだろうかと他の参列者の方とソワソワしていました。そしたら住職さんがお経を読むのをやめ、「何してるんですか?続いてください。」と怒ったように発言し、怖かったです。 その後、何とかみんなお焼香を済ませ、住職さんから「これで葬儀は終わりです」などの言葉はなく。黙って座った状態で恐らく葬儀が終わりました。喪主が え? という風にキョロキョロしてると、住職さんが「ご挨拶。あるならしたら。やるなら今やって。今しか時間ないよ。」ときつくいいました。喪主が「孫から祖父に向けた挨拶もあるのですが…」と伝えると「は?なに?」とすごく大きな声で聞き返し、喪主の人がもう一度伝えると「それ必要?」とバッサリ… 結局お孫さんからの挨拶はなく、喪主が手短にご挨拶をして終わりました。喪主がお話している時、住職さんはいそいそと片付けをしていました。 その後、四十九日法要も続けてやったのですが、その時の住職さんの服装もミントグリーンのすごく派手なものを身に付けていました。 お疲れだったのかもしれません。でも、最後のおじいちゃんとのお別れが台無しにされたようですごく悲しかったです。 このような方が住職でいいのでしょうか? また、法要の際に住職さんが派手なお色の服を着ていいのか。法要ごとに服を変える決まりがあるのか。気になったので教えて頂きたいです。

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お寺が性犯罪の温床になる危険性

 いつもお世話になっております。  私は、13歳から発心し、以来、様々なお寺にお参りしてきました。 長い間お寺に通ってきて、気が付いてしまった事があります。  「性的な野心を持って門を潜る男性信徒が多い」 ということです。  今まで参詣した全てのお寺で、 ・突然見つめてくる者 ・堂内がガラガラに空いているのに、わざわざ距離を詰めて向かい 合わせや隣に座ってくる者 ・後をつけてくる者 ・声を掛けてくる者 ・ナンパをする者 このような、恐ろしい淫魔のような男たちに遭遇してきました。 一人や二人ではありません。  目撃者になったこともあります。そのときは無知だったので、 被害女性を助けられませんでした。  最後は、私自身が実際に最近被害に遭いました。しかし、 地元警察の生活安全課様が懸命に対応してくれ、難を逃れることが でき、感謝しています。  私は、戦うことを決めました。お寺で少しでもそのような 動きをする者がいれば、110番をしてお巡りさんに怒って もらいます。お巡りさんはプロなので、加害者は言う事をきく ほかありません。  今回対応してくださった刑事さんも、私がこの話を告げると、 「なるほど。何かに縋りたい方が行く場所ですから、そういう事も ありえるかもしれませんね」 とおっしゃっていました。  世間一般では、 「若い人がお寺に行くのは、大きな悩みがあり、弱っていて、 自分に自信がないから」 と認識されています。事実そうです。それに乗じて、邪な 男たちが活動するのです。  「私なんか、ナンパされる器量じゃない」 「お寺に悪い人は来ない」 「私なんか、誰も友達になってくれない」 そう考える彼女たちに、まず挨拶から近づき、若いのに偉いね、 とおだて、世間話をして懐柔します。彼女たちは、 「こんな私でも、友達になってくれる人がいる」 と油断します。男は、そこで、 「今度ゆっくり話そう」 と言って個人情報を聞き出し、連れ出し、加害に及ぶのです。  先程、全日本仏教会様に意見しました。こういう事が起きている ので、お寺に対策を、信徒に注意喚起をしてくださいと投書しました。  私は、どうしても許せません。お坊様方にも、何某か活動して いただきたいです。  先生方は、どうお考えでしょうか?

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以前、寺の跡継ぎであった私と妻に対する、私の両親をはじめとした寺の者達の態度に納得がいかず、相談させていただいた者です。 いただいたご助言もあって、現在は、実家の寺を離れる事に踏ん切りが付き、実家と関わりを断って生活していく事を決めています。 しかし、関係を断って暮らす前に、残しておくと面倒事になりそうな事を父にメールで確認していた時の事でした。 「私が生まれてすぐに跡継ぎに指名していたくらいだから、後継ぎがいなくなる事は寺にとって大問題なんだろう。私が辞めた後、どうするつもりなのか聞かせてくれ」と私が問うと「跡取りを辞めたお前には関係ない」と父から切り捨てられました。 しかし、私は「物心がつく前から親に勝手に」寺の跡取りにさせられて、成人してから継ぎたくないなら継ぎたくないと言えば良かったと言うのは正論ですが、生まれてからずっと受けてきた親からの精神的呪縛を解くのは容易ではなく、そもそも跡取りになろうとしていたのも檀家さんの為、親の為に選んでいた事で、「私個人が住職の仕事を継ぎたいか継ぎたくないか」等という単純な理由ではないのです。 そして跡継ぎを辞退するに至った理由も私のわがままではなく、最後まで自分が継ぐ為に実家と話し合おうとして、それを拒否したのは両親なのに「”お前が”辞めると決めたのだから」もうお前には寺は関係ないと切り捨てられたのです。 実家の寺は単純に切り離せるものではなく、理不尽に関わらされたとはいえ私の人生の一部でした。 それを親から突然「もう関係ない」と言い捨てられたのは、半身をもぎ取られるような思いでした。 いくら跡取りを辞退しようと「自分の意志とは関係なく生まれながらに寺と関わらざるを得なかった人生」の私には、父達が今後の寺をどうやっていくつもりかを聞く権利があると思っています。 しかし、それは実家と揉めた事で私の精神がねじ曲がってしまっているのかもしれないとも感じています。 もう寺の事などは気にしないで自分の人生を生きた方が良いとはわかっています。しかし、上記のような思いがあり、寺を気にしない生き方がわからないのです。 今回は言われたのがメールだったから良かったのですが、目の前で直接言われていたら、私は父を殴っていたかもしれないと思う程でした。 そういう自分がとても怖く、気持ちを切り替える術が何かあればご助言いただきたいです。

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閲覧有難うございます。どうぞよろしくお願いします。 すでに離婚も裁判も終わっているのですが、旦那がイベントで知り合った僧侶と不倫をしました。 私は、結婚していても他の人を好きになってしまうのは自分ではどうにもできない、と思っており、発覚当初は二人が誠心誠意謝ってくれれば許そう。二人の結婚も祝福しようと思っていました。 しかし、裁判中、私を侮辱する発言や、寺ぐるみでの所得隠し、嘘の報告での減額の要請などがあり、結局は謝罪を貰うこともできませんでした。 誰かに吐き出したい。こんなことされた、あんな事言われたと言ってしまいたい。 ですが、親兄弟や友人に相談することもできず、死にたいと思っていても、私が死んだ後の事を考えると躊躇してしまい、死ぬこともできません。 そんななか、不倫相手が旅行に行ったり、楽しそうに他の方とSNSをしてるのを見かけると、なんとも言えない気持ちになります。 SNSを見なければいいのですが、仲良くしてくださってる方に、不倫相手の活動が好きな人がいて、どうしても耳に入ってくるのです。 彼女の僧侶としての活動は、誰かを元気にする有意義な活動だと今も思ってはいます。 しかし、僧侶としての活動と不倫は関係ないのに、どの口が法を説くのだろうか、と、否定的に捉えてしまいます。 彼女の活動は、本当に正しいのでしょうか? また、娘の不義と向き合うのではなく、共謀して、所得隠しまで手伝う住職のいる寺は、必要なのでしょうか? 私には必要ない、でも、誰かにとってはどちらも必要で大切なのです、その事実と折り合いをつけることができず、悶々としてしまっております。 不倫のこと、裁判でされた事を本山に訴え、何かしらの罰を受けてほしいと思っております。 その場合、プライバシーの侵害で、私が罰金刑等を課せられる場合もありますが、彼女に活動してほしくないという気持ちが強く、そうしてしまおうかとも思います。 彼女に活動は続けてほしくない、しかし彼女の活動で助かってる人もいる。 なにが正しいのかわからず、ずっと苦しい思いが続いております、どう考え、心に折り合いをつければいいでしょうか。 長文読んでいただきありがとうございます。 空行が反映されず、読みにくかったらすみません。

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住職に墓守を頼んだ結果

私の家は絶家の運命にあります。 ですが、家族だけで永遠に穏やかに安心して眠れるお墓を建てたいと思い、公営墓地にお墓を建てることにしました。 公営墓地は承継する人がいないと墓地の取得は出来ないとの事でしたので、お寺のご住職に相談したところ、墓守になってくれることを了承してくれました。 その後、墓地の申し込みをしました。 こちらも何もお金を出さないつもりではなく、父が残したお金の中から自分達に出来るだけのお金でお願いするつもりで、ご住職にどれくらい必要か、思い切って聞いた方が良いと思い、聞いてみたところ、とても支払えない高額な冥加金や懇志を請求されました。 墓地の修繕や管理にかかる費用は別です。 合計すると600万円を超える額です。 墓地代をすでに市役所に支払ってしまい、返してもらうことが出来ません。 こちらの家計の話をし、もう少し、なんとかならないか相談しましたが、払えないならこの話は受けられないとの一点張りです。 このようなことをお願いする場合、これくらいの金額は妥当なのでしょうか? もったいないですが、お寺さんに支払えないので、墓地は泣く泣く手放し、もうこのお寺様にはお参りに来てもらうのをやめるつもりです。 若い住職で普段からお金の話と他人の悪口や葬儀社や出入りの業者の悪口などを話し、故人の話やこちらの体調などを気遣ってくれる方ではありませんでした。 大切な家族を亡くしてから、体調を崩しているから月命日のお参りを休んでいたのですが、少しの時間我慢できないのか?とかずっと月命日はお参りした方がいいと思うよ、成仏出来ないよ、と言ってきました。 同じ職業の方の悪口になり申し訳ありませんが、皆様のご意見をお聞かせ頂けませんでしょうか。 よろしくお願い申し上げます。

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生霊か神通力、お寺の方との関係、家の供養

感応 思念の伝達のようなものを感じます。 お寺の方からよく思われておらず、そこの一家から中傷の言葉をよく感じ取ります。 こちらが悪いことを言ったちゃんとした生き方や性格をしてないから快く思われていないという理由も、私自身の性格の汚さが原因なのだろうとは思います。 心の中なので汚く罵りました。 私のことなど、何をしているのか見られているようです。   また、おりんを鳴らしたら知らない女性と見えないもので繋がってずっと詰られていたこともあります。 その女性のことをお寺の人は擁護しました。 直接は聞けていないです。 一応薬は処方してもらってますが効果があるのかは体感としては分かりません。 ずっと批判されている中傷軽蔑嘲笑されているようで、精神的に怒りがおさまらないこともあります。理不尽に感じます。 こちらから心の中で、なじって軽蔑嘲笑したことがあります。 心の中でその人の意思が出てきて声を聞く、など体験しました。 寝ている時に夢の中や起き抜けや入眠前の微睡で声はよく感じます。 お寺の方にご供養のことや御供えの仕方など子供の頃に聞けなかったことが後悔です。 まるで神通力?霊視?のようです。 心臓にダイレクトに来て辛い時があります。 全てを環境のせいにするあなたにわかりません、と言われたのを感じました。 ふとした時にふわっと考え事をしている時に、地獄に堕ちろ、という声が響いて驚きます。 衝撃で勝手に決めつけられたように感じ、それを感じ取り悲しみと怒りで心の中で詰りました。 悲しさと傷と過去のこと、どうしたら良いのかわからなかったことも一方的にキツく言われているのを感じました。 心の中に響きます。 自分自身の汚さもよく感じました。 家の供養のことなど正しい行いを聞かなかったことが自分自身で悔しいです。 おかしなことが起きた時にお寺の方はそれを正しいのだと認めることを言っていたように感じます。 間違えたことはしていない、とも言っていました。 お寺の方と対立し、忌み嫌われたことが悔しいです。 取り留めがなくてすみません。誰かに言いたかったです。

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院内得度しましたが、お寺に行きたくない

ご縁あってあるお寺に通うようになりました。元々神仏様はとても好きで、興味がありました。お経とか読めたらご先祖供養が出来て素敵だなーと思ってました。御住職の法話や説法がよくて1年くらい通ったある時、院内得度の話しがでました。しかし自分は自営業を営んでおりますし、お坊さんになるつもりはなかったのですが、『得度をすると先祖供養にもなるし、たまにお寺に来てお手伝いをしてくれるだけでいいから』と言われ、院内得度をしました。しかし、得度して早々直ぐに叱られたり、月の10日くらいはお寺に行かなくては行けなくなり、自営業の方に影響が出るようになり、気持ちがモヤモヤ、うつうつするようになってしまいましま。でも、得度をやめた人の末路は最悪だと言われたり、神仏を怒らせる事になると言われ怖くて辞めるなんてとても言えない状況です。本山得度は考えておりません。自分は自営業の仕事が好きだし、仕事をもっとやりたいのですが、半ば脅されてる感じです。自分以外にも数人仲間がおりますが、皆、こんな筈じゃなかったと落胆してる始末です。少し福住職(奥さん)の気に触ると集中攻撃されて皆泣かされております。だから仲間は皆、副住職の目を気にしながらオドオドするばかりで、何のためにやってるのかわかりません。お二人が旅行などでお寺を空ける時は仕事が休みの人にお寺のお留守をしないとなりません(皆仕事をもっております)。当然のことながら日当などは出ません。副住職曰く、『お寺でお手伝いが出来るんだから徳の貯金が出来る有り難い事です』と言われます。 最近は家族から呆れられて行かないでくれと言われます。もう辞めたいです。でも辞めたら祟られそうで怖いです。

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