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家族葬について

回答数回答 7
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幼なじみの父親が亡くなりました。
小さい時からかわいがってくれたおいちゃんです。
葬式の日程を聞くと
家族葬だから遠慮して欲しいと返答。
おいちゃんの仕事、友人関係も断るとのこと。
最後にお別れがしたかったのですが
別の意味で涙が出ました・・・
最近、こういうの多いんですか?


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お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

広島では家族葬が増えています。

 私も広島在住ですが、家族葬用の葬儀会館が新築されたり、従来の会館が家族葬用にリフォームされたりと、家族葬の割合は急増しています。経済的なことだけでなく、身内だけでゆっくり見送れるのも理由の一つでしょう。故人と本当に親しい方やお参りしたい方にはお参りしていただくべきでしょうが、故人の交友関係がしっかり把握できない場合、誰にも失礼が無いように家族限定にしてしまうのも仕方ありません。

 しかし、御葬儀が済んでから自宅に弔問客が度々訪れて、昔ながらの御葬儀をした方が実は楽だったという場合も多いです。浦上師の仰せのように、落ちついてからご自宅やお墓にお参りされるのがよろしいかと思います。

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和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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家族葬や密葬でも大切な法縁。しっかりと勤めて参ります。

親しい方との突然の別れ、お辛いことでしょう。

家族葬。。。最近は、増えてきました。ご家族だけの少人数での お式という形ですが。ご近所にも知らせない、香典も 参拝も遠慮願うというような 考えの場合もあります。
ご家族が、今後のお付き合いも含め、制限しているようで、なんだか残念だなと思ってしまいます。

故人が生きてこられた人生の中で、様々な方との関わりがあったわけで。皆で 偲びながら、いのちの学びの場にしていくのが、通夜 葬儀であっていただきたい。

家族葬や 密葬であっても、私たち僧侶は、大切な法縁であると考え しっかりと勤めさせていただいています。

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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家族葬の良し悪し

えーちゃんさま
なごみ庵の浦上哲也と申します。

幼なじみのお父さまが亡くなられ、悲しんでいらっしゃるとのこと。
また、最後のお別れが出来ず、別の悲しみにも襲われているのですね。
至らずながら、心中お察しいたします。

さて、最近ご家族やお身内だけでの葬儀が増えています。
亡くなった本人に面識が無く、通夜振る舞いの席で大笑いするような輩がいなくなったのは良いのですが、反面えーちゃんさんのように本当にお別れをしたい人をもシャットアウトしてしまう問題もあります。

もともとお通夜・葬儀には、「家族と故人の別れ」という私的な役割と、「知人友人と故人の別れ」という社会的な役割があると考えています。

ところが後者をあまり考えず、亡くなる側は子や孫に負担をかけたくないと「家族だけでいいから」と言い、ご家族はその言葉を「遺言で」と錦の御旗にしてしまう。

たとえば「20年も寝たきりで亡くなった100歳の方」という場合で、ご本人の知人もほとんどいないのであれば、ご家族だけでよいと思います。
今回亡くなった方は70〜80代でしょうか? 現役から退いてしばらく経っているかと思いますが、現にえーちゃんさんのように悲しんでいる方がいるのですから、少し柔軟にして頂ければよかったのではないかと思います。

とは言っても今回は時間も無いでしょうし、後日お宅に行ってお参りをさせて頂くか、納骨後でしたらお墓参りをさせて頂くのはいかがでしょうか?

えーちゃんさんのお気持ちは、きっと故人さんに伝わっていると思います。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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お別れするということ

家族葬の問題は、実は深い問題のようです。

中には直葬という形で、もっと儀式を省こうとする場合もあります。

浦上さんのご指摘のように、社会的な死をあまり考えないようになってきているのでしょう。

えーちゃんさんの思いは、お墓参りやおうちに伺ってお参りさせていただき、お伝えするのが、私もよいと思います。

あるおうちのお葬式を、いわゆる家族葬でつとめたことがあります。

跡継ぎさんは遠く離れた土地での生活があり、なくなった方のゆかりのある人も、あまりいないとのことで、小さな葬儀を選択されました。

喪主さんといろいろお話しする機会があったのですが、慌ただしい中での選択で、会場の都合などもあり、家族葬とされたのですが、このような形で送っていいのか、という思いもお持ちのようでした。

聞くところによると、直葬や家族葬を葬儀屋さんも遺族の方に勧めることがあるようですが、その場合、ご遺族がきちんと亡き人とお別れしていないという思いを抱かれることも多いのだそうです。

経済的な面からの選択としてこのような小さい葬儀を選ぶことを否定する気持ちは全くありませんが、何か大切なことを置き去りにしているような気がしてなりません。

葬儀のあり方について、最近はいろいろと言われておりますが、故人にとって、遺族にとって、そして周りの人々にとって、よりよい葬儀を考えるときに来ているようですね。

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真宗山元派上西山正善寺住職
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最近、家族葬ばかりです。

 私も同じ経験をしました。 
 お世話になった人、恩師、恩人などの葬式に身内以外の焼香を遠慮する傾向。理由は他の僧侶が書くとおりです。弔電も送れないことがありました。僧侶の世界も実は家族葬みたいに弟子や近隣の寺院さんで済ませる傾向にあります。
 私の恩師がご遷化された時も告別式、お通夜に行けるかどうか、近親者にお伺いを立てて、「告別式はやめたほうがいいよ。お通夜は居場所無いよ。」などと言われ、結局、お通夜の前に焼香に行きました。よくよく考えてみると悔しいやら虚しいやらでしたが、ご遺体を拝めて良かったと思いました。周りの反応は賛否両論でした。「葬式の邪魔するなよ。」と言った人もいました。私は「なんやそれ。」と思います。でも後悔はしていません。私の身内が亡くなったときはこのような人が訊ねてきても変に断ることがないようにしたいと思う決意が湧きました。
 えーちゃんさんお通夜でも告別式でもあなたが思うまま行動しなさい。自分が後悔しないような選択をしてください。悪いことはしてないのですから自信をもって行動してください。さらに自分が嫌だと思ったことは他の人にもしないで下さい。
後日談を期待してます。

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あなたの小さな悩み相談お答えします  私があなたの悩みを解決するのでは...
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家族の形が変わってきています

えーちゃん様へ

まだまだ当山の方では
少ない傾向にあります。
しかしながら増えてきている流れを感じております。

家族の形が変化していく中で
親戚との付き合いなど、いろいろ変化をしている
一つの表れであると認識しております。

「最後にお別れがしたかったのですが」とありますが
ぜひその気持ちを大切にされまして
後日お伺いするというのはどうでしょうか。合掌

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鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...
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仏縁・法縁と追善供養・功徳回向について

えーちゃん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

家族葬は確かに増えているのではないかとは存じます。かく言う拙生はお葬儀のお勤めは拙寺の方針上ほとんどございませんので実情は分かりかねますが、葬儀社さんからの情報ではかなり多くなってきていると聞き及びます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/家族葬

家族葬については、上記ウィキペディアのページにて概要、メリット、デメリットもある程度詳しくまとめられているのではないかと存じます。

大規模であろうと小規模であろうと、ご葬儀は、故人への授戒・引導を扱う(授戒・引導を扱わない宗派もあります)大切な仏縁の儀式であると共に、縁故者・参列者の皆様には、故人の生前の遺徳を偲び、哀悼の意を表して御供養を致すための儀式でもあり、また、「仏縁」、中田様のおっしゃられている「法縁」にも与(あずか)れる大切な儀式であるかとも存じております。

特に、仏縁・法縁に与ることによって、私たちにおいても今の人生のありようを改めて顧みる機会、後生のことをしっかりと考える機会として、仏教に則った生き方を調えていくための一つの機縁に致したいところとなります。

ご葬儀の形態については、もちろん、費用・時間・煩雑さ等、現実的な葬送に係る問題も色々と控えてはございますが、できるだけ、故人、遺族はもちろん、縁故者・参列者たちにおいても納得・満足の頂けるような形にて調えて参りたいものでございます。

とは言え、何よりも、故人が、輪廻の迷苦を離れて、しっかりと仏道を修していくことができますようにとして、遺族・縁故者におきましては、ほんの少しでもその力となれますようにとして、追善供養・功徳回向に勤めて参りたいところとなります。

拙小論「追善供養・功徳回向の考え方について」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52108201.html

えーちゃん様におかれましても、ご弔問、お墓参りにおきまして、亡きおいちゃんが無事に仏道を修して、悟り・涅槃へと至れますようにとしての御供養と併せて、亡きおいちゃんへと恩返しとなるような生き方についても少しくお考えを頂けましたら幸いに存じております。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「葬儀」問答一覧

海外からの祖父の葬儀参加について

先週に私の祖父が逝去したと妹より一報がありました。 今週末に予定されている祖父の葬儀への参加に悩んでいます。 きちんと見送ってあげたい気持ちがあるのですが、正直なところ複数の理由から、参加を見送ろうかと悩んでいます。 私は初孫だったので特に可愛がってもらったと思います。今でも小さかった時の祖父との思い出が記憶にあり涙が出ます。大人になってからは頻繁に会いに行ってあげられていなかったので、薄情な孫であったことが申し訳ないです。 悩む理由の一つとして、私が今現在海外在住(日本へのフライト時間が半日以上かかる場所)であることです。帰ろうと思えば帰れなくはないのですが、既に一ヶ月後に一時帰国を予定しておりその予定はキャンセルできないため、葬儀の2日間のためにフライトチケットを手配して行くことになります。 帰るなら早急にチケット手配や荷造り等をしなければいけないので、迷う時間も限られています。 また、参加できたとしても直後に家族での遠方への旅行を予定しているために、また帰ってすぐに長距離移動をすることになり精神的・体力的に厳しそうだなと憂慮しています。 もう一つの理由として、私が毒親である両親との縁を一方的に断っているため、もし葬儀に参加できたとしても精神的に受けつけない両親と顔を合わせ言葉を交わすことになることが恐怖に感じています。 (体調が悪くなる可能性があります。) きちんと祖父を送ってあげることに集中したいのですが、夫は仕事の都合で帰国しての参加が難しく、妹も仕事の都合で欠席予定となり、孤立してしまうので、精神的安全がなく、親戚への気遣いも必要な場ではかなりしんどいのではと危惧しています。 こういったときの常識がないため、色々調べ、花が好きだった祖父へ、せめてもの供花を妹夫婦と私夫婦で贈ろうかと考えています。 香典は海外からは送れないため、後日の一時帰国の際に連絡の取れそうな叔母に手渡ししようかと思っています。 (おそらく喪主は長子の父親かと思いますが、一番祖父母のケアをしているのは近くに住む叔母で、話の分かる優しい方です。) 今更ですが、きっと気落ちしている祖母にも声をかけに会いに行ってあげたいです。 帰れるのに帰らないのは、卑怯でしょうか。 欠席の場合、供花を贈るだけでは祖父に失礼にあたるでしょうか。 最後まで言い訳がましい孫で祖父には申し訳ない限りです。

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祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ