皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

人とうまく話せません。

僕は高校生です。
最近、人とうまく話せません。
そもそも、話すことに意義があるのかを考えてしまいます。
そうすると、自分が雑談をどんなふうにしていたかも疑ってしまい、
友達と話すときも引き攣った笑みしかできません。

他人・友人関係
有り難し 57
回答 8
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

bochさん

こんにちは。

人とのコミュニケーションは、互いを理解し合うためには、どうしても必要ですよね〜。
相手によって、話が弾んだり、うまく噛み合わなかったり、なかなか難しい時もあります。

気の合う仲間との会話では、どうですか?共通の話題で盛り上がったり、自然と笑顔にもなるのかしら♬話上手にならなくても良いと思います。相手の考えや想いを知りたいな〜と、こちらが思うだけで 聞くだけでも、会話は成立します。

私は、手話をします。聴覚障害者の方にとって、この世界は無音に近いものです。生きていくために、手話はとても大事な情報なんです。私が上手く手話で伝えられなくても、彼らは、手話だけでなく、表情や口の動き、身振りなどからも同時に言葉を読み取ってくれます。

何気なく発している言葉。。。いろんな表現の仕方で、相手に伝え 理解し合えることができるのだな〜と、笑顔で返事をしてくれる 彼らに、いつも教えられます♡

bochさん。どう話そか!何を話そうか!と、あまり深く考えずに、相手に耳を傾けてみる♬思ったら 今の自分の言葉で伝えてみる♬
会話は、楽しいものであってほしいな〜(*^^*)

話したくなったら、話したらいいのでは

はじめまして、bochさん。

わたしもずっと人と話すのが苦手でした。

ずっと、少数の気の合う友達とだけ話していました。

その友達とも、話したくない時は離れていました。

けれどもある日、好きな人ができました。

そうしたらとたんに、

あの人は自分を好きになってくれるだろうか?そもそも自分はどんな人間に見られるのだろう?

と、交通事故にでもあうように、ある日突然煩悶(はんもん)する日々が訪れました。

そこから、彼女はどんな人なんだろう?自分はどんな人間なんだろう?どうすれば人に好かれるようになるのだろう?そもそも人を好きになるってどういうことだろう?とぐるぐるまわり。
気が付くと、まわりのいろいろな人が本当はどんな人なのか?とても気になるようになりました。

bochさんは、いまはなんで人と付き合わなければならないのかわからないかもしれません。
がんばれば、人と付き合わなくても生きていけるのでしょうから。
そうなのであれば、いまは付き合わなくてもいいのではないでしょうか。
まず一番やっかいな自分さえ、どんな人間なのかなかなか分からないのですから。

それでも、世の中には面白い人間がいっぱいいます!
これは絶対です!
もしそういう人に出会えたならば、観察してみてください。
それでももっと興味がでてきたならば、話しかけてみればいいのだと思います。

無理に話す必要はないでしょう。
でも、世の中は思ったよりも広いものです。
bochさんが興味を持つ人、面白い人があらわれたら、話しかけてみてください。

あんがい、今なぜ話さなければならないのかわからない目の前の人も、きちんと話してみると面白いひとなんてことはザラにありますよ。

聞き手に回ることも❝話すこと❞の一部

今日本でも海外でも注目を浴びているのは、聴くこと、引き出すことのスキル。
あなたは話し上手ではなく、あえて聴き上手・引き出し上手の道を歩んで、相手の話を聴くこと、引き出すことのスキルを高めてみてください。
海外ドラマ「MENTALIST」の主人公のジェーンはコミュニケーションの達人でもありますが、会話の中で多くを語りません。
最小限で最大限のちょっとした一言を言う、それだけです。
お笑い芸人などのボケとツッコミの関係で大切なのは、よくしゃべるボケ側よりも、ツッコミを入れる側。ボケのしまりがないと、おさまりが悪いものです。
ツッコミを入れる側はボケた相手の話をよく聞いていないと、面白い話に転ずることができません。会話も大事なのは、話を受け止める側が上手にしめる、丸く収めること。
そういう意味では、このhasunohaの和尚の世界はツッコミ側ともいえます。
お笑い、漫才を観る時はそういう視点で見ると「この人のボケはスゴい!(笑)」「こんな切り替え仕方があったか」新しい発見とともに世界がガラリと変わり、会話のスキルも向上することでしょう。
先日も日本各地でダライ・ラマ法王との対談がありましたが、一番大切なのは聴く力=引き出す力なのです。
野球でいうならピッチャーやバッターばかりに焦点が当てられますが大事なのはどんな暴投でも受けとめられるキャッチャー。
人は自分の話を聞いてもらうことはうれしいものです。
夜の世界でもモテるのは、自分の話ばかりする人よりも、話を聴いてくれる人なのだそうです。聴くことも話すことの一部。多くしゃべらずとも、会話、対話の一部です。
多くの人は自分のことをひたすらしゃべって、対話をした気になっておられる。
それではキャッチボールではなく、一歩通行になってしまう。
会話のメインは対話の中でお互いに学び合うことです。
話す側ばかりが花ではありません。話すことばかりが学びではありません。
(*´з`)~○ \(-ω-)

「戯論寂滅」

boch様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「話すことに意義があるのか」・・ここに注目です。

まだ高校生にて、この疑問、誠に素晴らしい。

「僧侶」となる資質が備わっている!!(半分冗談、半分本気)。

仏教的な答えとしては、「普通世間一般の世俗のレベルでは、確かに意義はありますが、仏教の最高真理のレベルでは、意義が無いもの」となります。

もちろん、上記のことは非常に難しいことですので、今はあまり深く考えないで下さい。

とにかく何気ないこと、意外なことで真理に気付くこともありますから、何でも疑問を持って考えてみることが大切な時期であるかとは存じております。

以下は適当に流して下さい・・

言語、言葉の世界の広がりのことを「戯論」と言いますが、この「戯論」を離れて滅した「戯論寂滅」の境地を目指すということが仏教の悟りを求める上での一つの大切なこととなります。

これはかなり難しいことですが、実は、言語・言葉というものには大いなる欠陥があります。

例えば、何かの「存在」に対して、私たちはそれが何かを示すために、便宜的に言語・言葉を使ってそのものを表し示すことになります。

しかし、本当にそのもの自体を示すことができているのでしょうか・・

言語・言葉は、示すそのものではありません。そのものであれば、「火」と言ったとたんに口が火傷するはずです。しかし、そうではありません。

言語・言葉はどこまでも仮の一時のラベルでしかなく、本当のそのものではないのですが、ところが、私たち凡夫は、まるであたかも、言語・言葉の示す先にそのものがあって、しかも、実体としてそのものが存在しているのだというような誤った考え方、あるいは、そのものが実体として存在しているかのように現れていて、それによって言語・言葉で示すことができているのだというような誤った考え方にて、迷い苦しむことになってしまっているのであります。

もちろん、存在は確かに存在していますが、そのありようは、実体としてではなくて、縁起として、または、言語・言葉による表現において、一応は「有る」と言えているのだということであります。

・・と「空と縁起」に関しての難しい議論が続いて参ります・・今回のところは字数制限上ここまでにて。また何かの機会に続きは・・いや、いらないかな?

川口英俊 合掌

テレパシー能力がない以上、人は話すしかない

bochさん、こんにちは。
「話す」ことについてのご相談ですね。

bochさんの「話す」とは、「会話(人と会って話をすること)」・・と考えてみます。
ラインでも、電話でも、話すことはありますが、きっと対面による「会話」のことかと存じます。

そこで、ひとつの答えをしめすことができるならば、
1.会話してみないと分からない。
年長者によるズルい答えですが、あなたはまだ高校生です。会話をしてきて日が浅い。「本当の会話」というものを知る時期がくるかもしれません。
たとえば・・・好きな人ができた、学びたい人があらわれた、わかり合わなければならない状況になった、などなど。
上記のように会話の意味は様々にあるはずです。実際にその場に遭遇しなければ分からないと思います。

2.あなたが話をしなくてもいい。
うまく笑わなくてもいいのでしょう。bochさん、あなたは「話す」ことにたいして、どのような想いを持っていますか?言い換えてみると、縛っていますか?
オチをつけなければならない、楽しい会話でないと意味がない、用件がなければ話をしてはいけない。
・・だれもそんなこと決めていません。たしかに風潮はあります。その勢いに乗せられたら楽しかったりしますが、その場だけです。
あなたが自己開示することも会話の必要条件かもしれませんが、相手に話をしてもらえばいいのではないでしょうか。
相手について聞きまくる。興味を持ってくれてるんだーと考えて、勝手に話をしてくれるかもしれませんね。そこから得られるもの・気付くことがあるはずです。

うまくなくていい

日本語の「火」や英語の「FIRE」は、火を見たり触ったりしてびっくりした人間が「ひーっ!」や「ひゃあ!」と放った言葉が語源だと聞いたことがあります。
そこに「うまくびっくりしてやろう」とか「びっくりの仕方を忘れた」という考えはありません。もちろん驚くことの意義なんて無いのです。

普段ペラペラしゃべる人が無口だったり、無口だった人がポツリと口にする言葉は、それなりに意味があります。そう考えると、「話さない(無口)」という行為も、実は非常に大切で意味があるのです。
世の中はお笑いブームで、明るくおしゃべりな人がもてはやされているように感じますが、かつて、男子にとって寡黙や孤高こそが美徳な時代があったのです。

話した方がいいということは他のご僧侶が書かれておりますので、ぜひご参考にされてください。私はbochさんに思索にふける、文章にあらわすという選択肢もあることをお伝えいたします。
これを良い機会ととらえ、ぜひ心を磨いてください。きれいな心から、やがて放たれる言葉はうまい下手を超えて、きっとキラキラと輝くことでしょう。

天気の話がお勧めです。

bochさん、はじめまして。

私も、「話すことに意義があるのか」と考えたことがあります。私の場合は、大学の時でした。

「無駄な話はやめよう。意味のある会話をしよう。」なんて、考えてました。そしたら、どんどん、会話するのが怖くなってしまいました。

まあ、そんなこんなで、学んだことは、
意味の無い会話、無駄な言葉が一番大切だということです。そもそも、会話する必要があることは、ある意味事務手続きです。不必要な会話こそ、本当のコミュニケーションです。

それに、必要な会話は、相手との利害関係が絡んだりして、人間関係が悪くなります。不必要な会話は、利害なんて関係ないので、人間関係は良くなります。

そういう事もあって、
人間は世界中どこに行っても、まず、天気の話をするのだと思います。

まず、天気の話をするように心がけて見て下さい。それだけでも、次の会話がスムーズに出てきます。
「今日はあついね」とか、「さむいね」とか、「良い天気だ」とか。そういう言葉をお互い交わすことで、先ず相手の気分を理解して、それに続くコミュニケーションが円滑に進むんだと思います。

先ず、天気の話!
驚くほど効果がありますよ。

高校生の頃・・

私もそんな時代そういうことがありましたよ。
何かすべて面倒で友達と会うのも話すのも。
あなたが大人になったのではありませんか?
だからまわりのみんなと話が合わなくなったのでは?
無理をすることはありません。
自分には今何が必要なのか、
見つめ直す時期に来ているのでは無いでしょうか?
自分の心に問いかけてみては如何ですか?
その答えがいつ出るか分かりませんが、
そのうち興味がでる物事が出来るかもしれません。


質問者からの有り難し - お礼

こんなにたくさんの方々からご意見を頂けるなんて、本当に「有り難し」でございます。
特に考えるところがあったご意見に、返信をしていきたいと思います。

川口 英俊さんからいただいたご意見は、僕の考えていたことのヒントになっていました。

僕は、中学生の時に中島敦の「文字禍」という文章を読んで、ふと考えたことがありました。
この文章の一節に、「文字を覚えて以来、咳が出るようになったもの、くしゃみが出るようになったものなどがいる」というものがあります。これを文章では文字が病気を引き起こしているのだという滑稽なことが書いてありますが、もちろん作者が伝えたかったのはそういうことではないと思います。
くしゃみという概念を知ったとき初めて、くしゃみを意識することができる。つまり、いままでもくしゃみをしたことがあるけれども、それは無意識のままであったということだと思います。
この文章から、物の概念を意識するためには文字が必要不可欠であると思いました。
哲学や、死後の世界のことを考えるのに、文字を介さずに考えることが出来るでしょうか?僕は出来ません。なので、高次元の物事、つまり形のないものを考えるのに文字は絶対に必要だと思いました。
しかし、形のないものに対するイメージを他人に伝えるには、文字ではどうしても誤差が生じてしまいます。
なので、自分で考える分には言葉は適していると思いますが、他人と会話するときにもっといいコミュニケーションはないのかなぁと、時々思ってしまいます。
・・・増田 俊康さんのご意見のように、思想に耽ってしまいました。
「空と縁起」のお話、よろしければもっとお聞かせくださいm(_ _)m

文字数的にここで一旦切ります・・・

ところで話は変わりますが、私は人工知能をつくろうと試みたことがあります。その過程で、長谷川哲真さんのおっしゃるように、意味のある会話、ない会話について考えたことがありました。
人の会話のメカニズムを意識するうちに、仲間内でバカ騒ぎすることへの抵抗や、初対面の人に対してうまく話せないという自己嫌悪が積もっていきました。
長谷川さんの無駄な話が一番大切なんだという理論は、僕にとってひとつの答えになりました。
会話の意義に対して、すごく納得できました。ありがとうございました。

そして、ほかの方々がおっしゃっていたことから、「聞き手になろう」ということと、「無理しなくてもいい」という2点が重要なのだとわかりました。具体的なノウハウも教えてくださって、有難うございました。

返信がとても遅れてしまった上、とても長文になってしまいましたが本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

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