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人とうまく話せません。

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僕は高校生です。
最近、人とうまく話せません。
そもそも、話すことに意義があるのかを考えてしまいます。
そうすると、自分が雑談をどんなふうにしていたかも疑ってしまい、
友達と話すときも引き攣った笑みしかできません。


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お坊さんからの回答 8件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

深く考えずに相手に耳を傾けて。思ったら今の自分の言葉で伝えて

人とのコミュニケーションは、互いを理解し合うためには、どうしても必要ですよね〜。
相手によって、話が弾んだり、うまく噛み合わなかったり、なかなか難しい時もあります。

気の合う仲間との会話では、どうですか?共通の話題で盛り上がったり、自然と笑顔にもなるのかしら?
話上手にならなくても良いと思います。相手の考えや想いを知りたいな〜と、こちらが思うだけで 聞くだけでも、会話は成立します。

私は、手話をします。聴覚障害者の方にとって、この世界は無音に近いものです。生きていくために、手話はとても大事な情報なんです。私が上手く手話で伝えられなくても、彼らは、手話だけでなく、表情や口の動き、身振りなどからも同時に言葉を読み取ってくれます。

何気なく発している言葉。。。いろんな表現の仕方で、相手に伝え 理解し合えることができるのだな〜と、笑顔で返事をしてくれる 彼らに、いつも教えられます。

どう話そか!何を話そうか!と、あまり深く考えずに、相手に耳を傾けてみる。思ったら 今の自分の言葉で伝えてみる。
会話は、楽しいものであってほしいな〜(*^^*)

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はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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話したくなったら、話したらいいのでは

はじめまして、bochさん。

わたしもずっと人と話すのが苦手でした。

ずっと、少数の気の合う友達とだけ話していました。

その友達とも、話したくない時は離れていました。

けれどもある日、好きな人ができました。

そうしたらとたんに、

あの人は自分を好きになってくれるだろうか?そもそも自分はどんな人間に見られるのだろう?

と、交通事故にでもあうように、ある日突然煩悶(はんもん)する日々が訪れました。

そこから、彼女はどんな人なんだろう?自分はどんな人間なんだろう?どうすれば人に好かれるようになるのだろう?そもそも人を好きになるってどういうことだろう?とぐるぐるまわり。
気が付くと、まわりのいろいろな人が本当はどんな人なのか?とても気になるようになりました。

bochさんは、いまはなんで人と付き合わなければならないのかわからないかもしれません。
がんばれば、人と付き合わなくても生きていけるのでしょうから。
そうなのであれば、いまは付き合わなくてもいいのではないでしょうか。
まず一番やっかいな自分さえ、どんな人間なのかなかなか分からないのですから。

それでも、世の中には面白い人間がいっぱいいます!
これは絶対です!
もしそういう人に出会えたならば、観察してみてください。
それでももっと興味がでてきたならば、話しかけてみればいいのだと思います。

無理に話す必要はないでしょう。
でも、世の中は思ったよりも広いものです。
bochさんが興味を持つ人、面白い人があらわれたら、話しかけてみてください。

あんがい、今なぜ話さなければならないのかわからない目の前の人も、きちんと話してみると面白いひとなんてことはザラにありますよ。

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おきもち

平松理薫(釈理薫)
真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動...
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聞き手に回ることも❝話すこと❞の一部

今日本でも海外でも注目を浴びているのは、聴くこと、引き出すことのスキル。
あなたは話し上手ではなく、あえて聴き上手・引き出し上手の道を歩んで、相手の話を聴くこと、引き出すことのスキルを高めてみてください。
海外ドラマ「MENTALIST」の主人公のジェーンはコミュニケーションの達人でもありますが、会話の中で多くを語りません。
最小限で最大限のちょっとした一言を言う、それだけです。
お笑い芸人などのボケとツッコミの関係で大切なのは、よくしゃべるボケ側よりも、ツッコミを入れる側。ボケのしまりがないと、おさまりが悪いものです。
ツッコミを入れる側はボケた相手の話をよく聞いていないと、面白い話に転ずることができません。会話も大事なのは、話を受け止める側が上手にしめる、丸く収めること。
そういう意味では、このhasunohaの和尚の世界はツッコミ側ともいえます。
お笑い、漫才を観る時はそういう視点で見ると「この人のボケはスゴい!(笑)」「こんな切り替え仕方があったか」新しい発見とともに世界がガラリと変わり、会話のスキルも向上することでしょう。
先日も日本各地でダライ・ラマ法王との対談がありましたが、一番大切なのは聴く力=引き出す力なのです。
野球でいうならピッチャーやバッターばかりに焦点が当てられますが大事なのはどんな暴投でも受けとめられるキャッチャー。
人は自分の話を聞いてもらうことはうれしいものです。
夜の世界でもモテるのは、自分の話ばかりする人よりも、話を聴いてくれる人なのだそうです。聴くことも話すことの一部。多くしゃべらずとも、会話、対話の一部です。
多くの人は自分のことをひたすらしゃべって、対話をした気になっておられる。
それではキャッチボールではなく、一歩通行になってしまう。
会話のメインは対話の中でお互いに学び合うことです。
話す側ばかりが花ではありません。話すことばかりが学びではありません。
(*´з`)~○ \(-ω-)

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「戯論寂滅」

boch様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「話すことに意義があるのか」・・ここに注目です。

まだ高校生にて、この疑問、誠に素晴らしい。

「僧侶」となる資質が備わっている!!(半分冗談、半分本気)。

仏教的な答えとしては、「普通世間一般の世俗のレベルでは、確かに意義はありますが、仏教の最高真理のレベルでは、意義が無いもの」となります。

もちろん、上記のことは非常に難しいことですので、今はあまり深く考えないで下さい。

とにかく何気ないこと、意外なことで真理に気付くこともありますから、何でも疑問を持って考えてみることが大切な時期であるかとは存じております。

以下は適当に流して下さい・・

言語、言葉の世界の広がりのことを「戯論」と言いますが、この「戯論」を離れて滅した「戯論寂滅」の境地を目指すということが仏教の悟りを求める上での一つの大切なこととなります。

これはかなり難しいことですが、実は、言語・言葉というものには大いなる欠陥があります。

例えば、何かの「存在」に対して、私たちはそれが何かを示すために、便宜的に言語・言葉を使ってそのものを表し示すことになります。

しかし、本当にそのもの自体を示すことができているのでしょうか・・

言語・言葉は、示すそのものではありません。そのものであれば、「火」と言ったとたんに口が火傷するはずです。しかし、そうではありません。

言語・言葉はどこまでも仮の一時のラベルでしかなく、本当のそのものではないのですが、ところが、私たち凡夫は、まるであたかも、言語・言葉の示す先にそのものがあって、しかも、実体としてそのものが存在しているのだというような誤った考え方、あるいは、そのものが実体として存在しているかのように現れていて、それによって言語・言葉で示すことができているのだというような誤った考え方にて、迷い苦しむことになってしまっているのであります。

もちろん、存在は確かに存在していますが、そのありようは、実体としてではなくて、縁起として、または、言語・言葉による表現において、一応は「有る」と言えているのだということであります。

・・と「空と縁起」に関しての難しい議論が続いて参ります・・今回のところは字数制限上ここまでにて。また何かの機会に続きは・・いや、いらないかな?

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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テレパシー能力がない以上、人は話すしかない

bochさん、こんにちは。
「話す」ことについてのご相談ですね。

bochさんの「話す」とは、「会話(人と会って話をすること)」・・と考えてみます。
ラインでも、電話でも、話すことはありますが、きっと対面による「会話」のことかと存じます。

そこで、ひとつの答えをしめすことができるならば、
1.会話してみないと分からない。
年長者によるズルい答えですが、あなたはまだ高校生です。会話をしてきて日が浅い。「本当の会話」というものを知る時期がくるかもしれません。
たとえば・・・好きな人ができた、学びたい人があらわれた、わかり合わなければならない状況になった、などなど。
上記のように会話の意味は様々にあるはずです。実際にその場に遭遇しなければ分からないと思います。

2.あなたが話をしなくてもいい。
うまく笑わなくてもいいのでしょう。bochさん、あなたは「話す」ことにたいして、どのような想いを持っていますか?言い換えてみると、縛っていますか?
オチをつけなければならない、楽しい会話でないと意味がない、用件がなければ話をしてはいけない。
・・だれもそんなこと決めていません。たしかに風潮はあります。その勢いに乗せられたら楽しかったりしますが、その場だけです。
あなたが自己開示することも会話の必要条件かもしれませんが、相手に話をしてもらえばいいのではないでしょうか。
相手について聞きまくる。興味を持ってくれてるんだーと考えて、勝手に話をしてくれるかもしれませんね。そこから得られるもの・気付くことがあるはずです。

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臨済宗妙心寺派 陽岳寺 住職 1985年生まれ。 東京都江東区深川出身・...
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天気の話がお勧めです。

bochさん、はじめまして。

私も、「話すことに意義があるのか」と考えたことがあります。私の場合は、大学の時でした。

「無駄な話はやめよう。意味のある会話をしよう。」なんて、考えてました。そしたら、どんどん、会話するのが怖くなってしまいました。

まあ、そんなこんなで、学んだことは、
意味の無い会話、無駄な言葉が一番大切だということです。そもそも、会話する必要があることは、ある意味事務手続きです。不必要な会話こそ、本当のコミュニケーションです。

それに、必要な会話は、相手との利害関係が絡んだりして、人間関係が悪くなります。不必要な会話は、利害なんて関係ないので、人間関係は良くなります。

そういう事もあって、
人間は世界中どこに行っても、まず、天気の話をするのだと思います。

まず、天気の話をするように心がけて見て下さい。それだけでも、次の会話がスムーズに出てきます。
「今日はあついね」とか、「さむいね」とか、「良い天気だ」とか。そういう言葉をお互い交わすことで、先ず相手の気分を理解して、それに続くコミュニケーションが円滑に進むんだと思います。

先ず、天気の話!
驚くほど効果がありますよ。

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45歳 独身 銭湯通い 浄土真宗の僧侶だけど、「中観派です」って言って...
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うまくなくていい

日本語の「火」や英語の「FIRE」は、火を見たり触ったりしてびっくりした人間が「ひーっ!」や「ひゃあ!」と放った言葉が語源だと聞いたことがあります。
そこに「うまくびっくりしてやろう」とか「びっくりの仕方を忘れた」という考えはありません。もちろん驚くことの意義なんて無いのです。

普段ペラペラしゃべる人が無口だったり、無口だった人がポツリと口にする言葉は、それなりに意味があります。そう考えると、「話さない(無口)」という行為も、実は非常に大切で意味があるのです。
世の中はお笑いブームで、明るくおしゃべりな人がもてはやされているように感じますが、かつて、男子にとって寡黙や孤高こそが美徳な時代があったのです。

話した方がいいということは他のご僧侶が書かれておりますので、ぜひご参考にされてください。私はbochさんに思索にふける、文章にあらわすという選択肢もあることをお伝えいたします。
これを良い機会ととらえ、ぜひ心を磨いてください。きれいな心から、やがて放たれる言葉はうまい下手を超えて、きっとキラキラと輝くことでしょう。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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高校生の頃・・

私もそんな時代そういうことがありましたよ。
何かすべて面倒で友達と会うのも話すのも。
あなたが大人になったのではありませんか?
だからまわりのみんなと話が合わなくなったのでは?
無理をすることはありません。
自分には今何が必要なのか、
見つめ直す時期に来ているのでは無いでしょうか?
自分の心に問いかけてみては如何ですか?
その答えがいつ出るか分かりませんが、
そのうち興味がでる物事が出来るかもしれません。

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50代、妻と娘2人。 若い頃はタイやインドなどアジアを中心に10年程旅行...
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質問者からのお礼

こんなにたくさんの方々からご意見を頂けるなんて、本当に「有り難し」でございます。
特に考えるところがあったご意見に、返信をしていきたいと思います。

川口 英俊さんからいただいたご意見は、僕の考えていたことのヒントになっていました。

僕は、中学生の時に中島敦の「文字禍」という文章を読んで、ふと考えたことがありました。
この文章の一節に、「文字を覚えて以来、咳が出るようになったもの、くしゃみが出るようになったものなどがいる」というものがあります。これを文章では文字が病気を引き起こしているのだという滑稽なことが書いてありますが、もちろん作者が伝えたかったのはそういうことではないと思います。
くしゃみという概念を知ったとき初めて、くしゃみを意識することができる。つまり、いままでもくしゃみをしたことがあるけれども、それは無意識のままであったということだと思います。
この文章から、物の概念を意識するためには文字が必要不可欠であると思いました。
哲学や、死後の世界のことを考えるのに、文字を介さずに考えることが出来るでしょうか?僕は出来ません。なので、高次元の物事、つまり形のないものを考えるのに文字は絶対に必要だと思いました。
しかし、形のないものに対するイメージを他人に伝えるには、文字ではどうしても誤差が生じてしまいます。
なので、自分で考える分には言葉は適していると思いますが、他人と会話するときにもっといいコミュニケーションはないのかなぁと、時々思ってしまいます。
・・・増田 俊康さんのご意見のように、思想に耽ってしまいました。
「空と縁起」のお話、よろしければもっとお聞かせくださいm(_ _)m

文字数的にここで一旦切ります・・・

ところで話は変わりますが、私は人工知能をつくろうと試みたことがあります。その過程で、長谷川哲真さんのおっしゃるように、意味のある会話、ない会話について考えたことがありました。
人の会話のメカニズムを意識するうちに、仲間内でバカ騒ぎすることへの抵抗や、初対面の人に対してうまく話せないという自己嫌悪が積もっていきました。
長谷川さんの無駄な話が一番大切なんだという理論は、僕にとってひとつの答えになりました。
会話の意義に対して、すごく納得できました。ありがとうございました。

そして、ほかの方々がおっしゃっていたことから、「聞き手になろう」ということと、「無理しなくてもいい」という2点が重要なのだとわかりました。具体的なノウハウも教えてくださって、有難うございました。

返信がとても遅れてしまった上、とても長文になってしまいましたが本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

「話が下手・苦手・話し方・聞き方」問答一覧

臆病な自尊心と尊大な羞恥心

生まれてこの方優秀と言われてきました。勉強は常にトップで、誰からもすごいといわれるような大学に進学しました。ですがずっと、途方もない承認欲求と、他人より自分のほうが優れていたい、という気持ちにがんじがらめにされています。 私の知る何人かの優秀な友達たちは、交換留学の枠をつかみ取りました。わたしはいろいろな事情(半分は逃げ)があって途中で目指すのをやめました。きっと私の友達は、英語がぺらぺらになって、私よりもっと優れた人材になって帰ってくるんだろうと思います。怖いです。私がもやもやしている間に、彼らはどんどん前進していく。私はきっと友達を心のどこかで見下しています。だからこんなに複雑な気持ちになるんでしょう。 私は人と話すのがうまくありません。他人と関わるのをひたすらに避けています。おそらく他人と自分を勝手に比較してつらくなってしまうからです。勉強に限らず、容姿、コミュ力、人間性、自分よりすぐれた人に会うのが怖いのです。そこで努力すればいいのかもしれません。でも、私が選んだのはひたすらに逃げることでした。勉強を含め、私がいままで努力してきたのはただ虚栄心ゆえにほかなりません。多少の虚栄心は推進力として認めてもいいのでしょうが、私の場合は原動力の殆どが虚栄心でした。それに気づいたとき、絶望しました。もう頑張れなくなりました。世界には私よりずっと優れた天才がいて、わたしがいくら努力しようと追いつくことはできないのに、このしんどい努力を続けたくない。ならば、誰ともかかわらなけばいい。誰にも会わなければ比べなくていい。 就活が本当に嫌です。わたしはいわゆる「勉強だけしてきた子」です。ブスでデブでコミュ症で、わたしが人事なら絶対に雇いません。人と関わりたくないのでガクチカになるようなことはありません。志もありません。あるのはただ、社会的地位があり高給の仕事について他人からすごいと言われたい、という反吐のでるような煩悩だけです。 私は今20です。この状態であと何十年もいきるのはしんどい。家庭をもつつもりもないのです。私は私のためにあと何十年を生きなくてはいけない。毎日毎日こんなばからしい思いに苛まれて。生まれてきたくなかった。死ぬことは怖くてできません。私がどんな理由で死のうと、多分親は悲しみます。いい人です。ならいっそ、わたしなんて存在は初めからいないほうがよかった。

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自然に会話がしたい

 会話中人を何気なく傷つけてしまうことが最近増えた気がしています。  見当外れな質問や説明で相手をイライラさせることもありますが、会話中相手を楽しませたい時に失言をすることが特に気になっています。  会話のテンポやタイミングを考慮して思いついたことを素直に言ってしまうと、概ね直後に気付くものの思いがけない所で人に対する憎しみや侮蔑が籠もった言葉が出てしまうし、内容を考えてから話したり答えたりしようとすると中々話しかけられなかったり会話が途切れて長い間が空いたりするので、自然に会話することが出来ません。  職場、家族、友人関係問わず相手の地位や立場に関係なく起こり得るものの、他人の失言についてはあまり気にならずに許してしまっています。  会話の姿勢としては相手の言葉や態度から気持ちや本意を考えて寄り添うように接し、緊張させないように冗談を言ったり、思いがけず面白いことをしてしまった時に笑って貰えるように自分に笑いやツッコミを補足したり、ハキハキとしたリアクションを交えて基本は明るく、時に落ち着いて接するように気をつけています。  しかし誰とも喋ってない時の雰囲気がめちゃくちゃ怖いらしく、やりづらいと思われているようです。  本当は面白くも何ともない非建設的な話をする人や、自分のいる環境を居心地の悪いものにする人が嫌いだという気持ちはありますが、そんなふうに感じてしまう自分が嫌になり、自分を変えようとしています。自分の前でせっかく話してくれたことだから「自分の為になるかも、聞いているうちに楽しさが分かるかも、とりあえず楽しんでみよう、試してみよう」と思って作り笑いと迎合を重ねる毎日です。  こちらの失言を減らしつつ相手にもっと自然に落ち着いて会話してもらえるようになるために何か自分に出来ることはないのか日々模索しています。ご意見頂ければ幸いです。

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話をしなくなった人とまた話したい

私はスーパーのレジで働いています。 働いて3年目に入ります。 入社当初、他の部門のチーフ(男性)とよく話をしていました。 年が近いので話題が合うというか。何でも話してました。 私は結婚してますが、その彼とは普通に同僚とか友達みたいになれればいいなとおもい、バレンタインには義理チョコをあげたり(ホワイトデーにお返しくれました。 結婚してるからさすがにお返しはないと思っていたので驚きました) LINEも交換したくて、ちょっと無理やりでしたが交換してもらいました。 でも結局会社で会うし、相手も私が結婚してるということで気を使わせてしまいました。 しばらくして、仕事の事でその相手と言い争いになり、挨拶と仕事の話しかしなくなりました。 彼がお昼を買うときは私のレジに必ず来てましたが来なくなりました。 結局、言い争った件に関しては、私も悪いところがあったと思って、直接は辛かったのでLINEで謝りました。 でも既読になって、どういう返事が来るのかがとても怖かったので、送った状態で相手のアカウントを削除してしまいました。 それから少し経って、相手が私のレジに来ることがあります。たまたまだよねーと思ってますが、最近その回数が少しずつ増えてきました。 言い争ってしばらくはすれ違っても挨拶しないとか、挨拶しても嫌そうに返してくるとかでしたが、最近普通に返るようになってきたり、相手の方から挨拶して来ることも増えました (会社だからかもしれませんが) 相手は私のことを許してくれてるんでしょうか。 2年前のバレンタインはあげましたが、今年のバレンタインは言い争ったあとだったので何もあげませんでした。 私はできることなら入社当初みたいに仲良く会話したいです。 でも自分から行動を起こすのは、反応が怖いので無理です。 何かいいアドバイスや、相手の気持ちを教えていただきたいです。 長文でわかりにくい部分もあるかと思いますが、どうかよろしくお願いいたします。

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話しが噛み合わない

久しぶりにご相談させて頂きます。 夫との会話と話しが、かみ合いません。 夫は自営業、私は役員(ほぼ専業主婦)、息子一人の家族です。 ずっと思ってきていることで、何度も夫に伝えてきていることなのですが、会話がかみあわなくなることが最近多くなり、そこからの口論に発展をしてしまいます。 例えば、夫が最近、風邪をひいていたので私が、「コロナとかかなぁ?」と言うと、夫は「コロナはもう消えたし、世界中でコロナなんてもう終わってるし、病院の医者もコロナなんてもう診断せんよ?」と返ってきます。「そうゆう話をしたいわけではなくてね....」と私が言うと、「何でも否定される」「結婚してから俺は言いたいことがあっても我慢してる」「お前はコミュニケーション障害だ、他の人が言わないから俺が言ってやってる」などなど営業職なのもあってかとことん汚い言葉がズラリと。夫自身が話を遮ることはOKだけど、こちらが遮ることは否定と受け取る感じです。 どんな話でも、ほとんど、世界がとか宇宙がとかの話に繋がって行き、些細な会話すら楽しめません。少し前までは、異常なまでに添加物にこだわったり、レンジの電磁波が悪いからと味噌汁も何もかも冷たいまま食べたり、そこを何故?と聞くと夫曰く「じゃ、勉強したら?俺は勉強してるし、こんなこと言ってくれる男はなかなかいないよ?」とのこと。 私も口はたちますが、感情で伝えても心情で伝えても、「俺はこんなにやってるのに、ほんと会話にならんよね」と矢継ぎ早に否定してきます。 結婚13年目になりますが、夫は否定されるのが人一倍嫌なのに、常に自分と合わない人や意に沿わない人を否定している口調です。私から見ると、何を頑なに守って怯えているんだろうゆうふうに見えるようになっています。 ですが、この人は信頼できると思ったら、家庭よりも重きを置くとゆうか、その人がしていることや飲んでいるサプリなどとことん異常なまでにのめりこみます。 離婚したいとは今は思っていませんが、前の奥さんともこうゆう部分が原因で離婚しているかもなぁと思ったり思わなかったり。 私の中で人は変われると思ってきたけど 、どんだけこちらが一生懸命に心から会話がなんか寂しいと伝えたとしても、それとこれとは別とゆうか、感情で相手の気持ちを考えるとゆうのは二の次のようです。心の対処のアドバイスをください。

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コミュニケーションがとれない

整体師をやっているものです。 去年の10月から未経験で入社し、お客さん対応を始めてから約5ヶ月経とうとしています。 それまで飲食店、清掃と畑違いの仕事や生活をしていたということを抜きにしても、なかなか整体師としての勉強が上手く頭に入らなかったり、お客さん対応も上手くできないことが多すぎて、自分自身もかなり思い悩み、涙が止まらないことが最近増え、昨日ついに熱で仕事を休んでしまいました。今日は元々定休日だったので2連休として身体を休め、熱や体調を整えようとしたのですが、未だに身体の倦怠感や謎の恐怖感、不安感で涙が止まりません。 昔から、仕事や目上の人、お客さんと話すとき「ありがとうございます」のあが言えません。言葉が詰まるというか声が出なくなる感覚があります。最近だとそれプラス呂律が回らなかったり甘噛をしてしまいます。 お客さん対応時、次回もまた来ていただかなければ仕事にならないのに心の中でつい「もう来ないでほしい」「私に任せないでほしい」と思ってしまいます。なので、もし次回予約がとれてもまた来ていただく日は「キャンセルにならないかな」「怖いな」「次来てくれなかったらどうしよう」と思ってばかりでずっと憂鬱です。 そんなことを思っているからか、私より後から入社してきた人よりも全然営業成績は悪いです。 元々コミュニケーション能力は低く友達も少ない。愛される側の人間ではありませんでした。 仕事は辞めたくありません。今の仕事を初めたのは、昔親にマッサージをしたとき楽になったよと喜んでもらったときのように、指圧で色んな人を楽にしたい、安心させたい、喜んでもらいたいと思ったからです。そして、これまで何も一つのことを人よりも出来なかった人生を少しでも変えたい、努力できる人になりたいと思ったからです。 一度鬱病の経験があります。あのときのようにはなりたくありません。もう少し楽に人とコミュニケーションをとれるようになりたいです。そして、自分のことを今よりも信じて楽しくお仕事に励みたいです。 どうかご相談に乗ってはいただけないでしょうか。よろしくお願いします

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ