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亡くなった人に対して手を合わせる時

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有り難し有り難し 26

度々こちらで質問させていただいています。今回は悩みというよりふと感じた疑問なのですが、ご回答いただけたら嬉しいです。

もうすぐ母の命日なので今度の休日に地元に帰ることになりました。詳しくは聞いていませんが、水あげをすると言われているのと、おそらく時間があればお墓参りもすると思います。

そこで知りたいのですが、亡くなった人のお墓や仏壇に手を合わせる時、心の中で何を思えば(言えば)いいのでしょうか。テレビドラマなどでよく見るのは生きている家族の近況報告(子どもが生まれたり結婚で家族が増えたりした時などに)をしているイメージですが、それで合っていますか?今まで何度もお墓参りをしたり仏壇にお線香を上げて拝んだりすることはありましたが、私はただ漠然と「みんなのこと見守っててね」というくらいでした。

正解があることなのかもわかりませんが、ご意見を聞かせてください。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたのとらわれを解き放つ

なにもなければただ手を合わせればいい。感謝でもいい。
生前こんな事を伝えたかった。生きていたらこんな事をしたかった。などのあなたの思いがモヤモヤとあなたの中で捉われとしてあったなら、その思いから解き放つように、手を合わせたらいいのです。
そしてスッキリできればいいと思います。
お母様に対する思いがなければ、自分が存在できている事に感謝をしたらいいと思いますが。どうでしょうか。

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有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
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浄土真宗では亡くなった人に対して手を合わせることはしません

亀山純史と申します。
浄土真宗の立場からのお墓参りについて、私の考えも織り交ぜながら、お話をさせていただけたならばと思います。
ご質問のタイトルが「亡くなった人に対して手を合わせる時」となっていますが、私の回答のタイトルは「浄土真宗では亡くなった人に対して手を合わせることはしません」です。意外だったでしょうか。葬儀屋さんはよく私に対して手を合わせます。私がお通夜や葬儀等で葬儀屋さんの会館に到着すると、係の人が手を合わせて私のことを出迎えてくれます。しかし、浄土真宗においては、「人に対して手を合わせる」ということはないのです。手を合わせる方向はどこまでも阿弥陀如来です。『歎異抄』の第5条は、「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず。」で始まります。これは、「私、親鸞は、父母の供養のために、念仏を称えたことは、一度もありません。」ということです。では、墓前にてお参りするとき、「亡き人を思ってはいけないのか。」と言えば、そうではありません。「念仏は亡き人のためのものではない」ということであり、お墓参りは墓前にて亡き人のことを偲び、その人の人生から、今こうしてお参りに来ている私たちの人生を振り返ること、亡き人から自分の「いのち」「生死」を見つめ直すこと、そういった機会、ご縁であると言えます。そして、墓前にて念仏を称えることで、亡き人も含めて、今こうして生きている私たちにかけられた阿弥陀如来の働き(本願力)に触れさせていただくのです。そうして、その念仏はまた、阿弥陀如来への感謝の念仏にもなるのです。
以上、私からの回答です。宗派によって解釈が違うところもあろうかとは思いますが、どの宗派でも墓前において「亡き人を偲ぶこと」は同じだと思っています。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。今までは何となく手を合わせて漠然とした気持ちが大きかったので、勉強になりました。

「供養全般」問答一覧

深い懺悔と感謝

いつもありがとうございます。三月の桃の節句も過ぎ、お彼岸が近づいてきました。hasunohaの皆様におかれましては日々、健やかにお過ごしのことと思います。 一時期、私は人生をひっくり返すほどの思いに駆られたこともありました。今年のバレンタインを過ぎた頃から、今は家族のありがたみを強く感じるようになり、毎日思いやりに支えられ、相変わらず週7日休み無しで外での仕事に励んでいる今日この頃です。 毎日が平和で穏やかな落ち着いた空気、他愛もなく些細なことの積み重ねですが、それらすべてが本当に、職場も家庭も、そして治療院にも、良い人たちにご縁があったこと、ひとつひとつに感謝です。これからも日々の幸せを大切に育んでいくことが、ご先祖様への恩返しにも繋がる明るい人生への道標なのかなと有難く思います。 お世話になった治療家の先生に、しばらくお休みすることを伝えました。その節は本当に、この上なく尽くしてくれたことに深謝の限りです。つい先生の優しさに甘えてしまい、助けたい側と助けられる側の引き合う力がぐいぐい強くなりすぎてしまった節がありました。徐々に私の感情が不安定になり、体調も崩れてしまい、元の近所に戻しました。いろんな人に打ち明けた昨年から年末年始と引き換えに、この春先は自分自身とひとりで向き合う修正が必要になったこと…あらためて自己成長へと繋げる良いきっかけになりました。 今でも毎日、先生のことが心に浮かんできます。それだけ特別な存在であることには変わりありません。頂いた思い出、温かい言葉の数々が、前向きに仕事に取り組む原動力となってくれます。2月といえば、確定申告に自動車免許の更新の時期。両方ともクリアでき、特に下がると思っていた年収が微々たる上昇していました。驚きを隠せず、念願の学びのための貯金も着実に増えていること、とても有り難く思います。 他の先生からみても親しくなりすぎた故に、遠慮もなくなり、お互い言いたい放題で喧嘩状態にもなりました。本音を明かした(ぶつけ合った)ことは、それだけ相手を強く思うからでもあり、アンビバレントそのものでした。ひと月近く、間を空けた今、直筆の手紙で、お詫びとお礼、そして相手の未来の幸せを願う想いを伝えたいです。 共に成長しあえる良い関係でいられるよう、しっかりとした自分となるために、アドバイスいただけましたら幸いです。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

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