義母さん(寺庭)が 寺の事を一切やりません
わたしが子供の入院に付き添い、寺を空けたときもお供えしたお仏飯は 入院前のままでカビており それも全く気にしない様子
祭壇の花も 買ってまでしなくていい
誰かが入れるだろうからと
寺がそんなことしてたら 檀家さんにそのうち背中むけられますよね
どうしたらやってもらえますでしょうか
風邪もひけません
ちなみに義両親とは別居で、住職(義父は通いです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
長年の習慣を変えることは難く、年配者は更に困難と理解しましょう。
それより。
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あなたのその思いは仏様がお喜びになる思いです。
仏様がいらっしゃることを心から信じるからこそお給仕ができるのであり、今あなたの心の仏性は仏様の仏性と通じ合っています。
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言動も心の内もすべてが仏様へのお給仕なんだと思えばこそ、汚いものをお供えするわけには参りません。
あなたの正しい心を、どうぞそのまま仏様にお供えください。
どんなに正しい理由があっても、正しくない他人に対してでも、怒ったら邪悪の心なのです。
怒りは、自分自身のストレスになるだけです。
ですから、義父母に期待しないで、怒らないような考え方にした方が、生きるのが楽になります。
風習はあくまで風習、仏像に御飯をお供えしなくても、罰があたるわけではありません。
生きた本物の仏様ではないのですから。
仏像は、仏様をイメージするための道具にすぎないのです。道具にとらわれて怒りやプライドの煩悩の火に油を注いでいては、逆に仏様の教えに反してしまいます。
生きていない仏像よりも、生きている義父母を労るほうが大切です。
子育ても大変でしょうし、無理しないでくださいね。
お花を生けるのは楽しんでやれればすばらしいですね。経費でお花買えて、楽しめるなんて最高です。(欲の煩悩。)
「他の人の為すと為さざるを問うことなかれ。
ただ、己の為すと為さざるをのみ問うべし。」
人がやっているから、やっていないからブツブツではないのです。
人生、この自分がどうか。それだけでいいのです。
このhasunohaの回答も同じです。
回答しなければいけない、というわけではない。
回答する人が回答する。別に回答しない方をとやかく言う必要もない。
また、為すといっても仏道は、そういう己の見解を離れるために為す為すのです。
自分をやろうとしない事。
仏道は自分自分したものを離れるのです。
仏道とは我が事を行ずるのみなり。
人の為さざる事を問題にするのもあなたの身の上の事。
それが問題になってイライラするのであればそれこそが修行の課題。
人生は、人のことが問題になる自分の心こそが問題。
その心をおさめずして、自己の仏への本当の供養はないと言えましょう。
ご返信、ありがとうございました
わたしは在家出身で てっきりお寺さんには お寺さんのお手入れの仕方や なんなりがあると思っていましたが 違ったようです。
実家の母がしていたことを真似しているだけで、このようにお褒めいただくとは思ってもいませんでした
「生きてはる方と同じようにさせてもろたらどうやろか」と言われ続け 育ってきましたので それプラス嫁ぎ先で学ぼうと思っておりました
生きてる者は カビったご飯は食べませんよね お花も枯れたのもらっても嬉しくないですよね
今は4ヶ月の娘を背負い、2歳の娘がお昼寝してる隙に、色々させていただいてます
ありがとうございました
そうですね 人を変えるのは相当なエネルギーと時間を費やしますね
片目をつぶっておくことにします