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写経は高僧のもの

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ここで一度お世話になり、仏門に興味が湧き
元々、下手なりにも書道を趣味としていたのもあって
写経を始めてみようかと思っていました

そうした話を友人、知人に話していたら
タイトル名のようなことを言われました

知人によると、お経と言うものは修行を積み
徳を重ねた人が唱えることに意味があるのであって
素人がむやみやたらと、お坊さんの真似をするのはやめた方がいい
まして写経なんて、なにかおかしなことがあってもおかしく無い程の
やってはいけない行為だと言われました

書店では、初めての写経と書かれた本もたくさん見かけます
宗派によって考え方が違うのでしょうか

私の家は曹洞宗のようですが
自分自身、仏教徒ではあると思います。
と言うより、それしか知りません

キリスト様より、お地蔵さんの方が気軽に挨拶できます

写経って、やはり辞めておいたほうが良いことでしょうか


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お坊さんからの回答 8件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

高僧はあんまり写経しないと思います

さくゆうさん、お久しぶりです。
なごみ庵の浦上哲也です。

今回の質問を拝見し、知人の言葉を聞き、少々 (-_-#) となってしまいました。
その知人の方は、仏教についてどれだけ深い知識を持っている方なのでしょうか。
こと宗教的な事柄に関しては、ほとんど知識が無いのに、自身の思い込みがさも常識であるかのように仰る方が多いのです!
…と、さくゆうさんに怒っても仕方ないですね、申し訳ありませんでした m(_ _)m

さて、本題に戻りますが、写経は宗派によっては祈願のためだったり、学びのためだったり、理由は様々です。
でも元々は印刷技術が無い時代、師僧からお経をお借りし、それを書写して原本をお返ししていたのです。要するに自分専用のお経本を手に入れるためにしていたことです。

余談ですが、現代において(最近は少なくなりましたが)ふすまや障子の職人さんを「経師」と言いますよね。これはもともと身分の高い僧(徳の高い僧、ではない)にお経の書写を頼まれていた職人のような存在です。決して高僧だけが写経をするわけではないのです。

お近くのお寺や、場合によってはカルチャーセンターのような所でも写経会を開催していると思いますので、あまり気負わずに申し込まれてはいかがでしょうか。
ちなみに私は近所の公共施設から写経会の講師を依頼されています。
http://753an.blog.so-net.ne.jp/2013-10-22

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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100円ショップで売ってる時代です。

うちの近所の100円ショップに売ってました。隣に筆ペンも。
セットで200円。
写経も仏教も哲学も誰かが誰かのものにしてしまうからいけない。
高いトコに祀り上げてしまうからいけない。
神も仏もそんな高いトコなんかにはいません。どん底にもいません。
自分が、アナタがその海の中にいるんです。
写経も、もっと世の中の人のために、身近にあるべきです。
通ぶる人も、神聖化する方もいますが、そんなにヨイショと祀り上げられるべきものではありません。無視した方がイイでしょう(^o^)
私も曹洞宗ですが、一番イイ写経は、如是経です。
如是経というお経があるわけではありません。
お経の真意は、文字に用があるのではなく、いま・ここ・おのれ、RIGHT HERE RIGHT NOW、目の前の真実、THIS IS IT、只これ是。 目の前の真実を表したものです。
それを如是経という。
写経をすると世界がごちそうになります。
ただし、文字を書くことに始終するようではだめです。
読経すると世界中がごちそうになります。
ただし、文字、コトバを読んでもダメです。
念仏すると、世界中がごちそうになります。
ただし自分の身勝手なホトケを描いてはダメです。
坐禅すると世界中がごちそうになります。
ただし、スワるという形にこだわったり、イイモン手に入れようとしてはダメです。
「如是経を転ず」
あなたの目の前にある「現実」というお経以上に素晴らしい経はありません。
写経がいけないということではありません。
月を見なさいという時、その先を示す手や指を観る者はいません。
だから私は、This is it の「it」が指し示すそのモノを観よ、と言っているだけです。
写経の行き着く先が、そこ、ここ、目の前の事実、真実なんです。

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いい友人をお持ちですね

さくゆうさん、こんにちは。
まず答えは「写経せよ」。ぜひ写経なさってみてください。インターネットの時代、教えていただける場所・写経体験できる場所・奉納できる場所、さがせば必ず見つかるはずです。

~~~~~~~~~~~~~
そしてさくゆうさん、いい友人をお持ちですね。
わたしのまわりにも、自分の考えから、いろいろと世話を焼いてくださる友人・先輩たちがいます。
でも、そのなかに後輩はいません(好かれていないからでしょうか・・・)。

そんな友人・先輩たち。
じつは私「親切だなぁ有り難いなぁ」と思うまえに、まず「余計なお世話だ」と感じます。イラッとします。ハイハイそれはあなたの考え方でしょうよ、とりあえず聞いておくけど俺は知らん、と。

なぜイラッとするのか。迷わされるのか。さくゆうさんはご質問されるのか。
予想外だったり、自分の考えを揺さぶられるからではないかと。痛いところを突かれているか、あたらしい視点を持ち出されたからか。
この事実は悪いことではありません。

・・このご友人のおっしゃることは、どうかと思いますが。迷わす輩も悪いと断じるのではなく、どうかさくゆうさんが体験をして、感想を伝えてみてください。

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臨済宗妙心寺派 陽岳寺 住職 1985年生まれ。 東京都江東区深川出身・...
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気軽に挑戦してみては!

写経を書くことは、その目的によって意味が変わってくると思います。当院では、それを求めるため、まずは体験をして頂くため、プチ修行と題して写経を進めています。
お寺の静かな空間で、リラックスし、自分を見つめ直し、新たな気持ちで生活して頂きたいとの思いで行っています。
今の時代、静かに何かをするという時間もないし、場所もないように思われています。まして、一つの事に集中する事ができない人が増えているようにも思えます。

ちなみに、当院が経営する保育園では園児が「般若心経」の写経を行っています。お経を一緒に唱えてから、約30分書いていきます。理由は、こども達に「やさしい心」「感謝する心」一つの事に集中し「がまんする心」を養って欲しいという思いで行っています。当然、園児ですので漢字も知りませんし、意味も解りません。まして筆も使えません。鉛筆でなぞり書きをしています。そして、卒園をする時に将来の夢を書いてもらい、本尊さまに永代奉納をしています。園児も30分間、静かに書いています。

私は、すべてが挑戦と思います。出来る事、したい事があれば実行していいと思います。ただし、最初から、大きい事をすれば長続きしないと思います。
そして、仏さまの前で静かに写経する姿勢が大切な事と私は思います。

ぜひ、挑戦してみてください。

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山口光玄
昭和39年9月14日生 新義真言宗大本山誕生院執事 社会福祉法人覚鑁会...
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写経はみんなのもの

写経ができる道場は全国にたくさんございます。そしてそこで写経をなさっている方のほとんどが一般の方々です。とはいえ、お友だちやお知り合いにそのようなことを言われたら誰だって不安になりますよね。仏教でも宗派によっては、修行そのものを積極的に遠ざけている派もあり、もしかするとそれらの教えを守られている方かもしれません。

さくゆうさんは、どうぞ安心して写経をなさってください。ただ、そのことによって友人知人との人間関係がうまくいかなくなっては本末転倒ですから、「僧侶から『誰がやってもよい』と聞いた」、と何かの折に話された方がいいかもしれませんね。

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住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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写経をするに、誰に遠慮が要りましょう…

面白い事を仰るご友人ですなぁ〜
良き事をするに、正しき事をするに、功徳を積む事に、何をごちゃごちゃと…

何れの回答者様も仰っている通りです。
堂々と写経為さいませ。
仏法に則っての其れで有れば、其れで良いのですよ。

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色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...
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気軽にどうぞ

さくゆう様へ

写経とは僧だけに許されたものではなく
多くの方に参加可能なものです。

そのため当山ももちろんですが
多くの寺院にて参加可能です。
また書店にても多くの書籍が並ぶような時代となりました。

ぜひこのご縁を大切に
やられてみてはいかがでしょうか。合掌

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鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...
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実際の「功徳」(善徳行の積み重ね)へと繋げることが大切

さくゆう様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

浦上様のおっしゃるように昔は印刷技術がありませんでしたので、筆にて紙にそのお経の文字を写し取ること「写経」で、お経の勉学や読経に活用されて、そして、経典がこの「写経」により広まることで、仏教の教えも各地方へと広がっていくこととなりました。特に遣隋使や遣唐使で仏教を学びに中国大陸へと渡った学僧たちにより、夥しい経典類が写経されたことで、日本へと仏教が渡来することとなりました。

写経による功徳に関しての典拠としては、法華経・法師品第十の中に、「・・妙法華経の、乃至一偈を受持、読、誦、解、説、書写し・・」とありますところにおいて、書写することでの功徳が説かれているところから、やがて更に利益(りやく)や供養、または祈願の意も含まれるようにもなっていったのではないかと存じております。

ただ、しかし、機械的に、作業的に「写経」をするだけではなくて、それを本当の功徳や利益、供養と致すには、やはりその内容もしっかりと理解して、その教えを実践することが最も大切になるのではないかと存じております。

写経では、「般若心経」が一番馴染み深くて有名ですが、では、その内容が何であるのかについて、いったいどれだけの方が実際に理解して、その教えを基とした実践ができていると言えるでしょうか・・僭越ながらにも非常に厳しいところがあるのではないかと存じております。

もちろん、般若心経の説く「空」の思想を完全に理解することは実に難しいことですが、私たちの迷い苦しみの原因である無明(根本的無知)・煩悩を撃ち破っていく上で、非常に大切な内容となってございます。

是非、さくゆう様におかれましても、ただ「写経」をなさられるだけではなくて、では実際にどのような内容であるのかについて、しっかりと学び、吟味して、己のものとして、実際にその教えを役に立てて、功徳(善徳行の積み重ね)へと繋げて頂けましたら幸いに存じております。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

まさか、こんなに沢山の回答を頂けるとは思って居なかったので
戸惑っておりますが
大切な時間を、私の質問の回答に時間を割いてくださったこと
心を傾けてくださったことに、まず感謝致します。
ありがとうございます。

軽々しく質問させて頂いたことですが
やはり考えるべきことを、お答え頂きましたので
お礼のコメントに時間をください。

なにごとも、まぁそうか。まぁいっか。
で日常を過ごす私にとって、ここは本気で自分のことを考えられる
大切な場所なので、ご容赦下さいませ。

随分と時間が過ぎてしまいましたが
改めて、お言葉を寄せてくださったことに感謝します
ありがとうございます。

お一人お一人にお返事を返さなければと思いながらも
立て続けに三つの命を見送ることとなり
心の踏ん張りが効かず、今まで延びてしまいました。

そして、また何度も読み返してみては
以前とは違う受け取り方ができたこともあり
追記でコメントを残したいと思います

写経について、簡単に考えていました
筆好きだから、せっかく文字を書くなら写経にしようかなぁ位の考えでした
今、改めて写経がしたいです
落ち着いた空間で、心静かに文字を書く
ご先祖様や旅立って行った命への思いを
感情的にならずに穏やかに想う時間にしたいと思っています

それでも、気軽にどうぞというお言葉が多かったことは
当時も今も嬉しいです
日当たりが良すぎる、くたびれた畳の部屋で今から写経します

ありがとうございました

「写経について」問答一覧

写経、お礼参りのタイミングについて

お坊さま方には彼岸後のご多忙の中、失礼いたします。 我が家は日蓮宗ですが、この質問は宗派関係ないかと思います。 母が先月、救急車で運ばれ肺癌ステージ4と診断されました。 数ヶ月前に、同じ病院でレントゲンを撮ったにも関わらずです。 母はその時分かってくれてたらと話しました、私も同じ気持ちです。 主治医や家族は、時間がないと諦めモードです。 そんな病院の入院生活の中、母は『もっと生きたい、治療をやってみる』と言いました。 一時意識がなくなってもです。 【写経について質問】 母の本当の願い『もっと生きたい』を叶えて頂けるよう行動の一つとして、写経を始めました。 日蓮宗はあまり写経がなかったのですが、観音経をみつけました。 知っているお寺さんが写経を納めて頂けることも分かりました。 初めて写経を納めて頂くので、分からないことがございます。 ①写経をやっている最中に、誤って手で擦たり筆が触れて汚してしまったものも納めて頂けるのでしょうか? やはり汚れなどないもの、所謂きれいに仕上がったものだけでないと、仏さまやお寺さんに失礼に当たるのでしょうか? 私は20年近く精神病(鬱病)を患っており、なかなか集中力が継続しないながらも時折休みながら(日を跨ぎながらも)、書き始めました。 ②万が一、汚れた写経を納めるのは失礼な場合、それは破棄してよいものでしょうか? 【お参り・お礼参りについて】 母の病で、私はずっと神社やお寺を回りました。 縁の深いお寺には、ご祈祷をお願いしました(遠方で行かれないお寺には郵送で)。 自分の病気のせいか、記憶が定かではないのですが、途中母が意識を失った際に、お願いごとに『母の意識が戻りますように』とも加えました。 当病平癒の場合、病気の症状によってお願いが、少し変化しやすいのです。 ③お礼参りは、母の治療の途中、良くなったらその都度行くべきでしょうか? 私の最終的な願いは『母の本当の願いであるもっと生きたいが叶うように』です。 『もっと生きたい』がどのくらいかは分かりません。 例え5年生存率が数パーセントでも、私の本心は『長く生きてほしい』ですし『治ってほしい』です。 拙い文章で申し訳ございません。どうか3つの質問よろしくお願いいたします。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ