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死後みんな仏さまになって同じ世界に生きるのでしょうか

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私の父は僧侶をしていました。
真宗の小さなお寺で、職業とは別で兼業していました。
でも、父は酔うと人に暴言を吐いたり、よそで女の人つくったり、言えないくらい、家族に迷惑ばかりかけていました。
私は母と家を出て、今は嫁いで家庭を持っています。

そんな父が急に亡くなりました。
僧をしていたので、父は「仕事」としてお経はあげていました。
悪人正機というのは、悪人であることを自分で認めた凡夫だからこそ救われると聞きました。
悪人であることを最後まで認めなかった父も、救われて仏さまになっているのでしょうか。

でも『地獄と極楽』という絵本を小さい頃読みました。
あの絵本では、生前ひどい人は地獄で苦しんでいました。

もう一つ、仏さまになったとして、その後どのように生活?するのでしょうか。
よく、私たちを見守って導いてくださる、と言いますが、この世でのつながりが深かった人のところに行き導くのでしょうか。
もし私が往生したら、父と同じ世界に行き、また娘としてくらすことになるのでしょうか。

とりとめなくすみません。
父の死も、生前の行いも、もう昔のこととして受け入れていますが、仏教の教えでは、このあとどのように生きているのか気になりました。
よろしくお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今だから言いますが

 私は浄土宗の僧侶です。「今だから」のお話として、お伝えさせて戴きます。

悪人であると最後まで認めなかった父も、救われて仏様になっているのでしょうか?
 いいえ。「悪人」に対する理解と、「救われる」についてお話いたします。
世の中に、「悪人」でない人はいない。それが浄土(真)宗の人間観です。そして、究極それを自覚しているか否か、は往生とは関係ないのです。え!?と思われるかも知れませんが、そうなのです。「では、自覚云々は?」と思われるでしょう。ここが、「今だから話せること」です。「自覚云々」は、生きている方に向かって説かれている話です。つまり、「自分は勝手な生き物・人に迷惑を掛けざるを得ない悪人だ」と自覚せよというのは、つまり「なるべく周りの人のことを思って生きなさい。慎みなさい」と生き様を促しているのです。これは、全ての「自覚を持て」共通の事柄です。そうすることで、あなたも周りも生きやすくなりますよ…というお諭しです。そして、事は「自覚」の問題ですから、周りの人からは分からないのです。お父さんは「暴言を吐いたり、よそで女の人をつくったり」しなければ生きていけない程(彼なりに)苦しんでいたのかも知れません。そしてご自身の矛盾に苦しんでいたかも知れません。(これは、あなたやお母様を悪く言っているのではないのです。縁の結果として、そうだったかも、という話です)
 次に、「往生」です。まず、ここは混同されている方が多いのですが、「往生して、さらに阿弥陀様から説法いただいて、その後成仏する」というのが我々の持つストーリーです。ですから、(ここは私見ですが)生前の記憶は、やはりあるのでしょう。それナシでは仏様も何を教えて良いか分からないでしょうから。また、「修行を積まれて戻ってくる」と解釈できる部分もあるので、繋がりや個性はあるのだろうと思います。
 ただ、私はお葬儀の時に「あなたは、人としての勤めは終えました」と語りかけるようにしていますが、学校を卒業するのにも似て、最早生前のことについては如何ともし難くなるのは確かだと思います。生前の怨みは捨てなさいと。生前の苦労は忘れなさいと。
 ですので、今後あなたがお年を召して目を瞑られた後、往生された後は「対等になる」と思います。多少は先輩かもしれませんが、仏様の前では些細な差です。
 言葉足らずとは思いますが、いかがでしょうか。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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浄土の数は多けれど

阿弥陀仏はまだ法蔵菩薩であった頃、四八の誓いをお建てになられました。お聞きになられたことがあるかもしれませんが阿弥陀仏四八願と呼ばれるものです。
その中の一八願におかれまして「五逆正法を誹謗するような、どのような悪人も私の浄土へ生まれることができる」とお誓いになられております。

どのような悪人も、というのは認める認めないに関わらず全ての衆生をお救いになると、そうおっしゃっておりますのでお父様もお浄土へ往生されていることと思います
数多の浄土がある中において阿弥陀仏の西方極楽浄土は一切の衆生を救ってくださいます、ご安心ください

私たちは生まれたときから、むしろ生まれる前から、ちゃんと救っていただいているのです、約束されているのです

※補足です
1.西方極楽浄土では蓮の華に乗って生まれ往きます、西方極楽浄土は阿弥陀様のお浄土でありますので旧き知人と再会し、親と再会し、阿弥陀様の説かれる真理を聞きながら過ごしているものと思われます。
 生前の記憶ということですが一時期魂の重さは21グラムであるという研究発表が話題になりました。私はその抜けた分の質量だけお浄土へ往っているのではないかと考えています。繋がりはもちろんあると考えますが親と子、また祖父母と子の年齢差は阿弥陀様の長い長い年月に比べれば比べるまでもありません。お浄土ではみな同じなのです。

2.法然上人は「十方に浄土多けれど西方を願うは十悪五逆の衆生が生まれる故なり」とおっしゃっております。
  宗派によってその部分の考え方は違うかもしれませんが私は全ての衆生は西方極楽浄土である、そう考えております。
  ですがそうでもないとしても違う浄土の人とも隔てなく会えると思っております、でなければ極楽とは言えないではありませんか

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追記。仏になったら、他人を教え導く

悟りを完成した者を阿羅漢(あらかん)と言います。
あらゆる煩悩をなくして悩み苦しみがなくなった方々です。
しかし、阿羅漢がすべて仏様ではありません。
仏様とは、自分が悟って阿羅漢になったうえで、他人を教え導くスーパーパワーを持ったお方です。
お釈迦様がわかりやすいですが、仏教自体が地球上にないときに、自分で悟りを開いて、それを他人に教えたのです。
自分だけ悟って満足して静かに亡くなるのでは仏と呼ばないのです。
仏になったら、まだ仏教のない世界に行って、そこを自分で新たな浄土(仏教がある世界)にするのです。

極楽では、すべての前世の記憶を思いだせるようになります。

阿弥陀仏の浄土が極楽浄土です。
他にも浄土はたくさんありますが、念仏だけで往生できるのが極楽の特徴です。

追記
極楽浄土では、自分と他人を区別する感覚がなくなるらしいです。住人全員が、自分とか他人とかいう概念が停止した精神統一状態をキープできる集中力を得ているのかもしれません。過去の記憶はあるものの、お互い恨みっこなしの平和な世界でしょうね。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

早速のお返事ありがとうございます。
どうしようもなかった父も、地獄で苦しんでいるのではなく、西方極楽浄土に生まれているのであれば、何だかホッとしたりもします。
すでに救われているとのお話、安心しました。

1.西方極楽浄土では、仏さまになった人はどのように暮らしているのでしょうか。
生前の記憶?やつながりなどもそのまま残るのでしょうか。

2.仏教にはいろいろな宗派がありますが、みな同じ西方極楽浄土に生まれるのでしょうか。

再度のご質問で申し訳ありませんが、もしおわかりでしたらご教示いただければと思います。

それぞれ丁寧なお返事をくださり、本当にありがたく思います。
こちらのサイトでのシステムがよくわかっていないので、それぞれにお礼のお返事がかえせず申し訳ありません。
私が思っていたより、極楽浄土はとても深く広いところのように感じました。
おかげで、何となく抱えていたわだかまりも、少しずつとけていったような気がします。

お浄土では、これまでの記憶がすべてあるというのは驚きでした。
私なら今までの過ちを思い出して、あああああと穴があったら入りたい気持ちになるかもしれません。
その時には、この世で仲違いした人とも仲良くくらせるのでしょうか。
できたら会いたくない人もいそうです。
心安らかに、人を導いていけるような仏さまになれると良いのですが。

長々とすみません。ありがとうございました。

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虫の知らせ

こんにちは、お世話になっております。 今回は私が過去に経験した不思議な体験について、お坊様方から見るとどのように感じるのか知りたく、投稿させていただきます。 1年ほど前の話となります。 私の家には父方の祖父母が買ってくれた、鮮やかな森の中を夫婦が寄り添って歩いている素敵な絵が飾ってあります。 ある日の夜、その絵が気になってみたところ、何となく男性が薄く見えました。 元よりほんの少し霊感のようなものがある私は、そのことを母に伝えようか迷ったのですが、気のせい。 気にし過ぎだと思ってその日は寝てしまいました。 ところが次の日、父に大事な話があると言われ聞いてみると、昨日の夜祖父が家で倒れ救急車で運ばれたとの事でした。 病院での検査の結果、祖父はガンにかかっていました。 前日の夜、夫婦の絵に違和感を感じたのは虫の知らせのようなものだったのでしょうか。 ちなみにその後祖父は約1年の闘病の末亡くなりました。 その間に一緒に散歩したり、旅行したりと沢山思い出を作ることが出来ました。 偶然と言われてしまえば、それまでではありますがこのような虫の知らせというものは、本当にあるのでしょうか。 よろしくお願いいたします。

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