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愛する家族の死

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有り難し有り難し 73

27日に8年一緒にいてくれたフェレットが天国に旅立ちました。
もう悲しくて辛いです。

去年の6月から闘病していました。
毎日苦いお薬を頑張って飲んでくれて、ご飯も頑張って食べてくれて、沢山頑張ってくれました。
でも私はその日に限って寝坊してしまいました。

もっと早く起きていれば、異変にも早く気付けたはず…。もっと早く病院に連れて行っていれば助かったかもしれない。
大好きなおやつや柿を食べさせてあげれば良かった。
もっと沢山抱っこをしてあげたかった。
もっと沢山撫でてあげたかった。
もうとにかく後悔しかありません。

私はこの子に沢山助けてもらいました。
この子がいてくれたから、今の私があるんです。
でも私はこの子に何も恩返しが出来ませんでした。
ダメな飼い主でした。

この子に申し訳ない気持ちでいっぱいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

故人との別れは同時に故人との出会いである

看病しながら闘病している姿を見続けるというのは非常に精神的にも大変なものです、それでも貴女は看病し続けた、当日寝坊したからといってそれらが否定されるわけではありません。

かもしれない、あのときこうすれば、今思うと次から次へととめどなく溢れてくることばかりだと思います。

八苦という八つの逃れられない苦しみの中に「愛別離苦」という苦しみがあります。
「愛する者と離れなければならない苦しみ」、ということですが人であれ動物であれ、大事な家族です、愛する家族です、ただやはり動物と暮らしているとだいたいは人が最後を看取ることになると思います。

娑婆で一緒に生きている間にその人に教えてもらうことっていうのは沢山あるけれども亡くなられてから教えてもらうことはそれ以上に多いのではないか。
あのとき言ってたのはこういうことだったんだな、こんなときあの子ならこうするかもしれないな、そうして亡くなってからも教えてもらうことというのはその方からのメッセージなんだと思います。
当然人だけではなく我が子のように愛情を注いだフェレットだって同じだと思っています。

こんなお話しがあります。
あるとき子供を亡くして嘆き悲しんでいる母親にお釈迦様はこのようにおっしゃいました。「もしも貴女が死人を今まで一度も出したことのない家を見つけることが出来たのならば大事な子供を生き返らせてあげましょう」。母親は一所懸命探しました、ですがそんな家はどこにもありません、どこの家も大事な人を亡くしています。それによって母親はそれに気付くことが出来た、と。

我々は皆限りある命を使い切ります。
違うのはそれまでの過程だけです。あなたの大事な家族は闘病中も辛かったと思います、人と同じ言葉を喋ることが出来ませんので伝えたいこともなかなか伝えられなかったこともあると思います。
ですが貴女からの愛情を精一杯受け止めお浄土へ往かれました、その愛情は紛れもない母の愛であり、まごうことなき真実であります。

これからもその子は貴女に色々教えてくれることがあるでしょう、そう感じるたびにその場で伝えてあげてください、空に向かってでも構いません。
あなたのおかげだよ、ありがとう、と。伝えてあげてください。

お浄土での再会を願って
                                       合掌

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有り難し
おきもち

そこに感じるはずです。これからも一緒に居てあげてください。

死といってもこの世から離れるわけではないですよ。
どこかに行くのでもない。
永遠のピリオドでもないです。
ただ、多くの人がそう思いこんでいることはあると思います。
私も昔そう思っていました。
ですが、関わりのレベルに於いては終わりはありません、不思議なことに。
同級生で18歳、20歳、27歳で亡くなった友人が今も私を励ますことがあります。
それが人間が万物の霊長と言われるゆえんです。
あまり宗教心という言葉は使いたくないのですが、ただの人間から宗教心の開かれた人間になると、深い意味での感性が研ぎ澄まされて、亡くなった人とでも生きながらにかかわっていけるのです。
仏教に於いてのみならず、死は終わりでないと説く人たちも沢山存在しているはずです。
この道理を明らかにするべきです。
死んでから会える、というのも寂しいものです。
ウチにお墓参りに来る人たちは、この世でちゃんと関わり合っています。
終わりというのは人間の物事を眺める見解上のものです。
仏心から眺めると、その人の生は終わっていても関わりは続いているのです。
影響力もあります。死んだ後でも、人が人を突き動かすことだってあります。
眼を開いて頂く為に厳しいことを一言だけ申し上げます。
あなたがその亡くなったその子を「しなせたまま」にしてしまっているのです。
それは人間の世界。
人間の見解の世界から一歩踏み出せば、感覚として今もあなたとの関係が続いているという事が分るはずです。 

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

温かいお言葉、ありがとうございます。
明日、火葬です。
この子が亡くなってから、お気に入りだったお布団に寝かせて頭を撫でています。
明日以降はそれすらも出来なくなってしまうので更に辛くなります。
私が泣いてばかりいるとこの子が安心して天国に行けなくなるから泣くのを我慢したいのですが、やはり涙が溢れてしまいます。

この子には本当に沢山の幸せをもらいました。
何度ありがとうと言っても足りないくらいに。

これからも沢山ありがとうを言っていこうと思っています。

ありがとうございました。

「ペット・大切なものの死」問答一覧

ヘルパーに酸素マスクを外され、、、

母は老人施設で老衰で亡くなりました。最後は点滴も出来ない体になり、息も上がっていたので酸素もチューブで鼻から入れてもらっていました。亡くなった当日面会に行っていたのですが目も開ける事なく、問いかけにも微動だにせず、腕も指も動かない状態でした。途中看護師が「口も開いているのでマスクに替えますね」と鼻のチューブをマスクに替えて退室。暫くしてヘルパーがオムツ交換に来たので退室し、終わったのでと声をかけに来てくれてから再度部屋に戻ったところ、鬼の形相(に見えました)で亡くなっていました。その時は亡くなったという現実で頭がいっぱいで気が回らなかったのですが、酸素マスクが外されベッドに置いてあったということが2日後に気付きました。 葬儀を終えてから施設の方へ挨拶へ行き、その際にマスクが外されていた事も話しました。ヘルパーからは何の報告も上がっていなかったので私たちの話で初めて知ったとの事でした。 マスクがあれば看取れたかもしれない。マスクが外されていたので苦しいまま息を引き取ったのかもしれない。それが悔しくて残念でなりません。ただ、マスクがついていたとしても、命の限りは決まっていたでしょうから、施設やヘルパー個人を責める気は無かったのですが、施設からビデオで確認した所オムツ交換をすると言って来たヘルパーと実際にオムツ交換をしたヘルパーは違うヘルパーである。オムツ交換をしたヘルパーに聞いた所顔には触っていない。オムツ交換をした時にマスクがずれたかもしれない。退室時にマスクの確認はしなかった。と曖昧、ウソばかりであろう報告を受けました。 こちらとしては特に報告をして欲しいと言っていなかったので、逆に気持ちを逆撫でされる報告を受け苛立ちや悔しさ、腹立たしさばかりが込み上げてきています。 施設の言い訳、ウソを聞く度にモヤモヤが増して行きます。事を大きくしたく無いと思っていましたがウソをつかれると言い返したくなってしまいます。この気持ちは時が解決してくれるのでしょうか。気の持ち方を教えて頂きたくお話しさせて頂きました。どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
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生後3週間の猫を踏んで殺してしまいました

生後3週間の子猫を誤って踏んで殺してしまいました。 私は猫が大好きです。 子猫が最近産まれました、とても可愛くて愛おしかったです。 しかし里親に出すつもりでいたため、気持ちが入ってはいけないと、名前をつけたりせず感情移入することをしませんでした。 でも本心はとても大好きで可愛くて手放したくありませんでした。 もうすぐ1ヶ月になる頃で今とても可愛い時期でした。 昨日、パソコンでゲームをしていて、そろそろ家のことしないとなと思い椅子をひきました。 いつも足元に猫が居ないか確認し大丈夫だったら立って歩いていました。 しかし昨日は、猫居ないかな?大丈夫かな?と、軽くしかみず、いるはずのない場所に子猫がいました。 全く目視せず、子猫の感触が足にありました。 しまったとその時一瞬でわかりました。 子猫を踏んでしまいました。全体重で。 その時子猫は苦しそうにしていて息が出来ないような感じでした。 私は死なないで死なないでとただ叫んで泣くことしかできませんでした。 私のせいで子猫は死にました。 さっきまで生きていたのに。 あんなに可愛い子を苦しめてしまいました。 足の感触、苦しんでる姿が忘れられず、申し訳ない気持ちと、私の命と引き換えに生き返って欲しいとばかり考えています。 とても辛いです。辛いのはあの子の方なのにこんなふうに現実から目を背けようとしている自分も嫌です。 これからどう償っていけばいいでしょうか。 本当にわからないです。 あの子のことを考えると申し訳なくて、苦しめてしまったと、本当に辛いです。 あの子は成仏できますか、恨んでますか、どうしてあげたらいいですか。 私は本当に悪い人です。命をあげたいです。 もう生きている意味がわかりません。 ごめんなさい。 どうしたらいいかわからず、途方に暮れています。 辛いです

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子犬の死 罪悪感

先日、家に迎えて5日目の子犬が急死しました。この子が亡くなる前、最後に触れていたのは私でした。 夜ご飯をあげた後、少し構ってあげてからゲージに入れて、おやつのボーロを1つあげて直ぐに部屋を出ました。 (先住犬がおり、子犬のワクチンが終わってないため一時的に別室で隔離していました) その後、2時間後ほど後に部屋に入ったらもう既に息をしておらずぐったりした子犬を発見し慌てて両親を呼び、人工呼吸、心臓マッサージを行いましたが息を吹き返すことはありませんでした。 ちゃんとした死因は解剖を行っていないので不明です。火葬も翌日には執り行い、現在お骨は亡くなった先代の子達と一緒に置いてあります。 私は最後にあげたボーロが喉に詰まってしまったのではとずっと後悔しています。なんであげた後にちゃんと飲み込むまで見てなかったのか、たった3ヶ月の子犬を苦しめて殺してしまったのかとずっと考えてしまい、罪悪感で涙が止まりません。 両親は自分のせいでは無い、みんなが家にいたのに見ていなかったのが悪いと励ましてくれていますが、発見した時のぐったり横たわり、目から光が無くなったこの子の顔が頭から離れません。 それから数週間が経ちましたが、未だに子犬が亡くなった時間帯や夜布団に入った時にボロボロと涙が出てきてしまいます。 自分はのうのうと生きているのに、あの子はもういない…その現実が受け止められません。 罪悪感と悲しみ、これらを私はどうしたら良いのか、どうしたらこの子の魂は幸せになるのでしょうか。 長文になり申し訳ありません。よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 7
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先日飼っていたモモンガを死亡させてしまいました。原因は分からないのですが、水容器が空になっており水分不足によるものかも知れません。この子は全く懐かずいつも人を怖がって震え、一匹さみしく檻に閉じ込められて暮らしポシェットの中で哀しい顔で薄目を開けて息を引き取り固くなっていました。 狭い檻では可哀想かと蚊帳を貼り、檻の扉を開放し、遊び場が欲しいかとキャットタワーを設置し、大食漢でしたのであらゆるご飯やおやつを与え、旬の果物を与えご飯もポシェットも手作りしたり。仲良くなれる方法を調べてみて試みたり…。でもそれは全て私の自己満足、エゴだっただけで、あの子はずっと震えていました。群れで生活する習慣のあるモモンガだと知り一緒に飼える子を何度も探したのですが、金銭的にまだ買えない、遠方で迎えに行けないなど、勝手な私の都合でずっと寂しい生活をさせてしまいました。夜中に寂しいと鳴くと出てくるのは怖い人間なので鳴くことも少なかったように思います。 懐かない、私が近づくと怖がる、そんな状況で少しずつお世話が足りなくなり水容器が空になっていることに気付かず死に至らしめてしまいました。 私などペットを飼う資格などなく、そんなことが出来るほどの人間ではないのに、私の癒しのため、私のエゴ、私の傲慢さで一つの命を奪いました。ずっと怖いよー寂しいよーと訴えていたのに…。8年ほどは生きると言われているモモンガを1年8ヶ月しか生かせてあげられませんでした。 少し混乱していますが、肉を食べ魚を食べ、害虫と呼ばれる虫を殺し生きている私はなぜペットを生かせてあげられなかったことにこんなに苦しむのか…。いろいろ考えた時、私は幸せになってはいけないという思いにいきつきました。喉が渇いても何も飲まず出来るだけ苦しみモモンガのことを思い、楽しい人付き合いを避け、可能な限り休む時間を割いて苦しい仕事に時間を使い私の命の終わりを迎える。ここ数日そんな生活をしていますが、少しでも懺悔になるでしょうか。

有り難し有り難し 12
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初めまして。 宜しくお願いいたします。 愛犬は茶色のトイプードルで女の子でした。 先月12月23日に、動物病院で抜歯手術をしました。 16歳の高齢犬でしたが、術前検査は問題なく、リスクは当然ありましたが、先生も大丈夫だろうと判断頂き、手術をしたら、次の日に急変、誤嚥性肺炎を併発して、2日後の25日に亡くなりました。 面会中、酸素室で呼吸が荒く苦しむ愛犬を見ながら何も出来ず、息が止まった瞬間、先生に叫びました。 「息を止まった!!助けて!!」と、 先生と看護師が慌てて心臓マッサージをはじめました。 愛犬が亡くなる現実を受け入れられず、1時間の心臓マッサージで更に苦しめてしまったんじゃないか、苦しい思いをさせてしまった。 ご尽力頂いた先生や看護師には感謝していますが、だんだんと、酸素室で苦しむ愛犬を見て本当に見てる事しか出来なかったのか、もっと他に出来る治療はなかったのかと、責める気持ちにもなっております。 手術をするんじゃなかった、また元気にご飯が食べれるようになってほしい、まだまだ元気でいてほしいという思いで手術をしたら、取り返しのつかない結果になってしまい、何より自分が一番 許せません。 愛犬が亡くなって、何度か愛犬が夢に出てきてくれました、最初は顔がぼやけていたり、でも触るとしっかり愛犬の感触があったり、こないだも甘えてきてくれる夢だったり、たまに部屋で愛犬の匂いがフワッとしてきたり、まだそばにいるような気もしてなりません。 愛犬は私の判断を恨んでいるんじゃないか、まだ死んだ事を理解出来ずに彷徨っているんではないか、知りたいし、愛犬の死と、どう向き合えば良いか、教えていただきたいです。宜しくお願いします

有り難し有り難し 6
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ