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死にたくないけど自傷、薬がやめられない

回答数回答 2
有り難し有り難し 17

はじめまして。
よろしくお願いします。

私は毎日毎日、夕方になるとなんとも言えない寂しさや辛さにより、毎日薬を飲みすぎたり、自傷してしまいます。
その気持ちを紛らわそうと趣味を作ったり、テレビを見たりしましたが、だめでした。

もういい大人なのに、恥ずかしくて親しい人には言えません。

病院には通っていますが、こんな生活を1年半ぐらい続けています。
もう、どうしたらいいかわからないです。

助けてください。
守るべき人がいるので、死にたくないです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

夕方の寂しさ・辛さは成長の証です。

はじめまして。亀山純史と申します。

あなたは毎日成長しています。もちろん一日で人間は大きく変わるわけではありません。毎日の変化の度合いは、目には見えないほどのものなのです。

そして夕方に寂しく感じたり、辛く感じるのは、その日々成長していることへの証であると捉えてはどうでしょうか。毎日、あなたは古い殻を脱ぎ捨てて成長しているのです。古い殻は色あせているので寂しく感じます。でもその殻は自分の殻ですから、それを脱ぎ捨てようとすると辛く感じるのです。

ですから、夕方になって寂しく辛く感じても、何も心配することはありません。寂しくなったら、辛く感じたら、手を合わせて「今日も一日を終えることが出来ました。」と、その日への感謝の気持ちを言葉にしましょう。それでOKです。あなたは確実に成長しています。

以上が私からの回答です。少しでも、心の支えになれば幸いです。

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有り難し
おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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星に、願いを。

お辛いことと、存じます。

夕方に訪れるというその不安のもとには、眠ることへの
不安もあるのかと存じます。

目をとじてしまうと、そのまま起きられない。すなわち
死んでしまうかもしれないという、不安の圧力が、あなたの
こころに訪れてしまっているのかもしれません。

死とはだれにも来る「明日」の世界です。

わたしたちの未来には必ず「死」があります。

でも、わたしもあなたも、そんな未来のことなどわかっていても
予定を入れたりしてしまうのです。
それは、「明日がくることを信じているから」です。

信じる、というのは、なにもかみほとけのようなものを
信仰することのみをいうものではありません。

守りたい人を守っていきたい、というこの願いもやはり
明日を信じる思いにつながるものです。

その明日が、善き日となるように、信じて願うか、
それとも、明日を恐れるあまりに、自分の「不安なこころ」
を信じてそれをいつまでも抱えておくのかは、
あなた次第なのです。

過去のなにか辛い出来事も、未来の事も、
いま目の前にあるものではありません。無いものです。

過去の辛さをそのままにするか、
それとも善き土台だったとするか、ここにも
信じる
という思いひとつが働くのです。
その信じるという思いを動かすのが「願い」や「祈り」です。

どうか、よき明日になるように。
自分だけではなく、縁のあるなしに関わらず、すべての
いのちに、よき明日となりますように。

わたしはいつもこの願いを、寝る前に手を合わせ、唱えます。

叶うかかなわないかが問題ではありません。
願うことが大事です。

あなたがいま、あなたに出来る事。その最小限度が、願い、祈り
です。
わたしもあなたに出来ることは、あなたにさちあれ、さちあれと
祈ることであります。さちあれ。さちあれ。合掌

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有り難し
おきもち

「自傷行為・リストカット」問答一覧

赤裸々に話したことを後悔しています

先日、アルバイト先の店長に、家族の悩みをいろいろと話してしまいました。 私の家族は仲が悪く、特に姉は、リストカットまでしています。 過去に警察沙汰になったこともあり、その事は内容が内容なので、誰にも話していません。 ですが、先日、アルバイト先の店長に、警察沙汰になったことや、姉がリストカットやパパ活に近いことをやっていることなど、やばいことをいろいろと話してしまいました。 私と姉はアルバイト先が一緒だったのですが、姉が就職にともない、アルバイトをやめるから、「姉に聞かれる心配はないだろう」と思ったからです。 しかしよく考えれば、姉は制服をまだ返却していません。 そのため、もしかしたら、そういう話をしたことが、ばれる可能性もあります。店長はそういう話を他の人に漏らすような人ではないと思うのですが……。 話してから、その事に気付いて、とても後悔しました。 また、あまりにも踏み込んだ話もしてしまい、とても後悔しています。 よく「心配事の96%は起こらない」「自分が思っている異以上に他人は気にしていない」と言いますが、それでも非常に後悔しています。 どうすれば良いでしょうか?

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

他罰を受けに行くという自傷行為

本日も、過去の罪についてのお話を聞いていただければと思います。 私は過去の問答でも何度も投稿した通り、多くの罪を犯した罪人であり、罪を自覚してからは日々、反省と懺悔に努め、また死ぬまでに少しでも世の中に善い芽を遺して死のうと、自分にできる善をつみながら生きている毎日です。 最近は罪悪感に酷く苛まれ何も考えられない、というようなこともなく、こんな私でありながら、朝日に照らされ健やかに生きることができています。しかしながら、何故そのように生きることができているかと言いますと、ある行動を控えていた(少し避けてしまっていた)からだと思っています。 それと言うのが、罪の意識を再確認するために、また自らを追い詰め罰を受けるために、私のような加害者を酷く糾弾し強く非難している言葉の数々を意識的に見に行くという行為です。その行為によって、少し気持ちが緩んでいるときや浮かれているときでも、今一度罪を認識し改めることができるのです。しかしながら、やはりどうしても心身を消耗してしまうため、最近は意識的に避けてしまっている節がありました。私は義務として、責任としてそれらから目を逸らしてはいけないと思っていながら。 それらには本当に多くの方の苦しみや恨みの感情が込められていて、どうしてもどうしても耐えきれずにおります。また、多くの方の恨みを目にする中で、私はそれら全てを背負わねばならない=私は忘れているだけでこれ程酷い行為の数々をやってきたのではないか?と少し錯覚させられつつあります。(実際そうである可能性もあり、自分の過去が本当に恐ろしいです。) 正直な気持ちを申しますと、苦しく辛い行為です。しかし、自己満足であり自傷行為であると分かっていながらその行為をやめた私は生きている価値のない・罪を何とも思わない屑人間に成り下がってしまうという思いが消えません。罪を犯したものとして、これ以上悪に心許してしまったらいけないのに。 心の中の私(かもしくは誰か)が、「非難・糾弾を受けとめろ」「見に行け」と話しかけてくるような思いです。 この私の行為について、お坊様方の客観的な御意見をお聞かせいただけたらと思っています。 また、常日頃から罪を忘れずに生きる心構えについても、お聞きしたいです。 乱文、長文失礼致しました。最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

アームカットの跡について

最初に言っておきます。 不快になる方もいらっしゃるかもしれませんので見る時は覚悟して見てください。 現在、転職活動中です。 しかし、4ヶ月間(3月から6月まで)親に甘えており、アルバイトせず、家事のことも全然してきませんでした。 7月中旬、母からお説教があり、自分一人で生きていくために考えて行くようになりました。 ただ、私には、一つ後悔があります。 それは、先程書いた母からのお説教の時、自分の心だけではどうしようもなくなって、ハサミでアームカットをしてしまいました。 右太ももにも傷があります。 力加減を強くやってしまったので、未だに消えてません。 1週間くらいしか経ってませんが、完全に消えそうになく不安です。 衝動的にやってしまってとても後悔しています。 学生の頃、消える程度の自傷行為はしていました。それは、今までの自分の考えは、自分の身体は傷ついても、他人は傷つかないからいいと思っていました。 自分が辛い時は、心も身体も自分で全て背負ってしまえば誰の迷惑も心配もかけないという考えがあったからです。 ただ、今回のなかなかすぐには消えない跡を作ってしまって、とても後悔と反省をしています。 これからは、自傷行為をしないで生きようと考えています。 もし、今後、とても辛いことがあった時、 私はどのような考えを持って生きれば良いでしょうか? そして、アームカットの跡、太ももの跡ざ消えなかった場合、人に対してどのように説明したら良いでしょうか? 沢山の方々の意見を参考にしたいです。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

自分を傷つけてはいけない理由とは

自分を傷つけてはならないのは、なぜでしょうか。 私はストレスが溜まった時や、溜め込んだ感情が爆発しそうになったときに自傷行為をしてしまいます。 過量服薬により何度か病院に運ばれ、現在は入院しています。 私が何度も自傷行為を繰り返すことには、理由があります。 一つは、自傷行為をしてはいけない理由が分からないためです。周りの人には、自分を傷つけるのはよくない。もっと自分を大切にして。あなたが傷つくのを見ると悲しい。などと言われます。たしかにそれももっともだと思います。私のためを思って言ってくれているのだと分かるのでとても感謝しています。 けれども、どうにも納得がいかないのです。 私はこれまで周囲の人たちから傷つけられてきました。他者は私を傷つけるのに、なぜ私は私を傷つけてはいけないのでしょうか?それがいまいち分かりません。 二つ目は、自傷行為を悪いことだとは思っていないためです。よく、他者を傷つけるのはよくないと言います。私は他者を傷つけてはいません。ストレスや感情が爆発して、他者を傷つけるくらいなら自分を傷つける方がよほどましだと思うのです。 それに、もし自傷行為が原因で命を落としてしまったとしても、そうなったのは自分の責任だと思います。死のうが生きようが、それも自分の選択だと思うのです。 どうして周囲の人が私を入院までさせて自傷行為を止めさせようとしているのか分かりません。 今は自傷行為を別の代替方法に置き換える練習をしています。ですが、そもそも自傷行為をしてはいけない理由がよく理解できていません。そのため、練習自体も渋々といった感じで行っている状態です。 私に、自分を傷つけてはいけない理由を教えていただけないでしょうか。

有り難し有り難し 31
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衝動的な自傷行為、夫を悲しませてしまった

はじめまして。宜しくお願い致します。 私は自分の人生全てにおいてコンプレックスを抱いてきました。育った環境を恨んで生きてきたと言っても過言ではありません。 友人たちが何不自由なく生きてきたのを見てなんてことない顔しながら心の中は嫉妬でいっぱいでした。 だけどそんな自分の生い立ちなど絶対知られたくなくて周りと同じように育ってきたかのように振る舞ってきました。 自分の弱みを隠して人に迷惑かけないように嫌われないようにしていたと思います。 そんな時、私の過去や生い立ち全てを理解してくれた夫と出会い、3年前に結婚いたしました。 結婚当初は夫と話すことで自己嫌悪になることも徐々に減り穏やかに過ごしていたのですが、昨年あたりから不眠症に悩まされ、将来や明日のことを考えると高揚して全く眠れなかったり、無気力になる事も増え、あまりにも体の不調が続いたため勤めていた会社を退職し、精神科を受診致しました。 その結果、双極性障害(躁鬱)と診断されました。 夫も理解してくれ、薬とうまく付き合いながらこの1年間過ごしてきましたが、先日どうしても不安な気持ちに苛まれてしまい、夜中に包丁で自分を傷つけてしまいました。 すぐに寝ていた夫が気づいてくれ救急車を呼んでくれたのですが、物凄い勢いで私を怒り、今まで見たことない悲しい顔をしているのを見てとんでもないことをしてしまったと思いました。 正直こんなことをしてしまったのは初めてで夫も私自身も驚いたのと同時に自分が怖くなりました。 二度と夫にあんな悲しい顔をさせたくないという思いで、自分と向き合いカウンセリングなども行っていますが、どうしてあんな行為をしてしまったのか未だにわからないのです。 心の奥底にある黒いものを捨てなければ私はこの病気から脱却できない気がして辛いです。 これからどうやって自分と向き合っていけばいいのでしょうか?ぜひお力をお貸しいただきたいです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

自傷は許されないことなのでしょうか。

私は小学6年生の元日、初めてアームカットをしました。 頭の中に砂嵐が流れ視界が黒ずんでいるような感覚で、まともに考えられず傷つけてしまいました。 傷つける寸前、初めに「死にたい」と思い、次に「死にたいわけじゃない」「傷付ければ今までの償いになる」と言い訳をしました。1度目は滑らせただけでしたが、その時点で「こんなことをしても償いになるはずがない、むしろ罪を重ねているのではないか」と思い始めました。しかし、「中途半端は嫌、どうせなら血が出るまで」「切れば報われる」「今までの辛さはこんなものだったのか」と自分に言い聞かせ何度も切りつけました。途中「傷が残れば皆に私が今まで耐えていたことを認めてもらえる」と考えが浮かび少し嬉しくなり、そんな自分が怖くなりました。血を見て焦りました。もう後戻りはできないと感じました。 耐えきれず、すぐに母に私の行いを告白しました。懺悔のつもりでした。母は母自身を責めていました。そして私を叱ってくれました。その日私はもう二度としないと母と約束しました。 しかし、中学1年生になり、また傷つけてしまいました。1度目の傷が薄くなっていくことに不安を覚え「自分は今まで耐え、頑張ったのに認められない。それに姉にばかり注目がいく、切ればまた私を見てもらえる」と思ったからです。姉は何も悪くありません。私が勝手に姉を僻んでしまったのです。皆口を開けば一言目は姉で、私のことは話にすら出ないこともあり寂しかったのです。 その日から恐らく百何十回と切り、ほとんどが消えない傷として残りました。 ある日、ネット検索をしている時に"仏様の体に傷をつける"ことが大罪になると記載されているのを見ました。 私は「人は死後仏様になると聞いたことがある。なら生きている今、自分の体を傷つけることも大罪なのではないか」と考え、焦り、不安、恐怖、後悔が押し寄せました。 そして、自傷に対する仏教的なお話を伺いたくここへ書き込むことにしました。 初めて切った日が元日なことにも罪悪感を覚えています。元日を選んだ理由はなく、偶然その日に我慢が切れてしまったのです。 今年の元日からアムカはしていません。しかし、心療内科の薬を過剰摂取してしまいました。 心配されずとも、私の辛さを家族や先生に理解して欲しかった。 こんな私は死後、地獄に落ちるのでしょうか。許されないことをしてしまったのでしょうか。

有り難し有り難し 24
回答数回答 3

何歳まで支えてあげればいいのか

昨夏に高校生の長女が行方不明になり保護されてこちらに相談させていただき、その際は優しい言葉をかけてもらいありがとうございました あれから心療内科に親子で通いカウンセリングを受け私も接し方を変え夫にも協力が見られ家庭では落ち着くようになりましたが不登校になり通おうとすると吐いたり泣いたり送迎しても降車しなかったり 送り届けたと思ったら早退になったりと 限界を感じ休学か転学を勧めても嫌がり八方塞がりでした そのうちリストカットも始まり 心療内科に駆け込んだら発達検査を勧められて軽度の自閉症とわかりました 赤ちゃんの頃からとにかく育てにくく 苦しかったのは特性があったからかと 腑に落ちることばかりで 退学でも何でも本人が生きやすいようになればと伝えました 寝てゲームしては時々出かけ友達とも遊んでいます これまで干渉され続けたのがストレスと言うので自由にさせていますが 高校から連絡があり もう単位が取れず卒業出来ないので 退学か転学を迫られています 高校にはだいぶ無理を言って支えてもらいましたがもう限界のようです 私たち夫婦も何度も話しに行き最大限配慮してもらい申し訳ない気持ちです 本人も転学して高校卒業はしたいと言うのですが学校などこちらから薦めると嫌がるので自分で選んでと言うとリストカットします そしてお腹空いたと食べては吐きます 毎月通院しても薬も時々しか飲まずカウンセリングも本人が苦しさを口に出さないのであっさり終わります 中学までは優秀で進学校に付いて行けなかったのが堪えているようですが 特性のせいなのか幼少期から宿題など 出されたものを仕上げることが出来ず 出来ないまま登校となるとパニックを起こし今もあまり変わりません カウンセラーからは もう18歳なので本人が決めるまで待っていて良いと言われ私たちもそう思っていますが本人は葛藤があるのか 気分の落ち込みが酷く 良いときは家事をしたりと元気ですが 突然死んだ魚のような目をし リストカットしては寝ています 優しく背をさすってもほっといても同じで 何をしてもこの子供には通じない登校思ってしまいました もう1人子供がいますがそちらは持病があり入退院を繰り返しているので 体力が限界です 好きなだけリストカットして いつか前を見れたらと思いますが 甘いのでしょうか 病院は3件回りましたが入院させる程ではないようです

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