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自分を変えるための人生再スタート

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有り難し有り難し 40

「ハスノハ」を知って、自分の弱さに渇をいただきたく質問いたします。

今日はこれをしようとか、今できることは今しようという気持ちは常にあるのですが、ほとんどは周囲の誘惑に負けてしまいます。

私に潜む悪い私が、後でも大丈夫、平気、平気と先送りを促すかのように、善い私が無意識にも引きずりまわされているようです。

結局、後の祭りで気がついたときは自分のとった行動に後悔する結末です。やらなければ、目的を達成できたのに、やらなかった自分に苛立ちを感じる毎日です。

大人色に染まっていない時は、失敗を恐れず学問や夢に向かって瞳を輝かせて努力をしていたのに、恥ずかしながら今更このような愚痴をこぼしても、もう立派な大人だからしっかりしなさいと呆れられるところでしょうか。

人って甘い蜜を吸うとなかなか元の道にたどり着けなくなる傾向にあるように思います。最近の私は自ら現実逃避して、そうした自分に善悪を言い聞かせながら、何でこんなことをやっているんだろうと本当の自分を見失いかけています。

お坊様は冷静にも落ち着いて修行や日常のおつとめを行っていらっしゃるのに、今の自分が嫌で嫌で仕方がありません。

前置きが長くなりましたが、私の意思が弱い自分に負けないように、心新たに人生の折り返しを再出発するためのご助言を頂戴したく、ご回答のほど、よろしくお願い申し上げます。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

愚や愚や、汝を如何せん

この世界のあらゆる事物には原因と結果があります。原因の無い結果はありません。世界は原因と結果の網の目のような繋がりによって成り立っており、我々もまたその網の目の1つです。

私たちはただただ、原因を積み重ねていく事によって生きています。
誠実に生きれば善い自分になり、不誠実に生きれば自らの首を絞めながら反省できない自分になります。これを仏教語で自業自得といいます。

自業自得と言いますと、悪い事をしたのは自分のせいでしょというようなイメージがありますね。それも自業自得ですが、反面、善い自業自得もあります。

別に立派な聖人君子になる必要はありません。これだけ覚えてください。
「悪い自業自得は自分で自分を苦しめる。そんな生き方バカバカしい。善い自業自得は自然と楽になる。だからやるべき事やった方がほうが楽。」これだけです。シンプルでしょう?

肩の力を抜いて、愚かだからやらない。賢いからやる。これだけシンプルだからできる。仏教、有り難し。

字数が余ったので強化付けします。グサっと行きますよ?
先ほど原因と結果の話をしましたが、結果には3種類あります。
今すぐ現れる結果、近い将来に現れる結果、遠い将来に現れる結果です。これを「三時業」(さんじごう)と言います。道元禅師はこの三時業をわきまえないで現実逃避をするような連中は「邪見の輩(ともがら)」だからお友達になってはいけませんとおっしゃっています。

三時業をわきまえないと物の考え方が頭のネジが飛んでるようになるだけではなく、実生活が地獄に堕ちたような悪循環になって、長きに渡って苦しみますよと口を酸っぱくして忠告なさっています。

抜け出せないほどの悪循環になる前に気付けて良かったではありませんか。三時の業を心に刻み、愚かだった自分と絶縁断交しましょう。あなたの懺悔はhasunohaが受けました。今からあなたは別人です。頑張りましょう。お坊さんが応援しています。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。

原因と結果の繰り返しの毎日。生まれてからこれまで何かの原因を造りだし、何かしらの結果をもたらし成長してきたのでしょう。

今日から自分との戦いになりますが、過去は過去として三時業を覚えて、中長期的な視野を見据え毎日の結果を積み重ねて参りたいと思います。

私の存在を一人のお坊様でも認めていただき、理解いただいたことに感謝し、私もこちらで質問した以上、裏切りのない行動をいたします。

ご多忙にもかかわらず、ご回答いただきまして誠にありがとうございました。

心が折れ曲がりそうなとき、駆け込み寺として、またご助言をいただけたら幸いです。

ありがとうございました。

「自分を・性格を変えたい・直したい」問答一覧

生きづらい悪い性格を良くしたいです

自分の悪い性格を変えたいです。 私は咄嗟に出た言葉で人に勘違いをさせて嫌な思いをさせてしまうことが多いです。私は傷つけるつもりで言ってなくても、言い方や表現が悪いせいで相手が傷ついてしまいます。 それだけでなく、わざと傷つけるような発言をしてしまうこともあります。これは私の性格が根本的に悪いことが原因だと思います。 子どもの頃から怒りっぽい性格で、イライラして暴れることもありました。それくらい性格がもともと悪いということです。 両親の仲がよくなかったことや、転校して不登校になったことも悪い性格の原因のような気もしますが、そういった辛い出来事がなくても、きっと根っからの悪い人間です。 数年前に気分障害になってからさらに性格が悪くなりました。 人のせいにすることも多くて、ネガティブな考え方ばかりして、すぐに怒って、愛情を持てません。自分の利益ばかり求めて、人のために何かをすることができません。 だから仏様はどうしようもない人間の私が人を傷つけないようにそばにいてくれているのだと思います。 穏やかで優しい人を見ると、うらやましくて、憧れと嫉妬もあって自分がとても惨めに感じます。良い人の周りには良い人が集まるという考えがあります。それならば私は悪い人間だから私の周りには誰もいないか、悪い人だけ集まるということなのでしょうか。 どうしたら穏やかで優しい人に変われるのでしょうか。仏教の勉強をしても、実践が難しくて、頑張っても悪い性格が治りません。 良い性格になるための教えがあったら教えていただきたいです。 わかりにくい文章でごめんなさい。 頭が悪いから、人に伝えるのが下手です。 まだ20代前半で、これから長いこと生きて行く可能性も高いのに、今のままでは生きていくことが辛いです。

有り難し有り難し 7
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寄り添ってもらえなかった心

こんにちは。 いつもお世話になりありがとうございます。 季節の変わり目のせいか、自分が更年期も含めて不調なせいか、気持ちが落ち込む日が続いています。 ふと振り返ると、義理の両親との同居生活で辛かったとき、夫は仕事に集中していて私の苦労には無関心で寄り添ってくれませんでした。 孤独で責任感に押しつぶされそうでも他人事のようで、その姿に怒りや悲しみでいっぱいでした。 また実家の父が亡くなった時には、母は自分一人が悲しみのパニックに陥って、一緒に悲しみ苦しかった私を一度も気遣うこともなく、亡くなってからもそれは続き『共に』という考えはなく私には寄り添ってはくれませんでした。 いろんな悲しみや辛さを一人で心の中にしまいこみ、寄り添うべき相手から寄り添ってもらえなかったことが今でも深い傷になっています。 後になって相手に私の気持ちを打ち明けてみれば、一応形だけは反省する気持ちを見せてはくれますが、どうしてもその時の癒しにはなりません。 誰にも精神的な力になってもらえなかったことは、今生きていることへの無力感や虚しさにとても大きな影を落としている気がします。 どうしたら自分を立て直すことができるでしょうか? なにかお知恵をお貸しいただけたらと思います。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
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強すぎる規範意識に苦しんでいます。

神経質でルールに厳しいところがあり、グレーを許せない性格をしています。強迫性障害として現在は治療も受けているのですが、根本的に物事の捉え方を変えたいと思っています。 法律はもちろん、例えば「取扱説明書」に書いてある指示や、「利用規約」、会社の規定など、言葉に表されたルールや指示が存在すると、自分の行動がそれに反していないか、あるいは過去の行動がそれに反していなかったかと何度も言葉の解釈を検討したり人に聞いたり確認したりを繰り返してしまいます。 もちろん明らかな犯罪行為とか、他人に迷惑がかかるマナー違反などはやるべきではないと思いますし、ルールを守る意識があること自体はむしろ良いことだと思います。 しかし世の中、取扱説明書や利用規約は読まない人のほうがおそらく多いですし、はっきり言って商品の説明書の注意事項など、書いてあることを言葉通りに受け取って厳密に解釈・実行していたら、まともに生活ができなくなるんじゃないかと思うほどですよね。 とは思っているのに、「この充電の方法で合っているのか?」「この洗濯の仕方で良いのか?」などと細かく確認し、少しでも疑いがあるとやり直したり、厳密に正しいと言えるやり方に限定したり、どんどん生活が不自由になっています。(普通に考えて、ただのシャツを1枚ずつ個別に洗濯機で洗ったり、家で延長コードを全く使わなかったりする人なんてこの世にいるんでしょうか。) そして、誰かに迷惑がかかったり、事故が起きたりしたわけでもないのに、自分がとても悪いことをしているという意識に苛まれます。 最近は、数年前に知らずに法律違反を犯していた可能性があったことがきっかけで、知らない法律や規則があって、自分の行為は実は禁じられているのではないかなどと考え事をしたり調べごとをしたりする時間が増えました。 元々の性格もあるとは思いますが、少し前まではもっと大雑把な感じだったと思っていて、もう少し気楽に生きたいです。杓子定規により厳しい方に決まりや指示を解釈し、自分を縛るのをやめ、なんでもないことに罪の意識を感じたりしないようにしたいです。 治療も続けていますが、波はもちろんあるものの全体としてはあまり改善している印象がなく、考え方や物事の捉え方を変えたいです。もちろん医師にも相談はしますが。 何とか肩の力を抜いて生きられるアドバイスをいただけないでしょうか。

有り難し有り難し 8
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ