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仏心とは?

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有り難し有り難し 32

仏心ってどんなものですか?
仏様のようになりたいというのはどういうことでしょうか?
今までかんがえたことがありませんでした。

自分らしくというのは 簡単なようですが、
私の場合 単なる自分勝手で我侭なだけのようで
何よりの証拠に楽しくありません。
自分らしく生きている人って 基本的には自己満足できているように思います。

そこで 生き方にも目指すものがあるとズレの修正がきくような気がするのですがどうでしょうか?
例えば仏様のようになりたいと考えた場合、仏様ってどんな人、どんな存在か 普段身近ではないので教えてもらいたいと思います。

身近な目標としてよく母のようになりたいとか先生のような人になりたいとかありますが、私の場合 母は反面教師で絶対なりたくない見本でしかありません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間 と 仏 の違い

「仏となるに簡単な道がある。自分を苦しめるもろもろの悪を心の中で生み出さず、人間的な良し悪しに執着する心なく、一切存在の為に憐れみの心を深くし、先を敬い、後を憐れみ、どんなことも嫌う心無く、求める心無く、憂いの心もなく、その思い自体もない静かな心。これを仏心といい、仏という。」(道元禅師 『正法眼蔵 生死の巻』より意訳)
素晴らしいですね。まさに菩提心の眼ざめです。
今までは本当にご苦労を重ねられました。今回の心境の変化、大変うれしく思います。「煩悩の泥多くして蓮の花、大なり」
苦しみを持てば持つほど幸せややすらぎ、菩提を求める心も大きいのです。
その心こそ仏の灯明、菩提心、一条の光、一生宝になさってください。
私も苦しみのどん底から這い上がりたいと思ったその日からずっと保ってきています。おめでとうございます。
〇人間の自我、エゴ、わがまま、欲を優先、先行させた生き方を人間的と言います、
 自我やエゴ、我がまま。欲は人間を苦しる恐ろしいものであることを悟り、それから離れようとする生き方を仏道的、と申します。
〇簡単に言うと仏になるとは、自分中心の心を無くし、悩みや苦しみを無くし誰にとってもイイ人、やさしい人になるということです。
〇神様にはなれませんが、仏様にはなる事ができます。
〇仏とは、人間的な我欲を優先させないので、迷いや苦しみから縛られなくなります。
〇仏様とは、自分を深く学び慈悲と智慧の力で人の心の苦しみを取り除ける人です。
〇人が作った法を、人法といい、人が作ったものでないものを仏法といいます。
〇よって、自分サイドを主人公、主流とせず、自分も大自然の一員なのであるから、天地自然サイドを主流とした生き方をすると心はエゴに縛られなくなり安楽です。
さらなる具体的な質問をお待ちしています。

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有り難し
おきもち

菩薩として

空海花さま
なごみ庵の浦上と申します。
今回はとても難しい問いですね。

仏心の前に仏教についてです。
仏教とは「仏さまが説かれる教え」であると同時に「仏になる教え」でもあります。
つまり仏教者のゴールは、方法は様々ですが「仏になる」ことです。

仏になることを目指す者を「菩薩」と言います。
観音さま、お地蔵さま、弥勒さま。みんな正式には「〜〜菩薩」というお名前です。
仏を目指しているのですから、私たち僧侶や仏教者の大先輩です。

菩薩さまにはそれぞれ個性がありますが、共通点もあります。
それが「四弘誓願(しぐぜいがん)」、つまり4つの目標です。

1:衆生無辺誓願度…全ての人々を救おう
2:煩悩無尽誓願断…全ての煩悩を無くそう
3:法門無量誓願学…仏の全ての教えを学ぼう
4:仏道無上誓願成…仏の道を究め尽くそう

いかがでしょう、どれか達成できそうなものはありますか?
私には、どれも達成出来そうにありません。
菩薩の目標を達成出来ないのですから、私は仏になることは出来そうにありません。仏ならぬ私には、本当の意味で空海花さんに「仏心とはこういうものですよ」とお伝えすることは出来ません。

でも、遥か遠い目標であっても、仏になることを願う者、つまり菩提心を抱く者は菩薩です。
自分の限界を知り、自分の至らなさに気付く。菩薩さまや仏さまのように生きることなど、到底無理なのだと気付かされる。
でもそんな自分を引き受けて生きる覚悟が定まった時、私たちはひとつ強く、ひとつ優しく、菩薩としての道を生きていくことが出来るのではないでしょうか。

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有り難し
おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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質問者からのお礼

丹下様
毎回ご回答ありがとうございます。
前回の葛藤の巻について何度も読み直しています。

今回のご回答では 仏心を手に入れるのは
我を失くす、自分の存在は自然の一部、ということだと思われます。
少し難しいのですが、現時点の私の解釈では 
極論ですが 相手が夫であれ母であれ、どんな関係であっても 
仏心になるということは好き嫌いという判断をせず、感情を込めず 
淡々と対応するということでしょうか?

夫の口癖は<ないものはない>でした。
私は<ないもの(=必要なもの)は知恵を出せば手に入るはず>という考え方だったので
とても反発していました。

私は嫌いだったら距離をとり 会わなければいいと今まで思っていましたが
実際 夫が私に対してそれを実行された時に本当に参りました。
話し合いも同時に拒絶されたのでどうしようもなく 夫の<ないものはない>を実感しています。

さらに 最悪なのは 夫が私に離婚を自分から行動に移してこないので 
言葉は悪いのですが生殺しです。
私も母を見捨てる生活を始めることができません。

私にとっての喜び、楽しみを与えてくれる人が
今後 夫でないことは本当に残念です。
もう少し時間がかかりそうです。
誰か夫に代わる人がいれば 悲しみや寂しさから救ってもらえるだろうと思うのですが、
そういう期待をするのはやめました。自分の寂しさや悲しみは自分で考えるしかないようです。

自分の心を守るためには 他人に期待せず 関心を持たないということでしょうね。
ありがとうございました。

丹下様
何度もご回答ありがとうございます。
私の執着が強いのだと思っています。
もはや夫への愛情ではなく 自分自身への後悔をどうにかしたい。
どうにか修復したい、自分のためにです。

最近 写真を整理していて またも後悔の念がさらに強くなってしまっています。
考えないようにしているのですが 本当にダメです。

「仏教全般」問答一覧

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ