hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

いまいちよく分からない

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

いつもお世話になってます。

私の家は代々仏教を信仰しており、浄土宗だったと記憶しています(法事などで呼ぶお坊さんがそういうお寺だったはずで…)。

そして、私の父方の祖父が、お寺、という形でしっかりとした場所を持っている訳では無いのですが、僧侶の資格を持っており、資格をとる際には天台宗で学んでいます。

私を含め同居する家族などが、命ある人間ですから、いずれは亡くなることもあるかと思うのですが、こういった時って、浄土宗と天台宗と、どちらの宗派に則って葬儀などは行うべきなのでしょうか?

また、そもそも宗派によって葬儀などの際のお経などや葬儀の方法など何か違いがあるものなのでしょうか?

ふと疑問に思ったので質問させていただきました。
よろしければご回答よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

御祖父様のお気持ちを確認し、菩提寺と相談

 曹洞宗の吉田俊英と申します。確かに、あまり例の無いことですから、いざとなった場合戸惑うと思います。

 私の寺の檀家さんで、他宗の僧侶となって修行し、他宗の寺の住職を勤めた方が居られました。住職と言っても、専任の住職があまり居たことが無い、檀家の少ない田舎の寺だったそうです。結婚して子供さんもおられたので、その方は子育てをしていくために他の職業に就く事を選択し、住職を辞められました。そして、教員やサラリーマンなどの仕事をして老境を迎えれ、亡くなられました。
 葬儀の際、御遺族に「住職を辞める時に、僧侶や住職の資格は返上したのですか?」と尋ねましたが、御遺族はは「わかりません。」との返事でした。そして、「普通の檀家として戒名を付けて葬儀していただければ、結構です。」と言われましたので、普通の檀家としての戒名をつけ葬儀をし、当寺境内の墓地に埋葬しました。
 尚、戒名を付けるに当たっては、その方が僧侶であった時の名前を使わせていただきました。○○□□和尚と書くべきところを○○□□居士とし、引導法語(漢詩の形で故人の生きてきた歩みを語り、仏の世界に行くに当たっての贐の言葉を唱える)には僧侶としての修行歴や住職をした経歴も入れました。

 さて、御祖父様の場合、上記の方の場合とは異なりますが、参考にはなると思います。

1、御祖父様の気持ちの確認
  天台宗の僧侶として葬儀をしてもらい、その後の供養も天台宗の僧侶として行ってもらうことを願っているのでしょうか?もし、そうならば、万が一の時は御祖父様が僧侶になられたお寺さんに事前に相談し、葬儀の進め方やその後の供養の仕方を理解して居た方が良いでしょう。
 しかし、御祖父様はそこまで考えてはいないと思います。亡くなった時は、浄土宗の菩提寺のお世話になるつもりではないでしょうか?

2、菩提寺との相談
  菩提寺に、「天台宗の僧侶となっている」ことを伝え、「浄土宗の寺の檀家として先祖の墓に入れてもらいたい。」意向を伝える。このように伝えれば、菩提寺さんも天台宗の僧侶であったことを尊重しつつ、檀家さんとしての葬儀を勤めてくれると思います。
   

{{count}}
有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

長らくお礼を書き込めず申し訳ありません。
この回答をいただき、父などに相談してみたところ、曽祖父も同じような形で僧侶となっており、今回と同様の状態になったと聞きました。
曽祖父の時とまた違う意向を持っている可能性もあるため、もしもの時にはしっかり相談して決めたいと思います。
本当にありがとうございました。

「葬儀」問答一覧

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 8
回答数回答 2

母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

有り難し有り難し 9
回答数回答 1

檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ