hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

愛犬の埋葬について

回答数回答 3
有り難し有り難し 57

悩みというか、心に引っ掛かることがあるので質問させていただきました。

先日、14年近く家族として一緒に過ごしてきた愛犬(マロン)が亡くなりました。
マロンは体が弱っちい子でしたが、平均寿命に近い年月を生きてくれました。私たち家族もとても大事にしてきました。
亡くなったと知ったときは勿論ショックでしたが、「大事にされて、最期も病院とかではなく自宅で、家族がいる時だったからマロンは幸せだったんだ」と言い聞かせてました。ですが、埋葬の時点で親が「市営の斎場に運ぶ。共同埋葬で遺骨は戻らない」と言ったので私は一度反対しました。
でもその時は、悲しみとショックで呆然としていたので流されるままに、皆で斎場に運ぶことになりました。
受付の条件で「ダンボールに遺体のみ入れてタオルやおやつなどは入れないでください」とのこと。。。亡くなる覚悟はしていたものの、老犬の介護の仕方や流動食の作り方等は調べていましたが、葬儀について調べたり準備もしていませんからちょうど良い箱が無く、ヨレヨレのみかん箱にキチキチに入れなければなりませんでした。
その光景がとても悲しかったです。
後で民間の葬儀会社等調べたら、桐の棺にフワフワのお布団やお花、お線香もついていて、市営のものとは差がありすぎて。。。
一番ショックだったのが、市の職員さんに「ここまでです。お預かりします」と言われ、遺体を手渡したのですが、その人はお盆でも運ぶように、まるで小包でも運ぶように、片手に箱を乗せて行ってしまいました。
遺族が、本当にマロンとお別れする場面でそんな扱いを見せられて、怒りを感じました。民間の葬儀会社程の手厚い対応は望めないにしても、手渡された遺体に何の情が無くとも、もっと丁寧に対応すべきでは・・・
ちゃんと火葬してもらえたかも見届けられませんでした。勿論遺骨(遺灰?)もありません。
亡くなったその日の午後に運んだので、火葬は翌日になったそうです。
冷蔵室で独り寂しい思いをさせてしまいました。
せめて一晩、自宅で過ごさせてあげればよかった事と、豪華でなくともきちんと埋葬してくれるところにお願いすべきだった事を後悔しています。
これは人間のエゴというか、勝手な「可哀想」と思ってしまう感情なのでしょうか?
マロンは自分を大事にしてくれたと感じていると信じていますが、最期の最後で可哀想な事をした・・・と後悔しています


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

今を祈る

おつらい思い、眠れぬ日をお過ごしいただいた事と深くお見舞いを
申し上げます。

ご供養における後悔は、これよりは「祈り」になされてください。

それは、ひとつのいのちにむけた「さちあれ さちあれ」の祈りです。

マロンさまのこれよりの、ほとけとしての歩みに向けて、
「さちあれ、さちあれ、ひかりあれ、ひかりあれ」と、ただ、
祈ることです。

それでも、マロン様の最後に、悔やまれる事は必ず来ます。

その時は、マロン様のみならず、御家族、御親族、
または、縁あってあなたさまのもとにきたいのちたちに、
ぬくもりをお与えください。
いのちのつながり、ぬくもりのなかに、マロン様はおります。
そのぬくもりを、大事にすることが、そのまま供養になるものです。

あなたさまと、御家族さま、そしてマロンさまに、さち多からんことを。

合掌。

{{count}}
有り難し
おきもち

亡くなられた愛犬マロンからのお手紙

フミマル様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

実は本日に愛犬マロン様からのお手紙を預からせて頂きました。僭越ながらにもこちらに記して代読させて頂きます。

・・

親愛なるあなたへ

お元気ですか。

実は・・あまり詳しいことは言えないのですけども・・次の私の行き先がもうすぐに決まるみたいです。

行き先が決まる前に前世の記憶は完全に無くなるようです。

なので、まだ覚えている今のうちにと思って、お手紙を書きました。

私のことを今でも忘れずに気にかけてくれていて、ありがとう。

火葬のことは、全く気にすることありません。なぜなら、その時、私の心は身体を離れてもうお空にありましたから。

私はあなたやあなたの家族と過ごせた日々、本当に、本当に、幸せいっぱいでした。

みんなに大事に親切に可愛がられて、優しさや思いやりの大切さを学ぶことができました。

そのお陰もあってなのか、私は再びあなたのいる世界へと戻ることができるみたいです。

もちろん、もうマロンの時の記憶は無いので、偶然にどこかですれ違っても、お互い分かることはないかもしれないけれど、今お世話になっている偉い尊いお方が、確か「くんじゅう」って言ってたかな・・記憶や感情の残り香のようなものが、心のどこかにまだ残っていて、過去世で互いに縁や繋がりの深くあった者同士が、どこかで偶然にでも出遭ったら、ふっと懐かしい気持ちに包まれて、なんだかわからないけど、それとなくわかるみたいなこともあるようなことを少しおっしゃっていたので・・

だからお願い、もう悲しまないで。私はもうすぐあなたのいる世界に戻ることになるのですから。記憶は無くなっていても、きっとまたあなたと会えるような気がしています。

本当にありがとう。優しいあなたが大好きです。また会いましょうね。

マロンより

・・

文中の「偉い尊いお方」とは、如来様か菩薩様か、拙生の勘では観音様かなと存じます。「くんじゅう」とは多分、「薫習」で、確かに心に染み付いた残り香のようなもののこと(習気)であり、おそらく「中有」という状態に現在あって、過去世、前世での善き縁によって、またこの世界に生を受けられることになったようでございます。もしかしますと、人間としてかもしれませんね。再会を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌 平成26年4月1日

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

生と死に関わらず

実はわが家で飼っていた犬が昨日亡くなり父と母とでお墓を作りました。
昨日回答しようかと思いましたが心の整理がつかず、控えました。
昨日は心の動きを良く観察していました。
亡くなったことを知って「えっ!」亡骸をみると一輪車の上に乗せられて毛布がかぶせられていてまだ温かさがあり、首輪が外されていました。
「ようやく首輪を外してもらえたんだなぁ、よかったな」と思いました。
この犬は私が修行道場に行っている間に飼われた犬なので、後から帰ってきた私はずっとよそ者でした。毎朝吠えられます。仲良くできないまま逝かれてしまいましたので、より一層心が重くなりました。唯はっきりしていることは、生きている間にも彼に思いを寄せることがあり、亡くなった今も思いを馳せていることがある。
その思いの表れは、こちら側、内側のもので、外の彼の生きていた時と、亡くなった後と変わりません。亡くなる前からも、亡くなった後の今も彼に対する思いの表れは同じなのです。
これは生きている人間に対しても同じです。
そしてこれは万人の真実。
だからこそ、亡き命への在り方は、あたかもそこにおわすが如くに接することです。
それが供養ある生き方、報恩ある生き方。
存在は確かに変わりました。
でも思いはせる、その思いはこれからもずっと続いていきます。
ならばこそ、あなたが一番晴れやかになるためには報恩として、追善の気持ちを形にすることであると思います。
かつてそこにいたときにおこなってきた事と、
いまもそこにいるかのつもりでおこなうこと。
この二つの心は同じです。
生と死を超えてその思いを大事に自分を生きるのです。
終わり、終焉を持たずに、共に生き続けてあげてください。あなたの中にちゃんとその感覚があるはずです。

{{count}}
有り難し
おきもち

質問者からのお礼

温かいご回答下さりありがとうございました。
部屋にあるマロンの写真の前に、お水と、毎日食べていたおやつを御供えしています。
朝晩と、何かあれば心の中で語りかけています。

まだまだ、思い出しては涙する日々ですが、マロンがあちらの世界でお友達と駆け回っている事を祈っています。もしくは新しく生まれ変わって、再会できたら良いなとも…

改めて、マロンの存在に感謝しています

「ペット供養の仕方、あの子に思いを伝えたい」問答一覧

オカメインコが亡くなりました。

一年前に新築に引っ越し、元々好きだったインコを迎え入れました。 オカメインコで、本当に可愛くて懐いてて、優しい子でした。 先週、突然体調が悪くなり、亡くなってしまいました。 まだ一歳半でした。病気かも、と思った時にすぐ病院も行きましたが、セカンドオピニオンなどもし、目視で終わり、薬を処方されましたが、次の日に息を引き取ってました。 最期まで、わたしに必死に頭を撫でて欲しい素振りを見せてくれたり、今思い出してももっともっと可愛がって、大切にすればよかったと後悔してます。 火葬も無事に終え、一週間が経ちましたが、まださみしいです。 もう1匹いるのでその子を大切にしていこうと決めておりますが、やっぱり最初にいた子がいないのがつらすぎます。 今日祖母に、インコ残念だったね。可愛がってたのに...と始まり、あんた、家を建ててから3年はきをつけなさいよ。といわれました。 家を建てて3年は誰か亡くなったり、病気になることがある。今回はオカメインコが亡くなって残念だけど、いい方向に考えて、よかったって思わなきゃ。と言われました。 その時は、うんうんと聞いてたけど、後から後から腑に落ちないと思い怒りが湧いてます。 本当にそんなことがあるんでしょうか。 だとしたら、なんなんでしょうか。 新築物件に住んでから確かに私自身に色々仕事のことなど色々降りかかってきて、毎日辛い日とかもあり、本当なのかなと思ったりとしましたが、オカメインコが亡くなってよかった、とは思えません。 祖母は動物が嫌いで、物のように扱うところがあります。 嫌味で言ってきたわけではないと思います。 悲しいです。無念すぎます。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

猫を殺してしまいました

8年くらい前の話です。 私はおばあちゃんの家に住んでいました。うちは田舎で野良猫がよく居ました。まだ生まれて2週間くらいの子猫母親猫とうちにご飯を食べに来ました。子猫は弱っていたのでうちにいれてあげました。冬だったのでストーブのある居間に連れていきました。わたしは子猫が可愛すぎてずっと抱っこしていました。抱っこしていたら子猫が急に亡くなってしまいました。わたしはショックからか子猫が亡くなってしまった時記憶のだけあまりありません。その時に怒られたり慰められた記憶しかありませ ん。 最近おばあちゃんが揺さぶられ症候群(?)の話をしていました。その時に子猫の話になって私が子猫を揺さぶられ症候群で殺してしまったと知りました。 わたしは動物系のストーリーが苦手というか見るとすぐに泣いてしまいます。動物系のストーリーを見ていると不意にわたしは子猫を殺してしまったんだと考えたり、寝る前にインスタの動画などで動物系の動画で虹の橋を渡りましたなどという投稿を見るとあの時私は子猫を殺してしまったんだという罪悪感に陥ります。 私は今4匹の猫を飼っています。うちの猫たちを見ている時もたまに考えてしまいます。 少しでも気持ちを楽にする方法はありますか?

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

一緒の骨壺に入りたい

質問させて頂きます。 現在、犬の介護をしながら暮らしております。 ありがたい事に、犬に比べ、人間の寿命が長い為、順調に行けば犬を安全に看取る事が出来そうです。 そして犬が亡くなり、人間が死んだ時、私は自分が火葬される時に、犬の遺骨と夫の遺骨を一緒に焼いて納めて欲しいと願っておりますが、そういう事に対応して下さるお寺様は現在あるものでしょうか。 ちなみに夫は存命です。 私は、順当に行けば、親を看取って夫を看取って死にます。それは私の願いでもあります。 そして、私は一人残るので、いつそうなっても憂いの無いよう、準備をして置きたいと考えております。 懸念は、骨壺の容積に対して全員分の骨が入り切るかという事ですが、入らない分は捨てるかどうかして、何とかならないか、 また、犬と夫の骨は二度焼かれる事になるので、その分嵩が減って行けそうかな等とも思いますが、特注の骨壺になるのかどうか、ともかくも本望が叶う方法があるのかどうか、お坊様にお伺い致したく質問させて頂きました。 夫婦で合同の骨壺サービスは現在あるようですが、更に犬もとなると分かりません。 家族全員死んだ後の心配というか執着は、ちょっと可笑しいかとは思いますが、 私の夢というか、私の大事な幸せの価値観なので、どうぞご相談に乗って頂けると本当に嬉しいです。 何卒宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

亡くなった犬に対する後悔、自己嫌悪

数年前に飼っていた犬を亡くしました。腎不全で、末期になるまで気が付いてあげられずに亡くなってしまいました。 腎不全と診断されたあとは少しでも長く生きてほしいと懸命に世話をしましたが、回復せずに2ヶ月ほどで亡くなりました。 亡くなった直後は悲しくて仕方がありませんでしたがどうにか立ち直り、それから数年間は普通に過ごしていました。 しかし、最近になって犬にしてしまっていた虐待行為のおぞましさに気が付き、今更ながら罪悪感に襲われています。トイレを失敗した時に苛立って強く叩く、蹴る(これは記憶が曖昧ですが…)行為の他、散歩にもろくに連れて行ってあげていませんでした。また皮膚病だったのか皮膚の一部に毛が生えない部分がありましたが病院に連れていかず放置……加えててんかんのような症状も時折ありましたが、それも病院に連れていくことはありませんでした。 犬は上のような扱いをしていたにも関わらず私にとても懐いており、それもありどうしてそんな慕ってくれる相手に虐待なんてしてしまったのだろうと後悔が消えません。 また、私には恋人がいます。何でもできて優しいまさに完璧な人です。しかしここ数日は虐待をするような最悪な人間がこんな完璧な人と付き合っていていいのだろうかと悩んでいます。私は現在別のペットを飼っており、この犬の経験から些細なことでも病院に連れていき長生きしてくれるよう日々接しています。そして恋人はそんな私を動物に優しい人だと思っていると思います。騙しているようで辛いです。楽しい時間を過ごしていると、あんな残虐なことをした癖に幸せになる権利なんてないと心の中で自分が責めてきます。虐待行為を打ち明けるべきか、黙っていても許されることなのかも分かりません。 毎日毎日犬のことを考える度に自分は虐待をするような人として最低な人間だということを思い出し、自分のことが許せなくなります。ですが、身勝手なのは承知の上で、少し楽になりたいです。自分を毎日何時間も責め続けていて心が壊れそうです。私は今後どうするべきなのでしょうか。恋人との今後の関係も含めてご意見を伺いたいです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

愛猫を火事で亡くしてしまいました。

初めまして。 1人では抱えきれなくてこちらに質問させて頂きました。 自分は去年に火事で愛猫7匹の命を奪ってしまいました。原因は寒さ対策につけていたヒーターからの引火です。 あの日から自責の念にかられ、あの子達の姿を思い出しては胸が張り裂けそうになります。 恐怖と苦しみの中死んでいったあの子達に申し訳なくて謝っても悔やんでもやりきれません。 燃える家を見て泣く事しか出来なかった最低な自分が気持ち悪いです。 あの時こうすれば良かったと後になって思っても突然の非常時でとっさに体が動きませんでした。 あれだけ大好き、我が子同然と言っておきながら見捨ててしまったのです。 出来るなら自分の命と引き換えにあの子達を生き返らせて欲しいと、何度も何度も考えてしまいます。 のうのうと生きてる自分が腹立たしいのに、どうすれば良いのかも分かりません。 もっとたくさん色んなことをしてあげたかった。 今更遅いと思われるかもしれませんが、亡くなってしまったあの子達に今出来ることなどはありますでしょうか。 悲惨な最期をとげたあの子達は苦しみから解放されているのでしょうか。 あの子達の魂はどうなっているのか、生まれ変わる事など本当に出来るのか。 そして最低な事に1匹の遺体だけ見つけてあげる事が出来ませんでした。 火葬も出来ず御骨も無くひとりぼっちのままあの場所でさ迷っていたらと思うと自分も死んでしまいたくなります。 他の6匹の御骨はあるのですが、あの場所に取り残された1匹の魂はちゃんと一緒に天国に行けたのでしょうか。 みんなこの世にさ迷っては居ないでしょうか。 最後に、自身の過失で殺してしまった自分は死んだ時にあの子達に会えますでしょうか? 恨まれても拒絶されたとしてももう一度会って謝りたいのです。 読みにくい長文なうえに質問ばかりですみません。 お忙しいとは思いますがどうかお言葉を頂ければ幸いです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ