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自分に絶望したら。私はサイコパスかもしれません。

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夢がありました。

ここ2,3年は自分自身ぐちゃぐちゃになりながらもただ叶えるために必死こいて目指していました。
でも届きませんでした。
努力は報われる、諦めなければ叶う。そんなことを信じる勇気がなくなり、努力するのが怖い。自分には無理。情けないと思うようになってからよく嘘をついてしまいます。
本当に自分のことを大切に思ってくれる仲間や家族に、頑張れていない自分がいるにも関わらず平気な顔して 大丈夫。順調順調。
自分を奮い立たせようとしていた気持ちも弱くなりいつの間にか何故自分がその夢を目指していたのか、何故こんな苦しいことを何年も続けているのか分からなくなりました。正確には夢を目指していた理由は頭に浮かぶけど、だから何。そんなのもうどうでもいい。期待とか恩返しとか知らない。勝手に期待するな。応援しないで。
自分でも最低だと分かっています。

それからはもう一日中スマホいじったり外へもほとんど出ず引きこもり状態。何しても何を食べても満たされない。
今まで辛い時頑張りたい時聞いていた好きな歌も誰かの名言も全く響かない。頑張っている人を見ても何も感じなくなってしまいました。
そんな自分が嫌で怖くて、何度か友達に今の状態や気持ちを相談しようとしましたが結局言えませんでした。
最近はいろんな占いに頼ったり、周りの人が自分のことなんて忘れてしまえばいい、自分なんていなくなればいいと考えるばかりです。未来が見えません。

夢を叶えるまで努力できず結局自分に負け、何よりも大切な人達に嘘をついて。頑張ろうと覚悟したつもり。必ず叶えると約束したのに口だけ。がっかりさせたくないからというけど本当は自分が傷つくのや皆が離れてしまうのが怖いだけ。プライドだけ高く人の気持ちは考えない。

自分に心から絶望しています。愛想が尽きました。私は結構タフで前向きな人間だと思っていましたが、違った様です。ほぼサイコパスです。他人を嫌いになっても生きてはいけるけど自分を嫌いになったらどうやって生きていけばいいのですか。
私はこれからどうしたらいいのでしょうか。

ここ一年近く悩んでいたことを思うままに綴ってしまったのでまとまりのない乱文になってしまい申し訳ありません。これが最初で最後だと思います。何でもいいです。どんなことでもいいです。多くのお坊さんの言葉が聞きたいです。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「弱い虫」

ぱぐ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

人生、そう簡単に順風満帆とはいきません。

拙生など、既に大きな挫折で四つ(大学入試、司法試験、政治活動、福祉活動)ございました。

でもその挫折を糧に活かして、今、このhasunohaでもご回答させて頂けていることもありますし、挫折があったからこそ、知れたことや、有り難いこと、幸せなこと、お役に立てれていることもございます。人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し、とも申します。まだまだ人生この先、結果がどう転ぶかは分からないものです。

また、良いも悪いもご縁次第となりますが、できるだけ良いご縁を大切に育むことにより、やがて花開かせることも可能であります。

全てのモノ・コトは、因縁(原因と条件)に依りて成り立っております。

良き結果も、悪い結果もでございます。

ですから、良い結果を得たいとなれば、悪い結果となる因縁を避けて、良い結果となる因縁を調えることが必要になります。

例えば、綺麗な花を咲かそうとするならば、悪い種や悪い条件からは綺麗な花は咲きません。できるだけ良い種(良い動機)をまず土(心)に撒いてあげる、撒いてあげるだけではなくて、良い条件としての水や光や養分など(良い行動)を調えてあげる。それで、やがて綺麗な花が咲く(結果)のであります。

もちろん、良い因縁を調えるためにも必要なことがございます。

馬場俊英さんの「弱い虫」を聴かれたことがありますか?

私たちは所詮「弱い虫」同士です。でも、「弱い虫」同士であるからこそ、大切なことを忘れずに生きていきたいものでございます。

馬場俊英さん「弱い虫」
https://www.youtube.com/watch?v=IhCIkPfIHyM

「一人ひとりの人間はみな弱い存在。時に不条理な現実の前でやりきれない気持ちになることもあるけれど腐ってはいけない。逃げても負けても良いのだから生きることを投げ出してはいけない。きっとわかってくれる人がいる。そんなことをあらためて感じさせてくれるMovieだと思います。もしもこの主人公が自分だとしたらどう考えてどう生きるか。そう考えた時、自分にとって大切なものが見えて来る気がしました。日々を真面目に生きる多くの方に観ていただきたいです。」馬場俊英さんより

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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自身が嫌い、は修行の始まり

自分の愚かさに気づくことは、悟りを目指す修行者の一員になることにつながります。
ようこそ「こちら側」へ。
気づくと苦しい道ですが、気づいていなかった頃よりだいぶ賢くなったのです。

さて、どうせできることしかできない人生です。
できないことはしなくてよい。
できることを、できる範囲でやればよいのです。

できなかったことを数えて反省するのは大事ですが、それについて「嫌い」という怒りの煩悩を出すのは、悩みを増やすだけで無駄な時間です。
できることを探しましょう。
一度「終わった」人生。でも、よく見たらまだオマケがついていた!
「ふざけるな」?真面目なときにふざける余裕があれば、たいしたもんですよ。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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「自分・人生に絶望しています」問答一覧

普通の家庭への羨望、前向きにがんばれない

あまり一般的とは言えない家庭で育ちました。 親は共働きですが父親が働いたお金をすべてギャンブルに注ぎ込むため、生活費や学費がなくなり子どもの私や姉が高校に入学すると同時にバイトを始め母と一緒に生活費を工面する生活でした。高校卒業時に全部自分で責任を背負うことを決め家を出て、大学に進学しました。そして海外の大学院に進学し今に至ります。 現在私は30歳になり、海外で自分がずっとやりたかった仕事ができています。 それは子どもの頃からの地獄のようなアルバイトの生活とこれからの奨学金の返済義務を犠牲にやっとこの場所に立てているのです。なのにただ何もかも用意された環境で育ち、困ったことがあればすぐに頼れる実家や家族がいて、お金の心配をする必要なく日々を前向きに過ごせている周りの友だちが羨ましくて仕方ありません。 その上「逆境こそがんばらなきゃ!貧困を努力で乗り越えた人たちはたくさんいるよ!」「もっと賢い方法でお金を稼ぎなよ」と子どもの頃から何不自由なく育った人たちに言われても、素直に受け取れません。 周りからがんばれと言われても、そもそも子どもの頃から全部自分で稼いできた人が存在すること、親に頼れない家庭が存在することを知らない人ばかりで実際私の立場は誰にもわかってもらえないことと、周りとのスタート地点の大きな差をただただ思い知らされて心が折れそうです。 「確かにあの時もっとかんばれたんじゃないか?あの時少し怠けていたんじゃないか?」など自分の技量不足や努力不足も疑い始めました。でもこれでも立ち止まらず、立ち止まれずに心と体をぐちゃぐちゃに壊しながらも今まで一生懸命やってきました。 これからももっともっと前向きにがんばってお金を稼がなければなりません。それなのに私は今も周りの生まれた環境を羨み、比較して、なぜ私は今までもこれからもこんなに苦しまなければならないのかと絶望してしまいこれ以上がんばれないままでいます。 周りとの生まれの違いを気にせずに、どうやったら前向きにがんばれるでしょうか?

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習い事を辞めるか悩んでます

10年以上同じ習い事をしています。 ですが4年前不登校になったことにより途中行けなくなり、ここ数年いやいや行ってはいますが毎回のように親ともめてしまいます。 行く日が不定期なので日にちが覚えられず、言われてもメモすることを忘れる事もありそれで"行きたくない""行きなさい"の口論を毎回してしまいます。 でも、なんだかんだ行きたくなく泣いても行ってました それはだいたい行かなかったら何千円払えよと言われてたからです。 そのような言葉が出るのは払ってもらってる以上当たり前ですし行かない・覚えられない私が悪いので仕方ないことなのですが、毎回このくだりをやっていると疲れてきちゃってほんとに体調悪くていけない時もあるのに行かされてどんどん完璧を求められてるんじゃないかと感じ始めちゃって、なんで完璧な人間じゃなきゃ続けちゃいけないの?なんで完璧な人間じゃなきゃ挑戦しちゃいけないの?と悲しくなっちゃって… 今日その習い事ホントに無理で休んじゃって… 家族も怒っちゃって謝っても話しかけないでも言われてしまって… もうこの感情どうしようもなくて、悪いのは私だけど話を聞いてもらえないし私の頑張ってる(行ってる時)は見てくれないと感じてしまっています… だからこんな数年完璧を求められて泣くなら辞めようかなって思っちゃって… でも、いやいや行ってると行ったのですが行くのが嫌なだけで習い事自体は好きで10年以上も同じ先生に習っていることもあり辞めにくく…一時な気持ちの悩みもあると思いますし、やっぱこんなに引きずるならパって辞めたほうが良いものなのですかね…親には申し訳ないんですけどこんな私でもやっぱ続けててもいいのですかね…

有り難し有り難し 2
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どこで働いてもうまくいかないです

福祉施設で働いていましたが責任の重圧から辞めてしまい、今はまったく違うアルバイトをしていますが、要領が悪くバカにされているように感じます。 うわべだけはうまく行くのですが、深く人と関わることになると避けてしまいます。 以前の職場では雑談が苦手で人の顔色ばかり気にして自分の意見がないイエスマンでした。 福祉の相談員をしていたときも資格をいくつか取り自分なりに頑張ったのですが、仕事を一生懸命しても人とフランクに関わらず、ういてしまっていた気がします。 なのに相談員の仕事をしていたのは向いていなかったのかな、とも感じています。「ありがとう」と言われることはありましたが… その反面、私はできるはず、人に尊重されるはず、という身勝手な思いもあって自分にダメ出しをしてしまいます。 まず他の人のことを思いやれる人に幸運はやってくると思うのですが、自分の利ばかり考えてしまい、汚い人間だなとも思います。 この生きづらさは私の生育歴によるものだと思い、アダルトチルドレン のセミナーやカウンセリングも受け、変わりたいと切望しています。 後輩や孫がいるような年齢でそんなことを言っている自分が情けないです。 経済的な面からも次の仕事をきちんと探さなければならないのですが、今の自分ではどこに行ってもうまくいかないだろうと思い、不安でしかたありません。 年齢を重ねてしまった焦りもあるし、私の人生は失敗だった、と情けなく感じています。 家もわけあって叔父叔母などの親族といろいろあり心安らげません。 交際中の彼がおり、叱咤激励してくれますし、ありがたいとも思っています。けれども迷惑をかけそうですし、こんな自分では見合わないとも感じています。 わたしの生きている意味もわからず、いなくなってもいいかな…とさえ思います。 けれども生きなくてはいけない。 どうしたら明るくのびのびと人と関わり、仕事や人間関係がうまくいき、晴れやかに生きることができるのでしょうか。

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絶望から立ち直る術を知りたい

昨年10年以上付かず離れずお付き合いしていた方とお互い再婚同士で結婚しました。 子供も成人し、これから一緒に住む家を購入しようとした矢先、夫が突然行方不明になりました。お互いの夢を詰め込んだ家は住宅ローンが中途半端なまま連帯保証人の私に請求がきています。1人でローンを組み直すにも収入が足りず弁護士さんに売却の方向で話を進めて頂いている状態です。 行方不明のまま数ヶ月経っており、安否も分かりません。 結婚を熱望していた彼が何故いなくなったのか。いなくなってから分かったのは私にたくさんの嘘をついていた事。変わっている人だとは認識していましたが、個性だと思い納得するようにしていました。優しく良いところもあったからこそ長く続いていたと思いますが、10年近く自宅アパートに入れてもらえなかった事や、引越し予定だった自室には鍵を付けたいなど理解できない事も多く、最後にこのような多くの人を巻き込んだ裏切りをされ、再婚を心から喜んでくれていた両親を傷つけ、恨みや怒りというよりただただ困惑して心の整理がつかず鬱状態から抜け出せません。 自宅が思うように売却出来ない場合には自己破産することになります。これまで結婚後や老後の為に貯めていた貯金はほとんどなくなり、社会的信用も失います。年齢的にも若い訳ではないので、絶望感に苛まれており毎日何のために働いているのか、何のために生きているのか分かりません。 心配してくれる周りからは、好きな事や趣味で気晴ししたらとも言われますが、インテリアに関する事が趣味だった為、虚しくて苦しくなります。 老後1人で生きていくのが不安だったから決断した再婚が、自分を窮地に陥れる事になってしまった私の間違った判断力、スピリチュアルな事に傾倒してしまいそうなこころの弱さ、ただでさえ精神的に繊細でストレスを抱えやすい私が今後女1人で強く生きていく為に、どういった心待ちでいれば良いかお教えください。

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病む人は嫌がられ…私のこと?

 いつもお世話になっております。朝からネットで法話を聴いて いました。 「老いた人は邪魔にされ、病む人は嫌がられ。これが人生。 仏教の教えに通じる」 とお坊さんが言っていました。  老いることは止められない。病むこともどうしようもない。  私は発達障害があり、体にも影響が出てしまうので、ヘルプ マークを付けています。満員電車など、「座らせていただけませんか」 とお願いすることも多々あります。  私の主治医の先生や支援者さんは、 「差別的、排除的な考えを持つ人は、世の中でも一部だよ」 「障害、病気だからみんなから攻撃されるという考え方は、 とても損」 と言います。  私が尊敬するくられ先生も、 「人は、不健康な人を見ると恐怖を感じるように進化してきた」 と言っていました。  しかし、 「障害を負っている人たち。確かに、周りの人は違和感を抱く。 でも、勉強している人や知っている人は、理解してくれる」 と続けました。  くられ先生は、毒物学や生化学に詳しい科学ライターの先生です。  しかし、お坊さんはその法話で、 「檀家の90歳のおばあさんは、いつも笑顔で『おかげさま』『ありが とう』が口癖の人。そのため、町内でも人気」 と言っていました。  私も、席を譲ってくださった方には、飴玉を勧めるように しています。断られてしまいますが、お礼の気持ちです。  私は、周りの人を怖がらせている、不快にさせているの でしょうか?どうすれば、病んでいても老いていても、邪魔にされない 嫌がられない存在でいられるでしょうか?

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ