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因果応報

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有り難し有り難し 16

小さい頃から仏心とまでは言えないもの、兄弟の中で私だけがお墓参りなり、仏様に関わる事に惹かれ、今でも父方のお墓は東北の遠方になりますが、20歳から欠かさず年に一度は行っています。
父方の家系が熱心な日蓮宗系の信者で、特に祖母は心の底から信心していて、とても大事にしていました。 
私は、20歳を過ぎ一人暮らしを始めましたが、必ず小さいながらも仏壇を置いて、毎日とは行きませんでしたが手を合わせ、ご飯を炊けばお水と一緒に供えていました。
祖父、特に祖母が大事にしていたものを私なりに大事にしたい、この一心で大事にしています。
兄弟の中で私だけが義務教育で勉学を諦め、十代の頃は特に反社会的で司法の厄介になる事もしばしばありました。
一番初めに因果を実体験したのは、17歳の頃にやっと自分からやりたい事が見つかり、運良く希望の就職先に勤める事が出来ました。それから7か月間、無遅刻、無欠席で、自分なりにいつかはこの仕事で独り立ちしたいと小さいながら夢も持っていました。そんな中勤め先に司法のお迎えが突然来て退職せざるをえなくなりました。お迎えが来た内容は、勤める2か月前に先輩たちと起こしてしまった内容でした。「天に唾を吐けば、自分の頭に落ちてくる」リアルに因果を実体験して心から自分の過ちに後悔しました。
それでもいざ社会に戻ると、自分がいかに弱い人間なのかを、心の底から後悔した事を忘れ、楽な方、楽しい方に流され、世間の常識や法、世間一般の普通って結局誰が基準?等と屁理屈ばかり並べて自分の悪事を正当化して、いつの間にか元の木阿弥になっていました。
幼少期から元来ひねくれた考えを持っていましたが、今や物事を素直に正面から捉える事は困難で、必ず裏からまず見てしまい、それから斜に構えて捉えてしまいます。不思議とその見方が当たってしまうし、そもそも巨悪が見逃され、小悪ばかりが叩かれる。大も小も悪には変わりはなく悪いものは悪いのですが、自分の中の理に筋が通らないと納得出来ず、これからも真っ直ぐ真ん中を歩いて行ける自身がありません。
子供を授かり、本来なら自ら徳を積めるように、少しずつでも我が子の将来の為、又その子供の未来の為に、一番は自分の為にその様な行いをしたいのですが出来そうにありませんどうしたらよいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

torasirou 様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

問い「悪いやつらが幸せに生き残る時代」
http://hasunoha.jp/questions/32

におけます「因果応報」に関しての拙回答もご参照賜れましたらと存じますが、torasirou様のこの度の徳を積みたい、善い行いをしていきたいという「気づき」は実に重要なものであると存じております。

確かに私たちは簡単に安きに流れ、世間八法の一喜一憂に留まり、迷い苦しみの中で諦めてしまうこと多々かもしれません。しかし、「諦」というのは、サンスクリット語のsatyaが語源としてあり、お釈迦様がお説きになられました四つの真理である苦・集・滅・道を「四聖諦」と言いますように、もともとは、仏教用語で「真理」という意味であります。

torasirou様が、色々と「諦められていること」はもちろん、世間で使うような意味であり、この場合は煩悩を生み出すことになり、愚痴や怒りや嫉妬、悔悟等によって迷い苦しんでしまう原因の「諦め」となりますが、その「諦め」をこの度の「気づき」から更に一歩前へと進められて、これはどうあがいても、どう分析し、観察し、思慮しても変わらないという「真理」、つまり「四聖諦」の理解にまで到れるように確かなる仏縁の下にてこの機会に学びをお進めになられることをお勧め申し上げます。

あと、問題となるのは、善徳行の基準となります。世間での正誤や善悪というものは、世間での相対的な基準で成り立っているもので、あまり頼りとすべきではないと考えております。それよりも、仏法の真理を基準とした善徳行の実践が重要になると存じております。

このあたりのことにつきましては、ここで述べさせて頂きますと煩雑なところとなりますので、下記拙論をご参照賜れましたら幸いでございます。

コラム「追善供養・功徳回向の考え方について」 1~4
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52108201.html

「菩提心論」
http://t.co/aSBtLQQI

『空と縁起』~勝義菩提心と勝義方便~
http://t.co/xXe6DBOf

torasirou様の真理への気づきへ向けた何かの参考となりました幸いでございます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「因果応報」問答一覧

過去の過ちと因果応報への恐れ

過去の過ちから日々不安で押し潰されそうです。 一年前に下手をしたらクビになるようなことをしてしまいました。 私は最近因果応報という言葉を実感しており、それを強く確信する度に過去の過ちが広まり、自分に返ってくるのではないかと不安でいっぱいになります。 また、あろうことか ・その当時に口の軽い同僚2人に酔った勢いで話してしまった ・その行為を共に行った社外の相手と喧嘩別れをしている上に証拠写真を持たれている 以上の2点から会社にいつかバレる可能性が十分にあります。 今のところそういった脅迫や噂は立っていないのですが、何事も因果応報だと思い、いつか明るみに出るのではないかと毎日怯えています。 また、最近になって守りたい存在ができ、その為にも今の職を失うことはしたくないです。 そして、その存在のお陰で日々幸せを得ているのですが、いつか来るかもしれないしっぺ返しを恐れて幸せを素直に喜べません。 忘れた頃に因果応報がやってくるのではないかと思うと、忘れることも出来ません。 最近不安になると胃腸を痛めるようになってしまいました。 また、今ある幸せを感じられないことに辛さがあります。 今は昔のことを大いに反省し、誠実に生きることを心掛けています。 本題です。 罪を帳消しにしたいとは言いません。 いつか罰は下るだろうと常に考えています。 ですが、いつまでも続くこの不安から解放され、今ある幸せを心から感じてみたいのです。 こんな私はどう心がけ、考え、日々生きれば良いのでしょうか。 ※内容をかなりぼかしていてすみません。 この過去の行為は、人を傷つけたり、社会に迷惑をかけるような内容ではありませんが会社の規則に反した行為です。実際どうなるかはわかりませんが、注意とかでは済まないレベルではあると思います。 また、会社での立場は確実に無くなります。

有り難し有り難し 22
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