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帰国子女はお坊さんの奥様になれますか

回答数回答 5
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人生の3分の2を海外で過ごした私ですが、
日本人として日本で生きていきたいと思い、
帰国して6年が経ちます。
最近代々続く浄土宗のお寺のお坊さんを好きになりました。
私もそろそろ落ち着きたい年頃なので、結婚なども考えますが、
やはり帰国子女はお寺に嫁ぐのは難しいのでしょうか。

彼は私にとって初めて「帰国子女である私が日本に必要な存在だ」と
言ってくれた人です。
彼はまだ知りませんが、1度日本に帰国し生活しようと試みた時、
馴染む事が出来ずに心を病みました。
10年経ちますが、今でも薬を手放せません。
そんな私が自分なりに日本での生活で少しでも
何かを残せたらと思い生きていたので、
彼のその言葉は、本当に感動的でした。

色んな人に出会いましたが、お坊さんである彼は
「ありのまま」を受け入れてくれるような、
そんな空気を持っていて、安心します。
ただ、私は日本の風習などを今まで自分の生活の一部に
していなかったので、やはり不釣り合いなのかなと。
彼はともかくご両親や檀家の方々などは、
どう思われるのだろうかとか、
気にしてしまいます。

お坊さんである皆さんは、帰国子女について
どう思われますか?
特に気をつけなければいけない事など
がありましたら
教えていただきたいです。

よろしくお願いします☆


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どなたでもお坊さんの妻になれますよ。

 帰国子女だけでなく外国の方でも、結婚してお寺に入っている方々もいらっしゃいますから、生まれ育ちは全く関係ありません。確かに旧態依然とした業界ではありますから、いろいろご苦労は耐えないと思いますが、あなたのことを好いてくれるお坊さんがいらっしゃってプロポーズされたなら、是非OKしてほしいです。

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おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
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ヒトトコロにとどまらずとも良いと思います

縁とはそれとそれとをつなぐもの、の意味でもあります。
リレーション、関係性、関わり合い、よき家たちに導くもの…ご縁。
あなたの存在は、世界と日本をリンクさせる大切な役割です。
私どもの業界では国際布教センターというものがあります。
浄土宗さんにあると思いますが、彼を通じてそういう処でお役に立ちたい、と申し出ることをお勧めします。その中でもきっと、あなたはチョーホーされます。彼との縁も深まりますし、あなたと同じタイプの人にも出会えます。
仏教をサプリメントとして考えた時、その素晴らしさを海外の方に伝えられるか、という事がいつの時代でも課題になります。
あなたの感覚は、日本人以外の広い感覚をもっています。
変換能力、そしゃく能力、翻訳能力があります。
だからこそ海外で何が、どういう形で求められてゆくかが良く分かると思います。
お力添えをお願いいたしたいと思います。
彼を含め、国際布教に関わる和尚さんとのゴ・エ・ン♡があなたの開いたハートを埋めてくれるはずです。
あなたの悩み・コンプレックスは疎外感です。
私も和尚業界では一匹狼ですから感覚が近しい人はなかなかいません。
それでいいのだと思いますよ。あなたが乾坤只一人(ケンコンダタイチニン)という感覚で一人でイイんだ、私は私でイイんだ、という感覚を逞しくしていけば何も問題はありません。
それでこそ、あなたの個が活きてきます。
同じ魚でも川が違えば模様も違います。植物でも日の当たり方、土で様々に変化します。
あなたは植物に例えると畑育ちではなく、大きな大自然を生きてきた逞しさがあるはずです。
日本と言う小さな島意識、民族意識にあなたの天性を否定されるべきではないと思いました。
あなたが葉を伸ばし、花を咲かせる土壌を自分で選ぶべきです。あなたはあなただからいいのです。

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おきもち

あえてマイナス面も…

あひるさま
はじめまして、なごみ庵の浦上哲也と申します。
肯定的な回答は出ていますので、私はあえて厳しい面を書こうと思います(もちろん、心の中では応援しています (^_^) )。

帰国子女というより、一般家庭出身の者がお寺に入るのには、少しハードルがあります。「お寺に入る」と書きましたが、僧侶の妻になるだけでなく、僧侶になるのもハードルがあります。

それは、日本のお寺では世襲が一般的になっており(それ自体は良い面も悪い面もあるのですが)、お寺生まれでない人に偏見を持ったり、なかなか受け入れてくれない場合があるからです(ちなみに私も妻も一般家庭出身です。)。

普段、自分が入ったお寺で働いたり生活するぶんには問題ないのですが、宗派に属するお寺ですと、10〜20件のお寺が1つのグループになって活動することがあります。
私の宗派ではそのグループを「組(そ)」と呼び、組の会議があったり、組の住職夫人の集まりがあったり、大きな法要で手伝いあったりします。そういう時に、お寺出身でないと肩身の狭い思いをする場合もあります。

とは言っても、私やあひるさん世代(30〜40歳代)になると一般家庭出身の奥さんを持つ僧侶が多いので、同世代についてはそれほど心配しなくても大丈夫だと思います。

ただ、現在70歳以上の住職は、他のお寺のお嬢さんと見合い結婚というパターンが非常に多く、50〜60歳代になると一般家庭出身の奥さんもチラホラ。つまり先輩方には、まだ古い考えの方々がいらっしゃる可能性が高い、ということです。

お寺のお坊さんの妻になるということは、そういう「しがらみ」と無縁ではいられません。苦労することも、イヤな思いをすることもあると思います。
でも私の宗派では「寺は坊守(浄土真宗での住職夫人の呼び名)で持つ」と言うぐらい、重要でやり甲斐のあることです。

もしその彼と結婚ということになれば、海外での生活が長いあひるさんの感性と、そのあなたを「日本に必要な存在」と仰る彼の感性は、彼のお寺にとってプラスになると思います。

良い方向に進むよう、応援しております。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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最後はあなたが決めると思います。

簡潔に、「大丈夫ですよ。」

「問題になっているのは何か?」をあなたの心に聞いてくださいね。

個人的には、よいご縁だと思います。

全力で応援させていただきます。

無理せずに、心のままに。

なまんだぶなまんだぶ

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おきもち

ご法縁に恵まれて

あひる様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お坊さんとのご縁、それは、その方とのご縁だけではなく、尊い仏様とのご縁、仏法を取り巻く関係各位の皆様とのご縁、つまり法縁にも繋がり、誠に有り難いことでございます。これから色々と浄土宗さんのことも学んでいかれることになるかとは存じます。

浄土宗・公式サイト
http://jodo.or.jp/

「帰国子女はお寺に嫁ぐのは難しいのでしょうか」・・全くそんなことはありません。お寺へ嫁ぐのに大切となる心構えとしましては、仏法への理解、僧侶という職業に対しての理解、あとは、檀信徒さんや参拝者・相談者さんとの人付き合いへの対応となりますかね。。人付き合いでは色々と包容力や寛容力も必要になってくるかもしれません。

そして、実質的にお寺の経営は坊守・御裏・寺庭婦人の力量によるところも大きくあります。浦上様のおっしゃられているように「寺は坊守で持つ」ということでございます。

お寺の規模や檀信徒数にもよりますが、色々と法務のお手伝い、掃除、寺務・雑務等も含めて、更には日常の家事、やがて子どももできれば子育ても加わってと・・大変なことはやはり大変になります。しかし、「志」次第ではご自身のグローバルな視点と経験を活かしつつに、大いに遣り甲斐もあるのではないかと存じます。

あとは、やはり何よりも仏法を扱う「志」が大切になるのではないかと存じております。

問い「お寺と親を残して結婚していいですか」
http://hasunoha.jp/questions/490

ただ、少し心の病もお抱えにてご不安な様子・・とにかく、あまり無理されることなく、そのお相手のお坊さんの支え励ましはもとより、周りの皆様の支え、応援、そして何よりも阿弥陀如来様のお慈悲に恵まれるご法縁も多くございますので、どうかご安心してご精進下さいませ。お幸せを心から祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ご回答いただき、ありがとうございました。
私のコンプレックスを見事に見抜いてくださり、
自分でも気付いていなかったのでビックリです。
「疎外感」。そうなんでしょうね。

私が想いを馳せている彼は「仏教を通して世界が平和になれば」
と願っています。
宗教はその国々の人の心に根強く存在するので
それは難しいのではと伝えましたが、
「違いを受け入れ敬うのが仏教」で
せめてその心をみんなに持ってほしいと。
私のような帰国子女であろうが
ハーフであろうが、人を想い国を想えば皆同じだと、
そう言われたような気がしました。
そして、微力ながらも私に出来る事が何か
あるのであれば、支えたいと思いました。
覚元さんのお言葉を受け、ますますその想いが
強くなりました。

私、頑張ります! ありがとうございます!

隆恩さん、ありがとうございます。
帰国子女であっても外国人であっても、
人として好きなのであれば、尊重しあえるのであれば
大丈夫ですよね。

そのお言葉を聞き、安心しました。

日本人として認めてほしい。
でも帰国子女としての苦労も理解してほしい。
そんなちっぽけで愚かな想いに囚われず
私は私でいたい。
それと同じように、お寺の家系に生まれ育った彼を
彼として想いたい、そう思います。

頑張ります!(≧∇≦)

正範さん

「大丈夫」。なんて力のあるお言葉でしょう。
ありがとうございます。

哲也さん

厳しい意見を待ってました!(笑)ありがとうございます。
なるほど、そうですよね。
でも、肩身の狭い思いは、もう何度か経験してるので
私自身は大丈夫かもしれません(笑)
それよりも、もし彼の奥様になる事があるのなら
彼に肩身の狭い思いをさせたくないですけど、
必ず言われるでしょうね。
「だから帰国子女のお嫁さんなんかやめとけって
言ったのに」と。

おっしゃっていただいたように
私の存在が彼にだけでなく、
彼のお寺にもプラスになれるなら、
きっと私が生まれ、今まで歩んできた人生に意味を持ち
報われる気がします☆

英俊様

ご回答頂いてからお返事まで時間がかかってしまい、
申し訳ありませんでした。
ゴールデンウイークに現を抜かしておりました(笑)

何事も、外から見る世界と中に入ってからはまるで違うとは思います。
仏法への理解や僧侶さまへの理解。大切ですよね。
彼のために、というよりは自分のために理解することが、
私のこれからの人生を更に明るいものにしてくれるのではと
今は感じております。
帰国子女である自分が日本で暮らしていくには「〜でないといけない」
と、「べき論」で凝り固まっていましたから(笑)
もちろん、「業に入れば業に従え」ですので、
振る舞いには気をつけますが(笑)

ご縁とは、本当に有難いものですね。
ここでこうして皆様からお言葉を頂けたのも
ご縁ですものね。
感謝しながら、自分らしく、努力を怠らず、頑張ります^ ^

ありがとうございました!

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何が正しいのかわからない。

私は地方の檀家寺に生まれました。 幼い頃から父にお坊さんになること以外の道を許されず、反論すると暴力や大切なものを壊されたりしてきました。 逆らうことができ学生時代は本山に寄宿しながらの修行生活をしました。 しかし、修行を終え娑婆に帰ってから、自分でやりたいことを選べなかった後悔と青春時代を失った後悔に襲われました。 それと同時に本山から帰ってからは周り(寺族、檀家様、周りの寺院)からの期待が大きくなっていました。 住職が私のいない間に周りのお寺や檀家様に「息子は望んで家を継ぐために本山に修行に行ってる」と意気揚々と話していたそうです。 それだけではなく住職は結婚したら将来同居がすぐできるように二世帯住宅を完成させていました。 結婚しても、食卓でも仕事の話やすぐに機嫌を損ねると癇癪を起こし暴力を振るってきた父と一緒に生活することは相手のことを考えると私はできませんが、、、。 そんな日々が数年続く中で住職から荒行に行くようにいわれました。 私は生まれつき身体も弱いですし、正直行きたくありません。 本山での修行中は家を継ぐ決心や僧侶になる発心がない状態でした。 しかし、逃げずにいたのは本山よりも癇癪を起こす住職の方が怖かったからです。 今は祈祷寺でもないのにこれ以上、修行をしたくないという思いがあります。 そのことを父に話すと癇癪を起こし泣きはじめます。 もちろん、修行道場は自分自身の信仰あって成立することです。望んでもいけない人が大勢います。 縁あって寺に生まれたからといって私のような中途半端な人間が僧侶を志してはいけないと思っています。 本山から帰ってきてからは上記で書いたことや、父の癇癪や、親の言う通りに生きない罪悪感(荒行に行かない)で押し潰されそうになり鬱病になりました。 今は療養施設に入っています。 最後にですが私は決して僧侶という仕事は嫌ではありません。大切な生き方だと思っています。 ①僧侶の皆様は自分の将来をどのように決めてきたか。 ②本山で修行し、周りや親の期待されているが荒行に入らずに今後もその期待に応えれない罪悪感をどうしたらいいのか。 ③私のような人間が僧侶を続けて良いのか。 応えられる範囲でご教示ください。 よろしくお願いします。

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