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聞き上手や話し上手の本と、ブッダの言葉が書かれた本の違い

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初めまして、さきといいます。

最近、聞き上手や話し上手になる為の本を、書店でたくさん目にします。
それだけ現代人が人間関係に悩んでいる証拠なのかなと思いました。

そういった本とブッダの言葉が書かれた本とでは、書かれている内容がところによっては真逆といってもいいほど違うように思います。

聞き上手になる為には、少しオーバーリアクションになったり、ひどい時には、凄いなと思っていないのに凄いと言うことも、相手を喜ばせて話を引き出す為には良いと書かれている本さえありました。

私的には自分を偽ることが嫌いなので、素直な感想を言うことが多いですが、話を盛り上げる為には、多少のオーバーリアクションも必要だと感じる時があります。

お坊さんたちは、こういった本についてどのようにお考えですか?
是非、ご意見をお聞かせください。お願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ブッダは対機説法でした

本屋さんに行くといろんな本が有りますよね。
本の内容も様々でどれを取ればいいのか迷います。

ところで、ブッダは対機説法で人々の苦しみや迷いを取り除きました。
対機説法とは、その人によって、その人の状況によって、その人に合わせた話をする事です。
なので、ブッダの話をまとめたお経には、相反する事もよく見られます。
それは、言った相手が違う、あるいは言った状況が違うからです。
どの教えが正しいか間違いか、では無く、どの教えが今の自分に合うか、なのです。
また、柔軟に臨機応変に考える事もブッダは教えてくれているのだと思います。

なので、世の中には様々な本がありますが、仏教に反するのはダメとは言えません。
大切なのは、今のあなたに合う本を選ぶことです。
どの本が正しいか間違いか、ではなく、今のあなたに合うか合わないか、なのです。

また、嘘も方便といって、相手の為に嘘を使う事もあります。
相手の為であり、自分の為ではありません。
その点を間違わなければ問題ないでしょう。

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私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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私は矛盾を感じませんよ(笑)

自分で言うのもなんですが、適当なんだと思います。お釈迦さまは悟りを開かれてから84000という膨大な教えを説かれています。対機説法といって、聞き手に合わせて話をしていますよ。十人十色と言いますが、100人いたら100の教えになりそうです。変遷を経て仏教は日本に伝来しましたが、いろいろな教えがございます。最低限守るべき戒律としては、十地経(華厳経十地品)に
殺してはいけない?盗んではいけない。嘘やデタラメを言ってはいけない。怒ってはいけない。執着してはいけないとかですね。あなた様がおっしゃっているのは、自己啓発本ですよね。動機付け、モチベーションをいかに高めるか、人間関係論、ヒューマンリレーション、もともとは、成功体験、マーフィーの成功法則などですね。マズローの欲求五段階説というような臨床心理学的な概念で裏付けされたもののように私は捉えています。間違っていたらごめんなさい。リーダーシップといった経営学的に取り扱われることもありますよね。仏教は信仰です。現実の世の中を生きていく上手に生きていく方法、仏教的に言うと方便でしすね。あまり矛盾はないように思うのですが。先述した戒律的なことは、自己啓発でも、コンプライアンスなどで排除してされておりますので、問題ないように思います。あくまでも、私個人私見です。

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浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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質問者からのお礼

聖章さん、三浦康昭さん、対機説法について教えてくださってありがとうございました。
恥ずかしながら、対機説法という言葉を聞いたことなかったので、とても勉強になりました。ブッダの言葉は、話すによって変わる、十人十色な教えだったのですね。聖章さんがおっしゃった、今の私に合う本を選ぶこと、正しいか間違えかではなく、合うか合わないかが重要だとのこと、とても気分がすっきりしました。三浦康昭さんのおっしゃられた通り、私が言っていたのは自己啓発の本です。現実を上手に生き抜く方法、仏教的には方便は、つじつまが合っているとのこと、とてもしっくりきました。ありがとうございます!

「お釈迦様・ブッダ」問答一覧

釈尊の教えについて疑問があり悩んでいます

人生がつらいので少しでも楽になりたくて仏教の勉強をしているものです。 お釈迦様の説いた教えについて質問です。 最近、初期仏教の経典スッタニパータを読みとても感動しました。 その結果お釈迦様はこの世の全てが縁起によって繋がっており結局は全てが同一の価値ある存在である事を理解すれば最終的には自己に囚われることもなくなり現世の苦しみをなくすことができると説いているのではないかと自分なりに解釈しました。 しかしそう考えるといくつかの疑問が浮かびました。 スッタニパータでは父母や我が子に対する愛執を捨てる事を悟りへの道とする一方で、父母に従うことが幸せであり老いた父母を養わない者は卑しいと書いてあります。 しかし無我の境地を目指すのであれば血縁関係に固執してはいけないのではないでしょうか?何故父母に限定して言及したのでしょうか?目の前で父母と知らない人が同じ様に病気や貧困や老いに苦しんでいてどちらかにしか手を差し伸べられない状況の時、知らない人を切り捨てて親子だからと特別扱いして父母に手を差し伸べるのは果たして正しいのでしょうか?両親が仏法を汚す人間であってもそれに従うことが幸せなのでしょうか?  私の父親は酒に溺れた非常に暴力的な人間で犬や猫に対して無益な殺生もしていました。母も暴力的な人間でしたし噓つきでした。私はこの両親に従うべきだったのでしょうか?老後の面倒も見なくてはいけないのでしょうか? また怒りや嫌悪についても疑問があります。 スッタニパータでは怒りや嫌悪を煩悩とし捨てることのできないことをなまぐさと言い汚らわしいことだと言う記述があります。 しかし世の中ではしばしば想像を絶するほど卑劣で残忍な事が起こります。  例えば女子小学生に乱暴して殺害した犯人をたまたまニュースで見て犯人に怒りや嫌悪感を覚えるのはなまぐさなのでしょうか?実際に知り合いの僧侶はその事件について犯人を殺してやりたいとまで言っていましたが彼は僧侶失格なのでしょうか? 自分の周りでより強いものによって不当に傷つけられている弱者を見ても怒らず苦しみも感じないことが美徳なのでしょうか? 他の記述が自分の人生価値観を根本から変える素晴らしいものだっただけに、私はこの二つの疑問に苦しみ悩んでいます。 悟りを目指す僧侶の方々にお話を聞きたいです。

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真言宗と浄土真宗の中のお釈迦様

はじめて質問させて頂きます。 プロフィールに記載しておりますが、家族の問題を抱える中、昨年暮れに仏教の教えに出会い、本当に心が穏やかになれた体験を得る事ができました。 それまでの私は、実家が高野山真言宗のお寺とご縁があり、結婚後も実家の仏壇を預かり、月参りや納骨堂のお参りをはじめ、いろんな関わりを持ってきて、仏教と深く関わってきたつもりでした。 しかし昨年暮れ、心身共に行き詰まり疲れ果てた時に出会った教えは浄土真宗(真宗大谷派)の教えだったのです。 その時はじめて、今までずっとお寺に関わってきたつもりだったのに、「仏教の教え」についてほとんど何も知らなかった事がわかったのでした。 それから改めて今求道中なのですが、今まで聴いてきた真言宗のお経と、浄土真宗のお経がまったく違うのにびっくりして、元は同じお釈迦様なのに、どうしてこうも違うのか。 両派ともご本尊がお釈迦様ではないとはどういう事なんだろう。 両派の中の、お釈迦様の教えと、各ご本尊様(大日如来様と阿弥陀様)の関係性って何なのだろうと、今切実に知りたく質問させて頂きました。 私にとって真言宗は小さな頃からずっとずっと触れてきた大切な宗派であり、また浄土真宗は昨年暮れ、本当に行き詰まってどうしようもなくなっていた時に、私の心を救っていただいた大切な宗派なのです。 どちらも私にとっては大切な宗派なので、どうしたらいいのかわからない状況になってしまいました。 ただその中で、元はどちらもはじめはお釈迦様だったのでは?と思い至り、タイトルにある質問をさせて頂きました。 どうぞよいお導きがあればよろしくお願いいたします。

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