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悲しみについて

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一昨年前に実母が亡くなり、以来、こちらでお世話になっております。
お寺のことや、供養、お墓等のことで質問させて頂き、ご丁寧な回答を頂き、ありがとうございました。
毎日のお勤め、花やお供え、茶水を絶やさず供養させて頂いています。

長らく二人暮らしでした。
病を抱えながらも私のために家事をしてくれていました。
私は幼い頃から病弱で心配ばかりかけ、苦労させました。
ある日、突然調子が悪くなり救急車で病院へ、そして次の日から意識が無くなり、一週間後に息を引き取りました。
私はその瞬間にも立ち合うことができませんでした。

生前は、私は仕事なので一人きり。最期も一人で逝かせてしまいました。
延命処置も断ったのは私です。

今年、三回忌となりますが、未だにあの時こうしてあげれば良かった、なぜあんなこといってしまったのだろう、最期にありがとうも言えず、後悔と悲しみの毎日です。

他人からすると、ただのマザコンなのかもしれません。
毎日、成仏し、父やご先祖様と幸せに過ごしてくださいと祈ることしか出来ません。

ただただ毎日冥福を祈り、悲しみが癒える日が来るのを待つしかないのでしょうか?それともいつまでもクヨクヨ引きずっている私の精神が弱いだけなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

悲しい時は悲しいのです。

こんばんは。

このサイトを利用されておいでのご様子、
既にいろんなアドバイスを受けてこられたのだと拝察致します。

母上の三回忌、みまかられてから早いもので丸2年が経過したのですね。
あんくまさんのご心中、察するに余りあります。
多分、私も貴台の立場ならば同じような心境に到っていると思うからです。

我が親を思慕することが、もしもただのマザコンという人がいるのなら、
そのようにしか考えられない人なのですから、ほっておけばいい。
それほどに我が子から慕われていた母上は幸せだと思います。
そして何よりも成仏されて我が子の幸せを願っておいでだと思います。

思うに、貴台は母上が亡くなられた事実を、
精一杯受け止めようとされておいでなのだと思います。
受け止めるという思索的行為は、辛いと拝察します。
それが2年続くのか3年続くのか…人それぞれだと思います。
私はそうした思いを今すぐにやめなさいとは申しません。
その行為そのものが、母に対する我が子の愛情だと思うからです。

でも、いつの日にか“受け止める”ことから“受け容れる”時が来るはずです。
事実を受け止めるには苦痛を伴いますが、
受け容れることには苦痛は伴いません。
何度も言うようですが、
いつの日にか必ず、受け容れられる日が巡ってきます。
そのことを心の片隅にとどめておいて下さい。

仏の慈悲もまた然り、我々凡夫の苦悩を受け止めて下さるのではなく、
仏は我々の苦悩を受け容れて下さる存在なのです。

クヨクヨすること、気で病む必要はないですよ。
悲しい時は悲しいのです。
ムリにぬぐい去る必要はありません…。

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この世で何年、一緒でしたか?

あんくまさま
ご無沙汰しております、なごみ庵の浦上哲也です。

幼い頃から病弱で、心配をかけ苦労させたと仰っていましたね。
でも、あんくまさんが非常に健康であっても、どんなに絶好調で暮らしていても、やはりお母さまは心配をしたと思います。それが親、特に母親という存在なのです。

「釈迦涅槃図(しゃかねはんず)」という絵があります。お釈迦さまが亡くなる場面を描いたものですが、上空にお釈迦さまのお母さまが書かれています。お母さまはお釈迦さまを産んで7日後に亡くなったと伝えられています。おそらく20代でしたでしょう。

そして80年後、悟りを開き、自分よりも遥かに年上となった息子が亡くなる時、それを嘆き心配し、天界から秘薬を届けようと降りてくるのです。お釈迦さまですら、母親は心配するのです。

1人で逝かせてしまった、延命処置を断った、最期にありがとうと言えなかった。後悔は耐えることがないかもしれませんが、あんくまさんのお母さまは仏さまの世界で、「そんなことを気にしないで、元気に過ごしてね」と微笑んでおられると思います。

悲しみの気持ちについてです。
あんくまさん、お母さまとはこの世で何年一緒にお過ごしになりましたか? 何十年も過ごされましたよね。そんな方を失った悲しみが、1年や2年でどうして消し去ることができるでしょうか。
何年でも時間をかけてよいと思います。じっくりと受け入れていって下さい。

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浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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自分の想いにだけに生きない

誤解される表現かもしれませんが、お母さんへの最大の供養は自分の想いにばかり生きないことです。お母さんが人の子の親としてこの世に生きて、あなたという人をそこまで育てて、この世を去ったという事。
お母さんが母の子としてあなたにのぞんだことがあるはずです。
命を授けてくださったお母さんが生命存在としてのあなたにも託したことがあるはずです。
それが宗教心なのです。
あなたがあなたの人生を生きる事。
そして他者とのかかわりをより良くしていく努力を惜しまない事。
母の愛を他者にめぐらし向ける事。
この世に生きていく上で望まれている生き方があるはずです。
自分の中のインナーマザーと向き合い、互いに浄化し、赦し合うことです。
感応道交という言葉があります。
どうぞ、お母さんとの心の交流、語らい、関係が最上になる様、ただお供えをするということばかりでなく、語らいを大切にしてください。
自分の想いだけに生きない、ということは「こうだったんではないだろうか」「こうかもしれない」「こうなんじゃないだろうか」というセルフマインドに陥らないということです。
埼玉ではお墓にコメをまきます。コメは舎利、亡き人への供養ということもありますが、普く広くに供養し、シャリ(遺骨=亡き人へのそばに置いておきたいという想い)を手放す象徴行為でもあります。あなたが母の深愛に導かれ多くの人に母から授かった愛を広める事が永遠に生きるお母さんをこの世に誕生させることになります。和尚の布教活動、檀信徒の強化活動が慈悲、愛を広める、とはそういう意味合いもあるのです。

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洞然坊の大橋慈峰です。

始めまして、大橋です。母上様お亡くなりになり、心中お察しいたします。
私も昨年母の3回忌を勤めました。私もお母ちゃん子で、何でも母でした。苦労かけました。心配もかけました。父が他界後一人で暮らしていましたが、痴呆症もでてきて、自坊に引き取り
一緒に暮らしていました。最後は老人病院に入り、病院で亡くなりました。私も母の最後は見送り出来ませんでした。息を引き取り5時間後に病院に到着、息を引き取取る時に私の事、息絶え絶えで聞いていたと聞き、恥も外聞も気にせず病院内で大泣きいたしました。それで気持ちスッキリしました。悲しいけど、無事 通夜、葬儀執りえました。今でも遺影見ると涙出て来ますよ。この文面打ちながらも、涙出て来そうですよ。親子ですもの。だけど悲しみがこの頃、想い出とスライドする様になって来ました。母との思い出の最後が葬儀と思える様になって来ました。
寂しい時、悲しい時、ご仏前でどうぞ涙お流し下さい。人の子供ですから当たり前です。
そして手を合わせ、供養して上げた下さい。きっと喜んでおられますよ。
只そろそろ悲しい思い出ですが、お母様の事想い出として心に残して下さい。
私もその様に努力しています。

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大橋慈峰
始めまして、洞然坊の大橋慈峰です。小さな修験道のお寺で、住職しています。
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質問者からのお礼

藤波 蓮凰様
ご回答ありがとうございます。
いつの日か受け容れる日が来ることを待ちながら供養を続けていきたいと思います。
ありがとうございます。

大橋 慈峰様
ご回答ありがとうございます。
大橋様もお母様を亡くされ、お辛い中、ご回答頂いたのですね。
子供の頃から入退院、阪神大震災、父の死等、大きな出来事があり、
助け合いながら、と言うより、助けてもらうことばかりでした。
母は気の強い人だったので、喧嘩もよくしました。
仏前で涙を流す事は無くなってきましたが、やはり写真を見ると。
良い思い出として、気持ちに区切りを付け、前向きに 生きる努力をしなければいけませんね。

丹下 覚元様
ご回答、ありがとうございます。
自分の想いにだけ生きない、今の私には難しいお言葉かもしれません。
しかし、いつまでもこのままではいけないと自分でも思います。
ありがとうございました。

浦上 哲也様
ご無沙汰しております。
今回もまたご回答頂き、ありがとうございます。
周りの方々からは、もうそろそろ気持ちに区切りを付けて…亡くなったお母さんも浮かばれない等のお言葉を頂戴します。母もそれなりの年齢、私もいい歳をしていつまでもと思うところもあるのですが、病を抱えた母でしたが、早起きで、たまに寝坊すると、私はビックリして飛び起き寝ていることを確認してホッとしたり、仕事中も倒れていないか心配の毎日でしたので、今でもよく飛び起き、ああ、もういないんだな心配しなくていいんだなと安心やら寂しさやら複雑な心境になります。
母に対する色々な想いは一生消えることはないと思います。
受け止めるのに何年かけても良いと言うお言葉に、救われるような、また安心するような気がします。
これからも出来る限りの供養をして行きたいと思います。ありがとうございました。

「親・家族・恋人・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

父の死に激しい後悔

 こんにちは。日に日に積もる気持ちにどうしようもなく、相談させて頂きます。  父の死に後悔ばかりです。2~3年前から股関節骨折を機会に父の持病が悪化し、病院から老健の行ったり来たりで、父は家に帰りたいとか死にたいとか言うようになりました。  もともと父と私は昔から喧嘩ばかりしていて、口も聞かない時期が沢山ありました。  そしていたずら電話を何度もするようになり、電話に出ても何も言わないでこちらの声を聞いたりしてましたが、私はキレてきつい言葉で罵りました。言い過ぎたので悪いと思い病院に顔を出しましたが、父は普通に話してくれました。  でも父との最後の会話は 父『家に帰りたい』 私『痰を常に取らないといけないから仕事あるから無理』 父『私の心配はしなくてもいいから帰りたい』 私『いい加減にして!お父さんの心配なんか一つもしてない。私は自分の仕事と将来のだけを心配をしてる。絶対に嫌』 父『あーもうーいい加減にしろ』 父『もうお前に頼まん』  絶望のような声で言ってました。これで二週間後に危篤になり、息を引き取りました。  またきつく怒鳴ったのでそろそろ顔見せに行こうかと思いながらも、また家に帰りたいと言われたらどうしようと思って、顔を出すのを控えてました。  危篤の父に何度も謝ろうと思っだけど『介護の何一つもしていない自分が言える言葉か』と思いなぜかどうしても言えませんでした。  今、後悔しかないです。本当に自分の愚かさが嫌になります。今ごめんねと謝っても後悔ばかりです。父はどんな思いでイタズラ電話をしてきたのか。どんな思いで帰りたいと言ったのか。  私が有給をとり自宅介護を一週間でもした方が良かったのに、私は汚い言葉で罵る事しかしなかった。。。もっと言い方はあっただろうに。。ただ怒るだけの私  お葬式で家に遺体を運んだ時に、亡くなってからでしか家に帰れなかった、父のその姿が頭から離れません。  日に日に思いが強くなり、激しい後悔です。この気持ちにどう折り合いをつけたらいいでしょうか。ご教授お願い致します。

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弟の死を未だに受け入れられないです。

2022年1月に、4つ下の弟を自死で亡くしました。 亡くなってから気づくもので、同じ年の8月ごろから自ら死を選ぼうとしていたようでヘリウムガスを購入していました。 私は結婚して家を出ているので、祖父母と両親と5人暮らしです。普通の家庭で、何不自由なく育ったと私自身は思っています。 弟とは仲が良く、結婚して家を出てからも二人で飲みに行ったり両親を連れて出掛けたり、私の家族とみんなで旅行に行ったりしていました。なぜ死を選ぶのかが、正直わからない程です。 弟が亡くなってから、弟の友人に聞いたのですが中学生ごろから「そんなに、長生きはしたくない。」大人になってからも、「どうせいつか人は死ぬんだから自分で自分が死ぬ年齢は決めたい。」などといっていたようです。今思い返せば、弟が20歳になった時に私と母に「20歳まで生きるはずじゃなかったんだけどなー。笑」と言ってきたことがあります。 未だに、弟がいないという現実を受け入れたくないので考えないようにしている自分がいて時間が経てば経つほど苦しいです。 自死を選んで後悔してないのか。気になって気になって絶対にわからないのに答えがほしいです。 出棺のときに、霊柩車が実家に向かう途中にエンジントラブルで3.40分遅れたり 告別式で拝んで頂いているときに私の主人の数珠が突然弾けて数珠がすごい勢いで散らばったりハプニング続きで、葬儀会社の方もこんなこと初めてだと驚いていました。その出来事がなおさら、やっぱり死ななければよかったと思って後悔しているのではないかと思えてなりません。 何か、いいお話が聞ければと思ってこちらに書きました。よろしくお願いします。

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夫と死別。ずっと苦しいままです。

2週間前に夫を会社の事故で亡くし死別しました。 現在2歳児の息子がいて2人目妊娠中36wの妊婦です。 これから先、どうしようと途方に暮れていましたが 義実家が受け入れてくれお世話になる事になりました。 義両親はとてもよくしてくれ関係もすごく良好です。 夫が亡くなった日の翌朝、夫のスマホから 連絡を取ったりしないといけない用事等があり パスワードを入力し開くと何通か通知が来ており 急ぎかな?と思い開きました。 夫はTwitter、Instagramで裏アカを作成し、 その他出会えるアプリに登録しており 何人もの人と不貞行為におよんでいました。 亡くなった翌朝に会う約束をしてる人もいました。 私には残業があると言っていたので すごくショックを受けました。 また、不貞行為を始めたのは私の2人目の妊娠がわかった時位からでした… 私がつわりが酷くて保育の送り迎え往復4、50分かかってつらかった時も 夫は3交替で私はワンオペ、家事育児仕事の両立がきつくて泣いていた時も 早出や遅出や会議や出張や飲み会があると ずっと嘘ついて女性と会ってたやり取りが見つかり その日からずっとふとした瞬間苦しくなります。 私と息子の存在は夫にとって何だったのかな? 亡くなった後に久しぶりに乗った夫の車から息子の チャイルドシートが外されトランクに隠されていて あー夫は他の女性をこの車に乗せて 独身であることにしてたんだなあと思い、 リュックサックからバイアグラも見つかり虚しくなりました。 夫が亡くならなかったら私は一度も夫を 疑いもしなかったし気付かないままだったと思います。 夫の死はとても悲しく、だけど呆れや虚しさや 腹立たしい気持ちもあり今でも涙が出ます。 夫は最期まで私や息子を愛してくれていたのでしょうか… ずっと苦しい気持ちが消えません。 どうしたらこの気持ちが消えてくれるのでしょうか。

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夫が急逝しました。

初めて投稿いたします。 私はうつ病を抱えております。 答えが欲しいというより聞いていただきたいのです。 今年の2月、長い間病と闘ってきた夫が急逝しました。 夫は若い頃から腎臓と心臓に病を抱えていて、40代で人工透析を受ける事となりました。 それも長期になってくると身体に負担がかかります。 不整脈もあって、50代後半には仕事に支障が出るほどに体調が悪化。 そうなると次は腎臓移植です。 しかし移植を待つ患者は多く、順番が回ってくるのはいつになるか。 そこで私は、私の腎臓を移植する事を夫に提案しました。 最初はとんでもないと固辞していましたが、やはり体の辛さに耐えられず、数年かかってやっと承諾してくれました。 このまま透析を続けてもいつまで生きられるか。 それなら私の腎臓を移植して生き永らえる時間を延ばせれば。 そして2020年4月、夫婦間生体腎臓移植手術を受けました。 しかし、ここから再び夫の苦難が始まってしまったのです。 入院中に様々な病気を併発し、退院できたのは2ヶ月半後。 元々筋肉質だった夫は痩せ細り、1人で歩く事もできなくなっていました。 しかし私は心配していませんでした。 元々楽天的で努力家の夫は、私がセーブしなければ頑張り過ぎてしまう人でした。 ところが今回は違いました。 なかなかリハビリを始めない夫を私は叱咤激励し、時にはなじってしまいました。 今なら理解できます。 移植手術は思ったよりも夫の身体に負担を強いたという事を。 もう遅かったのだという事を。 移植を受けたため、夫は免疫抑制剤を常用しなければなりません。 世間ではコロナが蔓延していた時期。 ワクチンは都度接種し、外出時はマスクをし、手を消毒、帰ってきたら手洗いうがいをさせ、注意していたつもりでした。 しかし昨年末、夫がコロナに罹患してしまったのです。 最初はまさかコロナだとは思わず、年末年始という時期もあり、家で様子をみる事に。 ところが年明け早々呼吸困難に陥り、救急車搬送となりました。 そして入院から1ヶ月ほどで、突然心停止し、そのまま逝ってしまったのです。 私は今、悲しみと後悔の念に苛まれています。 私にはまだ実父と義母、そして飼い猫を見送るという役目が残っています。 それを終えたらもうすべき事はありません。 いつか仏様の元で亡き人々の冥福を祈りながら過ごす、それが今の私の願いです。

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夫が亡くなりました

昨年末に夫が亡くなりました。 結婚30年目の事でした。一度離婚して別居した事があったのですが、その後思うところあり再婚し、私は別居先で仕事を始めてしまったので、週末婚の状態で過ごしていました。 週末には必ず一緒に過ごし、買い物したり、ご飯食べに行ったり。 夏には私と一緒に別居している娘達と旅行に行っていました。 しかし、昨年は年頭から私たちがコロナに次々と感染し、更には娘が職場で怪我をする、更年期の私は外出もままならない、となり、一度も会いに行けないまま、年の瀬を迎えてしまいました。 しかし、年末恒例でいつも私が年越しの料理を大量に作って持っていくのが定番でしたのでそろそろ、と思っていた時に、同居していた息子から『父が死んでいた』と連絡が来たのです。 それからの事はあまりよく覚えていないのですが、自宅で亡くなったので警察に遺体を持っていかれ、家では会えなかった事、身内が殆どいなくなっていたので子供達だけで火葬した事、それまで全く泣かなかったのを覚えています。 ですが、今年になってからの半年は相続関係、遺産分割などで段々と主人がいないんだと思うと泣く、と言うより胸を掻きむしりたいくらい自分が悪女になったようでどうしたらいいのかわかりません。 主人はどんなに寂しかったろう、たった1人で冷たい部屋で最後にどんな思いで逝ってしまったのだろうと思ってしまいます。 私はどれほど酷い妻だったのだ、と泣く資格なんてお前にあるのか、と言われている気がするのです。今更遅いのはわかっています。でも、どうしたら主人に詫びる事ができるのでしょう。納骨もしなくちゃならないのはわかっていますがまだ、離れたくなくて自宅においたままです。生前から散骨希望ではあったけど、そうしたらもう本当に主人はいなくなってしまう。 一体どうしたらいいのかわからないのです。 夢にでも出てきて私をとことん罵ってくれればいいと思うのにたまに夢に出てくる主人は穏やかに笑って昔みたいに一緒に料理したり、キャンプしたりなのです。 亡くなった人と会話ができたらいいのに、と思うばかりで胸が苦しくてたまりません。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ