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お葬式で悲しくなれない

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これまで自分の祖父母四人、夫側の祖父母三人、自分の父親を亡くし、葬儀に出ています。

しかしいずれの葬儀でも悲しみが全くなく、葬儀中ずっと「疲れた、早く帰りたい」という感情しかありませんでした。

死後何年経っても悲しみは訪れません。

いとこたちは号泣しているのですが、思い出がない人が死んで何が悲しいのかわかりません。
祖父母とは同居していませんでした(いとこも)し、年に一度会えば多い方。
父親とは流石に同居していましたが、朝六時に家を出て夜12時にならないと帰ってこない父親には「お金を持ってくる人」という思いでしかありません。
もちろん私のために働いてくれていたのは理解していますが、思い出がないことにかわりはありません。

人は、思い出がない相手でも血縁者がしねば悲しいと思うものなのでしょうか。
思えない私は何かを間違っているのでしょうか。
子供を持てば気持ちが変わる、という回答はご遠慮いただければと思います。
(生まれてから一度も子供を欲しいと思ったことがありません。10年以上ピルを飲んでますので子供を生むことは一生ありえません。産むくらいなら死んだほうがマシです。)


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

思い出が無いからこそ、追記

悲しく無いのに無理に悲しむ必要はないですよ。
思い出が無いなら悲しく無いのも当然でしょう。

ただ、思い出が有るから悲しいというのが普通かもしれませんが、思い出が無いからこそ悲しいということもあると思います。

本当はもっと話をしたかった。
苦労した話、失敗した話、恋愛、夫婦の馴れ初め、楽しかった話、出産育児、色んな話をもっと聞きたかった。
もっと一緒に遊んで欲しかった。
もっと一緒にいろんな所に行きたかった。
もっと相談に乗って欲しかった。
もっとあなたを応援して欲しかった。
でも、もう叶わない。
その事が悲しい。
ということもあると思います。

あるいは、亡くなった人があなたとの思い出を作ってくれなかった事に対する、潜在意識での反抗心なのかもしれません。

しかし、祖父母やご両親のおかげで今あなたはそこに居るのです。
その事については、ありがとうと言ってあげてください。

いつかはあなたも極楽浄土に行くでしょう。
皆さんと極楽浄土で再会するでしょう。
その時には、現世で作れなかった思い出をたくさん作ってください。
合掌 南無阿弥陀仏

追記
それなりにまともな親に当たったのは幸運?
それは違います。
親のお陰なのです。
あなたの命の元になった卵子はお母さんから、精子はお父さんから、つまりあなたはご両親の一部なのです。
そして、育ったのはその両親のあなたへの愛情と毎日の努力があったからです。
決して運などで片付けられる事ではありませんよ。

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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感情も人それぞれなのでそれで良いのでは

個人的な意見ですが悲しくないなら悲しくないで良いと思いますよ。
ただ、今のご自分が存在しているのはお父様や祖父母の方々が存在していたからというのも事実なので、感謝はしたほうが良いと思いますよ。

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有り難し
おきもち

初めまして。 私は山梨県の信楽寺というお寺の住職をしております清水雅典と...
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思い出がない

思い出がないのに感情が出てこないのは当たり前かもしれませんね。
ご質問の内容、又子供は欲しくないと言う事から、
育った家庭環境が大変だったのでしょう。
そのような状況では仕方が無いと思います。
普通の人には分からないでしょうね、貴方のような複雑な気持ち。
しかしそれが貴方の人生です。力強く生きて下さい。

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有り難し
おきもち

50代、妻と娘2人。 若い頃はタイやインドなどアジアを中心に10年程旅行...
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質問者からのお礼

回答ありがとうございました
確かに気持ちはそれぞれですね

しかし「祖父母や親がいるからあなたがいられるから感謝して」という気持ちも、形式的にしか感じられない昨今です

祖父母や親の時代は子供を産まないと世間体の悪い時代ですし、
産んだ以上育てるのも当たり前だよなとも思います

ハズレ親で虐待される子供もいる中で、それなりにまともな親にあたったのは私の幸運なんだとは思いますが、感謝すべきなのかはよくわかりません
虐待したとしたら犯罪者になるのは親の方だったのですから

ひとまず、ありがとうございました

「葬儀」問答一覧

祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

有り難し有り難し 5
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ