皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

怒られること、叱られることが怖くてしょうがないです。

ご質問させていただきます。

昔から、両親から褒められず、叱られて(怒られて)ばかりで育ちました。
そのためか、誰かから叱られたり、怒られたりすることが怖くてしょうがないです。
物事を誘って、断られるのも怖いです。

例えば、誰かを「今度食事に行きましょう」と誘ったとします。
当然、仕事が立て込んでいたり、他の用事が入っていたとしたら断る、という選択肢はあるはずです。
これが頭で理解していることだとしたら、心で思うことは、こんなことです。
つまり、「私が嫌いだからそういうことを言うんだな」と自動的に思ってしまいます。

怒られる、叱られる場合もそうです。
そういうときには、「私の行動や私によって引き起こされている状況をとがめている」が正しい認識であるはずなのに、「私という人間そのものが否定されている」と思ってしまいます。

ここに書き込む前に、自分なりに状況を消化してみました。
おそらく、自分が大嫌いで、自己評価が恐ろしく低いことと関係はしているのでしょう。
(私は心理学の専門家ではないので確かなことは言えませんが。)
「自分は受け入れてもらえるような存在ではない、否定されて当たり前なんだ」と思ってしまっているからこんな状況が引き起こされているんだと思います。

よく、こういう人に対して、「ありのままでいていいよ」という言い方がされると思います。
「ありのままでいる」ってどういうことですか?

なんとなく同じような事ばかり質問して申し訳ありません。
ただ、私という人間の根源にある問題が同じである以上、同じようなトーンの質問になってしまうのは仕方ない、とは思っています。

後悔・自己嫌悪
有り難し 97
回答 6
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

心の主権を外部に委ねないように

「ただそしられるだけの人、あるいはただ褒められるだけの人は、過去にもいなかったし、未来にもいないだろう。現在にもいない」(法句経228)

あるときお釈迦さまと弟子たちが長い旅をしていると、あとから二人組の男がついてきました。お釈迦さま一行を前にして、ひとりは厳しい言葉でけなし始めました。もうひとりは反対に、あらゆる賛辞の言葉で褒めちぎりました。二人の非難・賞賛は道中ずっと続いたのですが、弟子たちは全く気にすることなく平然としていました。その態度を見て、お釈迦さまもこう言いました。
「誰かが私を誹謗しても、決して怒ったり、不機嫌になったり、不快になってはならない。あるいは賞賛しようとも、喜んだり、嬉しがったり、得意に思ってはならない。それはあなたたちの障害となり、なにが正しいか、正しくないかを判断できなくなるからだ」。

ひとの評価は、あくまで相手のフィルターを通して現れた主観的なものです。その内容が真実かどうか、採用に値するかどうかは全くの別問題。

批判はおおむね「その人にとって」好ましくない、気に入らない、役に立たない、理解できない、あるいは単に機嫌が悪いときに現れます。的を射た指摘で、一理ある、自分に役に立つと思えば耳を貸すべきです。そうでないのなら気にする必要はなく、まして相手の悪意や勘違いまで真に受ける義理はありません。

いつも褒められたい、賛同してほしいと思うことも危険です。冒頭の通り、私たちは褒められるだけの生き方は決してできません。また賞賛の評価も、批判と同じくらいあてにならないものです。本当に全てを理解し判断した上で、心からの賛辞を送っている人はどれくらいいるでしょうか。

「自分はいま、どうあるか」という真実を見失わないために……外部からの声に心の主権を握られないよう、気をつけてまいりましょう。
不確かな「他人の評価」を避けることのできないこの世だからこそ、それに揺るがされることのない心を育てることが、唯一の解決策ではないかと思います。

自分にとって、よりよい生き方とは

あねぱんさん、心中お察しします。
上から怒鳴りつけられると恐いですよね!!
実は私もそうでした。
結果、うつ病になりました。
人間は不安や恐怖を常に抱えて生きています。
なぜ不安や恐怖があるかといえば、生存確率を上げるためです。
事実、人類の長い歴史の中で不安や恐怖がなかった人は生き残っていません。
つまり、不安や恐怖があることは生きるためには必須の能力なのです。
では、どうやったら不安や恐怖を和らげられるのか?
1番は「環境」を変えること。
次はストレス耐性や自分自身を変えることなど。
人は基本的に変わりたくないと思って生きています。
だから、あねぱんさんが相手を変えようと思っても変わりません。
あねぱんさん自身が変わるしかないのです。
このような理由から、1番の「環境を変える」となります。
ここで大事なことは、あねぱんさんがどんな「価値観」で生きるかです。
あねぱんさんがどんな「価値観」を優先するのかにより、選択肢が異なります。
ですから、自分は何を大事にして生きるかが大事になります。
価値観を見つける具体的な方法は、紙に書き出す事です。
やり方は他の方の質問で伝えていますので、参考にしてみて下さい。
この紙に書き出して考える方法は応用できますので、マスターするといいですよ。

「ありのまま」はクセモノ

あねぱん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

少し自己嫌悪・自己否定に陥られておられるご様子・・

前回のご質問でも少しお答えさせて頂いておりますように、自己嫌悪に陥らずに、自分に自信を持っていくためにも、これから善き順縁を得ていけるように調えることが大切になるのではないかと存じております。少しだけでも、前向きに、明るく、元気良くを心掛けていかれることだけでも、少しずつ変わっていくのではないだろうかと存じております。

『「ありのままでいる」ってどういうことですか?』・・「ありのまま、ありのまま」・・もちろん、蟻のお母さんのことでは無いのは誰もが分かりますが(爆)、この「ありのまま」というのは実はかなりのクセモノであると拙生は考えております。

正直、「ありのままでいい」と言われても、あまりにもありのままの答えすぎてなんだか結局わからないですよね・・(笑)

映画「アナと雪の女王」が大ヒットしているようですが、そのテーマソング「Let it Go」の和訳歌詞で、「Let it go, let it go」が、「もういいの、ありのまま」「気にしない、ありのまま」 と訳されていますね。

ケチを付けるわけではありませんが、「ありのまま」でいいならば、特に別に何もしなくてそれで良いこととなりますが、じゃあ、それで何か現実の問題が解決されるのかと言いますと・・当然に解決されるわけがありません。

特に仏教では現実における数々の苦しみの解決のために、釈尊は四聖諦という真理から法輪を転ぜられることとなりました。もしも、「ありのまま」でいいならばそんなことを説かれる必要もなく、「ありのままで良いですよ」と一言で済むわけです。しかし、実際はそんなわけには参りません。無明・煩悩・悪業を抱えて迷苦の闇路を彷徨い続けている私たちの現実が、そのままで良いですよとなるのであれば、仏教も何も必要では無くなってしまいます。あるいは、世間での道徳や倫理、法律というものでさえも否定されてしまいかねません。

この「ありのままで良い」という考え方はかなりのクセモノです。字数の関係上ここまでとなりますが、また機会がありましたら更に詳しく扱わせて頂きたいと存じております。

川口英俊 合掌

否定されて当たり前ならば、何を怖がっているのですか?

質問ありがとうございます。
お疲れ様です。

少しきつい言い方を致します。

あねぱんさんは、一体何を怖がっているのですか?
自分の評価が低く、否定されて当たり前なのであれば
断られようが怒られようが、そこには怖さはないはずです。

しかし、怖い。わかります。
ですが、その怖さの正体はなんでしょうか。

あねぱんさんが怖いのは「可能性がなくなることが」怖いのではないでしょうか。
何かアクションをして、断れられていない自分がもしかしたらいるかもしれない という自分が
なくなることが怖いのではないでしょうか。
可能性がなくなってもいいと割りきってアクションをし続けてみると
不思議と可能性は開けてくるんですよね。

今を変えたいのであれば、ありのままでではダメです。何も変わりません。
ですが、過去も全く関係ございません。自分でそう思い込んでいるだけです。
自分のその恐怖の正体を過去とはまったく結び付けずに考えてみてください。

そうすると、その恐怖とは自分が恣意的に作り出していた虚像になりませんか。
今、それに気付くかその虚像と付き合い続けるかは、あねぱんさん次第かと存じます。

「愚かに迷い、心の乱れている人が百年生きるよりは、知慧あり思い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。」 ダンマパダ

あねぱんさん、こんばんは!
昨日とは違う答えをしてみます。

あねぱんさんは、全然褒められずに育てられたそうですね。それで、健全な自己愛が持てていない。まったくその通りだと思います。
おそらく、ご両親も自己愛が不十分ではないですか?
ご両親から見たら、嫌いな自分の子だから、褒めることが出来ません。
ご両親の生い立ちなと、良く理解してみて下さい。

ところで、自己愛は、自分で起こすことが出来ないので、外から自分を変えるのが良いです。
良くあるのは、「自分のこと大好き」と言う。
もちろん、嘘でかまいません。
浄土真宗は、南無阿弥陀仏を声に出しますが、これば、仏様のメッセージを自分の心に届ける為です。
同じ作戦で、「自分のこと好き」というメッセージを自分の心に届けるのです。
好きの前に「自分を許します」かもしれません。
本当に声に出して言うんですよ。
これが出来るようなら、取りあえず安心なのですが。

ネガティブに怒られるより ポジティブに怒られなされ

何でもかんでも流行りの ありのまま ではいけませんわよ。
アタシはウソつきで人殺しだけど「ありのまま~♪」
逃亡中だけど「♪これで~いいの~」では×です。
あなたは過去に受けた被害が怖くて自己防衛的に守り姿勢に入っているだけだと思います。
これは防衛反応なんだなぁ、と思ってみましょう。
その反応自体を否定、拒絶、防衛から、肯定的、賛同的、受け入れ的なものに変えればイイだけです。
あなたは過去、自分を傷つけられた、損ねられた、喪失感を根強く残しているだけです。
個々で申し上げる❝反応❞は、出来事に対する、認知、感覚、評価の全てを含めます。
あなたの反応は現在、ネガティブですが、その反応をもっとモエモエ、ポジティブ、プラス、前向きなものに変えることができます。もちろんアナタお気持ち¥次第で(笑)
人生が変わる、変える、という事はそういうことです。
その為には過去の評価を損失ではなく、自分を向上させたもの、と思って頂くことです。
こんにちまでアナタを成長させてきた、過去を愛せないのは、過去傷つけられたことばかりに焦点が当たっているからです。
殻にこもっていないでありのままという妄想に陥らずに、ありのままの真意を知り、より良い自分に目覚め、自分を幸せに変えるために一度日曜三時の坐禅会に参加なさると良いでしょう。
質問者さん、並びに自分を変えたい方、お電話、お待ちしております。


質問者からの有り難し - お礼

まず、お礼が遅くなりましたことをお詫び申しあげます。
まとめてのコメントで申し訳ありません。

おそらく、皆様がご指摘なさるように、「否定されることを恐れている」ことが最大の問題点なのでしょう。そして、自分の中に「自分はこれが大事」と思える絶対的な価値観を築けていないことも同じく問題なのかもしれません。
それを意識して生活するだけでも変れるのかな、と思います。

よく考えた上で、変化があったら追記したいです。

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