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病気

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30歳を過ぎだ頃から体調不良が続いています。一つの病気がようやく治ったと思ったら、また別の病気が発覚します。

どれも日常生活に支障がある病気ですが見た目には健康なので周りの人達との関わりに悩む事もあるし、どうしても、そんなに悪い事をしてきた覚えはないのに何で次々に病気になってしまうのかなぁと落ち込みます。悪気のない励ましのつもりでしょうが、病は気から等の言葉をかけていただく事にも疲れました。

心が疲れた時に気持ちを切り替えられる良い方法はないかと相談しました。


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お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「病気=不幸」では無いと思います

誰でも「常に健康でありたい。」とは思いますが、現実にはなかなかそうはいきません。程度の差こそあれ、誰もが何らかの持病を持っていたり、様々な病歴を抱えております。今は健康であっても、歳を重ねるごとに病気の種類と服用する薬の種類が増えて行きます。生きていく上で、避けて通れないことです。でも、今の年齢で「一つの病気がようやく治ったと思ったら、また別の病気が発覚します」ということが続きますと、確かに心穏やかでは無いと思います。気持ちが落ち込むのも当然だと思います。

仏教の根本的な教えの一つに「諸行無常 ものごとはすべて移り変わる」があります。諸行無常なるが故に、あなたの健康が更に悪化する可能性は否めませんが、一方で病気が治癒し健康な生活を謳歌できる可能性もあると思います。
住職として、檀家さんたちの一代記を見聞させていただくことがあります。健康を誇り「殺しても死なない」と豪語していた方が働き盛りの時に急死したりする一方で、幼少期から「身体が弱い」と言われていた方が中高年になってから健康になり、百歳近くまで元気に生活し「ピンピンコロリ」の大往生を遂げたりという例もあります。

 仏教では、一切行苦(この世のすべての現象が自分にとって苦である)と説きます。この世に生を受ければ必ず付随してくるものです。「苦」であることには間違いないですが、よくよく考えてみれば人生の中で必ず経験することです。「当たり前のこと」です。
 どんな名医だって「脈」と「顔色」と「心拍」だけで健康状態のすべてを把握できません。当然、他の人々が医者以上にあなたの健康状態を理解することは出来ません。あなたの苦しさを正しく理解してはくれません。そして、あなた自身もすべての方の健康状態を理解できるものではありませんし、常に適切な見舞い看病が出来るとは限りません。
でも、病に苦しんできたあなただからこそ、病に苦しむ人のことを理解し、寄り添ってあげられることも有ると思います。病を通して、視界が広がる事もあります。気付かせていただくこともあると思います。

 最後にもう一言。表題に書きましたように、「病気=不幸」では無いんです。病に罹るのは仕方がないことです。でも、病に苦しんだとしても、「いい人生だったなあ。」と振り返る事が出来る生き方は、必ずありますよ。

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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上手に病気になった方が良いです。

病気は、上手に病気になる人と、ヘタに病気になってしまう人に分かれます。
わたしは病気になっても❝上手に❞病気になるように心がけています。
上手に病気になるという事は、体が病気であっても心では凹んだり、沈まないようにすることです。
反対に❝ヘタに❞病気になるというのは、体も病んで、心も病んでしまうことです。
心が病むとは、ガッカリ感、損した感、凹み、落ち込み、憂鬱、陰鬱、暗い、ネガティブ、元気がない、…です。
体は確かにしんどいです。
今も体は患っていますが、こうして回答して誰かの支え、助け、サポートはできます。
同じガンでも、元気な方、落ち込む方、がいます。
どうせ同じガンなら元気に上手にガンになるほうがよいと思いませんか!(^<^)
体は病んでも、心までは病に負けてはいけません。
心を切り替えるのに良い方法、ですか。
心は実は常に切り替わっています。
前のことを離れて、どこにも残り物がありません。
鏡にモノを映しても残り物は無いように、あなたの心は今、おつらいことも確かにおありだったでしょうが、ちゃんとあなたの心の鏡は、そのことをキチンと終わらせていて、残り物はどこにもありません。
心は切り替えるモノではなく、切り替わっていることに気づくことで悟りと等しい状態になるのです。
病を乗り越える方法を記しておきます。
病にありては、いたずらにこころ病むことを良しとせず、病であることを厭い嫌わず、身は病にあっても病である心身を忘じて、病なれども心では病まず、ただ為し得ることを為せば、それは病気とはいえ、病痛はあっても、病苦や病の憂いはありません。
どうぞ、上手に病気になってください。

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感謝の心を持てるように

Saru様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

病気に対しての落胆、不安なお気持ち、お辛い心中の程、誠にお察し申し上げます。

私たちには八苦(生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦)の苦しみが代表的にございますが、病気ももちろん苦しみとしては大きなものがございます・・生きていく中では皆、大なり小なり、それこそ風邪の一つもそうですが苦しむものでございます。

もちろん、拙生もこれまで入院や手術も経験しておりますし、最近では毎年の人間ドッグで色々と経過注意や要検査など引っかかることも増えて参りました・・誠に結果を見るのが毎回嫌になってきました・・ましてや胃カメラで「生体を採って検査に出しておきましたよ」と言われると、結果が出るまであれやこれやと悩んでは不安に陥ってしまいます・・

そのため健康な内に、できる内に、やれることは何とかしておかないとと、どこか日々焦りの気持ちがございます。hasunohaへのご回答も今の元気でできる内に、できるだけはと心掛けております。

しかし・・Saru様は体調不良、病気がずっと続いておられるご様子にて、本当につらいことでございます・・

病気にはもちろん何らかの原因があるのは確かですが、先天的なもの、遺伝的なものなども含めて、なかなか医療技術の発展でもまだまだどうにもならないこともあるだけに、尚不安に陥られるのも仕方のないことでございます・・

以前にも難病で悩まれておられる方から下記のご質問がございました。

問い「周りにイライラします、、」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002972380.html

この際には、「有り難い」の語源について扱わせて頂いておりますが、病気にてできないことをあれこれと思い浮かべては悩み苦しむよりかは、そのような中でも「有り難く」できること、やれることへと目を向けて頂いて、できましたらその一つ一つに感謝の心を持てるように少しでも気持ちを切り替えられるようになさられると良いのではないかと存じております。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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Saru様。

もう為さっては居られるとは存じますが、精密検査を再度お受けになっては如何がでしょうか。
それも、大きな病院で…
それと、心療内科も受診為さいませ。

心と身体、此れはリンクしています。
別物でない事はご存じの通り。
ですから、心が疲れれば身体が反応し、其の反対も有り、
今の貴女様には、「心が疲れた時に気持ちを切り替えられる良い方法」として
心療内科の受診をお奨めするのです。

其れと、郊外で森林浴が出来る所へのお出掛けも、お奨めしましょう。
さぁ、フィトンチッドを沢山摂取してみましょう。

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色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...
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病気は元気の源

Saruさん、おはようございます。
病気ってイヤですよね。
私もうつ病を患い、いつになったらこの苦しみから解放されるのかと悶えましたので、あなたの気持ちはよく分かります。
そんなあなたにぜひ読んで頂きたい本があります。
『稲盛和夫の哲学』
この本には、あなたの悩みを解消するヒントが色々書かれていると思います。
一読をお勧めします。

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有坂脩岳(しゅうちゃん)
『般若心経』を梵語(サンスクリット語)で読める日本でも珍しいお坊さんです。...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。

特定疾患なので大きな病院で治療は受けています。心療内科ですね。主治医に相談してみます。
フィトンチッド良いですね。遠出は難しいのですが、行ける範囲や自宅で早速楽しんでみたいと思います。

病気にばかり気が向かないように心がけます。

一切行苦。とても深い言葉ですね。

「病気=不幸」ではない。ご住職に言われて病気ではあるけどその中にも良い事だと思える事がたくさんあったことを思い出しました。救われた言葉もたくさんありました。最近は悪い方に考える事が多かったので心も重くなっていたのですが、楽になりました。

普段、お寺とのお付き合いがない私にとっては新鮮でありがたいお言葉です。ありがとうございます。

一切行苦。とても深い言葉ですね。

「病気=不幸」ではない。ご住職に言われて病気ではあるけどその中にも良い事だと思える事がたくさんあったことを思い出しました。救われた言葉もたくさんありました。最近は悪い方に考える事が多かったので心も重くなっていたのですが、楽になりました。

普段、お寺とのお付き合いがない私にとっては新鮮でありがたいお言葉です。ありがとうございます。

木内 様

ありがとうございます。読書は問題なくできるし趣味なので早速読んでみたいと思います。
読んで自分の心にどんな変化があるのか楽しみです。読み終えたらまたコメントを投稿します。

丹下 様

ご回答ありがとうございます。私も体は負けても心までは病まないぞと踏ん張っています。が、体調が悪い時はついつい悪い方に考えてしまうので何か良い方法はないかと思い、hasunohaを知って相談しました。今まで繋がりのなかった方達がしっかりとしたアドバイスを下さり感謝しています。「上手に病気なる」こんな捉え方もあるんだとハッとさせられました。病気と言っても楽しめる事は沢山あります。どう楽しむか。楽しんだ人勝ちですね。まだまだ頑張ります。ありがとうございました。

「病気と向き合う・看病」問答一覧

原因不明

お世話になっております。 3、4ヶ月前から不調があり、内容的にもあまり人に話せずストレスでメンタルも落ち込んできてしまっているため、 こちらで相談させていただきます。 不調の症状としては下腹部に痛みや痙攣があり、専門の病院にも行ったのですが異常はないと言われてしまいました…… ですが症状としてはとても不快で、何より仕事上一日座っていなければならないため、仕事に集中しづらくもあります。 この症状が出始めた頃にネットで色々調べ、ある病気を見て自分もそれなのではないかと酷く怯えていました。 もしかしたらそれが過度のストレスで症状を悪化させたのかもしれません…… ちなみに何かに集中していたり、友人と楽しく話したりしている時には症状は出ないのですが、 やはり気にしすぎなのでしょうか…… (頓服の精神薬を飲むと落ち着きます) 4か月前ほどに新しい職場に転職し、通勤時間が長いこともストレスの原因なのかもしれませんが、 症状がある部位が相談しづらい部位であり、病院でもあまり聞いた事のない症状との事だったのでとても不安です。 ここ最近は体のこと以外に様々なことが不安になってしまったり、 心配してくれる友人もいるのに孤独感を感じてしまっています。 このような不安な気持ち、パニックになってしまった時などに気持ちを落ち着かせたり、 前向きになれるような方法がありましたら 教えて頂きたいです。 (自分では深呼吸をしたりしています。) これが引金となり、他にも過去の事を思い出したりしてしまい毎日がとても不安で、気持ちが沈んでいることが多く辛いです…… 読みづらい文章で申し訳ございません。 よろしくお願いいたします。

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半年間も続く息苦しさ。助けてください。

私は30代の男です。 朝起きてから寝るまで、息の吸いづらい感じがずっと続きます。 ひどいときは横になることも、座っていることもできず、立ったまま過ごすこともあります。 血中酸素を測定しても低いわけではなく、呼吸苦という自覚症状だけがあるのです。 上記の症状がもう半年以上も続いています。 最初は身体の症状だけでしたが、病気が長引くに連れ、精神をも蝕んできました。 不安や鬱症状もでるようになりました。 病院はたくさん受診しました。 呼吸器科はもちろん、総合内科、循環器科、消化器科、耳鼻咽喉科、整形外科などをまわりましたが、 これといった原因はみつからず、 それでもあらゆる病気の可能性を疑い、薬を何十種類も試しましたが、どれも効いたものはありませんでした。 最終的には精神科に回され、抗不安薬を服用していますが、 大きな改善は見られません。 東洋医学の整体や鍼、漢方薬も試してもらいましたが、同じく改善はありませんでした。 これまでの人生で、不摂生もしておらず、こうなってしまった心当たりもありません。 幸い、妻や両親には恵まれ、 手厚く看病してもらっています。 励ましの言葉も毎日かけてくれます。 身の回りでやってほしいことは全てやってくれます。 しかし苦しいものは苦しいのです。 西洋医学、東洋医学もだめで、 最終的にここにたどりつきました。 身体を変えるのは無理かもしれませんが 、仏教においての心の持ち方を教えていただきたいのです。 仏教を学ばれたお坊様がもし私の立場になったら、どのように行動するのでしょうか。 どうか私に知恵をください。

有り難し有り難し 1
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病気は私に何を伝えようとしているのか

53才女です                                                  46才を過ぎた頃から原因不明の病気が続きます                                      疾患履歴 糖尿病、脂肪肝、うつ病、 パニック障害(精神障害2級)                    46才ごろ自宅で動けなくなり入院 地元の大きな病院の脳神経外科でいろんな検査をするが原因が分からず歩けないまま自宅に帰らせられる 車椅子生活になり車の運転も出来ず仕事をやめざるを得なくなる                   その後→薬剤過敏症アナフィラキシーで二度入院 一度目は呼吸困難で意識不明になりICU入院(もう少し遅かったら死ぬところだったと先生に言われる) 二度目は自宅で突然顔が腫れ上がり呼吸が苦しくなり救急車を呼ぶ→掛かり付けの病院に入院→また先生に死ぬところだったと言われる                                   特発性大腿骨頭壊死症  難病指定、両足とも壊死 左足は2023年人工股関節置換術をうける  後遺症で大腿神経麻痺→両足とも立ったり歩いたりが困難になる→リハビリ中                  菌血症→2024年1月4日自宅で意識不明 救急搬送→40℃発熱インフルとコロナ陰性 特定個室入院(24時間観察)→翌日目を覚ます意識混濁、味覚障害、めまい、排尿困難、 左耳が聞こえなくなる 急性中耳炎で鼓膜切開 現在(2/5)も左は聞こえません             次々と病がやってきて、死にかけることが度々あるのはなぜでしょうか? なんとなく神様が私に何かを伝えようとしている気がしてなりません            悔い改めるところがあるのか、何かやらなければならないことがあるのか、他の何かなのか、私には分かりません どうか教えてください

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医療福祉従事者さんの燃え尽き症候群

 いつもお世話になっております。私の訪問看護師さんが、 3人離任しました。病院の看護師長さんも性格が変わり、 退職しました。私の前任の心理士さんは、優しく寄り添って ご助言をくださっていたのが、ある日突然防犯ベルを机に置く ようになったり、 「友達が悪い人だったらどうするの」 「障害者は差別されて当然なのよ。歴史を見ればわかる」 などと言い放つようになりました。相談員さんの一人も、 冷たくなりました。  数えればきりがありません。これは「燃え尽き症候群」 という病気の症状です。  燃え尽き症候群には、三つのフェーズがあります。 1.情緒的消耗感  初期症状です。著しい疲労を感じます。 2.脱人格化  1に気が付かず、症状が進むとこうなります。症状としては 最も重く、気づかずに進むと、周囲の職員へきつく当たる、 障害者を人間扱いできなくなるなどの、攻撃的な人格になります。 3.個人的達成感の低下  「自分のやっていることは無駄である」と考えるようになります。  津久井やまゆり園事件の死刑囚も、燃え尽き症候群の脱人格化 だったと予想できます。彼も当初知人に対し、 「仕事は大変だが、障害者は可愛い。俺がいないと生きていけない」 と話していたそうです。  統計によると、医療者では20%~50%、介護従事者では 51%の人が燃え尽き症候群を経験しています。  何人も壊れて、何人も私の前から消えていく。日本人は 世界的に見ても真面目すぎる民族です。私たちのせいで みんな壊れていくと思うと、耐えられません。死んでしまおうか とすら思いました。  差別は恐怖から生まれます。自分たちとは違う、不健康な 人間に対して、人間は本能で恐怖を感じます。その本能に 抗い働いているのが、医療福祉者さんです。相当な負担です。  だから、私たちも、周囲に恐怖を与えない配慮が必要だと 思っています。身なりを整える、言動行動を慎ましくする… アニーサリバン先生は、 「障害者は健常者以上に、厳しくエチケットを教えるべき」 と教えを残してくださいました。  障害者、患者として、私ができることは何でしょうか? 自宅の仏壇には、メスシリンダーに挿した青い花(青は医療者 への感謝の色)と分子模型を供え毎日祈っています。しかし、 祈るだけでは無意味です。  甘えではありません。立派な病気なのです。

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自分を抑えきれません

以前にも相談させて頂いていた医師との関係です。昨年の受診で処方内容に誤りがあり連絡して対応を考えるから待っていてと言われました。それから1か月になります。私のとって服用しなければ大袈裟ですが命の危機にも直結することです。今は服用量の変更等もあり少しの残りがあることを伝えましたがそれも底をつきそうです。年末になるので再度、医師に問い合わせてみましたが返答は聞けていません。多忙な医師なので後回しにされているのかもしれませんがやはり 何かしらの反応をして欲しいのです。人工弁を付けているのでその足りなくなりそうな薬を飲まなければ血栓が出来てしまい脳に飛べば脳梗塞、心臓に出来れば 心筋梗塞になるかもしれません。ただでさえ薬の効果が低いと言われているのに 医師の対応に怒りを覚えてしまいました。 話しが少し変わりますが仕事をしていて苦手な入居者様との対応にも避けたいと思っていても避けきれません。セクハラ発言・行為をしたりするので嫌悪感を抱きながら介助をしています。それについては自分に怒りを覚えてしまいます。 発達障害を理由に出来ませんが。全てが今は怒りを抑えているのが苦しいです 病気ばかりの人生。今は震災で被害に遭っている方の方がツラく苦しいのに自分の事しか考えられない事にも怒りを覚えます。 まとまりがなくなくて申し訳ございません。どうしたら怒りを鎮める事が出来るのでしょうか。医師の対応、自分の仕事に対すること。新年早々、怒りばかりをしているので良いことが逃げていきますか? 今日、毎月一回ですが川越にある喜多院へ参拝に行ってきました。少しは心が落ち着けるかもしれませんが。心の持ちようがわかりません。 震災で命を奪われた希望に満ちていただろう方の代わりに命を捧げたい。 話しが飛び過ぎて分かりづらくなってしまいましたが私は生きている意味があるのでしょうか

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自分の精神疾患が甘えだと思えてしまう

今年30になります。 中学生くらいのときから自殺願望がありました。 高校で睡眠障害になり引きこもり、自殺未遂しました。 気持ちの状況はよくなったり悪くなったりムラがありますが、精神科の通院は高校生からほぼ続いています。 現在も通院しており、職歴がなく実家住まいです。 精神障害者手帳をもらうことを家族から提案され、調べてみたところ成人前から通院が継続している人はほぼ間違いなくもらえると聞きました。 しかしながら自殺願望が頭に浮かんだ一番はじめから今まで、どうしても自分の思考パターンや症状が甘えからくるもので、精神疾患ではないかもしれないという考えが拭えません。 家族からは「死にたいという気持ちを持つこと自体を病気だと考えるべきで、病気ではない人は絶対に死にたいという考えには至らない」と説明されました。 しかしどう考えてもこの先楽しいことも嬉しいこともそんなに起こらないし、起こってもそれは一時的なもので、すぐにまた新たなつらいことで上書きされることがわかっていますし、1の喜びのために100のつらいことを乗り越える意味がわかりません。 正直自分がこの世の中に今いるどの人だったとしても、高い塔の上に立ってたら飛び込むと思います。 自殺は自分の周りにいる大切な人たちに迷惑をかける行為なので多くの人は自殺を思考の外に置いて現状を乗り越えるからなんとか生きていけるのだと思います。 自分はほんの少しでもつらいことや悲しいことや困難が目の前にあると「死んだほうが楽なのにな」と思ってしまって自殺願望の考えに逃げてしまいます。 自分に残された選択肢は、自殺のような大規模な迷惑を周りにかけないまま、問題を起こさずに迷惑を最小限にとどめて朽ちて死ぬことだと思っていますが、迷惑だけかけて何も生み出していないのは自殺と変わらない気もします。 逃げることだけを考え続けている自分はただの甘えん坊だとわかっていますが、今でも自分の手でどうにかしたいという気持ちが湧いていません。 文章にして客観的にみると本当にみじめで愚かで他人に媚びを売っているようで情けない気持ちになります。 誰かに声をかけてもらったところで自分が変わらないと何も起こらないことは分かっているのですが、何か感想程度でも自分のことに関係なくてもいいのでお返事ください。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ