皆様に大変ご好評をいただき、ご質問が殺到しています。

回答が追いついておりません。お坊さんから丁寧にご回答いただくため質問受付数を制限させていただいております。大変申し訳ございません。

お葬式

私は地方から上京し特にお付き合いのある寺院はありませんので自分の葬式をしたいと思えません。

死体は検体にできないかと考えているところです。

葬儀をしないと教義的に問題がある宗派はありますか?

たとえば極楽浄土に行けない。

良い世界に生まれ変われない。

地獄に落ちるなど。

お葬式をやる意味を教義的に知りたいです。

よろしくお願いします<(_ _)>

お葬式・法事
有り難し 46
回答 7
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

ウチの御門徒で献体された方がいらっしゃいましたが、

 ちゃんと御通夜御葬式はされました。ご遺体が戻る3年後までは荼毘に伏せず、もちろん納骨はできませんが、一周忌もちゃんとお勤めされました。ザ・グル さんの献体したいというご意思は尊いですが、だから御葬式をしなくても済む、というものではありません。

 御葬式は、亡くなる方が出してほしいかどうかではなく、遺された方々がその人の御葬式を出したいかどうかだと思います。私の親も「御葬式は要らん」と言っていますが、それが本心であれどうであれ、私はちゃんと葬送したいと思います。ザ・グル さんは親御さんの御葬式は出さなくても構いませんか?

葬儀は告別をするだけではないのです

葬儀はお別れ式と根本的に違います。
また、ネットの格安派遣のどこの馬の骨だかわからん僧侶がやってくる架空山・不在寺のアルバイト部屋・住職が形の上だけの葬儀をする、というのも個人的にはお勧めできません。
口パクのお経なら誰でも読めます。
葬儀というのはお経を読んでもらう、ということだけではないのです。
今後も一生関わっていく人生の導きの師である「導師」を誰にお願いするかが重要なのです。
導師が人生の導きの師として、故人と遺族の心を悟境に導ける❝力量❞❝見識❞が無ければ本当はその導師は、葬儀の役職上のコスプレ導師を演じることはできても人生の導師ではありません。口パクのうろ覚えのお経を呼んでホナさいなら、お布施払って二度と会うことも無いでしょう。納得がいきますか?コスチューム代ですわ、それは。
こんなお粗末なことはありません。
求める側も僧侶の質を求めるべきです。
導師とは、葬儀に際しても、生死を超えた涅槃の世界を示し、故人、遺族を寂静の心へと責任をもって導ける力を持った者でないと単なるコスプレ僧侶です。特に禅宗ではそこは厳しいです。
ですから信頼するに値する、頼るべき師僧が、尊師、ザ・グルがあなたが葬儀を依頼すべき人であり、そのお寺をこそ菩提寺となすべきです。
お別れ会は、ただのお別れだけであって、その後のケアは一切ありません。
その後、法事もお盆も彼岸も無いので今後正式に親族が集まる機会も、亡き人を敬う気持ちも失われます。ドライな関係、お金主義に走りやすくもなります。
葬儀をして布施をおさめるというのは菩提寺の維持、護持に貢献するということです。
献体でなくともドナー、檀那、ダーナ(=布施の原義)の精神がそこにあるという訳です。
葬儀の内容
①懺悔…生前のいさかいごとを互いに懺悔し合い清浄なる心に目覚める。
②帰依仏法僧…苦しみを救う仏(師)・法(教え・実相)・僧(和合の集い)の三宝を敬い、よりどころとする。
③授三聚浄戒…仏弟子の三誓願 悪心を断じ 善法に住し 衆生を利益する
④授十重禁戒…仏弟子として生きる上の十の戒め
⑤法名 血脈授与 …仏弟子の証としての法名、血脈を頂く 
⑥引導 …故人と、参列者をして、生死を超越した涅槃の境地に入らしめる。
⑦読経
⑧回向…功徳・利益(りやく)を人、世の中にを廻らす誓願

亡き人の来世の幸せを願い、残されし者に安らぎを与える

 こういう質問が出されること自体、私共僧侶の日常の活動で「仏教の教え」「葬儀・法事の意義」を十分に伝えられていないということだと思います。僧侶の一員として大いに反省しなければと思っております。
但し、同時に残念に思うことがあります。核家族化が進む中で、家庭教育がおろそかになっているということです。昔は、一家の当主が家族全員を整列させ、神棚に柏手を打ち、仏壇に合掌礼拝を捧げました。今、身を以て、そういう家庭教育を行っている方はどれだけいるのでしょうか?あなたはどういう家庭教育を受けて来られましたか?より詳しくご説明頂ければ、より適切な回答が出来るかと思います。差支えなければ、教えて下さい。

以前、私のブログで次のような記事を書きました。あなたからの「問い」への回答に繋がるかと思いますので、御参照下さい。
「人は自分の大切な方を失った時、悲しみに暮れる一方で、亡き人の行く末を案じます。菩提寺からお血脈をいただくことで、亡くなった方々は仏様のお弟子さんになり、仏様の世界に旅立って行きます。「迷わず成仏してくれ。」テレビドラマの怪談などでこんなセリフをよく耳にしますが、「悪霊になって自分たちに祟るようなことをしないでくれ。」という意味合いで言うこともありますが、死者の来世での幸福を心から願う心情が吐露されていることも多いと思います。
 亡き人を送るにあたって葬儀を行います。その葬儀の中心をなすのが授戒と言う儀式です。御戒名をつけてもらいお血脈をいただく。そして成仏のための旅路へと向かうのです。仏教の葬儀を通して、死に行く人の来世の幸せを願うと同時に、残されし者に大いなる安らぎを与えてくれる。これは、日本仏教が持っている素晴らしい文化だと思います。 http://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/9175850.html  」

平成24年3月11日、東日本大震災でお亡くなりになられた方の一周忌法要の際、御遺族と参列者に少しお話をさせていただきました。「何のために年回法要を行うのか?」ということについて日頃私なりに考えていることをお話しさせていただきました。これも、ブログに掲載しておりますので、下記のURLを御参照下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/33981146.html

ボクが思うに

命、生と死の問題です。

まず「自分の葬式をしたいと思えません」というところですが、あなたは命を自己所有物のように思っていらっしゃいませんか?

そして「葬儀をしないと教義的に問題がある宗派はありますか?」ですが、お弔いはしないとペナルティがあるからするものという感覚をお持ちのように思いますが、いかがですか?

最初の問題。あなたの命はあなたの物ではありません。あなたのご両親から授かったもので、そのご両親もそのまたご両親から授かったもの。ひとつの命を授けるのはふたつの命、そのふたつの命は4つ、さらに8つ、16、32、64、128、256・・・・と途方もない数のご先祖から命の、言うなればバトンタッチを受けて私が存在しています。

よく言う「ご先祖を大事にする」ということは、イコール私を大事にするということ。

お弔いの問題。浄土往生するとか、あるいは生まれ変わって良い人間になるとか、それらを物理的に保証したり、できないと断言したりするものではありません。

お弔いとは、あなたが死を迎えたときに、あなたが出会ってきたすべての方々、すなわちあなたという存在を形成しているご縁にたいして、感謝とお別れと、そして仏法を聴く場を提供するということです。

たとえば、あなたがこのサイトに書き込みをし、ボクとのご縁が生まれました。それが好ましいかそうでないかは別にして、ここに書き込みをしなかったあなたと、書き込みをしたあなたは別人です。それとおんなじことが、あなたの人生には無数にあって、そんな思い計らいを超えたご縁によって存在しているのが今現在のあなたそのものなのです。

昨今、家族葬などという造語が流行していますが、あれは人ひとりの人生を成り立たせている無数のご縁を断ち切り、その人の人生そのものを軽く小さくし、命の重さと尊さをわからなくしてしまう愚行だと思っています。

浄土に往生するとは、そんな無数のご縁で生まれ生かされてきた事実を、あなた自身がしっかり受け入れ自覚することであり、その自覚の言葉が南無阿弥陀仏、そしてその南無阿弥陀仏を唱えることができる自分に成るということです。

検体されたいというご希望は良いと思いますが、命と人生について今一度深くお考えいただければと思います。当派の言葉に「今 いのちが あなたを生きている」というのがあります。命が主語なんですよ。

合掌

お葬儀の意味

ザ・グルさん、こんにちは。

各宗派のお葬儀の意味を知りたいとのことでしたので、真宗大谷派で先師から教えていただいたお葬儀の意味をお話ししたいと思います。

まずお通夜は、亡くなった人になりかわり、その方が毎日あげていらした夕方のお勤めをかわりに勤める意味がございます。
仏教徒は、朝と夕にお勤めをしますが、これはお釈迦さまのいらしたインドからの風習です。
みんなで集まって修行する時は、お釈迦さまのお話は午後に行われます。
お話を聞いて夕方寝る前に、数人の仲間と集まって今日のお話を忘れていないか復唱します。
そしてお互いになおしあった後、安心して眠るのです。
朝起きましたら、寝ている間に忘れていないかもう一度仲間たちと確認します。
そうして安心して托鉢に出かけ午前中に食事をし、午後にまたお釈迦さまのお話を聞いたそうです。
これから、朝と夕にお勤めをして仏法にふれることが習慣となりました。
その夕方のお勤めを、亡くなった方の代わりにするのがお通夜です。

次にお葬儀ですが、こちらは遺された者が亡くなった方と最後のお別れをする儀式だと伺いました。
浄土真宗では、亡くなったら阿弥陀如来がお迎えにきてくださって極楽浄土に生まれ、そこで直々に修行をして仏になるといいます。
浄土に旅立つ前の最後のお別れです。

それ以降の法事は、仏さまになられた故人と、そのお父様お母様を仏にしてくださった阿弥陀如来のご法話を聞くのが法事です。
そこで故人を偲び、またその故人から願われた生活をいま自分たちがおくっているのかを確認いたします。
浄土真宗では、亡くなった方はみな仏さまになるのでこちらからの追善供養はせずに、仏となられた方から導いていただくのです。

また、和田師がおっしゃっておられるように、お葬儀をふくめ「死」というものはその人個人のものではあり得ません。
個人としての「死」とおなじくらい大きな意味で、その人に関わったすべての人にとっての「その人の死」と向きあうのがお葬儀です。
お母様がお亡くなりになって、もしお葬儀を出さなかったら親戚や近所の人から文句を言われるとおっしゃっていますが、そういうことです。
よくお話し合いになった上で、自分の死や親の死、そしてパートナーの死を考えていただきたいと思います。

儀式とは

ザ・グルさん、おはようございます。
日本人に限らず人類は生まれてから死ぬまで儀式を繰り返しています。
「儀式」とは何か? と問うと様々な答えがあると思います。
私は「人として生きる道」が儀式でもあると思います。
このような視点から葬送儀礼というものを考えると、これは人間にしか出来ない行為です。
つまり葬儀とは「人として生きた証」であると私は考えます。
また「葬儀」と「献体」は分けて考える必要があると思います。
「献体」は医学の発展のためにも尊い行為だと思います。
仏教は人として生ききる教えでもあると私は思います。

お葬式・葬儀に対する拙個人的見解から・・

ザ・グル様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

これまでにもお葬式に関することにつきましては、下記の各問いにもお答えをさせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_323682.html

その中にて、「お葬式をやる意味」とは何かを考えましたら、仏縁・法縁に与(あずか)れる大切な機会の一つとして考えるべきであると述べさせて頂いております。

実は、関連することについて、丁度、先日に下記の拙論をアップさせて頂いたばかりですので、そちらから幾つかの拙見解を抜粋させて頂いておきますので、是非ご参照下さいませ。宜しくお願い致します。

お葬式・葬儀に対する拙個人的見解の補足について
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/644562be202e5ab9e6208d8f6b7d6b96

・お葬式・葬儀は、仏縁(仏様とのご縁)・法縁(仏法とのご縁)を結ぶための一つの大切で重要な機会であると捉えております。

・宗旨宗派によってお葬式・葬儀の法式・作法・儀礼などが異なっているのは、それぞれにおける仏縁・法縁を結ぶための方法・手段の相違であって、諷誦されるお経などの相違も、それぞれが依拠する仏典の相違によるものと考えており、(やがて悟りへと至るための)仏縁・法縁を結ぶためという基本的な目的については、あまり大差なく変わらないものであるかと存じております。

・生死や肉体の有無に拘らず、確かなる仏縁・法縁を結ぶことを基として、各々の心の連続体、心相続に、菩提心と慈悲心を滋養させていくことにより、悪行を成さずに、善行に精進して、功徳を積むことが求められるものであるかと考えております。お葬式・葬儀もあくまでそのための仏縁、法縁の一つの機会として捉えさせて頂いております。

・むしろ、できれば今の生きているうち、今生にも、できる限りにおいて仏縁、法縁を結ぶ機会を何度も何度もあずかり頂いて、菩提心と慈悲心を繰り返し、繰り返し修習させ続けていくことが望ましいものであると考えております。

・・

最後に補足となりますが、献体という行いは、布施としての一つの善行であり、功徳になることではないかと存じております。

川口英俊 合掌


質問者からの有り難し - お礼

お答えいただきありがとうございます。

想像もしなかったお話を聞けて質問して良かったと思ってます。

阿弥陀様は好きな仏様です。

キリスト教の神様と比べ慈悲深さは比較できないくらいです。

命と人生について良く考えてみます。

善福寺様のような真面目な方とご縁があればお願いしたいと思っております。

葬儀社の紹介でバイトのような怪しい僧侶がいる現状を考えると確りした教義の理解なしには葬儀を行う気持ちがおこりません。

ご縁を大切にするというお話でしたら無宗教のお別れ会で盛大に行うことでも代用できると解釈することが出来ます。

仏法は生きているときに聞きたいです。

死んだ人はお葬式で聞いているのでしょうか?

各宗派の葬儀の意味を教えていただけると嬉しいです。

安穏寺様
ご回答ありがとうございます。

熱い気持ちが伝わるようなお答えを聞けて嬉しいです。

散骨は遺灰を不浄だと思っている漁師さんたちには迷惑ですね。

死んだ後、灰となっても魚にお布施するという気持ちで行う人もいるかもしれませんね。

お釈迦様の国では今でもガンジス河に遺体や遺灰を流すこともあるようですね。

ごみのように処分するような気持ちの人はいないのではと個人的には思っております。

亡くなられた方に手を合わせる気持ちがあれば方向や場所は重要ではないと思っている人がいるのでしょう。

曹洞宗の葬儀のお話も教えて頂き勉強になりました。

生前に縁がある人に懺悔し生前に仏弟子になりたいと思っています。

お葬式の得度では菩薩戒を受けるのでしょうか。

宗派が違うかもしれませんが以前葬儀に参列したときは三帰依五戒は聞き取れました。

ありがとうございます。

超覚寺様

検体から戻るのに3年もかかるのですね。

月日がたってからの葬儀も遺族にとっては複雑ですね。

母は熱心な浄土宗の信者なので生前に戒名?をもらったと自慢してました。

ご詠歌のグループに参加して楽しそうです。

私の母の場合は葬儀は必要ないという遺言はないと思いますが、もしそのような遺言なら本人の意思を尊重したいと思います。

親戚や近所の人から文句言われると思いますが(笑)

田舎で住んでいるなら旦那寺がありますので葬儀をしないということは考えません。

ありがとうございます。

玉蔵院様

ありがとうございます。

葬儀とは「人として生きた証」だとすると葬儀を行えない人はかわいそうですね。

死んだ後のことは残された人にお任せするのが一番だと思いますが、連れが信心深くない人なので母が生きている前に私が無くならない限りは葬儀はしないでしょう。

動物と違い死んだ人のために何か儀式をしたい気持ちはほとんどの人にあるとおもいますが、無宗教のお別れ会ではなく仏式の葬儀をやる意味を宗派の教義を交えて教えて頂けると有難いですm(__)m

洞林寺様

授戒、御戒名、お血脈などを教えて頂きありがとうございます。

最近死後の世界に完全に興味が無くなりました。

死後にではなく今、仏弟子として生きたいと思っています。

正徳寺様
教義的にお答え頂きありがとうございます。

葬儀は残されたものが無くなった方に代わり追善供養するためだと思っていましたが、浄土真宗では追善供養ではないというのが大変興味深かったです。

葬儀は故人のものではないのなら無宗教のお別れ会でも良いとなってしまいますので各宗派で葬儀する意味を知りたかったため質問しています。

他の方も素晴らしいお答えでしたが、一番分かりやすいお答えでした。

ありがとうございますm(__)m

安穏寺様

再度お答えいただきありがとうございます。

マンションで在住で葬儀を行っている方でも立派な方はいらっしゃるもかもしれませんが地方出身者にとって菩提寺のない都会では現在の葬儀社が手配するだけの縁となってしまっている現状が問題なのでしょう。

生きている間にご縁があればと思っております。

葬儀や導師の重要な役割など詳しく教えて頂きありがとうございます。

私が知らないだけかもしれませんが実家が浄土宗で血脈の話は聞いたことがありません。

6000年前から定説主義者ですm(__)m

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