hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

お葬式

回答数回答 7
有り難し有り難し 60

私は地方から上京し特にお付き合いのある寺院はありませんので自分の葬式をしたいと思えません。

死体は検体にできないかと考えているところです。

葬儀をしないと教義的に問題がある宗派はありますか?

たとえば極楽浄土に行けない。

良い世界に生まれ変われない。

地獄に落ちるなど。

お葬式をやる意味を教義的に知りたいです。

よろしくお願いします<(_ _)>


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 7件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ウチの御門徒で献体された方がいらっしゃいましたが、

 ちゃんと御通夜御葬式はされました。ご遺体が戻る3年後までは荼毘に伏せず、もちろん納骨はできませんが、一周忌もちゃんとお勤めされました。ザ・グル さんの献体したいというご意思は尊いですが、だから御葬式をしなくても済む、というものではありません。

 御葬式は、亡くなる方が出してほしいかどうかではなく、遺された方々がその人の御葬式を出したいかどうかだと思います。私の親も「御葬式は要らん」と言っていますが、それが本心であれどうであれ、私はちゃんと葬送したいと思います。ザ・グル さんは親御さんの御葬式は出さなくても構いませんか?

{{count}}
有り難し
おきもち

和田隆恩
 浄土真宗(大谷派)/広島県広島市/17世住職。  1967年京都市生ま...
このお坊さんを応援する

葬儀は告別をするだけではないのです

葬儀はお別れ式と根本的に違います。
また、ネットの格安派遣のどこの馬の骨だかわからん僧侶がやってくる架空山・不在寺のアルバイト部屋・住職が形の上だけの葬儀をする、というのも個人的にはお勧めできません。
口パクのお経なら誰でも読めます。
葬儀というのはお経を読んでもらう、ということだけではないのです。
今後も一生関わっていく人生の導きの師である「導師」を誰にお願いするかが重要なのです。
導師が人生の導きの師として、故人と遺族の心を悟境に導ける❝力量❞❝見識❞が無ければ本当はその導師は、葬儀の役職上のコスプレ導師を演じることはできても人生の導師ではありません。口パクのうろ覚えのお経を呼んでホナさいなら、お布施払って二度と会うことも無いでしょう。納得がいきますか?コスチューム代ですわ、それは。
こんなお粗末なことはありません。
求める側も僧侶の質を求めるべきです。
導師とは、葬儀に際しても、生死を超えた涅槃の世界を示し、故人、遺族を寂静の心へと責任をもって導ける力を持った者でないと単なるコスプレ僧侶です。特に禅宗ではそこは厳しいです。
ですから信頼するに値する、頼るべき師僧が、尊師、ザ・グルがあなたが葬儀を依頼すべき人であり、そのお寺をこそ菩提寺となすべきです。
お別れ会は、ただのお別れだけであって、その後のケアは一切ありません。
その後、法事もお盆も彼岸も無いので今後正式に親族が集まる機会も、亡き人を敬う気持ちも失われます。ドライな関係、お金主義に走りやすくもなります。
葬儀をして布施をおさめるというのは菩提寺の維持、護持に貢献するということです。
献体でなくともドナー、檀那、ダーナ(=布施の原義)の精神がそこにあるという訳です。
葬儀の内容
①懺悔…生前のいさかいごとを互いに懺悔し合い清浄なる心に目覚める。
②帰依仏法僧…苦しみを救う仏(師)・法(教え・実相)・僧(和合の集い)の三宝を敬い、よりどころとする。
③授三聚浄戒…仏弟子の三誓願 悪心を断じ 善法に住し 衆生を利益する
④授十重禁戒…仏弟子として生きる上の十の戒め
⑤法名 血脈授与 …仏弟子の証としての法名、血脈を頂く 
⑥引導 …故人と、参列者をして、生死を超越した涅槃の境地に入らしめる。
⑦読経
⑧回向…功徳・利益(りやく)を人、世の中にを廻らす誓願

{{count}}
有り難し
おきもち

亡き人の来世の幸せを願い、残されし者に安らぎを与える

 こういう質問が出されること自体、私共僧侶の日常の活動で「仏教の教え」「葬儀・法事の意義」を十分に伝えられていないということだと思います。僧侶の一員として大いに反省しなければと思っております。
但し、同時に残念に思うことがあります。核家族化が進む中で、家庭教育がおろそかになっているということです。昔は、一家の当主が家族全員を整列させ、神棚に柏手を打ち、仏壇に合掌礼拝を捧げました。今、身を以て、そういう家庭教育を行っている方はどれだけいるのでしょうか?あなたはどういう家庭教育を受けて来られましたか?より詳しくご説明頂ければ、より適切な回答が出来るかと思います。差支えなければ、教えて下さい。

以前、私のブログで次のような記事を書きました。あなたからの「問い」への回答に繋がるかと思いますので、御参照下さい。
「人は自分の大切な方を失った時、悲しみに暮れる一方で、亡き人の行く末を案じます。菩提寺からお血脈をいただくことで、亡くなった方々は仏様のお弟子さんになり、仏様の世界に旅立って行きます。「迷わず成仏してくれ。」テレビドラマの怪談などでこんなセリフをよく耳にしますが、「悪霊になって自分たちに祟るようなことをしないでくれ。」という意味合いで言うこともありますが、死者の来世での幸福を心から願う心情が吐露されていることも多いと思います。
 亡き人を送るにあたって葬儀を行います。その葬儀の中心をなすのが授戒と言う儀式です。御戒名をつけてもらいお血脈をいただく。そして成仏のための旅路へと向かうのです。仏教の葬儀を通して、死に行く人の来世の幸せを願うと同時に、残されし者に大いなる安らぎを与えてくれる。これは、日本仏教が持っている素晴らしい文化だと思います。 http://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/9175850.html  」

平成24年3月11日、東日本大震災でお亡くなりになられた方の一周忌法要の際、御遺族と参列者に少しお話をさせていただきました。「何のために年回法要を行うのか?」ということについて日頃私なりに考えていることをお話しさせていただきました。これも、ブログに掲載しておりますので、下記のURLを御参照下さい。http://blogs.yahoo.co.jp/dorinji/33981146.html

{{count}}
有り難し
おきもち

 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
このお坊さんを応援する

ボクが思うに

命、生と死の問題です。

まず「自分の葬式をしたいと思えません」というところですが、あなたは命を自己所有物のように思っていらっしゃいませんか?

そして「葬儀をしないと教義的に問題がある宗派はありますか?」ですが、お弔いはしないとペナルティがあるからするものという感覚をお持ちのように思いますが、いかがですか?

最初の問題。あなたの命はあなたの物ではありません。あなたのご両親から授かったもので、そのご両親もそのまたご両親から授かったもの。ひとつの命を授けるのはふたつの命、そのふたつの命は4つ、さらに8つ、16、32、64、128、256・・・・と途方もない数のご先祖から命の、言うなればバトンタッチを受けて私が存在しています。

よく言う「ご先祖を大事にする」ということは、イコール私を大事にするということ。

お弔いの問題。浄土往生するとか、あるいは生まれ変わって良い人間になるとか、それらを物理的に保証したり、できないと断言したりするものではありません。

お弔いとは、あなたが死を迎えたときに、あなたが出会ってきたすべての方々、すなわちあなたという存在を形成しているご縁にたいして、感謝とお別れと、そして仏法を聴く場を提供するということです。

たとえば、あなたがこのサイトに書き込みをし、ボクとのご縁が生まれました。それが好ましいかそうでないかは別にして、ここに書き込みをしなかったあなたと、書き込みをしたあなたは別人です。それとおんなじことが、あなたの人生には無数にあって、そんな思い計らいを超えたご縁によって存在しているのが今現在のあなたそのものなのです。

昨今、家族葬などという造語が流行していますが、あれは人ひとりの人生を成り立たせている無数のご縁を断ち切り、その人の人生そのものを軽く小さくし、命の重さと尊さをわからなくしてしまう愚行だと思っています。

浄土に往生するとは、そんな無数のご縁で生まれ生かされてきた事実を、あなた自身がしっかり受け入れ自覚することであり、その自覚の言葉が南無阿弥陀仏、そしてその南無阿弥陀仏を唱えることができる自分に成るということです。

検体されたいというご希望は良いと思いますが、命と人生について今一度深くお考えいただければと思います。当派の言葉に「今 いのちが あなたを生きている」というのがあります。命が主語なんですよ。

合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

真宗大谷派寺院で住職をしております。真宗目線でお話できることがあれば幸いで...
このお坊さんを応援する

お葬儀の意味

ザ・グルさん、こんにちは。

各宗派のお葬儀の意味を知りたいとのことでしたので、真宗大谷派で先師から教えていただいたお葬儀の意味をお話ししたいと思います。

まずお通夜は、亡くなった人になりかわり、その方が毎日あげていらした夕方のお勤めをかわりに勤める意味がございます。
仏教徒は、朝と夕にお勤めをしますが、これはお釈迦さまのいらしたインドからの風習です。
みんなで集まって修行する時は、お釈迦さまのお話は午後に行われます。
お話を聞いて夕方寝る前に、数人の仲間と集まって今日のお話を忘れていないか復唱します。
そしてお互いになおしあった後、安心して眠るのです。
朝起きましたら、寝ている間に忘れていないかもう一度仲間たちと確認します。
そうして安心して托鉢に出かけ午前中に食事をし、午後にまたお釈迦さまのお話を聞いたそうです。
これから、朝と夕にお勤めをして仏法にふれることが習慣となりました。
その夕方のお勤めを、亡くなった方の代わりにするのがお通夜です。

次にお葬儀ですが、こちらは遺された者が亡くなった方と最後のお別れをする儀式だと伺いました。
浄土真宗では、亡くなったら阿弥陀如来がお迎えにきてくださって極楽浄土に生まれ、そこで直々に修行をして仏になるといいます。
浄土に旅立つ前の最後のお別れです。

それ以降の法事は、仏さまになられた故人と、そのお父様お母様を仏にしてくださった阿弥陀如来のご法話を聞くのが法事です。
そこで故人を偲び、またその故人から願われた生活をいま自分たちがおくっているのかを確認いたします。
浄土真宗では、亡くなった方はみな仏さまになるのでこちらからの追善供養はせずに、仏となられた方から導いていただくのです。

また、和田師がおっしゃっておられるように、お葬儀をふくめ「死」というものはその人個人のものではあり得ません。
個人としての「死」とおなじくらい大きな意味で、その人に関わったすべての人にとっての「その人の死」と向きあうのがお葬儀です。
お母様がお亡くなりになって、もしお葬儀を出さなかったら親戚や近所の人から文句を言われるとおっしゃっていますが、そういうことです。
よくお話し合いになった上で、自分の死や親の死、そしてパートナーの死を考えていただきたいと思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

平松理薫(釈理薫)
真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動...
このお坊さんを応援する

儀式とは

ザ・グルさん、おはようございます。
日本人に限らず人類は生まれてから死ぬまで儀式を繰り返しています。
「儀式」とは何か? と問うと様々な答えがあると思います。
私は「人として生きる道」が儀式でもあると思います。
このような視点から葬送儀礼というものを考えると、これは人間にしか出来ない行為です。
つまり葬儀とは「人として生きた証」であると私は考えます。
また「葬儀」と「献体」は分けて考える必要があると思います。
「献体」は医学の発展のためにも尊い行為だと思います。
仏教は人として生ききる教えでもあると私は思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

有坂脩岳(しゅうちゃん)
『般若心経』を梵語(サンスクリット語)で読める日本でも珍しいお坊さんです。...
このお坊さんを応援する

お葬式・葬儀に対する拙個人的見解から・・

ザ・グル様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

これまでにもお葬式に関することにつきましては、下記の各問いにもお答えをさせて頂いております。
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_323682.html

その中にて、「お葬式をやる意味」とは何かを考えましたら、仏縁・法縁に与(あずか)れる大切な機会の一つとして考えるべきであると述べさせて頂いております。

実は、関連することについて、丁度、先日に下記の拙論をアップさせて頂いたばかりですので、そちらから幾つかの拙見解を抜粋させて頂いておきますので、是非ご参照下さいませ。宜しくお願い致します。

お葬式・葬儀に対する拙個人的見解の補足について
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/644562be202e5ab9e6208d8f6b7d6b96

・お葬式・葬儀は、仏縁(仏様とのご縁)・法縁(仏法とのご縁)を結ぶための一つの大切で重要な機会であると捉えております。

・宗旨宗派によってお葬式・葬儀の法式・作法・儀礼などが異なっているのは、それぞれにおける仏縁・法縁を結ぶための方法・手段の相違であって、諷誦されるお経などの相違も、それぞれが依拠する仏典の相違によるものと考えており、(やがて悟りへと至るための)仏縁・法縁を結ぶためという基本的な目的については、あまり大差なく変わらないものであるかと存じております。

・生死や肉体の有無に拘らず、確かなる仏縁・法縁を結ぶことを基として、各々の心の連続体、心相続に、菩提心と慈悲心を滋養させていくことにより、悪行を成さずに、善行に精進して、功徳を積むことが求められるものであるかと考えております。お葬式・葬儀もあくまでそのための仏縁、法縁の一つの機会として捉えさせて頂いております。

・むしろ、できれば今の生きているうち、今生にも、できる限りにおいて仏縁、法縁を結ぶ機会を何度も何度もあずかり頂いて、菩提心と慈悲心を繰り返し、繰り返し修習させ続けていくことが望ましいものであると考えております。

・・

最後に補足となりますが、献体という行いは、布施としての一つの善行であり、功徳になることではないかと存じております。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

お答えいただきありがとうございます。

想像もしなかったお話を聞けて質問して良かったと思ってます。

阿弥陀様は好きな仏様です。

キリスト教の神様と比べ慈悲深さは比較できないくらいです。

命と人生について良く考えてみます。

善福寺様のような真面目な方とご縁があればお願いしたいと思っております。

葬儀社の紹介でバイトのような怪しい僧侶がいる現状を考えると確りした教義の理解なしには葬儀を行う気持ちがおこりません。

ご縁を大切にするというお話でしたら無宗教のお別れ会で盛大に行うことでも代用できると解釈することが出来ます。

仏法は生きているときに聞きたいです。

死んだ人はお葬式で聞いているのでしょうか?

各宗派の葬儀の意味を教えていただけると嬉しいです。

安穏寺様
ご回答ありがとうございます。

熱い気持ちが伝わるようなお答えを聞けて嬉しいです。

散骨は遺灰を不浄だと思っている漁師さんたちには迷惑ですね。

死んだ後、灰となっても魚にお布施するという気持ちで行う人もいるかもしれませんね。

お釈迦様の国では今でもガンジス河に遺体や遺灰を流すこともあるようですね。

ごみのように処分するような気持ちの人はいないのではと個人的には思っております。

亡くなられた方に手を合わせる気持ちがあれば方向や場所は重要ではないと思っている人がいるのでしょう。

曹洞宗の葬儀のお話も教えて頂き勉強になりました。

生前に縁がある人に懺悔し生前に仏弟子になりたいと思っています。

お葬式の得度では菩薩戒を受けるのでしょうか。

宗派が違うかもしれませんが以前葬儀に参列したときは三帰依五戒は聞き取れました。

ありがとうございます。

超覚寺様

検体から戻るのに3年もかかるのですね。

月日がたってからの葬儀も遺族にとっては複雑ですね。

母は熱心な浄土宗の信者なので生前に戒名?をもらったと自慢してました。

ご詠歌のグループに参加して楽しそうです。

私の母の場合は葬儀は必要ないという遺言はないと思いますが、もしそのような遺言なら本人の意思を尊重したいと思います。

親戚や近所の人から文句言われると思いますが(笑)

田舎で住んでいるなら旦那寺がありますので葬儀をしないということは考えません。

ありがとうございます。

玉蔵院様

ありがとうございます。

葬儀とは「人として生きた証」だとすると葬儀を行えない人はかわいそうですね。

死んだ後のことは残された人にお任せするのが一番だと思いますが、連れが信心深くない人なので母が生きている前に私が無くならない限りは葬儀はしないでしょう。

動物と違い死んだ人のために何か儀式をしたい気持ちはほとんどの人にあるとおもいますが、無宗教のお別れ会ではなく仏式の葬儀をやる意味を宗派の教義を交えて教えて頂けると有難いですm(__)m

洞林寺様

授戒、御戒名、お血脈などを教えて頂きありがとうございます。

最近死後の世界に完全に興味が無くなりました。

死後にではなく今、仏弟子として生きたいと思っています。

正徳寺様
教義的にお答え頂きありがとうございます。

葬儀は残されたものが無くなった方に代わり追善供養するためだと思っていましたが、浄土真宗では追善供養ではないというのが大変興味深かったです。

葬儀は故人のものではないのなら無宗教のお別れ会でも良いとなってしまいますので各宗派で葬儀する意味を知りたかったため質問しています。

他の方も素晴らしいお答えでしたが、一番分かりやすいお答えでした。

ありがとうございますm(__)m

安穏寺様

再度お答えいただきありがとうございます。

マンションで在住で葬儀を行っている方でも立派な方はいらっしゃるもかもしれませんが地方出身者にとって菩提寺のない都会では現在の葬儀社が手配するだけの縁となってしまっている現状が問題なのでしょう。

生きている間にご縁があればと思っております。

葬儀や導師の重要な役割など詳しく教えて頂きありがとうございます。

私が知らないだけかもしれませんが実家が浄土宗で血脈の話は聞いたことがありません。

6000年前から定説主義者ですm(__)m

「恋愛が不安」問答一覧

彼氏が好きが故に不安が大きく苦しい

付き合ってる彼氏がおり、とても愛されている実感はあります。 当初から結婚を意識したお付き合いでスタートし、8ヶ月ほど経ちました。 私達は20代後半で彼は少し年下ですが、出会った時から大きな不満もなく、 過去に少し不満があった時には「このままだと付き合い続けられなくなるかも」と強く感じたので、言葉を選んでしっかり伝えたところ向き合ってくれました。 彼も私といると癒されるや、元気になると言ってくれています。 外から見ると、私は仕事も上手くいっている方だし、給料も良い方だし、 運動や勉強をして前向きに生きている女性のように見えると思います。 でも根本的にはあまり自信がないです。 彼が新しいことを始めたりすると、自分なんて捨てて行くんじゃないかなど考えてしまいます。 また、私はあまり電話が得意じゃなく、用があったり 電話の方が早く決められることがある時は電話するくらいですが、 彼は隙を見たら電話をしてくれ、メッセージのやり取りだけだと感じられないコミュニケーションを自らしてくれます。 彼のおかげで電話って良いツールなんだと気づくことができました。 故にいつか私から離れたらと考えると怖いです。 根本的にはあまり自分に自信がないんだと思います。 彼のみならず昔から人と付き合うとそう考える傾向があります。 私も仕事や運動、趣味などで忙しくして考えないようにしますが、それもあまり効果がなくなってきました。 特に会ってない時にLINEで話すことが無くなることが恐怖で 繋がってたいと感じつつ、1日1回ほどの連絡に留めています。 彼はあまりLINEが得意ではないと言っていたので、負担になりたくないですが、 LINEがないと不安になります。 良い心の持ち用をアドバイス頂きたいです。 最近彼と会っていても不安が頭をよぎる様になり、少し顔に出てしまうので 早めに切り替えたいです。。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

恋愛感情が不純なものにしか思えない

大学生の女です。 恋愛する想像をするだけで気持ち悪く感じます。 . 正直、不倫して離婚し、その後も多くの男性と付き合っては別れを繰り返した母親の存在も大きいと思います。 私は両親の離婚後、父親に着いて行きましたが母親の恋愛には飛び火程度には巻き込まれました。 . その一例として、母親が予期せぬ妊娠をして人工中絶をした時に「あなたがいたから、あなたが昔、自分以外の子どもはつくらないでほしいと言ったから下ろした」と言われたこともありました。 実際、離婚時に小学生だった私は、子どもを生んでほしくないかを母親から聞かれたときがあったので、上記のように答えました。 ですが、母親が恋愛脳であることや、単純に人柄を母親の中絶当時、中学生の私は理解しておらず、ひどく傷つき、その上、相手の男性も私が許せなければ悪いと言っているかのように「許してあげてほしい」などと言ってきました。 . その件から、 恋愛なんざ誰が幸せになるのだろう、純粋に見せるために欲を行動でオブラートに包んでいるだけで本音は皆、性欲を満たすために付き合っているのでは、という考えが本格的に生まれました。 . 父親の再婚により別の家族も身を持って知れたので、今は恋愛で幸せになれないとは思いませんが、その過程は全く想像できませんし、性欲を満たすために付き合っているのではという考えは拭えません。 . 話が変わりますし、皆様を不快にさせてしまったら申し訳ありませんが、私は見た目に恵まれている方だと思います。 前に付き合った内に入らないくらい短期間で別れた人がいたのですが、その人は私の中身は全然興味がないようで、やたらと私の見た目ばかり褒めてきて、正直不快でした。 見た目を好きって、相手の性格がどんなに悪かろうが良かろうが関係ないということですよね。 . 見た目やお金で補填できてしまう恋愛感情に良いイメージが湧きません。 周りは皆、「見た目が一番好きと言われたら嬉しい」と言う人ばかりですが、その感情が理解できません。 . ですが、傲慢かもしれませんが、純粋に人柄も知ろうとして好いてくれる人と恋愛をしてみたいという気持ちがあります。 恋愛に対する考えをどうすればいいかわからず、一歩踏み出せません。 皆様のご意見を頂戴いただきたいです。 . 長文をここまで読んでくださって、誠にありがとうございます。何卒よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
回答数回答 2

恋人と離れている時間に不安になる

恋人は私に十分なほど、言葉で愛情表現してくれます。 一緒にいる時間は本当に楽しく、終わりがこないでほしいと思うほど。 ただ、ひとりになった時間に膨大な不安感が押し寄せます。 理由として考えられることとしては ・言葉だけを信じるのが怖い ひと月前、一度別れを切り出されたことがありました。 私は変わらず仲良しだと思っていた最中だったので、突然の事で驚き、焦り、絶望しました。 大きな理由としては、私の存在が彼の将来(=今頑張っていること)に悪影響かもしれないとずっと思っていて、だったら早めに別れたかったとのこと。 数日後、彼の方から、私のいない人生はもう考えられない、必要不可欠だと言われ、ヨリを戻しました。 愛情表現は増え、確かに嬉しいです。しかし、一度絶望した経験が、幸せを感じることを阻害します。 「ずっと一緒にいたい」など言ってはくれるのですが、だったらもう少し会える日を提案したり、同棲とかを誘ってくれたらいいのに.......と思ってしまいます。(これは我儘なのはわかっています、、、) ・彼自身は客観的に見て魅力的であるのに対し、私は自分自身に自信が無い 彼はハイスペックで上昇志向の持ち主で、人当たりもいいです。 そんな彼が、私と過ごしていない時間に他の人と楽しんでいることにとても空虚感を覚えます。 また、今月から女性の多いカフェで働くことになりました。 そのカフェはアルバイト同士の結び付きが強いことでも有名です。 私は自分に自信が無いので、こんな素敵な彼に愛されている今が奇跡だと思っています。 だからこそ、彼が私のいないところで楽しくしていることは、自分の立場が脅かされるような気持ちになってしまいます。 この気持ちは嫉妬でしょうか。 本当にどうにかして無くしたいです。 以上のように、理由は考えられるのですが、その解決方法が見つからず、モヤモヤしています。 彼とより良い関係を築いて、より長く一緒にいたいです。 アドバイスがあればよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

自分は愛される資格がないのか

以前、彼氏と音信不通になったと相談させてもらった者です。 大好きな彼氏が急に音信不通となり、理由も分からず、受け入れることもできず、毎日泣いていました。恋愛するのも怖くなりました。 そんな中で、ある男性がアプローチしてくれました。いつも話を親身に聞いてくれて、遠くても遅い時間でも迎えに来てくれて、ととにかく私に気遣って尽くしてくれるような優しい男性でした。だんだん私もその男性に惹かれるようになりました。ただ、以前のことがあり、男性と付き合う勇気がなかなかでませんでした。そこで、その男性に、以前付き合ってた人に音信不通にされたことがあり、付き合う勇気がなかなか持てないことを伝えました。その男性は「そんなことをする人がいるのがあり得ない。自分だったら絶対にそんな辛い思いはさせない。」と話してくれました。その数日後に、その彼も音信不通となり、以前から約束していた食事も時間になっても現れることはありませんでした。 なぜこんなに簡単に裏切られるのか、これは自分が悪いのか、自分は幸せな恋愛ができないのか、と色々なことを考えてしまいます。 どんなに誠実で優しい言葉をかけてくれても、結局簡単に裏切られてしまうものなのかと、人を信じることさえ恐ろしく思うようになりました。 私はこれからどのように恋愛、そして人と向き合っていけばいいのでしょうか。

有り難し有り難し 22
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ