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看取り

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有り難し有り難し 23

6月4日に父が他界しました。肺がんで、72歳でした。
2週間母が病院に寝泊りして看病する状態でした。

父が亡くなる日、私がたまたま早く会社をあがっていたので、母が一度自宅へ戻る間に私が付き添っていました。
まさかその日その時間に逝ってしまうとは・・・

最期に会話したのが冗談話しでした。
前々日には感謝の言葉を交わしていたものの、最期がこんな会話になるなんて・・・
その思いと、なぜ私が最期を看取ることになってしまったのか?が今でも心にひっかかってしまってます。
父は最期に言いたかったこと、なかったのか?
看取ることってタイミングだけの話なんでしょうか?
教えてもらえたらうれしいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

息を引き継ぎたかった

りこぴんさん、こんにちは。
まず、お父様のこと、お悔やみ申し上げます。

肺がんで、72歳でいらっしゃった。年齢があがるにつれてガン罹患率は高くなると聞きます。みなさんがどのような人生を歩んでいらっしゃったかは分かりませんが、家族にとって心の揺れる日々でしたでしょうか。
2週間、お母様が寝泊まりするほどとのこと。そろそろ・・・とお医者様に言われていた時期だったのかと想像します。

「人の命は、この呼吸にある」
と禅宗では申します。人の命とは、ただこの一呼吸のなかにある。
ひと呼吸、ひと呼吸のなかに私たちの生活は存在します。
歩きながら呼吸をして、仕事をしながら、寝ながら、ご飯をたべながら、笑い話をしながら。

お父様は、あなたに看取ってもらえて良かったのではないでしょうか。
「最後のひと呼吸をあなたに託した」、そう思えませんか。
笑い話でも、感謝の言葉でも、言葉ではない何かを。きっとお父様はあなたに伝えたいことをすでに伝えていたのです。分かりにくいことですが。
 
 
余談ですが、わたしの知り合いに似た境遇の方がいらっしゃいます。
日頃お世話をたくさんしていたお孫さんではなく、日中仕事にでている息子さんが看取った・・・こんなことあるのかと。
もちろん、いろいろな状況があるようです。物理的にはだれも近くにはいなかったけれど・・・、すこしベッドを離れていた間に・・・、親族が集まる前日に・・・、など。

ほんとうに不思議なことです。

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おきもち

臨済宗妙心寺派 陽岳寺 住職 1985年生まれ。 東京都江東区深川出身・...
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「縁」

りこぴんさま
なごみ庵の浦上哲也と申します、よろしくお願いします。

付ききりでお父さまを看病していたお母さまが自宅に戻り、りこぴんさんが付き添っている間にお父さまが亡くなってしまわれた。
そのことに、何らかの意味があるのだろうかと思い悩んでいらっしゃるのですね。

私は、それは「縁」としか申し上げられません。
そして「縁」は人間には測り知ることの出来ないものです。
ですので、心にひっかかっているかもしれませんが、それについて思い悩んでいては、お父さまも「悩ませてしまって申し訳ない」と思われるのではないでしょうか。

また、お父さまと最後に交わした話が冗談話だったとのこと。
これはこれで、良かったのではないかと思います。
感謝の言葉でも良かった、冗談話でも良かった、他の話でも良かった、ケンカでも良かったのだと思います。
お嬢さんと言葉を交わし、看取ってもらえた。お父さまは幸せだったのだと思います。

話は変わりますが、人間は機械と違ってスイッチオフで死んでしまうわけではありません。
心停止すると医師は「ご臨終です」と言って死亡時刻を記録しますが、一瞬で全機能が停止し、全細胞が死んでしまうのではないようです。

特に、聴覚は最後まで残っていると聞いた事があります。
お父さまが亡くなり、お母さまはどれぐらいで駆けつけたでしょうか。
たとえある程度の時間が経っていても、妻の声に安堵を覚え、お父さまは旅立たれたのだと思います。

もし聴覚すら無くなってしまうほどの時間が経っていたとしても、長年連れ添った妻の気配を感じて、安らかに命を終えたのではないでしょうか。

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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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命をつなぐ

お父さん、大往生でしたね。

また必ず、いつの日か再開出来ます。

人間には、必ず身体に終わりが参ります、でも、命は終わら無い。

私達の身体の寿命が尽きた時に必ず再開出来ます。

今はただ、お父さん、良く頑張ったね、お疲れ様、ありがとうと、念じてあげて下さい。

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おきもち

長谷雄蓮華 (ラジ和尚)
ラジオ パーソナリティ 『 命の 相談会 』開催 愛知県愛西市...
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質問者からのお礼

ありがとうございました。

母のことを思えば、私じゃなくという思いが強く、なぜ私?を考える日々でした。
今はあまり考えないように生活しております。
いろんな思いを抱えて生きることを父の死後感じています。

なごみ庵 浦上様 ありがとうございました。
そうですね、父を困らせてしまいますね。私だったことは縁ですよね。母には申し訳ないですが、血のつながりと思って・・・ですね。
看護士さんにも言われました。耳は最期まで聞こえてるからと、2時間ほど、泣きながら家族が揃うまで、呼び続け、話してました。脳波は時々反応していていたのはわかりました。人の死を私は始めて目の前にして考えすぎてしまった感じですね。
気持ち楽になりました。

大法寺長谷雄蓮華様
ありがとうございます。感謝の気持ちを位牌前で念じてます。
今日が月命日です。
月日が経つのは早いものです。
いつか再会できる日までいろいろ話したいと思います。

「親・家族・恋人・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

父の死に激しい後悔

 こんにちは。日に日に積もる気持ちにどうしようもなく、相談させて頂きます。  父の死に後悔ばかりです。2~3年前から股関節骨折を機会に父の持病が悪化し、病院から老健の行ったり来たりで、父は家に帰りたいとか死にたいとか言うようになりました。  もともと父と私は昔から喧嘩ばかりしていて、口も聞かない時期が沢山ありました。  そしていたずら電話を何度もするようになり、電話に出ても何も言わないでこちらの声を聞いたりしてましたが、私はキレてきつい言葉で罵りました。言い過ぎたので悪いと思い病院に顔を出しましたが、父は普通に話してくれました。  でも父との最後の会話は 父『家に帰りたい』 私『痰を常に取らないといけないから仕事あるから無理』 父『私の心配はしなくてもいいから帰りたい』 私『いい加減にして!お父さんの心配なんか一つもしてない。私は自分の仕事と将来のだけを心配をしてる。絶対に嫌』 父『あーもうーいい加減にしろ』 父『もうお前に頼まん』  絶望のような声で言ってました。これで二週間後に危篤になり、息を引き取りました。  またきつく怒鳴ったのでそろそろ顔見せに行こうかと思いながらも、また家に帰りたいと言われたらどうしようと思って、顔を出すのを控えてました。  危篤の父に何度も謝ろうと思っだけど『介護の何一つもしていない自分が言える言葉か』と思いなぜかどうしても言えませんでした。  今、後悔しかないです。本当に自分の愚かさが嫌になります。今ごめんねと謝っても後悔ばかりです。父はどんな思いでイタズラ電話をしてきたのか。どんな思いで帰りたいと言ったのか。  私が有給をとり自宅介護を一週間でもした方が良かったのに、私は汚い言葉で罵る事しかしなかった。。。もっと言い方はあっただろうに。。ただ怒るだけの私  お葬式で家に遺体を運んだ時に、亡くなってからでしか家に帰れなかった、父のその姿が頭から離れません。  日に日に思いが強くなり、激しい後悔です。この気持ちにどう折り合いをつけたらいいでしょうか。ご教授お願い致します。

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弟の死を未だに受け入れられないです。

2022年1月に、4つ下の弟を自死で亡くしました。 亡くなってから気づくもので、同じ年の8月ごろから自ら死を選ぼうとしていたようでヘリウムガスを購入していました。 私は結婚して家を出ているので、祖父母と両親と5人暮らしです。普通の家庭で、何不自由なく育ったと私自身は思っています。 弟とは仲が良く、結婚して家を出てからも二人で飲みに行ったり両親を連れて出掛けたり、私の家族とみんなで旅行に行ったりしていました。なぜ死を選ぶのかが、正直わからない程です。 弟が亡くなってから、弟の友人に聞いたのですが中学生ごろから「そんなに、長生きはしたくない。」大人になってからも、「どうせいつか人は死ぬんだから自分で自分が死ぬ年齢は決めたい。」などといっていたようです。今思い返せば、弟が20歳になった時に私と母に「20歳まで生きるはずじゃなかったんだけどなー。笑」と言ってきたことがあります。 未だに、弟がいないという現実を受け入れたくないので考えないようにしている自分がいて時間が経てば経つほど苦しいです。 自死を選んで後悔してないのか。気になって気になって絶対にわからないのに答えがほしいです。 出棺のときに、霊柩車が実家に向かう途中にエンジントラブルで3.40分遅れたり 告別式で拝んで頂いているときに私の主人の数珠が突然弾けて数珠がすごい勢いで散らばったりハプニング続きで、葬儀会社の方もこんなこと初めてだと驚いていました。その出来事がなおさら、やっぱり死ななければよかったと思って後悔しているのではないかと思えてなりません。 何か、いいお話が聞ければと思ってこちらに書きました。よろしくお願いします。

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夫と死別。ずっと苦しいままです。

2週間前に夫を会社の事故で亡くし死別しました。 現在2歳児の息子がいて2人目妊娠中36wの妊婦です。 これから先、どうしようと途方に暮れていましたが 義実家が受け入れてくれお世話になる事になりました。 義両親はとてもよくしてくれ関係もすごく良好です。 夫が亡くなった日の翌朝、夫のスマホから 連絡を取ったりしないといけない用事等があり パスワードを入力し開くと何通か通知が来ており 急ぎかな?と思い開きました。 夫はTwitter、Instagramで裏アカを作成し、 その他出会えるアプリに登録しており 何人もの人と不貞行為におよんでいました。 亡くなった翌朝に会う約束をしてる人もいました。 私には残業があると言っていたので すごくショックを受けました。 また、不貞行為を始めたのは私の2人目の妊娠がわかった時位からでした… 私がつわりが酷くて保育の送り迎え往復4、50分かかってつらかった時も 夫は3交替で私はワンオペ、家事育児仕事の両立がきつくて泣いていた時も 早出や遅出や会議や出張や飲み会があると ずっと嘘ついて女性と会ってたやり取りが見つかり その日からずっとふとした瞬間苦しくなります。 私と息子の存在は夫にとって何だったのかな? 亡くなった後に久しぶりに乗った夫の車から息子の チャイルドシートが外されトランクに隠されていて あー夫は他の女性をこの車に乗せて 独身であることにしてたんだなあと思い、 リュックサックからバイアグラも見つかり虚しくなりました。 夫が亡くならなかったら私は一度も夫を 疑いもしなかったし気付かないままだったと思います。 夫の死はとても悲しく、だけど呆れや虚しさや 腹立たしい気持ちもあり今でも涙が出ます。 夫は最期まで私や息子を愛してくれていたのでしょうか… ずっと苦しい気持ちが消えません。 どうしたらこの気持ちが消えてくれるのでしょうか。

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夫が急逝しました。

初めて投稿いたします。 私はうつ病を抱えております。 答えが欲しいというより聞いていただきたいのです。 今年の2月、長い間病と闘ってきた夫が急逝しました。 夫は若い頃から腎臓と心臓に病を抱えていて、40代で人工透析を受ける事となりました。 それも長期になってくると身体に負担がかかります。 不整脈もあって、50代後半には仕事に支障が出るほどに体調が悪化。 そうなると次は腎臓移植です。 しかし移植を待つ患者は多く、順番が回ってくるのはいつになるか。 そこで私は、私の腎臓を移植する事を夫に提案しました。 最初はとんでもないと固辞していましたが、やはり体の辛さに耐えられず、数年かかってやっと承諾してくれました。 このまま透析を続けてもいつまで生きられるか。 それなら私の腎臓を移植して生き永らえる時間を延ばせれば。 そして2020年4月、夫婦間生体腎臓移植手術を受けました。 しかし、ここから再び夫の苦難が始まってしまったのです。 入院中に様々な病気を併発し、退院できたのは2ヶ月半後。 元々筋肉質だった夫は痩せ細り、1人で歩く事もできなくなっていました。 しかし私は心配していませんでした。 元々楽天的で努力家の夫は、私がセーブしなければ頑張り過ぎてしまう人でした。 ところが今回は違いました。 なかなかリハビリを始めない夫を私は叱咤激励し、時にはなじってしまいました。 今なら理解できます。 移植手術は思ったよりも夫の身体に負担を強いたという事を。 もう遅かったのだという事を。 移植を受けたため、夫は免疫抑制剤を常用しなければなりません。 世間ではコロナが蔓延していた時期。 ワクチンは都度接種し、外出時はマスクをし、手を消毒、帰ってきたら手洗いうがいをさせ、注意していたつもりでした。 しかし昨年末、夫がコロナに罹患してしまったのです。 最初はまさかコロナだとは思わず、年末年始という時期もあり、家で様子をみる事に。 ところが年明け早々呼吸困難に陥り、救急車搬送となりました。 そして入院から1ヶ月ほどで、突然心停止し、そのまま逝ってしまったのです。 私は今、悲しみと後悔の念に苛まれています。 私にはまだ実父と義母、そして飼い猫を見送るという役目が残っています。 それを終えたらもうすべき事はありません。 いつか仏様の元で亡き人々の冥福を祈りながら過ごす、それが今の私の願いです。

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夫が亡くなりました

昨年末に夫が亡くなりました。 結婚30年目の事でした。一度離婚して別居した事があったのですが、その後思うところあり再婚し、私は別居先で仕事を始めてしまったので、週末婚の状態で過ごしていました。 週末には必ず一緒に過ごし、買い物したり、ご飯食べに行ったり。 夏には私と一緒に別居している娘達と旅行に行っていました。 しかし、昨年は年頭から私たちがコロナに次々と感染し、更には娘が職場で怪我をする、更年期の私は外出もままならない、となり、一度も会いに行けないまま、年の瀬を迎えてしまいました。 しかし、年末恒例でいつも私が年越しの料理を大量に作って持っていくのが定番でしたのでそろそろ、と思っていた時に、同居していた息子から『父が死んでいた』と連絡が来たのです。 それからの事はあまりよく覚えていないのですが、自宅で亡くなったので警察に遺体を持っていかれ、家では会えなかった事、身内が殆どいなくなっていたので子供達だけで火葬した事、それまで全く泣かなかったのを覚えています。 ですが、今年になってからの半年は相続関係、遺産分割などで段々と主人がいないんだと思うと泣く、と言うより胸を掻きむしりたいくらい自分が悪女になったようでどうしたらいいのかわかりません。 主人はどんなに寂しかったろう、たった1人で冷たい部屋で最後にどんな思いで逝ってしまったのだろうと思ってしまいます。 私はどれほど酷い妻だったのだ、と泣く資格なんてお前にあるのか、と言われている気がするのです。今更遅いのはわかっています。でも、どうしたら主人に詫びる事ができるのでしょう。納骨もしなくちゃならないのはわかっていますがまだ、離れたくなくて自宅においたままです。生前から散骨希望ではあったけど、そうしたらもう本当に主人はいなくなってしまう。 一体どうしたらいいのかわからないのです。 夢にでも出てきて私をとことん罵ってくれればいいと思うのにたまに夢に出てくる主人は穏やかに笑って昔みたいに一緒に料理したり、キャンプしたりなのです。 亡くなった人と会話ができたらいいのに、と思うばかりで胸が苦しくてたまりません。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ