hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

自宅敷地内の観音様について

回答数回答 2
有り難し有り難し 11

以前、被災した義理の両親との同居を解消することに悩み相談させていただいた者せす。同居して2年が経過しようとしています。相談させていただいてからも、主人とは何度も離婚の話をしてきました。お互いこのストレスに疲れてしまっていたのです。そんな不仲の私達のことをみて、義理の両親がなぜか私達のことで結婚後過去最悪の喧嘩したそうです。
そして、この家からは出ていき、シングルマザーで2人の子供を育ててい
る義理姉のことをサポートしにいくことときめたようです。
そこで、ご教示いただきたいことがあります。

彼らがこちらに来る時に、代々祀ってきた観音様を我が家敷地内に、被災地から持ってきました。観音様と呼んでおりますが、どうやら昔の誰かのお墓らしいのです。主人のひいおじいさまの夢に、出てきて「掘ってくれ」とお告げがあり、掘ったらでてきたそうです。それから、その観音様は震災でなくなってしまった自宅近くの山に祠を建て祀られており、代々引き継がれていたようです。

こちらに持ってくるという話の時、私は「海を眺める場所にあったものだし、観音様はあの場所が好きだろうから動かすべきではない。」と言い、また、正直、新しい住宅地なので周りも若い家族が多いため気味悪がられたりされるのではないか、という気もして反対してました。
今、観音様は庭にあり、ホームセンターで購入した物置小屋を祠のようにして祀り、義理母が毎日お水をあげています。

これから家を出で岩手県に戻るとのことで、私は上で申し上げた理由2点から、あちらに戻して欲しいと思っています。
しかし、主人も含め、こちらに置いておきたい、といっていますが私は、義理の母ほど、その観音様に愛着が持てず管理ができる自信もありません。主人は週1くらいであればお水とご飯を供えそうですが、今までの仏壇へのお供え状況を見ていると私より頻度が少いので怪しいです。

こんな雑な夫婦のもとに観音様を置いておいて良いのでしょうか。
それで観音様は幸せでしょうか。
昔、観音様のお供え等をサボっていた時期に義理父が仕事で指を切断したそうで色々と怖いです。
今後どのようにしたら観音様は幸せですか?
ご教示ください。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたがにこやかで過ごすことが観音様の幸せと存じます。

ですから、観音さまをもとにもどそうが戻すまいが、
観音さまにはまったく関係ありません。

指が切断したとかなんだとかは、
ただ「不注意」なだけです。
人間不注意はいけません。

物事を悪しく考えたいお気持ちは、
だれもが持っている人間の、動物としての本能です。

その「動物の本能」をどのように「人間」にするか。
ここが大切です。
動物の本質は「恐れる」ことです。
恐れるがゆえに、拒絶したり不安になったりするのです。
それはもはや、自分で自分を地獄に落としているような
ものです。

しかし、ちょっとしたことで、そうした地獄が変わる瞬間があります。

それは「いたわること」
相手の痛みを、感じることです。
相手の喜びを、感じることです。

実は観音さまの幸せとは、そうした「いたわること」そのものであります。
観音様の御功徳を謳ったお経、観音経世尊偈というところに、

念々勿生疑 観世音淨聖 
於苦悩死厄 能爲作依怙
とあります。
訳しますと、
「観音さんのチカラを疑ってはいけません。
観世音菩薩、つまり浄き聖(ひじり)は人々の苦悩と、
死などの災いに際してそのひとのための、尊き依怙(よりどころ)
となるのです」というものです。

苦しみにあるひとのそばにありたい。
それが観音さまです。
あなたのそばに観音さまがきた、ということは、
あなたの御傍で、あなたの苦しみを少しづつでも
取り除きたいと願われたからであります。

あなたは、その観音様のいきさつから
なにか「得体のしれないもの・不吉なもの」と、
御自身の思いを膨らませ、
それによって御不安になっていかれたのでは
ないでしょうか。
それは観音さまに限らずではないかと感じます。

実はだれよりもあなたの「さちあれ」を願うこころを、
得体のしれないものと、してしまっているかも
しれません。

その頑ななこころを解きほぐすために
あなたのもとに「得体のしれない観音さま」が
きたとするならば、
これほどの「縁」はないものだと、小生は感じるのであります。

しかしもちろん
あなたの思うように、海のそばのどこかのおてらさまに
御奉納いただくもよしです。
先に述べた如く
あなたがにこやかで過ごされることが観音さまの
幸せなのでありますから。

さちあれさちあれ。合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

観音様の幸せよりもあなたご自身の幸せへと向けて

りんりん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

以前のご質問にも回答させて頂きましたが、あれからも同居を巡って色々とありましたようでして・・

この度は、ご自宅に祀られておられる観音菩薩様のご処遇についてでございますが、観音菩薩様のことにつきましては、下記のウィキペディアの内容をまずはご参照頂きましたらと存じます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/観音菩薩

観音菩薩様は、誠に智慧と慈悲を体現なされておられる菩薩様であり、その智慧と慈悲によって、迷い苦しみにある私たち凡夫を様々な変化身にて現れられてお救い下さる誠に慈悲深き有り難き菩薩様でございます。

星大晃様と誠に同じ趣旨のこととなりますが、観音様の幸せ云々のご心配よりもご自身の幸せへと向けて、観音菩薩様の智慧と慈悲の教えを私たちが修習することで、悟り・涅槃へと向けて精進努力していくことが必要となります。

ましてや家族内で喧嘩して争ってしまっていたり、不満やストレスを溜めてしまって心の状態が悪くあれば、観音菩薩様の尊いご意思に添うことではありません。

是非、この機会にも前回のご質問の時にもお答えをさせて頂いておりますが、何事においてもできる限りに助け合い、支え合い、分かち合いのバランス関係を保てるように調えることで、平穏無事に過ごしていけるようになさられて頂けましたらと存じます。

観音菩薩様のご処遇と致しましては、下記の問い拙回答もご参照下さいませ。

問い「生前の写真にお供え物をする事 再問」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002999474.html

「・・一定の尊いものへの配慮、失礼に当たらないような扱いというものが必要になるのではないかと考えております。このことを仏教では「荘厳(しょうごん)」と申しまして、中身は当然として、ある程度形式を重視するのも、形式をその尊いものへの配慮の現れとして扱うからでございます。もちろん、形骸化した中身の無い荘厳であってはいけませんし、何でもかんでも豪華絢爛でなければならないというのではなくて、身の丈に応じて、できるだけ尊いものを尊いものとして扱えるように調えて参りたいというところでございます。・・」

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

星様
ありがとうございました。
観音様は苦しみのある人のもとにいたい。という言葉をいただきまして、
「私達を選んでくれたのか」という有難い気持ちになりました。
私に持病があったり、主人の実家のほうの風習が受け入れられなかったりの葛藤があったので、
そのようなことも含めて観音様が苦しみを取り除きにに来てくださったのかもしれないですね。
前向きに捉えられるようになりました。

「仏像・仏様・阿弥陀・観音」問答一覧

神様も仏様も、必ずしも信じられない

以前「何を信じて生きていけばいいかわからない」ということで投稿させていただき、ご回答もいただいたのですが、やや気になる点があり追加で質問させていただきたく。 自分としては誠実にあろうと生きたつもりでした。 でも、家族間でも、仕事でも、あったことをなかったことにされてみたり、なかったことをあったかのようにされてみたりで責められ、うつ病にもなり、とうとうここ1年半くらいは引きこもりや寝たきりに近い状態になってしまいました。 物の善悪も、何を信じて生きていけばいいかもわからなくなりました。 それでも回答をいただき、自分を大切にして、やはり今までの自分を信じて誠実に生きていく方が良い方向へ向かえるだろうと思えてきました。 そうする中で、もう一回本気で取り組める仕事にも出会いたいし、楽しい趣味も見つけたいし、心穏やかに落ち着いて生きていきたいとも考えています。 ただ、「神様や仏様は見ている」という言葉が回答の中にあり、少し暗い気持ちも残ってしまいました。 神様や仏様がいるのなら、どうしてここまで至る前・・・あの時に助けてくださらなかったのか。あの時、あのひどい扱いをしてきた者たちに報いを与えて下さらなかったのか。もし私が間違っているというのなら、こうなるまでにそれを教えて下さらなかったのか。何ならば、今の私を救ってくださらないのか。何が足りないというのか。 そんな汚い感情を払拭することが出来ません。「神様仏様はそういう都合のいいものではない」、もしかすると「私が以前の何かの報いを受けているだけだ」、と言われてしまうかもしれませんが・・・。 そう考えると、 『本当に今まで通り真面目に誠実に生きる方向で大丈夫なのか?』 『今までの道徳をすべて捨て去るようなこともしなくていいのか?』 『それで「誰かに都合のいい人間」でなく、自分が良い人間となり、よき人生を送れるのか?』 汚い感情と一緒に、まだそういう迷いも多少残っています。 「よき人生を送れるかはわからないけど、無理に全部変えないで、今までのものをアップデートする形で十分じゃないかな」とは思うのですが。 神様や仏様に求めすぎるような汚い思いや、そもそも神様や仏様といった存在にどう向かいあうべきなのか。そして落ち着いた心で生きるためのアドバイスをいただけますと幸いです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

薬師観音様にご挨拶した時のことについて

#お参り#仏像・仏様・阿弥陀・観音 初めて相談させて頂きます。 ありがとうございます。 観音様にご挨拶した時の不思議な体験について、何か気づきを得させて頂ければと思い投稿させていただきます。 よろしくお願いいたします。 先日、お客さんから、川見四季桜が綺麗だったよ、栗きんとんが美味しいよと教えて頂き、天気が良い日に母と出かけました。 可愛らしい桜と、綺麗に赤く染った紅葉と、綺麗な和紙の作品と色々見て、有難く大満足な1日でした。 桜と紅葉を楽しんでいたところ、川見薬師寺に続く階段を見かけて、ご挨拶しようと、急な階段でしたので慎重に登って行きました。 やっとの事で登りきると、正面少し奥に、薬師観音像が見えました。 その時、観音様は私から見て右真横を向いていましたが、一瞬で正面を向かれ、目が合いました。 明らかに目の前で起きた事への理解が追いつかず、何か見てはいけないものを見てしまったのではないかと暫く見つめ合ったまま固まってしまいました。 母に促され、観音様の目の前まで来て、先程のことは一旦離れて、感謝とご挨拶をしました。 先程感じた強い違和感は無いものの、やはり目が合い、微笑んでいるように見えました。 ふと、右真横の目線の先が気になり、確認しに行くと、お寺で飼われている、老犬がいました。 わんちゃんにも挨拶したあと、少し下った先にあるお清めの水が湧き出ている場所に行き、そちらの観音様にご挨拶した際も、やはり目が合い微笑んでいる感じがあり、また呼吸して生きている様に見えました。 その日は1日とても楽しい体験をさせて頂き、ありがとうの気持ちでいっぱいでした。 加えて、人生で初めての体験、感覚ばかりでしたので、不思議に思っております。 拙い文で申し訳ありません。 改めて、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

観音様へのお願い事について

とある観音様が祀られているお寺にお参りに行った際の事ですが。 初めて訪れたお寺でした。 ウロウロしていると案内して下さる方が出てきて、一通り大まかに説明して下さって、そしてお参りする際に、 「~いくらでもお願い事して大丈夫ですよ~」 と、確か言った気がしました。 一瞬「聞き間違えたかな?…」と思ったのですが…。 観音様のご利益を検索すると、 「…あらゆる願い事を叶える、救いの手を差し伸べる、云々…」らしく載っているのを散見できます。 ですが、参拝者がお参りする際、お賽銭(お布施)って、5円、10円、100円…とか小銭をする場合が凡そ大抵だと思います。 知識がある人なら封筒包で千円単位を包む事はあると思いますが、少数かと思います。 ※ちなみに、神社へのお参りの場合、願い事の規模の大小に依ってそれなりの金額をお賽銭すべきであろぅ、といぅ意見/考え方を聞いた事はあります。 いくらでもお願い事して大丈夫…とは言え、小銭程度で5個も10個ものお願い事するって対価に合わないんじゃ…と想像したのですが、 「Q:そもそも観音様ってお賽銭の額が小銭だから云々…に関わらず、人々の願い事を個数に拘らずに聞いてくださる仏様なのだろうか?という素朴な疑問です」 まぁ、他の仏様、如来/菩薩/明王様…の場合はどうなのか、も詳しく存じ上げていませんが。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ