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祖母が間もなく。

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有り難し有り難し 33

今は私自身が1人暮らしのため少し離れていますが、20年以上ずっと一緒に同居していた祖母が間もなくこの世を去るときが近づいています。
癌の末期ですが、本人は知らずあと2、3日と医者から言われましたがもぅその日にちは過ぎています。大好きだったおじいちゃんが、そろそろ呼びに来たと思っていますが、分かっていても落ち着かず仕事にも集中できません。
何もしてやることが出来ず待つだけです。その毎日の気持ちの持って行き方に悩んでいます。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

辛い現実ですが そのすべてが貴方の人生の肥やしに・・・

お祖母様が間もなくということで、心落ち着かない日々だと拝察いたします。かかってくる電話やメールにも、気分が右往左往されているのではないかと思います。
お互いに残された時間は限られていると思われますので、今の優美さんができることを簡潔にあげてみました。(言葉足らずをお許しください)

➀仕事帰りに、毎日お見舞いに行く。
②仕事が手につかないようなら思い切って1日お休みをいただいて、お祖母様のそばにいて思い出を話しかけたり、これまでの苦労をねぎってあげる。
③家族・親族と介護を交代して、一晩一緒にいてあげる。
④お祖母様との思い出を書き出したり、思い出の品物を取り出してみる。

お祖母様のいらっしゃるところと、どのくらい距離が離れておられますか。通える距離ですか。上の4つが出来なくても、知らせがあったらすぐに駆けつけてあげられるように、必要なものをまとめておくと良いと思います。

そして、お祖母様がたとえ息を引き取られた後でも、優美さんに出来ることはあります。
➀ご家族やご親族と一緒に、(業者任せではなく)通夜・葬儀の準備を整える。
②別れの悲しみを抱えながら、心を込めて通夜・葬儀にお参りする。
③お祖母様を支えてこられた方々に、地域やお知り合いにお礼を言う。
④遺されたご家族・ご親族と、お祖母様との思い出話をする。
⑤お祖母様の法事・仏事にはすすんで参る。
⑥お祖母様から教えられたことを思い出しながら、優美さんの人生を生き抜く。

どうか、お互いの限りある時間といのちを愛おしんでください。

このハスノハへ勇気を持ってお声かけを頂き、有り難うございました。このメッセージが間に合えばいいなあと思っています。優美さんのこれからを、ハスノハが応援しています。ご縁に感謝!!合掌

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有り難し
おきもち

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん...
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このひとときを大切になさってください

大変お世話になって好きなお祖母様がもう余命いくばくもない状態にあって、それを待たなければならなあことは本当につらいですよね。まさに身を切られる想いで刻々と時を過ごされておられるのではないかと思います。
もしできうるならばできるだけできる範囲にてお祖母様のおそばにいて差し上げて頂きたいと思います。お仕事のお休みが取れるならばお取り頂いてどうぞおそばに行って差し上げてください。そしてあなたなお顔を見せて差し上げてください。人の命は誰にもわかりません。大切な方の姿をみて大変回復なさる時もあれば本当に安心なさって命を全うなさることもあります。
そしてできうるのであれば「どうか仏様、お祖母様を命終わるときには正くお導き頂きますように、そして再びお祖父様に必ずや巡り合わせて頂きますようにと心から願い、なむあみだぶつ。と手をあわせておとなえください。もしできるならばお祖母様にもそのことをお伝え頂き、例え亡くなっても必ずや仏様が迎え入れてくれて、必ずやお祖父様に巡り会えるとお伝え頂き、なむあみだぶつ、とおとなえ頂きたいと思います。
またお会いできないのであれば仕事の合間にお祈り頂きたいと思います。
必ずや仏様はあなたやお祖母様の願いをお聞き届けになり、正しくお導き頂けます。
あなたそしてご家族の皆様、何よりお祖母様にとってこの時はかけがえのない大切な時です。この時を本当に大切になさって頂きますようにお願い申し上げます。
私もお祖母様がその命を全うなさるまでしっかりと一時ひとときを生き、命全うなさるときには仏様にお導き頂き、お祖父様に再び巡り会うことができますように切に祈っております。

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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絆、思い遣り、感謝、教えてて貰える。お祖母さんの最後の教え

死には二つの心構えがいります。
一つは己の死。もう一つは自分以外の方の死!があるのです。

今、貴方が受け止めなければならないお祖母ちゃんの死なのですが
これはお祖母ちゃんの最後の教えでもある「無常観」なのです。
仏教ではこの「無常観」が最も大事にされています。 

無常観は先ず苦から始まり、苦は現実と思いの違いから生まれるもので、例えば現実は毎日老いて行き寿命も減り死へと向かうのだけれど、思いは若くありたい長生きしたいと思う現実と思いの二つの心により苦が生まれます。
この世の現実は人も生き物もどうしても避ける事が出来ない事即ち老いて行く現実が生者必衰、必ず死が訪れる現実が生者必滅です。
老いたくない、死にたくないと思えば思うほど現実と思いの差から苦しみが益々増え逃れる事が出来なくなり、もがき苦しむ事に成ります。
しかし苦も死も現実として受け止めて一つになれば苦はなくる事になりますがそれは簡単な事では有りません。
もし私たちがそれを身近に学ぶ事が出来とすれば死を感じた時であり、それは自分にとって大事な人、お父さん、お母さん、兄弟、お祖父さん、お婆さん、そして一番つらいのが我が子です。この様に自分の血肉が繋がった人が亡くなった時が無常観を感じる最大の時です。

絆、思い遣り、感謝、を今一度強く感じさせて貰えるのが誰しもが避けては通られぬ「死」を通しての「無常観」なのです。

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おきもち

質問者からのお礼

みなさま、お返事ありがとうございます。まだ祖母は私たちの側にいて会話も出来ます。ボケてないだけに余計辛いんだろうなーと思いながら、出来るだけ笑って接するようにしています。
間もなく来るであろう別れを迎えるにあたって、私が今出来ること、逝った後に出来ることを改めて考えるようになりました。
そして、それによって学ぶことがあるんだということも気付かされました。
少し落ち着きました。本当にありがとうございました。

「大切な人が危篤・余命宣告」問答一覧

生きている意味がわからない

夫を亡くして4年です。 長い闘病期間でしたが、話すことも出来なくなった夫に対して、私は側にいる事しか出来ませんでした。 当時、コロナで病院の面会は禁止となり、側にいることすら出来なくなりました。 1人で病室にいた夫がどんな思いで過ごしていたのか、どこが痛くて、どうして欲しいのか、それすらも聞く事が出来ないまま、最期は私の目の前で息を引き取りました。 なぜ、夫だったのか?と今でも思います。 私の家族の誰かから亡くなる人を選ばないといけないなら、私だったら良かったのに…今でも思います。 夫が亡くなった時は学生だった子供も、今では新しい家庭を作りました。 夫が亡くなり、もし私に何かあったら子供が1人になってしまうと必死に生きて来ましたが、その子供が新しい家族を持った今、私はもう全ての役目を終わらせてもいいのでは?と思っています。 自分の人生を自分で終わらせようとは思っていませんが、生きる意味も意欲も全くありません。 人前では平気な顔をしていますが、仲良く過ごす夫婦を見たり、ご主人の悪口を言える幸せに気づいていない奥さん方の話がどんどん私の心を黒く暗くしていきます。 夫が亡くなる直前に実母、夫が亡くなった直後に実父と次々に心から信頼できる家族を失ったことも私が誰にも本当の心を開かなくなった理由かもしれません。 ふと私はこれからずっと1人なんだと気づいた瞬間から絶望しかありません。 もう限界かな、と思っています。

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娘の結婚と義母の死去

お読みいただきましてありがとうございます。 私には何度かの流産を乗り越え授かった娘がおります。 小学生の時からパニック発作を抱えていて、断薬の中妊娠・子育てに入り24年。 このたび娘から好きになった彼と結婚が決まりました。 24年間パニックを堪えながらも次第に症状も消え、(娘の前では発作を起こした姿を見せないようにしてきました)旅行もできるほどになりましたが、 先月義母が急逝。今までは身内の葬儀もお骨を拾うことが出来ず休ませてもらっていましたが、今回はお世話になった義母のため最後まで立ち会いました。 葬儀後は、悲しみやパニックにならないよう娘の結婚準備に専念していましたが 持病的なものの再発をきっかけにどんどん体調が悪くなり、強張る体・胃の不快感・不眠症と、パニックも再発しそうな気配です。 仲良しすぎる娘がお嫁に言ってしまう寂しさを言葉に出せず、ずっと秘めていて 苦しくてたまりません。いい母親ぶってせっせと引っ越しを手伝っていますが 娘がいないところでは体調不良で起き上がれない時もあります。 娘の母親ならどなたも体験することかと思いますが、特にパニックを起こさないような心構えがありましたらご教授下さると幸いです。

有り難し有り難し 3
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離別の苦しみに向き合うには

こんにちは。 初めて質問させていただきます。   以前までは人並みに幸せな人生を過ごしていたと思います。 しかし、数年前に愛猫、祖父を亡くし、就職を機に実家を離れました。 孤独や悲しみを背負いながら、日々を生きておりましたが、最近になり両親が大病を患ったという報告を受けました。余命宣告はまだ受けておりませんが、ネット情報の海を潜ると5年生存率が数%しかない現実を突きつけられました。数年前に愛猫を失った記憶がフラッシュバックし、不安に過ごす毎日です。 人や動物はいつか死ぬものと知識としては理解しているのですが、見送るたびに胸が引き裂かれそうな悲しみに駆られます。もう何も失いたくないという思いの反面、また一つ私の大切なものが失われそうな現実を突きつけられ、自分の気持ちが整理できず、混乱しています。   いくつか質問させていただきます。 ① 迫りくる離別の恐怖に対して、これから私はどう向き合えば良いのでしょうか。世間の大人の方々は親を亡くしているにも関わらず気丈にふるまっていますが私にはその自信がありません。何か別れに対する心構えのようなものを頂けますでしょうか。   ② 神様?はなぜ我々に離別の苦しみを与えるのでしょうか。 出会って、愛をもらい、いつかは別れる。私も生を受け、たくさんの愛をもらい、最期には手放して旅立つと思います。法事やお坊さんのインタビューの中で「諸行無常」や「執着はいけない」といったキーワードをよく耳にします。そうであるならば、なぜ神様?は我々に「手放したくない」といった執着の思いをさせるのでしょうか。最初から出会わなければ、生まれなければ、我々は苦しみを感じずに済んでいると思います。   自分の気持ちの整理がついておらず、うまく文章化することができませんでした。 抽象的な質問になりますが、ご意見やアドバイス等頂ければ幸いです。

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背中を押してください。

ガン闘病中の主人のことでお話しをきいてください。 一度は死を意識し腹をくくったつもりでしたが、本人の頑張りもあり仕事復帰もしまた日常に戻ることができていました。 誰もが逃れることのできない死まで残された日をカウントダウンするのではなく、これからは1日1日を足して生きていこうと心がけていました。 それでも、元気な姿をみていたらいつしかこのまま治るのではないかと思ってしまっていました。 もっと早く転移箇所の手術をしていたら… もっと私が病気のことに真剣に向かいあって調べていれば… 人間だから必ずお別れの日がくるけれど、主人とは1日でも長く一緒にいたい… たとえお互いに1000年の命があっても満足することはないでしょう。 やり場のない気持ちをどうしていいかもがいている最中にhasunohaにご縁をいただきました。 諸行無常、今目の前のことだけに集中して生きていく… 他の方の問答を拝見させていただき、自分の気持ちに近いものが沢山ありとても助けていただいております。 仏教の智慧も知ることができ、もっと勉強したいです。 おかげさまで落ちついている時間も増えてきました。 手術していたら治っていたかという、生死とは単純なものではないと少しだけ考えれるようになってきました。 それでもどうしようもない悲しみや主人を失う恐怖におそわれてしまいます。 そしてやはり手術に対する後悔と自分の至らなさの懺悔の気持ちにとらわれてしまいます。 そんな時は南無阿弥陀とおとなえすることしかできません。 今は入院しての抗がん剤治療中ですが、もうすぐ帰宅予定です。 本人は淡々と受け入れていくと申していましたが、本当の気持ちは今はみえてきません。 主人の前では笑顔でいたいです。 今までどおり、できる事をしていきたいです。 みえない先の心配は何の意味もないことを教わったつもりですが、目を背けてしまわないよう、逃げてしまわないよう何かお言葉をいただけないでしょうか? このように話を聞いていただける場をご提供いただけたことに改めて感謝申し上げます。 どうぞよろしくお願いいたします。

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大切な人との別れ

私は今海外にいます。婚約者と1年間同棲して、暮らしていました。 3ヶ月前彼女が腹痛を訴え、夜中に嘔吐したので朝病院に連れて行きました。彼女はそのまま救急車搬送された、今の今までに集中治療室にいます。 つい3週間ほど前に医者からもう回復の見込みはないと告げられました。どんなに投薬しても、助かることはできないようです。 彼女には連れ子がおり、私は心からその子を愛し、我が子のように向き合ってきました。 彼女が入院してから、子供は生物学上の父親のもとにいます。この国の法律では僕はどうやっても子供には会えません。 この3ヶ月の間に、全てを奪われてしまった気分です。 精神的にも限界がきてしまい、自殺も考えました。 この先僕の人生は一生苦しみを背負って生きていくしかないのでしょうか。 楽になれる方法はあるのでしょうか。 本心では彼女に回復してまた家族で暮らしたいとそうなって欲しいと願っているものの、それはもう無理だと理解しています。 誰が、何がいつどうやって僕をこの苦しみから解放してくれるのでしょうか。 今は家に落ちているシール一枚や、壊れたおもちゃを見るだけで心が締め付けられるようで、涙が溢れてきます。 彼女も気管切開もされており会話ができず、そもそも本人が苦しまないようと、投薬で眠らされている状況で苦しんでいるのを分かっていて、なんで僕たちだけがこんなに苦しまなきゃいけないんだと、やるせない気持ちでいっぱいです。 めちゃくちゃな文章なのは分かります。ただ僕は今は藁にもすがる思いでハスノハに投稿させていただいています。 魔法のように僕が楽になる方法がないのは分かっています。 昨日も心の相談窓口に問い合わせたけれどもやっぱり僕の心は救われませんでした。 死ぬしかないのか、生きるならこの苦しみを背負っていくしかないのか…そんなふうに考えてしまっています。 どうか、教えてください。僕はどうしたらいいんでしょうか。どうやって生きていけばいいのでしょうか。 生きていかないといけないんでしょうか。僕を引き留めているのは僕のことを心配してくれている家族だけです。 めちゃくちゃな文章ですけど、何卒回答をよろしくお願いいたします。

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母の余命宣告を受けて前に進めません。

1週間前に母の余命宣告を知りました。 3年前に癌の再発が分かり、今まで治療を続けてきました。現在は同居しています。 治ることはないと言われていたのでいつかはこの日が来ることを覚悟していたことですが、実際に宣告を受けた時から毎日、明日が来るのが怖くて泣いてしまいます。 母とは二人暮らしで、私には父兄弟がおらず親しい親戚もいないため、 私がしっかりして、色々と決ねばならない手続きなどを早めに決めて、余生をどう充実させるかに目を向けないと行けないことは分かっています。 しかし心が着いていかず、近い未来独りぼっちになる恐怖に毎日怯え、自分自身が生きることに後ろ向きになってしまっています。 誰しもがいつか迎える状況だとは理解していますが、早すぎる時と抱える事の重さがつらいです。誰かに胸の内を言うこともできず、つらくて書き込みさせていただきました。 こんな世界が本当に嫌で、もし全て終わったら私も消えてしまおうかなと考えることも多いです。 今後の自分の未来にはもう、楽しいことや嬉しいことなんてないのではないかと強く思います。 今はまだ母は日常生活ができる状態ですが 時間はあまりなく、自分がこんな状態でいる場合ではないのに自分のことでいっぱいになってしまっている自分に嫌気がさして余計に消えたくなります。 患者家族は元気な姿を見せ、サポートに徹さないといけないのですが、こんな状態で母にも申し訳ないです。 未来が怖くてたまりません。 どういう考え方をすれば、受け入れて前を向けるのでしょうか?情けなく弱い自分に喝をいただけませんでしょうか。

有り難し有り難し 13
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