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政治への抗議行動について

新宿での焼身自殺、首相官邸での抗議デモなど、最近の「集団的自衛権」を巡っての抗議が行われています。

仏教的には、「流れに逆らわない」というイメージがあるのですが、今の現状の流れが戦争につながるかもしれない政治家の側にあるのか、戦争反対への自殺・デモなどの側にあるのか、もしくは大多数であろう「傍観者」なのか、疑問に思ってしまいます。

かつて、太平洋戦争が始まった頃ともしかしたら今は同じ状況なのかもしれないという気がしています。

太平洋戦争の頃の宗教家の言動などを踏まえて、今現在の宗教家の方々はどのように考えて、どのような行動を取っているのでしょうか?

大局に囚われず、右往左往するのではなく、今自分の眼の前にある日常生活を淡々と過ごすことが大切なのでしょうか?

有り難し 27
回答 5
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

国も犯罪を犯す事を忘れてはならない

国だから大丈夫、先生だから大丈夫、警察官だから安心などと言うことはありません。
政治とか宗教という言葉を忘れて考えてみましょう。
結論は「誰も殺されるべきではない」「殺してはいけない」です。
それが命ある者同士の当然のルールです。
この世に存在するもので自分とかかわっていないものなどありません。
ならばこそ政治はしかるべき人物こそが政治家になるべきであり、利益の為に人の命を軽んずるような政治思想はあってはならないことです。
かつてカルト教団が教理の理念の下に信者を殺したことを、いくらどんな理由で正当化しようとも誰がみても殺人は殺人です。政治の名の下に人が殺されて良い訳はありません。
人の命を尊重できない、争いを好む、自分の感情を克服できていない、固有の思想に偏った人間が政治の実権を握れば我々の生活が脅かされてしまいます。
現にそもそも必要のなかった消費税は3パーセントから5パーセント、8パーセントやがては10%に上がると言われ◎◎税、△△税という名の下、国が一番の「大泥棒」をしている時代です。課税課税が続くという事のものの本質は国こそ「泥棒をしている」ということです。
それを自制、規制する政治家もいないのが今の日本です。
我々も厳しい眼をもって政治の本質を見極めるべきです。
国が守ってくれるという幻想を捨て、国と言われるところの本部中枢、具体的には「個人」が国の命運を左右しているのです。
その為にも、今の時期から政治に参入するにふさわしい真の人材に焦点を当て、その人材を守り立てていく、力を貸すことが大切です。
選挙、投票よりもそういう人物を世に広く知らしめる、真の政治家を国政に介入させることこそ大切なのです。
戦争で誰か一人が死ねば、その人の親も家族も皆悲しむのです。
法律よりも、政治よりも、国の定めた規定よりも先に人間の実生活こそ優先される者です。
いよいよ政治や法律が私たちを戦争という殺人行為に加担させるような国家になりゆくのであれば、人を殺す前に、その法律をこそ滅するべきです。
人間が作ったものでない法、仏法は変えることはできないもの。
人間が作った法は、人間が改善、改良することができる。

兵戈無用

兵戈無用(ひょうがむよう)とは、仏説無量寿経の一説で、「兵(軍隊)も戈(ほこ=武器)も用いること無き」という意味です。現在のこの国の行方、世界状況を観てこの言葉の持つ意味を考えさせられます。

新宿での焼身事件や抗議デモからも大きく憂いている方々がたくさんいらっしゃることがわかります。仏教各派においても、これまで様々な抗議行動はなされてきていますが、右傾化に熱心な為政者たちにはどこ吹く風といったところでしょうか。

当派(真宗大谷派)でも、敗戦後50年の年に前大戦での反省をもとに「不戦決議」が宗会(宗派の議会)で可決されました。また、時の首相や閣僚が靖国神社参拝をされるたびに抗議文を発しています。

流れに逆らわないイメージですか? 当派の蓮如上人は「仏法を主とし、世間を客とせよ」とおっしゃいました。人の生きる道であり永遠不変な教えである仏法を主と据え、常に移り変わる世間やその価値観などはその都度客として対応せよ、ということです。逆らわないのではなく、それで良いのか? と、ご縁ある人々(同朋)とともに考え、間違いであるならばそれを正す方向を実践していくということではないかと思います。

日中戦争中、宗派はどんどん戦争協力に進む中、「戦争は罪悪である」と叫び続けた竹中彰元という方は、投獄されても同じことを叫び続けられたと言いますし、他宗派においても同様の僧方がいらっしゃっいました。

方法論はともかく、こういう先達のお心に学び、戦争という罪悪が再び起こらないようご縁ある方々と考え、少しでも良い方向に行くよう生活の中で実践していきたいものです。

合掌

自然法爾

宗教家と言う言葉には、少し違和感を覚えてしまいます。

⚪️⚪️家とは、その事を生活の糧にされている方では、ないでしょうか。

私達は、僧侶です、生き方であり、一挙手一投足、一言一言、一呼吸一呼吸、残すもの、自分自身すべてが、僧侶であると、思っております。

モチロン、私にも家族が有り、生活をさせて頂いております。

人生は、蓮の華に、例えられます。

絶対に綺麗な水では、花は咲かず、実は結ばない。

蓮の華や、葉の茎は二メートル程あり、長い、しかし、風に逆らわ無いから、折れることは無いのです、

仏様が、語りかけて下さる言葉に従います。

そこに、自ずと自分自身の取るべき道はあると、思っております。

私見ですが
流される事も、振り回され事も、ただ、傍観する事も、あってはなら無いと思っており、例え微力でも、正しい導きを進みたい所存です。

振り回されない、煽られない。

こんにちは。ご無沙汰しております。
「右往左往するのではなく、今自分の目の前にある日常生活を淡々と過ごすことが大切か」という
問いに対しては、
「右往左往するのではなく、今自分の目の前にある日常生活を大切に過ごしてください。」が答えになります。

浄土真宗も一向一揆という大きなムーブメントを過去に経験しています。
私はそれに懲りている立場です。
私は抗議の自殺をするくらいなら、過去の戦争を乗り越えてきた方のために何かできることを必死に探すことに重きを置きたいです。

大局という言葉を使うのなら、「集団自衛権」を使ってほしいと思う人は本当はどこにいるのでしょうか?
仮に日本の偉い人が「自己実現だけではなく、嫌とはいえない誰かにずっと言われ続けていて、いよいよ断れなくなった。」という視点であれば、流れを変えるために目を向けるべき対象は国内にあるのでしょうか、外国にあるのでしょうか?政治にあるのでしょうか、経済にあるのでしょうか?

目に映りやすい部分と、鍵を握っている部分が一致しているとは限らないです。

「流れに対して執着を持って抵抗する」ことではなく、「流されてしまったあとに残された人に対し何ができるか」という視点を私は大事にしています。
それが、「流れに逆らわない」と映るのかもしれませんが、流れに逆らえずに流されてしまった部分もあることはご承知おきください。

お寺や老人施設でお会いするお年寄りの皆さんは、過去の戦争を生き抜いてきた方々やその遺族もいらっしゃいます。
メディアに煽られるあまり、その方たちへのフォローが疎かになることだけは避けたいです。

感情的な文章になってしまいすいません。
触発されるなにかと出会ったときに「淡々と」という態度をとるのは自分には難しいです。

政治と仏教について

すっぴん様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

既に政治の世界から離れて10年程になり、今は中立・中道的立場でございますが、学生時代に政治家を目指して政治活動をしておりました。以下は、その頃の政治への想いを表した拙著でございます。興味がございましたらアマゾンの中古(280円~)でもどうぞ(笑)

「誇れる社会のために」
http://www.bungeisha.co.jp/bookinfo/detail/4-8355-7012-X.jsp

さて、「集団的自衛権」に関することについての個人的雑感につきましては、下記をご参照下さいませ。

「集団的自衛権に関しての雑感拙ツイートまとめ」
http://blog.livedoor.jp/hidetoshi1/archives/52167212.html

まず、仏教家・宗教家云々というよりも、この民主主義社会のルールの下で、とにかく国民・有権者一人一人がしっかりと政治への参加意識を高めて、確かなる選挙権の行使により、政治参加への義務・責務を果たしていくことが何よりも重要であるかと存じております。

次に、政治と宗教についてですが、世界史上でも宗教による政治的弊害の過去を鑑みて、政教分離の原則があり、日本においても「宗教団体の政治的権力の行使の禁止」を含む政教分離の原則が実質的にあるため、宗教が政治に介入するのは憲法的にもあまり好ましくないということは言えます。

また、仏教としては、釈尊ご自身が政治や社会運動・活動へ積極的に関わることをなさられておられなかったことから、仏教の態度としてもあまり介入せずに中立・中道的立場が望ましいと言えるのではないかと存じます。

唯一と言っていいのかどうかは広義において語弊があるかもしれませんが、釈尊の政治介入として有名であるのが、コーサラ国による釈迦族への軍事侵攻の際に三度、それを留めさせたことであります。しかし、四度目は無く、もはや釈迦族の業によるどうしょうもない厳しい因果の流れを見極められて軍事侵攻を見送られ、釈迦族は結局滅亡の憂き目となってしまいました・・

とにかく、政治や世論動向にあまり惑わされずに、何よりも善い行いに各々が努め励むことにより、より善い因果の流れを調えていくことが大切であるということになるかと存じております。

川口英俊 合掌


質問者からの有り難し - お礼

多くの皆さんから回答を頂きまして、ありがとうございます。
その後も、マレーシア航空機撃墜や、北朝鮮のミサイル発射、佐賀空港へオスプレイ配備などもあり、自衛隊員だけではなく、民間人でさえも「危険な状況」に流れているような気がしています。

今まで長い年月をかけて積み重ねてしまった政治への無関心、低い投票率などの因果が今の状況に繋がったということなのでしょう。
以前、どこかの法話で聞いたことがあります。
「長年、漁師をしていた親子。ある時父が海に落ちてしまった時に一緒にいた息子は親を助けることも無く、そのまま出家した。」と。
その話で「起きてしまったことに慌てて対応するのではなく、自分がすべきことをすべき」ということを学んだ気がします。

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