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お葬式・改宗について

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父は次男で最近は、親戚とも疎遠になっってきています。私もバツイチで子供もいないので将来のことも考え永代供養納骨堂を契約しました。

永代供養は宗旨・宗派を問わないとの事ですが、供養に関しての読経は真言宗とのことです。私の父の実家(本家)臨済宗です。こう言う場合、お葬式は臨済宗・真言宗どちたにするべきでしょうか?

永代供養のお寺(高徳院)にお聞きしたところ、改宗しても問題ないとのことですし改宗した方が良いのでしょうか


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

信仰をどう思っているのですか?

 改宗。かいしゅう。カイシュウと簡単に言いますが、信仰をどう思っているのですか?永代供養で信仰を替えられてはちょっと迷惑な話ではないですか?葬式も僧侶がいなくては示しがつかない。取り敢えず何宗でもいいから1人でいいやと言う方もいます。親族の死ごとに宗派を替えられてはたまったもんじゃない。このままじゃ宗派と言う名の顧客獲得の営業合戦だ!
 あなたの信仰はそのまま生き方を左右します。その覚悟(言いすぎですが)がありませんと容易く改宗しますと言わない方がいいですよ。
 契約したものは今更キャンセルは難しいと思いますので永代供養は分骨にし、葬儀の僧侶に関しては実家の親類の方々と相談というか、報告はした方が良いと思います。父親の死後、色々と言う人が必ずおります。必ず親類の方々には今の状況を報告し自分の事も今後どうするかも考えましょう。基本的に信仰の自由は憲法で保障はされておりますので。そして、父親の次はあなたですよ。ご兄弟が居なければあなたのお骨は誰が引き取るのですか?そこまで考えてから行動を起こしましょう。
 このようなことで弁護士を介した法的な処置に発展した人もいます(脅しになるかもしれませんが)。エンディングノートを書くことをお勧めします。もう一度自分を見つめ直しましょう。
 すいません。これは我々僧侶の責任です。儲けることばかり考えたぶり返しがこのような形となり皆様に返ってきたことを申し訳なく思います。ぶっちゃけ私の手に負える問題ではありません。今ワシが答えられる回答です。参考にするかしないかはあなた次第です。

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葬儀は宗教儀式です

お父様が次男さんとのことですね。
それで、実家のお墓には入れないということなのですね?
それで、お父様とぱんだぬきさんが入れるお墓か納骨堂が必要だったのですね。

お父様も納得の上で永代納骨堂を契約されたのですね。
そこのお寺が気に入って納骨堂を契約されたのであれば、
そこのお寺にお願いしてご葬儀をされた方が良いのではないかと思います。

納骨堂を永代契約したという事は、
ある意味そのお寺の檀家とも言えるのではないかと思います。
そのお寺の敷地で骨を土に帰すということになるのだと思います。
であれば、そこのお寺でご葬儀を行なうのが筋なのではないかと私は思います。

ご葬儀は宗教儀式です。
ご葬儀の形式や流れも宗派で違います。
葬儀をするという事は、その宗派の教えに従うという事です。

上記の事をよくよくお考えになって、ご葬儀の宗派をお選びください。

追記:本来であればご自分で信頼のおける和尚さまをお探しになり、
その和尚さまと永代納骨堂等のご相談されてみるのが良かったのではとも思います。

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仏道に入門して39年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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お葬式について

ぱんだぬき様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

お葬式に関しましては、下記のご質問にもお答えをさせて頂きました。

問い「お坊さんを変更できますか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1006677441.html

同じこととなりますが、「信教の自由」がございますので、どうなさられるのかは基本的に個々人の自由に委ねられるところでございます。このことにつきましては、下記拙回答も少しくご参照下さいませ。

問い「祖母のお骨についてアドバイスお願いします。」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002880885.html

ただ、問題は、下記にても少しそれぞれの宗派におけるお葬式の要諦について簡単に触れさせて頂いておりますが、真言宗では、密教灌頂による三密加持にての即身成仏を目指す、臨済宗では本来の自己たる仏性に覚醒させての成仏を目指すということで、両者の成仏論には大きな違いがございます。※但し、拙生の個人的見解と致しましては、「葬式即成仏」論について慎重派の立場でございます。

「お葬式について」
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/0816eb5e788bf5ecfc8eed8e901b1a76

「・・昨今の葬式仏教批判、あるいは、葬式簡略化、葬式・戒名無用論というのは、葬儀を執行する導師たるべき僧侶に対する信頼低下という面も少なからず影響があるかとは存じますが、それよりも僧侶も含めて、仏教徒であるものの、葬式・葬儀を行う本来的意義について真剣に問わない、考えない姿勢こそが根本的な問題ではないかと存じております。どうかこれを機会に、なぜ、お葬式をしなければならないのかについて改めて考えて頂く一つのきっかけとなりましたら幸いに存じております。・・」

もちろん、全般的な両者の教義についてもう少ししっかりとご自身にて実際に鑑みられた上にて、信心・帰依なさられる(なさられてみたい)方における宗旨について、これから主に学び修されていかれると良いのではないかとは存じます。それよりも他宗派の方が良いとなりましたらそれでも構わないのではないかとは存じます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「葬儀」問答一覧

海外からの祖父の葬儀参加について

先週に私の祖父が逝去したと妹より一報がありました。 今週末に予定されている祖父の葬儀への参加に悩んでいます。 きちんと見送ってあげたい気持ちがあるのですが、正直なところ複数の理由から、参加を見送ろうかと悩んでいます。 私は初孫だったので特に可愛がってもらったと思います。今でも小さかった時の祖父との思い出が記憶にあり涙が出ます。大人になってからは頻繁に会いに行ってあげられていなかったので、薄情な孫であったことが申し訳ないです。 悩む理由の一つとして、私が今現在海外在住(日本へのフライト時間が半日以上かかる場所)であることです。帰ろうと思えば帰れなくはないのですが、既に一ヶ月後に一時帰国を予定しておりその予定はキャンセルできないため、葬儀の2日間のためにフライトチケットを手配して行くことになります。 帰るなら早急にチケット手配や荷造り等をしなければいけないので、迷う時間も限られています。 また、参加できたとしても直後に家族での遠方への旅行を予定しているために、また帰ってすぐに長距離移動をすることになり精神的・体力的に厳しそうだなと憂慮しています。 もう一つの理由として、私が毒親である両親との縁を一方的に断っているため、もし葬儀に参加できたとしても精神的に受けつけない両親と顔を合わせ言葉を交わすことになることが恐怖に感じています。 (体調が悪くなる可能性があります。) きちんと祖父を送ってあげることに集中したいのですが、夫は仕事の都合で帰国しての参加が難しく、妹も仕事の都合で欠席予定となり、孤立してしまうので、精神的安全がなく、親戚への気遣いも必要な場ではかなりしんどいのではと危惧しています。 こういったときの常識がないため、色々調べ、花が好きだった祖父へ、せめてもの供花を妹夫婦と私夫婦で贈ろうかと考えています。 香典は海外からは送れないため、後日の一時帰国の際に連絡の取れそうな叔母に手渡ししようかと思っています。 (おそらく喪主は長子の父親かと思いますが、一番祖父母のケアをしているのは近くに住む叔母で、話の分かる優しい方です。) 今更ですが、きっと気落ちしている祖母にも声をかけに会いに行ってあげたいです。 帰れるのに帰らないのは、卑怯でしょうか。 欠席の場合、供花を贈るだけでは祖父に失礼にあたるでしょうか。 最後まで言い訳がましい孫で祖父には申し訳ない限りです。

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祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ