hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

勝手に想像して苦しくなってしまう

回答数回答 1
有り難し有り難し 2

こんにちは。よろしくお願いします。

私には悪癖があり、それは「他人の苦しみを勝手に想像して自分で苦しんでしまう」ということです。

感受性が強いと言えば聞こえはいいのですが、やっていることはほぼ自傷と変わらないと思います。SNSで流れてくる特定の人種への差別発言、過剰反応なデマを流す人間の言葉、セクシャルマイノリティ等への暴言など、そういったものに勝手に憤慨してしまうのです。

私が軽度の障がい者(目には見えないものです)なので尚更かもしれません。こういった考え方をやめられたらいいのですが、脳は勝手にその事を考えてしまい、なかなかやめることができません。あまりに疲れてしまい、死にたさでいっぱいになったこともあります。

そして先日、私の上司の差別発言を聞いてしまいました。その上司は私を気にかけ親切にしてくださり、とても尊敬していました。
その尊敬していた相手からごく自然に出た差別発言に私はショックを受けました。私が軽度の障がい者だと知っていて雇用してくださった方なのでなおさらです。

そのことが本当にショックで、つらい気持ちでいっぱいです。私もいつか差別されるのか、あるいはもう既に陰でされているのか、そういった事被害者意識のような事を考えてしまいます。

どうしたらこういった考えを抑えられるでしょうか。ご教授お願い致します。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「慈悲の瞑想」

むろ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

「他人の苦しみを勝手に想像して自分で苦しんでしまう」・・

相手のことを自分のことのように憐れみ、慈しみの心で何とかしてあげたいというお心は、仏教における「慈悲」の想いと非常に近いところがあり、無理に抑えようとされるのでなくて、むしろ、その方の苦しみや迷い、あるいは色々な煩悩、無明(根本的な無知)が無くなりますようにとの「慈悲の瞑想」も並行されてみられるのはどうであろうかと存じております。

そして、「他人の苦しみを勝手に想像して自分で苦しんでしまう」ことにおいて、各々に対して「慈悲の瞑想」をされたならば、それでいったん自分の中での一つの自分で自分を苦しめてしまっている想像、想いの区切り、決着とされてみられることで、少しずつでもその想像の囚われから離れられるようになさられていかれると良いのではないだろうかと存じます。

「慈悲の瞑想」におきましては、日本テーラワーダ仏教協会さんの「慈悲の瞑想」や「慈経」が有名ですので、下記にご紹介させて頂いておきます。

「慈悲の冥想 Mettâ Bhâvanâ」
http://www.j-theravada.net/3-jihi.html

「慈経 Metta Suttam/※注意・パーリ語読み自動再生あり」
http://www.j-theravada.net/sutta/Metta_Suttam.html

一つの参考となされてみて下さいませ。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

川口英俊さま

噛みしめるように拝読いたしました。ありがとうございます。
相手に対し祈り念じ、そこで一旦区切りをつける、気持ちの切り替えをする、ということ、とても納得できる方法です。
それを実践して、ちゃんと区切りをつけられるようになるまでには時間がかかりそうですが、もし苦しくなったとき心掛けるようにしていきます。

またリンク先も拝見いたしました。私がそこまで到るのは難しそうですが、いつかひどい言葉を放った相手にも、幸せが訪れますようにと願える心が持てたらいいなと思います。

貴重なお時間を割いて回答を下さりありがとうございました。気持ちが少し楽になりました。

「苦しい・苦しみからの解放」問答一覧

妄想から抜け出したいけど…

私には強い妄想癖があります。 過去の辛い出来事がきっかけで妄想に逃げ込み、いつの間にか妄想の世界で生きていました。 妄想の世界は楽しいです。自分が凄くなったように思えるし、皆が良くしてくれる。しかし、最近は色々あって妄想が苦しくなってきてしまい、現実を垣間見ることも多くなってきました。そしてふと現実を見るとふわふわしたり心にぽっかりと穴が空いたような気分になるのです。 なんというか自分は妄想のしすぎで妄想の世界での自己の確立が過度になりすぎていたのかもしれません。しかし、先程も言ったとおり妄想の世界が苦しくなってきた今、現実とのギャップに悩まされることが多くなりました。 私もこれをきっかけに現実を見て自分を変えていかないと…。と思うのですが、楽しい妄想の世界が消えることや現実への恐怖感、理想の自分と現実のギャップ、そして妄想の自分とは違い、自分がない、現実の自分には凄いところなんて何もないということを突きつけられるからか苦しみや恐怖、焦躁感や自己嫌悪に襲われます。 正直、今までもこういったことはあったのですが、その度に妄想の世界に逆戻りということを繰り返していました。今回も下手するとまたこのような悪循環に陥ってしまうんじゃ…といった思いもあります。 どうすればこの苦しさや恐怖を断ち切ることができるでしょうか?どうすれば妄想から抜け出して現実を生きれるようになるのでしょうか?

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

毎日不安で苦しいです

現在、お付き合いして10ヶ月ほどになる彼がいます。 彼とは半同棲で鍵をもらっており、自由に入って良い状態で信用されていると思います。 先日、彼が昔使用していたスマホが出てきました。 中身は見ていませんが、マッチングアプリが入っていることが見えてしまいました。 見た瞬間すごくショックで手が震えましたが彼はマッチングアプリをやるような人と思えず、見なかったことにしようと思いました。 しかし、やはりモヤモヤしてしまう為、アプリ欄を見てしまった謝罪と共に真相を聞きました。 すると「使ってないよ、すごく昔のスマホでアプリがそのままになっていただけだよ。ごめんね」とのこと。 しかし私からすると、彼女がいるのに登録したままいることに違和感があり、退会しないのか問うと「するよ」との返答。 私から聞かなければきっと退会すると自分から言ってくれなかったのだろうと思ったのと、彼女が不安に思っていることを無くそうと努力をしてくれないのか?と悲しくなりました。 アプリは私の希望で目の前で退会してもらいましたが、本当に使用していないのか、メッセージ欄を見せて貰えば安心できたかもしれない…と後悔しています。 古いスマホは、現在使用しているスマホの容量が足りなくなったから入れ替える為に使っていただけだよと言われ、それは本当にそうだと思うし、Wi-Fiに繋げなければ使えない状態でマッチングアプリを使用する意味がわからないので使っていないことは信じたつもりです。(彼女がいない時に使っている分には全然気にしないので、過去のことだと気にしないようにしました) 話は一応解決しましたが、そこから毎日ネガティブな妄想が止まらずにいます。 本当は浮気用のスマホで、とんでもない遊び人だったらどうしよう 最近家の中でもスマホを離さない気がする 浮気相手のLINEの通知は来ないようにしているのでは?など 今まで心から信用できる相手で不安になることがなかったのに、ここに来てこの一件で全てネガティブになり眠れない日が続いています。 終わった話なのでまた掘り返すのが嫌で我慢していますが、毎日苦しくて食欲もない日が続き、どうしたらいいか分かりません。 話して面倒と思われる相手ならそれまでの男というのもわかるのですが大好きなので別れることになるなら我慢しよう。と思ってしまいます。 安心できる言葉を頂きたいです。

有り難し有り難し 11
回答数回答 1

生き方の正解がわかりません

よろしくお願いします。 少し前に父が亡くなりました。 兄弟が複数人います。 遺産相続で揉めに揉めました。あまりに酷いやり方に私と1人の兄弟は相続放棄し、結果的に傲慢な人たちだけが相続するという形になりました。 口ではこれからは母を守るし、詐欺にあったら助けるなどと夢物語ばかり上等なことを言います。 でも現実は、初盆の準備や片付けなど一切せず香典も出しませんでした。 昔から母の様子を見たりお墓参りをするのは放棄した側です。 相続した側から「貰える物は貰えばいいのに〜。面倒なことはやりたい奴にやらせておけばいい」と見下され笑われました。 兄弟の考え方に触れるたびに 真面目すぎて融通が効かない自分のことが嫌いになります。 終わってみれば相続した側は得しかしていません。 自分のために人が世話を焼くのは当たり前のことで、そこに何の感情もないようです。 本人はただあるがままに生きているので悪気がなく「俺の言う通りにしないやつが悪い」と平然と言います。 いつかバチが当たると思っていましたが、実際には得しかしていません。 最近は私の方がずれていておかしいんじゃないかと思い始めてきました。 間違った生き方をしているのは私の方で、感謝や慈悲なんて実はなくてもいいことなんじゃないかと… もう生き方がわからなくなってしまいました。 相続に勝ったと笑っている人たちのことを指をくわえて見ながら雑用をやっている姿を 我が子が見て育つと思うと、私のようになって欲しくありません。 私は頑張って相続するべきだったのでしょうか。 ズルさや傲慢は私が思うほど悪いことではないのでしょうか。 相続以外でもずっと損をしている自覚があるにも関わらず改善されないのは、やはり私に問題があるのだと思います。 でも生き方の正解がわからなくてすごく苦しいです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ