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負けた感に疑問

今まで好きだった方には決まった相手が居るようです。

その彼女は私の友人でもあります。

二人の関係に気付いた時、「負けた」という感情がわきました。

「負けた」と思う自分に疑問を持ちました。

確かに、私は彼を射止められなかったから、負けたと言えば負けたのですが、

人を好きになることと、勝ち負けは関係ないのでは?
負けた感があるのは、そもそも「好き」以外の感情があったんじゃ?

もう少しで答えが出そうな、はがゆい気持ちで今の感情に向き合っています。

御意見を頂けると幸いです。
よろしくお願い致します。

有り難し 26
回答 4
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

勝ち負けで物事を決めない。

はい。おそらく競り合いの気持ち、優劣意識が根底にあったのではないかと思います。
もしくは、他の人の存在があった途端に比較が生まれてしまったのでしょう。
タイミングが悪うございましたねぇ(ToT)
ですが、人間最終的に幸せになれたかならなかったかどうかが大切です。
きょうはたまたまウチの子供が他の子供のおもちゃを取って泣かせてしまって「ボクが勝った」と言っているので、それはおかしいよ、となだめていたところです。
ですが、人間には根源的に勝ち負け意識があるということです。

人間は、元々誰のものでもない。
人間は誰のものにもならない。
あなたも相手もだれかのものになるということはありません。
相談者様は、どうかこれをきっかけとして、以下のことを知っていただきたいと思います。

人間は何も所有できない。
人間は人間を所有することはできない。
添い遂げると言ってもその中に浮き沈み生憎憎悪もある。
恋ゆえに良い所しか一面的に観ることが出来ない。
失うことがあるという事は得るところがあったはずであるが、人間は元々自分のものなど何一つない。
人生は勝ち負けではありません。
勝ち負けは比較です。人と比べて勝った負けた、人と比べて幸せ不幸せなんて考えは単なる競争、争い、競い合いです。
その人を射とめて勝ち取った、というよこしまな意識があるうちは人間は真の幸福感にはたどり着けません。
よって、人と比較しない、絶対的な生き方を求めましょう。
比較せず、自分を生きるのみです。
相手は相手、あなたはアナタを生きましょう。これを機に軌道修正、再スタートいたしましょう。

回答僧
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大鐵

あなたは負けてません。

sumou さん。あなたは負けてません。友人は本当に勝ったのでしょうか?あなたという友人を失くしたのではないでしょうか?彼氏と引き換えに。これは本当にいいことでしょうか?彼に関して悩んだとき、絶対にあなたに聞けません。相談できる人が減ったのです。これは重要です。それでも相談して来たら、無視すればいいのかもしれませんが、今そこが理解できるなら、友人の力になれるよう努力したらいいのです。これが一番の復讐です。来なければ来ないで別に無駄な労力を使わなくて済むのでラッキーと考えましょう。
 まだまだ、あなたが積極的に動けばいくらでもこれから出会いが待ち受けております。どちらかというとあなたが好きな人よりはあなたのことを好きな人の方が後々良いと思いますがそれは縁のなせる業ですのでこれ以上深く追求しません。健闘を祈ります。

何に負けたのでしょうか?

sumou さん、ご質問ありがとうございました。

純粋な恋愛感情に、勝ち負けなど関係ない。

そう考えるのが普通なのかもしれません。

それなのに、あなたは「負けた」と感じたことに戸惑っておいでなのですね。

恋愛感情を持つのは、人間です。

残念ながら、人間は、なかなか純粋ではいられないもののようです。

今まで好きだった方に対する恋愛感情は、もちろん本物なのでしょう。

しかし、あなたの人間は純粋でいられなかったのではないでしょうか。

人間は、どうしても自分のものさしでものごとをはかるくせがあります。

得恋した自分は、すばらしい。失恋した自分は、みじめだ。

これは、我執ではないでしょうか。

あなたは、得恋した自分と失恋した自分を比べました。

そして、「今まで好きだった方」との愛を得た友達である彼女とあなたも比べた。

そういうことではないでしょうか。

このことは、きっと人間であれば、程度の差こそあれ、みんな抱えている問題ではないでしょうか。

最勝者を目指すのが仏教

sumou様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

勝ち負け・・確かに私たちの世界では勝負、比較、評価してしまうことが多くあり、勝った、負けた、高い、低い、大きい、小さい・・と一喜一憂してしまうものでございます。

しかし、世間の八法(利得、損失、称賛、非難、誉れ、誹謗、楽、苦)に留まってしまっている限り、いずれにしても「負けてしまう者」(迷い・苦しむ者)であることには変わらないと仏教では考えることになります。

そういった世間での勝ち負けを超えて、最上の勝者となること、それが仏教の目的となります。

ちなみに、お釈迦様はご生誕されてすぐに最勝者をご宣言なされたと言われております。(天上天下唯我独尊)。これは、悟りを開かれることをご宣言なされたと捉えることができますが、この迷い苦しみの世界を超えることを目指すために、仏教では様々に取り組み(仏道修行)を進めることが必要となります。

また、「幸せ」ということを考える上でも上記のようなことが言えることになります。

問い「仏教とは死後の幸せを求めるものですか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002979923.html

問い「生きる目的が見つからず、就職するのが憂鬱です」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1003004333.html

「・・この人生での良い報い、良い結果を求めたいのであれば、やはり、そのための因・縁(条件)が必要となります。何もその因・縁を積まずにして、どこかから良い報い、幸せが勝手にやってくるわけはありません。種も発芽するには、水や光や養分やと発芽のための因・縁が必要であり、種だけで水や光や養分などの因・縁無しで発芽という結果が生じるものではありません。幸せという芽を出すためには、それなりの因・縁が必要であり、仏教では、それこそが「善い行い」となる次第でございます。・・」

とにかく、恋愛でも、結婚でも、何事も今後の人生において大切となるのは、善き因・縁へと向けた努力となります。善き因・縁を集めることによってこそ、善き結果も望めるものとなります。是非ともに頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌


質問者からの有り難し - お礼

皆様、ご回答ありがとうざいました。

このhasunohaにログインする時に「見方を変えると、なるほど!と思える」という様な事が表示されるのですが、今回、皆様の御言葉を読んで、まさしく「なるほど!」と思えました。

上手く書けませんが、質問を書いたときの気持ちを努力して忘れようとしたわけでもないのに、皆様の御言葉を読んでからは、肩の荷がおりたような、すっきりした感じがあります。

事実は何も変わらないに。
人の気持ちって面白いなぁと思います。

hasunohaで問答できることがとてもありがたいです。

皆様、本当に有り難うございました。

川口様
御回答ありがとうございます。

『世間の八法に留まってしまっている限り、いずれにしても「負けてしまう者」であることには変わらないと仏教では考える』
というくだりで、なるほど、と思いました。

リンク先の文章も拝見しました。

「善い行い」が出来ているか、省みながら先に進んで行きたいと思います。
ありがとうございました!

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