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罪悪感

はじめまして、よろしくおねがいします。

私は、今まで30年以上生きてきましたが、今立ち止まり振り返ると自分のしてきたこと全てを間違えてしまったと感じてしまいます。

人を傷つけ、やさしさを持たず、色眼鏡をかけて見て人を判断し、仕事上ではヒステリックに怒ればことが進むと勘違いし、男女関係でも道徳に反した行為があったと思います。このようなことはしないような人間でありたいと思って生きてきたはずなのですが、いつしか仕事の忙しさや周囲のやさしさにかまけて、気がつかないうちに傲慢になっていました。
それを、今になって気がつきました。いかに周りに対して愛情がなかったのか、、恥ずかしいです。傷つけてしまった方々には本当に申し訳ないとおもっています。しかしながら疎遠になってしまって謝ることもできません。

そしてこのような罪悪感を感じるのと同時に、周りの人々にはどうみられていたのかと人の目が気になり、陰では悪い噂がたっているのではないかという不安があります。罪悪感があり悪いのは全て自分だと感じているのに、まだ保身の考えを持ってしまう自分にも嫌気がさします。

私はこの先どのようにこの罪悪感と付き合い、罪滅ぼしをしてゆけばよいでしょうか。どうか、ご助言ください。よろしくお願い申しあげます。

有り難し 47
回答 4
回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

貴女が変われば周りも変わる

きっちり懺悔する。そしてそれ以上その事を引きずらないことです。
詫びるべきは詫びる。「今まで、厳しく接してきてしまった事を本当に深く反省しています」と、伝えられる機会があれば伝えるべきです。高い所から下りていく生き方が要求されている時代ですが、そもそも人間は上下、優劣の隔てを強く持たなければ、どんな小さい子とでも動物とでも遊べる人のように、天然の柔軟性がわいてくるのです。
プライドに頼る事をやめ、地を生きる事です。(^<^)
傲慢、驕りは自分を強く見せるためのものです。
つまり自分が人より優位に立とうとする比較の気持ちが根底のあるのです。
貴女はそうしなければならなかった。立場上、威を示すことでチーム全体の責務を全うされようとした。
私の好きな和尚さんの一人が雲水修行時代、修行僧の指導をする立場にあった時、厳しい一面を以って修行僧に接していたそうです。彼はある方から「あなたの言っていることは正しいが、やり方が間違っている」とご指摘をいただいて、改心したそうです。
正義で人を傷つけてはいけない、という教えがあります。
これを機に、謙虚な気持ちで、周りに対しては、明るく、尊重の心を以って接することです。
目立とうとせず、ご自身の為すべき事をただ淡々と為すだけでよいと思います。
人の目とは、人の目、人の評価を気にする自分の心の働きです。
相手の評価云々ではなく、自分が人の目を気にして、ダークなイメージを描いているだけに過ぎないという事に目覚めてください。
あなたが変われば、相手が変わります。
貴女が穏やかであれば相手も穏やかに。
あなたが過激になれば、相手もそれに応じるのです。
誰もが泉になれます。あなたが良い雰囲気の源泉になって、今まで通り主体性をしっかり持って、良いハーモニーが生み出されるように、つとめていきましょう。

意識を自分から他人へ

はじめまして!真宗大谷派の青峻と申します。

まず申し上げます、人は間違いを犯すものです、そのため迷い苦しむのでしょう。
そして成長することにより人としてより良くなっていくのです。

過去に犯した過ちは無くすことは出来ませんが、今からの事は選ぶことが出来ます。今あおいろさんがその過ちに気付いたことは大切なことですね。

私がオススメすることは、他人の幸せを願いささやかなことで良いので行動することです。

笑顔を見せること、相手の幸せを願うこと、相手の気持ちを理解しようと努力すること、誰かのために募金すること、優しく話す、そんな事から始めればいいと思います。

人は自分のことを思うと誰でも弱くなりますが、他人のためには強くなります。

意識を他人に向け始めると他人の目は気にならなくなってくるはずです、今は自分に意識が向きすぎているのでしょう。

他人に何かを与えようとすると、自然に自分を許すことも出来るようになりますし、何よりあおいろさんの周りが幸せになっていきます。今から意識していけば、いずれは過去に傷つけた方々より多くの方を幸せにしていくはずです。

後悔する為に生きるのではなく、幸せを広めるために生きてみませんか^ ^

罪を犯した事のない人などいませんよ

あおいろさん、こんにちは。
罪悪感で悩んでいる様子が拝察できます。
先ず考えなければいけないことは、この世に生きている人で罪を犯した事の無い人などいないということです。
仏教では過去の過ちを反省することを「懺悔(さんげ)」といいます。
私たち僧侶も日々、知らず知らずに犯している過ちに対して、経を読みながら反省する毎日です。
仏教的な回答をするならばお経を読んでみてはいかがでしょうか。
『般若心経』などは適当な長さでおすすめです。
まずはお試しあれ。

罪悪感への対処について

あおいろ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

罪や過ちを犯してしまったとしても、仏教では「慚愧」、「懺悔」することがまずは大切なこととなります。

「慚愧」につきましては、これまでも下記の各問いにて扱わせて頂きました。

http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/cat_321867.html

問い「懺悔」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1004016464.html

『・・「慚愧」することから、更に、二度と同じような過ちはしないこと、相手に会うような機会があれば、反省や謝罪の思いを伝えること、もしできることがあれば償いを行うことも大切なことにはなります。・・』

もしも、もはや謝罪や償いが難しいとするのであれば、二度と同じような過ちをしないことと共に、善徳行や報恩功徳に努めることをお勧めさせて頂きます。また、下記問いにおける拙回答では「懺悔文」というお経について扱わせて頂いております。

問い「幸せでも良いのでしょうか?」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1008050052.html

「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋癡 従身語(口)意之所生 一切我今皆懺悔」

「・・私がその昔より諸々の悪業(悪い行いの集まり)を積み上げてきてしまったのは、全て、無始(始まりのない過去)以来の貪・瞋・癡(貪りの心・激しい怒りの心・真理を知らない愚かな心)を原因として、身・語(口)・意(身体、言葉、心のそれぞれによる行い)によって生じるところのものです。私は今まさにそれらの悪業の全てを懺悔致します。・・」

ご質問にありますように、これからも罪悪感と付き合い、確かなる罪滅ぼしをしていくには、誠に上記の「懺悔文」をことある毎にお唱え致して、そして、積み上げてきてしまった、あるいは積み上げてしまう罪業や悪業を対治、排撃していくためにも、尚一層に善徳行・慈悲行・利他行に努め励むことが大切になるのではないかと存じております。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌


質問者からの有り難し - お礼

ありがたいお言葉をどうもありがとうございます。ご回答いただけて嬉しいです。わたしはどこで懺悔しお経を読めば良いのでしょうか。自宅の自身の部屋で、日々行うことでも良いのでしょうか。日々反省し悔い改めたいと思います。

青峻住職さま、ご回答どうもありがとうございます。あたたかいお言葉を頂けてうれしいです。これからは、自分に意識を向けず、周りの幸せを願い、行動に移して行けるように努力したいと思います。後悔する為に生きるのではなく、幸せを広めるために生きてみたいです!

丹下住職さま、ご回答どうもありがとうございます。私の過去の行いは、ご住職のおっしゃる通りで大変胸が痛いです。職場を離れ、長く時間がたってのしまった今、ひとりひとりに対して、お詫びすることが難しい状況であります。ですので、心の中で、お詫びを繰り返しております。今、きっちりと懺悔し、悔い改めたいと思います。尊重のこころをもち、謙虚な姿勢で歩んで行きたいと思います。自分を変えることが出来るようにしたいです。

川口住職さま、ご回答ありがとうございます。懺悔文を唱え、善徳行や報恩功徳に努めて参りたいと思います。
二度と同じ過ちを繰り返したくはありません。それが出来るようにと願い、毎日を過ごしております。
日々やってくる、決断の際に自分に対して不安になることがおおいですが、
少しでも人のお役に立てるような、まっとうな人間になれるよう努力いたします。
ご助言いただき、本当にありがとうございました。

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