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神様の審判

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有り難し有り難し 57

私は人生において様々な問題に対応出来ず、神様から怒りを受け、魂が無くなるかもしれないくらいの大罪人です。霊的な存在にもう駄目だと言われています。地元の氏神様に遣える人も駄目だと言われました。(自転車で通り過ぎた際)

家族に霊的な様々な存在が憑依して私をゆさぶってきます。
闇?魔?陰の神の眷属?素人なので良く分かりません。時にはとてもおそらしく感じます。

私はこのような罪人ですが質問があります。

罪の大きい人が仏壇を拝むと、成仏したご先祖様まで降りてきて、心配されるので良くないと聞いたのですが、この様な状態で仏壇を拝んでいいのでしょうか?

求職活動は可能でしょうか?

知り合いと普通に付き合えるでしょうか?

注意しないといけない事、してはいけない事があったらお教えください。宜しくお願い致します。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

許すのが、神仏の慈悲です。

いかなる大罪であろうとも許されぬものなどありません。その悪しき行いについて、本人が深く自覚し、ご尊前にて心よりの懺悔をなせば全ては許されるのです。思い違いをしてはいけませんよ。許さされぬと思うことは、これもまた自らのご自身の業なのではないでしょうか?仏さまは人を裁いたりしませんよ。バチを与えたりもしません。閻魔さまもいままでの行いを見透すだけで、結局のところ、裁かれるのはご自身ですよ。考えてください。悪いことをしたら絶対に許されないとしたら、仏さまの慈悲も届かぬ世界があることになります。この世では、どんなに反省しても、罪を償わなければなりませんが、あの世のルールは心の底から反省して2度と同じ過ちを犯すまいぞと誓った瞬間に許されますよ。大丈夫!
善因善果悪因悪。良い行いには良い報い、悪い行いには悪い報いですが、心からの懺悔というよい種を植えたら、華という綺麗な結果が出てくるんです。
信心を深め絶やさぬこと。それこそが懺悔なり。
就職活動。頑張ってくださいね。
あなたのご健康とお幸せを祈っています。浄光寺

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有り難し
おきもち

浄光寺の三浦康昭です。 くよくよと考えてもしかたがありません。明るく前向...
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贖罪(しょくざい)・利他行(りたぎょう)をしましょう

ご質問に関してお答え申し上げます。
罪の大きい人も小さい人も皆平等に拝むことが出来ます。神仏は信仰心に差をつけません。ご先祖様も拝まないより拝むほうが追善の功徳があるので降りてくることはないでしょう。むしろ拝むほうが喜んで、あなたを応援してくれると思います。

求職活動は可能です。罪を滅ぼして善行を積む贖罪する気持ち、他人の為に何かをする利他行をする気持ちを持って就職活動をするといい結果が出ると思います。

知り合いと普通に付き合えるかどうかは、その人があなたのことをどう思っているかによると思います。それを気にするよりも、これからの知り合いに目を向けましょう。縁は前からどんどん訪れ、巡り巡るものです。あなたの雰囲気によって色々な人と付き合えると思います。

注意しないといけないことは、懺悔の気持ちを持つこと。そして、仏様のみ心に近づこうとすることだと思います。「懺悔文」(さんげもん)というお経があります。短いお経なので毎日お唱えされるといかがですか。慣れてきたら、他にもお唱えしたらいいお経があります。してはいけないことは、あなたの場合、罪の思いに潰されてしまうことです。

前向きに歩いて行きましょう。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

ご回答、有難うございました。
 
心の迷いを除いて戴いて、負担がだいぶ軽くなりました。

私の罪は本当はもっと複雑にからみあっているのですが、複雑な世の中ですので・・・

基本を教えて戴いて本当に有難うございました。

訂正致します。

浄光寺 三浦康昭 様、随心院 卓阿 様

ご回答、有難うございました。
 
心の迷いを除いて戴いて、負担がだいぶ軽くなりました。

私の罪は本当はもっと複雑にからみあっているのですが、複雑な世の中ですので・・・

基本を教えて戴いて本当に有難うございました。

「神社・神様」問答一覧

神を信じられなくなって辛い。

カトリックですが、神父さんに相談しても解決しないので、こちらにおすがりしています。 数年前、ヒルティと言う偉人の書いた幸福論3部作に心酔しました。良い事も書かれていて非常に感銘を受けました。只、迷信も結構書かれていて、、書物や場合によっては人との出会いは導き、とか。人との出会いは導き、と言う事を信じてしまい、当時出会った人と結婚しましたが、タイプの方では無かったのですぐに苦しくなり、、やむ無く離婚を申し出て相手を非常に傷付けました。私もそんなひどい事を自分がした事に傷付きました。以来6年半経ちますが、神は何故こんな事をしたんだろうと、考えています。答えは勿論ありません。神を信じられなくなってしまいました。辛いです。神父さんとかは、その出会いにも別れにも意味があると言いますが、彼女の嘆きを見た私には、意味があったとは思えません。何でこんなひどい事を神はしたんだろうと悩み苦しんでいます。神は予定はしない、と神父は言うのですが、納得いきません。ヒルティが迷信を書いていたのを信じたのが悪かったと思っていますが、抜け出せません。どうしたらいいのかなぁ、、何卒宜しくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 38
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天部の神様と死について

こんにちは。表題の件について質問させて下さい。 忌中には、天部の神様を祀ってあるお寺に参ってはいけないという話を聞きました。 理由は「死は穢れで、特に聖天さんなんかは穢れを嫌うから」「天部の神様は人間に近いから、死を思い出させることで荒れ狂ってしまうから」「本当は神様はそんなこと気にしないんだけど、あなたが悲しいときに無理してお参りしなくていいよ、という意味だ」など、お坊さんによって様々なようです。 私も最近祖母を亡くしました。 祖母とは生前不仲でしたが、遺体を見ていると「生まれて生きて死ぬとは本当に大仕事で、この人はそれをやってのけたんだな。お疲れ様」と素直に見送る気持ちになれました。 死ぬのは怖いけど、それは死に際しての苦痛への恐怖が主であって、死自体はどんな生き物にも訪れるものですし、決して穢れではないと思うのです。 肉体が腐ることだって、微生物に分解され、本来なら動物や植物の糧になり、土に還るという尊い過程です。 何なら生きることより尊いと思うし、衛生管理のため仕方ないとはいえ、死んでまで化石燃料バンバン使って骨にして何の役にも立たない壺に収めて保管して、アホらし、とすら思いました。 そう考えると、「死は穢れだから」とか「天部の神様が死を恐れるから」という理由は、個人的にはあまりしっくり来ません。 人によって死への解釈や意見は違うものでしょうが、実際のところ、天部の神様にとって人間の死とはどういう扱いなのでしょうか? どうして忌中に参ってはいけないのでしょう? 現役のお坊さんの意見をお聞きしたいです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

神を信じられなくなってしまいました辛い。

カトリックのクリスチャンですが、神父さんに相談しても一向に解決しないので、こちらにお縋りしています。 数年前に偉人のヒルティと言う人の幸福論と言う著作を読んで心酔しました。何度も繰り返し読みました。確かに良い事も書いてあったのですが、書物や人との出会いは導き、と書いてあったりして、当時の私は私の知らない宗教の神秘かと思い、信じてしまいました。当時出会った女性が自分のタイプでは無かったにも関わらず、運命の人だと信じて結婚しました。直ぐに苦しくなって耐えられない位になり、やむ無く別れをお願いして離婚しました。彼女は号泣して私の胸も引き裂かれる様でした。 以来6年余りが経過しますが、未だ神に逆らって離婚したと言う気持ちが無くなりません。どうして神はこんな事をしたのだろうと答えの出ない問いを続けて苦しんでいます。でも神を信じているから、答えが欲しくて。神父さんにも相談してみましたが、キリスト教も誤った解釈があるとかとは、絶対に言われないので、一向に楽になりません。地獄を彷徨っています。神が何故不幸になる様な事に導いたのかなぁ。どうか宜しくお願い申し上げます。死にたい位辛くてなりません。涙

有り難し有り難し 20
回答数回答 1

稲荷信仰の宗教学民俗学的知見を求めてます

 最近、狐に呼ばれているような気がします。稲荷神社に参る必要性を感じているのですが、どこの稲荷神社に行けばよいのかわかりません。  20歳の時に初めて参り強く心惹かれ、なんとなく購入してきた狐のぬいぐるみを会社に居る間ずっとお世話させていただいていた京都の伏見稲荷大社が筆頭ですが、子供の頃に毎日通っていた千駄木の満足稲荷、今は両親の離婚に伴い縁のない実父の家が代々氏子を務める根津の根津神社内の乙女稲荷、生まれた病院の隣の湯島の花姫稲荷にも縁があります。現実問題として現住所が東京であるため、伏見稲荷大社以外でも失礼にあたらないのであれば、そちらに参りたくもあります。  また、昨年は自殺を考えるまで思い詰めたいた時期もあったのですが、その際に縁もゆかりもなかった女性に救われました。その方とは今は連絡が取れないのですが、不思議な人で、どうも今を思うと言動の節々や所作から、狐だったような気がしてなりません。ただ、この方は仏教系の荼枳尼天に近い気もしており、そうなると仏教系の豊川稲荷に行くべきかもしれません。  祀るにあたってリスクがあると言われる稲荷神ではありますが、それだけに失礼のないよう調査しており、また、この機会に一生祀る覚悟もあります。そうでなくとも、召喚には応ずるべきですし、もしも本当に自殺の間際から救ってくださったのがお狐様であるなら、お礼は言うべきだと強く感じています。故に、気軽に選択できずにいろいろ調べている現状です。  神仏には何かを求めるものではなく、あくまで個人の努力を応援してくださる存在として、私個人の思想と行動を中心に考えるべきということも重々承知しており、現実的な偶然を神秘的な問題と混同する危うさも理解しています。しかし、今回は、なんとなく重要な問題のような気がするので、心の問題というよりも、宗教学・民俗学的問題としての情報を求めています。  稲荷神の分霊に関して、総本宮である伏見・豊川の祭神と、それ以外の全国の稲荷神社の祭神は、神道系仏教系の同カテゴリの稲荷であればそれぞれが等しくどこからでもアクセスできるのか、派遣され憑いてくださるという眷属に関してはどのようなシステムで運営されているのか、全国の稲荷神社に参拝して信心を納めても良いものなのか、宗教学・民俗学に詳しい方がおられましたら、回答もしくは書籍の紹介いただけると幸いです。

有り難し有り難し 8
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ