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死後について

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私はまだ20歳の女子なのですがこの歳でもう死後の事を考えています

気にしたらキリがないのに
死後の世界が怖くて死にたくもありません。

その上虫や飲酒をするだけで
地獄行きという事も知り余計に怖くて仕方ないです。

どうすればこのような考えにならないかアドバイスが切実に欲しいです

両親にそのことを話したら考えすぎと言われました。
確かに神経質過ぎたなとは思っています
ですが怖くて仕方ないのです どうにか考えなくなるようにしたいです お願いします


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「死」への恐怖心は当たり前!「死」を覚悟すると恐怖が安心へ

今,貴女が感じている死への恐怖は当たり前のことです!
仏教の原点は生と死です。この生死の読み方は一般的には、せいし、と読みますが私どもの読みは「しょうじ」と読みます。この様に読むのは生と死を分けての考えは無く、生と死は一体と捉えます。
「色即是空」「空即是色」は何となく聞かれた事がお有かと思います。意味は「色即是空」とはこの世に姿、形を持って生まれこの世の存在を肉体で確認しやがて誰もが訪れる生者必滅を迎え消え去って行き生まれる前の世界「空」へと戻るのです。
「空即是色」は、正しくその逆の事となり「空」の世界より「色」の世界へ生まれて来ます。
佛の世界では何時如何なる時にも目に見える事、見えない事は別の世界でなく一つの世界とし
死んで終わりの考え方は無く死んだら此の世からあの世へ行きまた此の世へ戻るの繰り返しですので死んで葬儀をしますが葬儀は仏に成るための準備で、これより仏さまに成る処(仏国土)へ赴くための式でありあの世へ「生まれる為」の葬儀なのです。また、告別式はこの世のお世話になった方々との別れでもあり、さようならお先にあの世へ行ってきます!の式なのです。
今貴方が考え恐怖と感じてしまうのは死への不安感から来る苦しみで思い通りに成らない心があるからです。死は必ずこの世に生まれたなら皆平等に色んな形で訪れます。これを「生者必滅」といいますが、恐怖感を消すにはもっと深く考え知る事で覚悟を身に付けます。すると心が軽くなって行き心が安定の方向へ向かうのです。

私事ですが私は毎年元日には写真を撮る事を決め事にしています。この写真は今年の自分の為の遺影の写真です。私は死ぬ事の覚悟は出来ました。その時が来る時の心は小学生の頃、遠足に行く前の晩の気持ちで行こうと思ってます。
私は現在治る事の無い病気を持っています。いつ襲ってくるか分かりません来た時は「死」と宣告されています。あしたはその病気の検査日です。覚悟を持って行って来ます。遠足に行くように!
あの世からは違う形でこの世へ戻りますが、あの世から元の姿で帰って来た人は一人もいません!と言う事はあの世とやらは素晴らしい処だからです。
気になる様でしたら仏教書で死の事が説かれている書物を是非読んで見られてはと思います。

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死を見つめると、今が輝く

今、終活という活動が全国的に広がっていますが、これは自分の死を見つめるという行為ですね。ですから、死後のことを考えると言うことは、何ら問題はありません。生を受けた以上、必ず迎えるのが「死」というものであります。その死を迎えるからこそ、今をどのように生きていけば良いのかを考えることが出来ます。

地獄のことを考えてしまうのは、まりもさんが罪の意識を正しく持ち合わせている証拠でもあると思います。
つまり死を見つめることで、今の人生を輝かせることができるのではないでしょうか。

死というものに対して、恐怖という感情から今をどう生きるかという考えに変わっていければ良いですね。
まりもさんの人生が、輝くようなものになりますようお祈りしますね(。-人-。)

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昭和51年6月14日生まれ 日蓮宗新聞 編集委員 本山 妙傳寺 執...
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より良い死後へと向けて

まりも様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

死後についての色々なご心配、もっともなことでございます。

しかし、あまり極端にあれこれと偏って考え過ぎてしまってもいけません。

仏教では「中道」と申しますが、極端にとらわれてしまうことを避けるのを大切に致します。

虫を傷つけただけで、あるいは、飲酒しただけで、「地獄行き」という単純なものではなく、善いことと、悪いこと、そのどちらでもないこと、色々な複雑な因縁(原因と条件)が絡むことによって、死後の赴きというものも、おおよそ決まってくることになるかとは存じます。

また、例え悪いことをしてしまっても、慚愧(ざんき)、懺悔、反省、謝罪、償い、仏道修行、善行、功徳などを通じて、リカバリーしていくことも、もちろんできます。

まあ、難しいことは置いておいて、生かされて生きていくことのできている自分のありようをしっかりと理解し、お互い様の感謝の心、親切なる心で、この助け合い、支え合い、分かち合いの世界を過ごしていくことが大切となります。

生かしてくれることとなる食する命にもありがとうと感謝の「頂きます」を。そして、何かにてご恩返しになることもできていければという感じにて。。

善処を祈念申し上げます。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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「死ぬのが怖い・死恐怖症にお坊さん知恵袋」問答一覧

親離れと親の死に対する恐怖心

通勤時間短縮や自立した生活をするために、数年前から一人暮らしをしている30代女性です。 両親とは仲が良いこと、実家も県内にあることから、月一回は帰省しているのですが、ここ最近、一人暮らしの家に帰る度に、寂しさと悲しさが込み上げてきます。 たまに、両親が一人暮らしの家まで送ってくれることがあるのですが、良い歳した大人が別れた後に泣いてしまうのです。 ひどい時は、車中で泣いてしまうことがあります(泣くと親を心配させるので、こっそり泣いています)。 また、両親に持病があることや、ここ数年で他の親族の死を何度か経験したことから、いつか来る両親の死のことを考えてしまうことが増えてしまいました。 命あるもの、必ず死が来ることは分かっているつもりですが、両親が亡くなったら、私はメンタルが保てないのではないかと、すでに恐怖を感じています。 実家から帰省後、悲しくなって泣いてしまうのは、親離れができていないせいだと思っているのですが、親離れをするためにはどうしたら良いでしょうか?やはり、帰省回数を減らす事が得策になるのでしょうか? また、いつかくる両親の死に対する恐怖にはどうしたら打ち勝つことができるのでしょうか? どうか、ご助言をいただけないでしょうか。

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大切な人を失うことへの恐れ

昨年10月に父を膵臓癌で亡くしました。 亡くなってすぐの頃は、早すぎる別れに落ち込み、辛い日々が続きました。 しかし、母や兄、夫の支えもあり、悲しみに暮れる日々は時間の経過と共に少しずつ減ってきました。 もちろん、今も生きていてくれたらなあと思うことは多々ありますし ふと思い出しては泣くこともありますが…。 8月の初盆を終えて、父の死の悲しみと共に生きていく覚悟が出来ました。 しかし、初盆を終えたあたりから いずれは、支えてくれた母、健在の祖父母も父と同じように亡くなってしまうのだなと考えるようになりました。 母は現在、実家で1人で暮らしています。 母も10年前に癌を患い、その後2回再発していますが、幸いなことに寛解しています。 私は昔から母親が大好きでした。 父が亡くなった時も母がいたから前向きに人生生きていこうと思えたのです。 しかし、人はいずれ亡くなります。 母親もいつ癌が再発してしまうか分かりません。 一度考え出すと、亡くなってしまう恐怖が心を支配し落ち着かなくなります。 起こってもいないことが不安でしょうがないのです。 夫には起こってないことを考えてもしょうがないと言われその通りだと思います。 しかし、なかなか心の切り替えができないのです。 父を失い、そして母を失ってしまったらと考えると、怖くてたまりません。 もちろん夫も大切ですが 両親は夫とは少し立場が違う気がします。 ここ最近は暇があれば もし母親の癌が再発したらどうしよう、と考えています。 この無駄な妄想をやめるためには どうしたらいいのでしょうか?

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死にたいと思いながら死ぬのが怖い

はじめまして。 どうしても苦しく、初めて投稿いたします。 中学生頃からずっと希死念慮があり、早く死にたいと思っていました。 大人なり愛する人に出会って、生きていたいと思うことが増えたのですが、それでも些細なことでやはり私は生きていてはいけない人間なのでは、と考えてしまいます。 死にたいと考えることで、夫に辛い思いをさせてしまう。夫に辛い思いをさせる私なんて要らないのでは、と矛盾した思いの堂々巡りになってしまいます。 そして、今年がん検診に引っかかり前がん段階で手術を受けました。現在は病理検査待ちですが、死にたいと思っていながら、いざ実際に死の可能性が目の前に来た時、最初に思ったことは「怖い」でした。 なんて弱くずるい人間なのでしょうか。 夫は癌になっていても、一緒に頑張ろうと言ってくれましたが、不安な気持ちはなくならず、意味もなく泣いたり八つ当たりをしてしまったり、毎日生きることが苦しいのです。 このようにままならない気持ちをどうしたらいいのでしょうか。 そしてこのままたとえ死んだとして、こんな私ではお釈迦様でもお許しくださらないまま、本当に無価値になってしまうのではないかと恐ろしいです。 まとまりのない文章になってしまい申し訳ございません。 このような場をいただけたこと、感謝いたします。

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過去と幸せな今について

はじめまして 私は、事情があり20年以上毎日が死にたい気持ちとの戦いでした。 あと一歩で自殺していたであろうタイミングが何度もありました。 しかし、自身の病気や手術、環境の変化や出会いなど様々な大きな変化がここ数年で起こり、ようやく死にたいと考えることがなくなりました。 それどころか、毎日が楽しくて幸せだと感じます。 食事は美味しく、友人と話せることも仕事も趣味もこんなに楽しい事だったのかと、大げさではなく生まれ変わったような気持ちです。 2か月後には夢だった業界への転職も決定しています。 ところが同時に、自分が死ぬんじゃないかという恐怖があります。 幸せだからこそ、なんとなくもっと悪い事が待っている気がして怖いです。 やっと自殺願望から抜け出せたのだから、もっと楽しみたいです。 明日死ぬかもしれないと思って生きろと言いますが、もしそうなったらと毎日焦りのようなものもあります。 時々襲ってくる、この不安や恐怖について自分はどう向き合えばよいでしょうか? どう幸せを受け入れれば良いでしょうか? 何かアドバイスやこれからの人生において心の支えになるようなお言葉を頂けたらと思います。 よろしくお願いいたします

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死ぬのが怖い

こんにちは、拙い文章だとは思いますが読んでいただけたら幸いです。 私はよく死んだらどうなってしまうのかを考えてしまいます。自分がなくなるのが怖い、死ぬのが怖いと思い涙が止まらなくなります。体も重いです。 最初に一番悩んだのは高校2年生の時、死ぬことや自分が存在するということを考えすぎてご飯も食べられなくなりあまり眠れませんでした。母親の前で大号泣しなんとか克服したのを覚えています。そこからは、たまに死んだらどうなるのかが頭をよぎることはありましたが、なんとか考えないようにしてきました。 そして今、24歳になる私ですが、ここにきてまたこの思考を止められなくなりました。というよりも止めてしまうことが怖いのかもしれません。前ほどではありませんが寝つきが悪くなり睡眠時間も短くなり仕事に集中できない日が続いています。涙も止まりません。 ネットで色々見て自分以外にも考えている人がいると安堵する気持ちとそこからまた他人がいる、思考している、とどんどん自分が存在していること、なくなったらどうなるのかと結びつけて怖くなってしまいます。 生まれ変わりや幽霊はいるなど信じていないわけではないですが、もし生まれ変わりがあったとしてもその思考が自分ではない(現に私は前世の記憶はありません)と考えてしまい、励ましてもらってもうまく消化できないでいます。 それでも自分の中だけでは苦しくなるだけなので相談してみました。皆様のお考え等を教えていただいきたいです。

有り難し有り難し 12
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自分の死を受け入れて生きる事は可能か

お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。

有り難し有り難し 6
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死ぬのが怖いです。

初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。

有り難し有り難し 6
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死ぬために死恐怖症を治したい

お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。

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死にまつわる物事に異常な恐怖を感じます。

初めてご相談させていただきます。 私は死にまつわる物事に異常な恐怖を感じます。 例えばお葬式、葬儀場、霊柩車、火葬場、お墓などです。 始まりは小学生の頃、親戚が亡くなり初めて遺体を見ました。今でも忘れられないのですが、母親から幽霊の話をその時に聞かされて恐怖で逃げ出したい気持ちになりました。その後、成人してから父型の祖父が亡くなった時に初めて火葬場に行きましたが、とてつもなく怖くて出棺後を見届ける事ができませんでした。その後祖母も亡くなった時も怖くて立ち会わず恐怖に苦しみました。 私はどちらかと言うと母方の祖父母の方で育てられました。その2人もこの10年で亡くなりました。その際は最期まで見届けて、骨上げにも立ち会う事ができました。 しかし、その後異常な行動が始まりました。死にまつわる物事に異常なまでの反応をします。 例えば葬儀場の近くはなるべく通らない。 喪服を着てる人を見かけたら、その人が歩いていた所はジャンプしてまたぐ。 電車で見かけたら車両を変える。 霊柩車が通った道は遠回りしてでも避ける。 葬儀に参列した際はその時着用していた下着やシャツなど全て処分する。 カーナビなどで、〇〇苑【葬儀場や火葬場】と言う言葉を見つけると異常なまでに恐怖を感じる。その日、何時間も気にな楽しめない。 霊柩車を1日に何台も見つけてしまう。 小さい頃、霊や悪霊が悪さすると母親から刷り込まれ今だに目に見えない不思議な物を信じて恐怖にかられています。 霊が私に何かするんじゃ無いか?不幸を連れてくるのでは無いか、呪われるのでは無いかと、毎日恐怖にビクビクしてとても生きづらいです。お墓の近くを通ったりした際はすぐに洗車に行きます。 コロナが始まってから余計にこの強迫概念にかられとても苦しいです。 僧侶の皆様にこの様な質問は失礼に当たるのでは無いかと何年も悩みましたが、勇気を出してお伺いします。 どうかこの強迫概念が少しでも楽になる助言をいただけましたら幸いです。 よろしくお願い致します。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ