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ご先祖様がわからない先祖供養について

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私の実家の家系は、法要などキッチリと行っている家です。(父方、母方とも)

一方主人の家は、亡くなればお葬式はするけれども多分それっきりの家…。お墓はあります。(飛行機を使いさらに電車に乗りと遠いらしくとても小さな子を連れてお参りは行けません…。)仕事柄なのかも しれませんが、今生きてるものを大切に。神仏頼み等で願いが叶うなら、皆叶ってる等の考えで、受験生の時に主人(当時は彼)と二人初詣に合格祈願をしに行ったら義理の母に怒られ てしまいました…。 主人の両親、主人の父方の両親(私からは義理の祖父母)は健在です。義理の両親の第一子は生後半年で亡くなりました(女の子)が、その事は主人含め他の兄弟にも話していません。勿論写真も見たことありません。 知ったのは、戸籍かなにかを出すときに主人が知ったらしいです(大学生)そして、今から二年前に突然祖父母からお墓参りでもしてみるか?(祖父母は母が隠していることを知らないか忘れている感じです)と誘われ母に内緒で行ってきたそうです。(地元民ではないので、主人がもう一度行こうと思ってもわからない場所だそう) さらに、その祖父母は三度程中絶しているらしく(病気ではなく、もう子どもいらないから…と)その話は祖父母より散々聞かされました。今の時代は子どもは多くて二人。それ以上はいらん。できたらおろせばいいんだから~(笑)←こんな調子で す。きっとこの中絶されたご先祖さんは何も供養されてないと思います …。

私個人の意見では供養したいと思っています。ただ、主人はそんな家庭に育ったのと目に見えないものは信じない主義の人。お金がかかるだけ無駄だと考える人なので、供養うんぬんに賛同はしてもらえないような気がします…。 そんな状態で私と息子だけでも供養 とかできますか?

主人は3人兄弟(本当は四人ですが 隠しているということで)の次男ですが、長男はまだ結婚をしていません。 因果等、長子につくと聞いてます。

前の質問で子どもに病気が…という 投稿をした者ですが、前から薄々は 因果?と思ってはいましたが、今回 のことを含めさらに因果?と思えてしまって…。
気になって質問しました


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

どうぞ、すなおな気持に従い、合掌、瞑目してください

 供養する心が起こった時は、〈見捨ててはおけない〉という霊性の核が動いています。
 むしろ、向こう側から発信されているものに純粋な心が感応していると言った方が正確かも知れません。
 それは尊い瞬間であり、どうぞ思いを込めて瞑目、合掌し、深閑としたひとときをお過ごしください。
 言葉が欲しい場合は、以下のものの中で、自分にしっくりくるものをお唱えください。
「南無大師遍照金剛(ナムダイシヘンジョウコンゴウ」
「南無守本尊大法護如来(ナムマモリホンゾンダイホウゴニョライ)」
「おん あびらうんけん ばざらだとばん」
 あるいは、ご自身の守本尊様の真言や、記憶にある神々の名前などでもかまいません。

 こうしたご質問を何度か、いただいています。
「ウチのお仏壇には阿弥陀様が祀られていますが、私は町内にあるお地蔵様をとても身近に感じています。
 子供が熱を出した時などは、思わず、お地蔵様を思い出しながら手を合わせてしまいます。
 これって罰当たりなのでしょうか?」
 そんなことはありません。
 あらゆる仏神は、日常生活で意識されない世界へ入るための扉のようなものです。
 そもそも私たちの心は、見たり、聞いたり、想ったりという感覚がはたらいてこそ動くようになっているので、形や色や音や記憶はとても大切な要素です。
 そして、感覚がはたらいた歴史はすべて心の深い部分へ溜め込まれ、無限にやってくる刺激の中から自分なりに取捨選択してキャッチする順番などを決めています。
 たとえば町へ出た時、子供はまず、アンパンマンのぬいぐるみが目に入り、大人は本屋の立て看板へ目が向きます。
 だから、貴方様が、何かにすがるような気持になって〈思わず〉お地蔵様が心に浮かぶのは、それだけ、貴方様にとってお地蔵様の存在価値が高いということです。
 どう〈高い〉かと言えば、聖なる世界へ入るための扉にあるカギを貴方様なりに開けやすい力をくださるということです。

 聖なる世界を感じとる感覚は誰の心にもありますが、どのように意識されるかは千差万別です。
 確かなのは、扉の先は無限へと解放されており、そこでは時空を超え、この世とあの世をも超えた感応が起こったりするということです。
 そうした経験は心を温かく、豊かにします。
 自分だけで心もとない時はどうぞ、寺院の門を叩いてください。

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おきもち

先亡供養

生命を敬われるお気持ちは大変素晴らしいことです。
亡くなられた生命をぞんざいに扱う精神は、生きている人たちをもぞんざいに扱うことにつながります。
そういう因果もあるものです。
供養されなかった生命、命として敬われることが無かった生命を敬い供養をして差し上げる事で、亡き生命たちも法のよろこびに満たされ、質問者様にとってきっと喜ばしい結果を生むことと思います。
因果とは平たく言えば、縁の働きかけです。
何かに対して行動や言葉、何かを働きかける事によって、その作用が、結果に変化をもたらせるのです。
今までの過去からの働きかけの中身、内容が今の結果を作り出したのですから、これから働きかけの質を変えていけば当然、結果も大きく変わっていきます。
血のつながりのある先祖様や、血のつながりは無くとも先亡様は何らかの縁でつながっているはずです。その関わり合いを重んじてゆく行為が、すべての物事を尊重する精神を生み出します。
あらゆる生命を敬われる精神は本当に素晴らしいことです。
合掌

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おきもち

1人でもご供養できます

私たち僧侶は、過去現在未来の有縁無縁全ての精霊にご回向申し上げています。さらに、きちんと仏事をされているご実家をお持ちの、えりぃさんが心配することは本来無いのです。ただ、そんな簡単には割り切れるものではないでしょう。毎日気が滅入って大変だろうと思います。

ご主人はお金がかかるから供養は無駄だと思うだろう、とのことですが、お金がかからなければ供養したいということでしょうか。それならば良いのですが、例えお金をもらえてもいやだ、というのなら、問題は別のところにあるということです。

ご供養のために、えりぃさんができることはたくさんあります。笑顔を他人に向ける(和顔施)、優しい言葉をかける(愛語施)、など、お金のかからないお布施をすることも立派な修行で、それが廻向といって供養に繋がります。まずはご主人にお金のかからないお布施をすることをおすすめいたします。
あるいは、社寺参拝の折に、丁寧にご祈願なさってください。ある時を境に、えりぃさんの気持ちが次第に楽になる時があろうかと思います。

最後に、長子に因果が、という話は、そういう説もあるが、そうでないという説もあるくらいに思ってください。独身云々について、私は供養をしていないせいだとは思いませんでした。

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おきもち

住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...
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質問者からのお礼

なかなれお礼のコメントができずすみませんでした。

お布施がお金だけではなく、笑顔や愛と言うのがあるのは初めて知りました!!!
これならば実行できそうです。私自身も。忘れず日々実行していきたいと思います。
因果も色々な考え方があるのですね。少しは救われた気がしました。

こ言葉は、なかなか慣れず暗唱して言うのは難しいですね。

お忙しい中ありがとうございました。
また、質問したいことがあるので投稿させてください。

「供養全般」問答一覧

深い懺悔と感謝

いつもありがとうございます。三月の桃の節句も過ぎ、お彼岸が近づいてきました。hasunohaの皆様におかれましては日々、健やかにお過ごしのことと思います。 一時期、私は人生をひっくり返すほどの思いに駆られたこともありました。今年のバレンタインを過ぎた頃から、今は家族のありがたみを強く感じるようになり、毎日思いやりに支えられ、相変わらず週7日休み無しで外での仕事に励んでいる今日この頃です。 毎日が平和で穏やかな落ち着いた空気、他愛もなく些細なことの積み重ねですが、それらすべてが本当に、職場も家庭も、そして治療院にも、良い人たちにご縁があったこと、ひとつひとつに感謝です。これからも日々の幸せを大切に育んでいくことが、ご先祖様への恩返しにも繋がる明るい人生への道標なのかなと有難く思います。 お世話になった治療家の先生に、しばらくお休みすることを伝えました。その節は本当に、この上なく尽くしてくれたことに深謝の限りです。つい先生の優しさに甘えてしまい、助けたい側と助けられる側の引き合う力がぐいぐい強くなりすぎてしまった節がありました。徐々に私の感情が不安定になり、体調も崩れてしまい、元の近所に戻しました。いろんな人に打ち明けた昨年から年末年始と引き換えに、この春先は自分自身とひとりで向き合う修正が必要になったこと…あらためて自己成長へと繋げる良いきっかけになりました。 今でも毎日、先生のことが心に浮かんできます。それだけ特別な存在であることには変わりありません。頂いた思い出、温かい言葉の数々が、前向きに仕事に取り組む原動力となってくれます。2月といえば、確定申告に自動車免許の更新の時期。両方ともクリアでき、特に下がると思っていた年収が微々たる上昇していました。驚きを隠せず、念願の学びのための貯金も着実に増えていること、とても有り難く思います。 他の先生からみても親しくなりすぎた故に、遠慮もなくなり、お互い言いたい放題で喧嘩状態にもなりました。本音を明かした(ぶつけ合った)ことは、それだけ相手を強く思うからでもあり、アンビバレントそのものでした。ひと月近く、間を空けた今、直筆の手紙で、お詫びとお礼、そして相手の未来の幸せを願う想いを伝えたいです。 共に成長しあえる良い関係でいられるよう、しっかりとした自分となるために、アドバイスいただけましたら幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ