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因縁とは?仏教と神道の関係とは?

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 私の妻が今まで困ったら相談をしていた神道を信仰している女性から「あなたの家の先祖の因縁のせいで自分の家族にも不幸が起きてしまった。重い因縁であり、神の世界ではもはや救うことができないので、仏の世界にすがり救ってもらう必要がある」と言われてしまいました。 
 妻は自分の家の因縁が重いと言われたことにショックを受けていますが、仏教における先祖の因縁とは一体どういうことを意味しているのでしょうか?
 また、妻は神道で救えず仏教にすがる必要があるといわれたことにもショックを受けているのですが、そもそも日本において仏教において神道はどういう位置づけなのでしょうか?
 教えていただけると幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

因縁とは感謝すること。仏教と神道は領域が異なります。

MKさん初めまして、日蓮宗一妙寺の赤澤と申します。
重い因縁といわれ、御心痛心よりお察し申し上げます。宗教は悩みや不安を取り除くために存在するのであり、「救うことができない」というのは本末転倒なお話です。

信者獲得のための手立てにしか聞こえません。
先祖の因縁とは、数多くのご先祖さまからのご縁をいただいて自分がこの世に誕生していることを忘れないことを申します。先祖の因縁=不幸とはおかしなお話です。不幸はどこのお宅にもあります。毎日先祖供養をしているお寺の住職家族にもあります。

仏教における神道の位置づけは?というご質問ですが、神様と仏様はそもそも役割が異なり、同列に考えることはできません。

時間軸で申しますと「過去」「現在」「未来」とある中で、「現在ー未来」までの領域を司るのが神様です。ですから「病気を治す力をください」「子供を無事に出産する力をください」といった、自分にまだない力をいただきたい(未来)これが神様の領域です。
一方、仏様はというと「過去ー現在」の領域だと思います。なので「すでにあるものに感謝する領域」。先祖供養や罪滅ぼしなどです。

端的に申しますと、「新しいものを頂くか、既にあるものを直して使うか」の違いであると思います。
そして、新しいものを求めるよりも、既にあるものに手を加えて、大切につかう。このほうが日本人の肌にあっていたように思われます。

神の国、ニッポンに仏教が急速に普及したり、神と仏を同時に拝むのはこういった所以かもしれません。
日蓮宗のお曼荼羅には仏様だけでなく神様も勧請されております。

どうか良い方向へ向かわれますように。

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「因縁」とは「縁起」のこととして理解することが大切

MK 様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

仏教と神道との関係につきましては、下記問いにおきまして少し触れさせて頂きました。

問い「神祇不拝とは」
http://hasunoha.jp/questions/37

宗教間・宗派間においては、まず相互尊重、寛容性が大切なことを前提として、では、次にいかにして例えば土着の宗教・信仰・思想との融和も図って、仏教であれば、どのようにして独自性を保ちつつ、仏法を護持・弘法し、迷い苦しみにある衆生を導いていくべきであるのかが問われてくるところとなります。

明治時代の神仏分離令・廃仏毀釈による影響、更には国家神道強制による影響などがいまだに残る部分もありますが、概ね神仏習合思想が民心に受容される中で、日本仏教も日本古来の土着の信仰や神道とも融和をある程度図りながら展開していけたのではないだろうかとは考えております。

ただ、仏教においては、一神教としての絶対神、創造神は否定されるべきものであり、どのような神といえども、実体視できるような存在としてはありえないものとなります。もちろん、仏教における如来・菩薩などの尊格についてもしかりとなります。

このことは上記過去問の回答中における「もちろん、如来や菩薩にまで格上げされている神や尊格は実体としてあるものではなくて、あくまでも仏の教えの顕れとしての役割がそれぞれに与えられて、目的である悟り・解脱・涅槃へ向けての助けとしての存在である点には注意が必要であると考えております。」ということと考えております。

「因縁」につきましては、モノ・コトは、様々な条件や原因により成り立っているという「縁起」のことであり、存在は、「空」であり、実体として成立しているものではないが、「縁起」として一応は(世俗諦として)仮に成立していると措定して捉えるための考え方としてあります。

「先祖の因縁・・」という場合の「因縁」は、

ウィキペディア・因縁
http://ja.wikipedia.org/wiki/因縁

の説明にありますように、「心霊的・オカルト的に拡大解釈され、反社会的な教団や霊能者と自称する人物に、都合よく利用されることも往々にして多い。」というものであり、気を付けなければならないものとなりますでしょう。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。妻や妻が信仰していた神道の先生から「供養できていない先祖がいて訴えている、先祖が罪深いから因縁で不幸になる。このままだと先祖の罪や怒りから子どもが命を落とすか犯罪を犯す」とずっと言われてきて、正直しんどく、親や先祖を恨みそうになってので、赤澤さまの「因縁とは先祖に感謝をすることである」というご回答に私も心が落ち着きました。また、仏教と神道の違いもよく分かりました。「すでにあるものに感謝する」。とても大切なことですね。宗教とは悩みや不安を取り除くためにあるものであるという言葉今の私にはとても心に響きます。

「宗教について」問答一覧

牧師、神父、イエスキリストが信じられない

仏教のサイトでキリストの話をするのは筋違いだと思いますが、お話しします。 イエスキリストを心の底から信じられないのです。 というか、私は私が所属したい教会がわかりません。 宗教ジプシーで、十数個の宗教を渡り歩いてきました。 でも、どこの神様も心から信じられないのです。というか、どこの教会も心から信じられません。 牧師にもそのことを話しました。 どこの教会が真理かと。 で、聖書を読んでいるかと牧師に問われて、新興宗教の教会に通っていることを打ち明けると、とても馬鹿にされました。 すごく悲しかったし、本気でキレてしまいました。 新興宗教というか、キリスト教の教会にも行かなく成りました。 なんだか、「クリスチャン」が信じられないのです。 もちろん私が知り合ってきた人には、良いクリスチャンもいます。でも、ネットでクリスチャンを自称している人は嫌いです。 ガンジーが「クリスチャンはキリストのように生活してねーじゃん」とツッコミを入れているように、私はクリスチャンが善人ばかりではないことを悟りました。 私はどうしたらいいんでしょう。 もう宗教が嫌になっています。 嫌というか、何かすごい心がモヤモヤします。 どうしたらあの嫌な牧師を赦せるのでしょう。汝の敵を許せと聖書にはあります。 でもどれだけ祈っても聖書を読んでも牧師を赦せないのです。 カウンセラーにも牧師を赦せないことを話しました。 でも、心理学や精神医学を使ってもあの牧師を赦すことができないと私は思ってしまいます。 カウンセラーに助けを求めましたが、正直あまり救われたと思えないのです。 どうすれば人を赦せますか。 お坊さんは、こいつ殺してやりたいと思う奴をどう赦すのですか?そもそも人を殺したいほど憎みますか? また、どうすれば、私は私が納得する教会というか、教えに出会えるでしょうか。

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科学と宗教の棲み分け。仏教は科学否定?

 いつもお世話になっております。  ある日、仲良くなった女子神主さんと話していて、 「科学じゃ説明できないこともたくさんあるのよ」 「お医者さんも信用しきっちゃだめよ」 と言われました。  私はこの神主さんを怪しみ、あえて科学界隈の精神科の先生に、 神主さんからこう言われた、と伝え 「先生、科学で説明できないことって何だと思う?」 と尋ねてみました。  「たくさんあるじゃない。精神の現象なんて最たる例だよ」 と言われました。 「個々人の物事に対する捉え方とか、病気を治したいっていう 気持ちを起こさせたりとかは、科学が干渉できないってこと?」 と聞いたら、その通り、科学はあくまで目に見えるものを探求する 学問だと言われました。同時に、 「みんな、科学に期待しすぎ」 と。  精神科の先生のことは信頼しています。でも、科学のプロが 「科学に期待しすぎ」という考えなのはどうなの?とも思います。  以前こちらで、宗教心、仏教心とは何か、と質問したら、 「当たり前のことを分かるようになり、惑いをなくすこと」 とお答えいただきました。目を開けたら見える、おならは臭い、 というようなことだとご説明いただきました。  しかし、世の中の人は、 「どうしてこうなるの?どうすればいいの?怖い!」 とあらゆる事に惑います。  科学は、 「これはこうだからこうなるんだよ(当たり前の提示)。こうすれば 怖くないよ」 と人々に教えてくれます。  そして、素直にその事象を受け入れ、科学で明らかになった対応策を、 (例えば病気の治療)ありがたく実行させていただく。この謙虚さと やる気を起こさせるのが、宗教心だと思うのです。  こちらのお坊様も、 「仏教では、物事には必ず科学的原因があると説く」 「科学の発展なしに、現代社会はあり得ない」 とおっしゃいます。  時折、「科学が人を貧しくした!」と言っている宗教家を 見かけます。私は、こういう人は危険だと思うのですが。  ちなみに精神科の先生は、「僕を100%信用しないで」と言い、 神主さんも、医者を信じきるなと言いつつ「治らない人は、治そう としない人よ」と言います。  実は、長年の疑問です。私は、仏教は科学を否定する危険な宗教 だと思いたくないです。  

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宗教について

お付き合いをして3年目、結婚を将来的に考えている20代後半の彼氏がいます。 結婚に向けて話を進めていく中で、 彼氏のお母様が熱心な新興宗教の信者なことが発覚しました。 彼氏は生まれた時から強制加入されているようですが熱心ではなく活動などにも参加していません。幽霊会員のような状態です。 彼氏はお母様の熱心さに嫌気がさして出身地から遠い所で暮らしているので日常生活で相手の親御さんが尋ねてきたり勧誘してきたりはあまりないと思っていますが… 私の父親が宗教関連断固拒否派です。 彼のことはずっと知らせていて近々食事だけでもするという話も出ていました。 私自身は信仰の自由はそれぞれ個人の自由かと思っているので勧誘されても入らないことは頻繁に伝えて固い意思でお断りすれば良いかなと思っていますが… 彼氏のお母様は私の入信を望んでいる様子だそうです。 (彼氏は宗教関連の話を一切私にしないで欲しいとお母様にきつく言ったようですが聞かない様子だそうです) 父親の反応が怖くてその件を言い出せない状態ですが、母親にも相談したところ「考えが甘すぎる」と言われてしまい結婚は愚か食事会すら猛反対されてしまいました。 私の結婚に対する考えは甘いのでしょうか?

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なぜ祈る?祈りと願いの違いとは?

 いつもお世話になっております。  最近、気になっています。人は、なぜ祈るのでしょうか?  私は毎日、私がお世話になっている精神科医療スタッフさんが 安全にお勤めできるように、また、ストレスのため体を壊して しまった友人が早く回復しますようにと祈っています。  最後に自分のために祈ったのは、いつだったか。といった ところです。  あるお坊さんが、 「祈りとは誓い。『私は、○○をします。お見守りください』と、 神(仏)だのみではなく、自分が頑張るのを見守ってもらう」 とおっしゃっていました。私は、本来の仏教は神秘主義に傾倒した、 現実逃避の教えではないんだ。と安心しました。  しかし現実は、祈りや寄進が「自己愛の増幅」に繋がってしまって います。 「私はこれだけ○○様にお祈りしてるんだワ!」 「私はこんなに○○寺にご寄進したんだワ!」 と、ナルシストになってしまっているのです。  だから、信者間でのモラルハラスメントや、不倫や性暴力の 横行といった、これが宗教者かと思われる、アリエナイ事態 が各所で乱発しています。彼ら彼女らからは、本来宗教者が 持つべき「謙虚さ」が欠落しているのです。  現に私は、色々なお寺で色々な嫌な事をされています。  まともに祈って努力して頑張っているのは、医学生さんや 法学生さんくらいでしょう。  現に仏教系の大学は、偏差値が低い所ばかり。まあ、偏差値 というのは倍率のような側面もあり、志望者さんが多い学校ほど、 「きりがないから優秀な子から…」と高くなるようですが。  昔、陰謀論は宗教が担っていたそうです。陰謀論にはまる人々は、 「私は真実を知っている」「世界は間違っているが、私たちは正しい」 と驕ります。そして彼らは、科学が嫌いで怠け者です。  仏教では、 「あらゆる事象には科学的な原因があるから、呪いやたたりなど 怖くない」 と説いていると聞きますが、これを理解している人が、どれだけ いるでしょう?  もっと言いたい事はありますが、長くなるのでここまでに します。  私は祈りを捧げるとき、周りへの感謝、そして、頑張ります、 という気持ちを大切にしたいと思っています。そして、祈ったら、 次は現実的なアクション。間違っていますか?

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宗教心って?

 いつもお世話になっております。最近、「宗教心とは何か」と いう事を考えています。     私が考える宗教心は、 「目に見えないものに縋ったり拝んだりするだけじゃない。 人に慈しみと感謝を持って行動する心が主」 「どんなトラブルが起こっても、不確かな情報に惑わされたり うろたえて間違った行動をとらないよう、冷静に対処できる 心を養うための心の拠り所」 だと思います。それが、仏教含め、世界中の宗教の共通項だと 思っています。  なので私は、毎日科学関係の本や記事とにらめっこをしています。 不確かな健康情報に惑わされないようにするため、また、自分が どのような状態かを知るためです。これも仏道修行と思っています。  世界にはさまざまな宗教問題があります。仏教では、スリランカ での仏教僧団による、ムスリム弾圧。身近なものだと、霊感商法・ 開運商法。  アインシュタイン先生のお言葉に、 「宗教なき科学は不具、科学なき宗教は盲目」 というものがあります。アインシュタイン先生は、ルーズベルト 大統領に送った手紙をきっかけに原子爆弾を発明してしまった ことを、大変お悔やみになったそうです。  私が尊敬する科学の先生で、とても破天荒な方がいらっしゃい ます。その先生のお話を断片的に聞いていると、なんて滅茶苦茶な 人だ、と思う人もいるかもしれません。  しかし、よくよく聞いてみると、 「世の中にはびこる、人を惑わしめ苦しめる偽科学をなくしたい」 「自分の儲けは二の次にしても、みんなに本当の事を伝えたい」 というお心を、確かにお持ちと感じます。  また別の先生は、 「科学的にメンタルを強くする方法を教えてほしい」 という質問に、 「そのような方法は、存在しません」 とお答えになりました。  科学と宗教は棲み分けが大事だとも思います。  宗教は、「心の拠り所」。なので、宗教は科学に干渉しない。 科学も、宗教に依存しない。  私の捉え方は、間違っていますか?ちなみに、私の精神科の 先生のお友達のお医者さんは、プロテスタントのキリスト教徒 さんだそうです。先生に、 「ガンモドキみたいな事してませんよね」 と聞いたら、 「若いのによくその人知ってるね(笑)彼はそんなトンデモは しません」 と言っていました。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ