お世話になります。
「中絶からの立ち直り方」と「水子供養の方法」についてアドバイスを頂ければと思い、御質問させて頂きます。
私は6年程前に中絶を行ってしました。
その頃、供養も行ってはおりましたが、平均そのお寺で供養するのは3年程で供養を終わらす方が多いと聞いたので、私も命日に1年に1度足を運んだきり3回行いその後放置しておりました。
そして当たり前ですが、年々、その自分のした罪の重さに、周りの友達が出産や子育てをしていく中で改めて取り返しのつかないことをした、親としての生きていく価値のなさ、この命の重さを年々理解し苦しくて苦しくて耐えきることができません。体が鉛のように重く、全身の硬直、手の震え、口から我が子の手が出てくるのではないかと思うほどの気持ちの悪さ、息苦しさ、怖さに押しつぶされだんだんと気力がなくなってまいりました。本当に闇の底にいるため、この世の人との差を感じまるで別世界で生きている気がしません。
安産祈願で有名な近所のお寺(中絶当初と同じところ)に再び足を運んでみましたが、夫婦仲良く妊婦姿、また子連れの家族の幸せそうなの中恥ずかしくく、また子供も違う所の方が喜ぶこではないか?水子さんが仲良くみんなで過ごせるお寺さんの方が良いのではないか?と思いもう一箇所別のお寺で供養を行っていただいてしまいました。
ところが「オンカカカビサンマエイソワカ」と唱えれば良いとお教え頂いたのですが、我が家は浄土真宗なのに何か違和感を感じる、先祖と違うところに行ってしまうのではないか…また我が子の霊は2箇所で供養もしてもらいさ迷っているのではないか…再びただただ罪を重ねているだけの自分に苦しく…また浄土真宗は三回忌すぎているし過去帳にも記載することができない…今後一体どうすれば良いのだろうか…
我が子の命の分までと精一杯人一倍生きなければと保育を勉強し試験を受けたりと、人の何十倍何百倍は努力して生きていこうと思い頑張ってきましたが、人間の体はやはり正直でもう気力がありません。死んでも償うことのできない罪を前にどのように前に進めばよいのか、立ち直り方がわかりません。自業自得ですが立ち直ることができません。
長々と本当に申し訳ございません。
またお忙しいところ申し訳ございませんが、お手隙の際にご回答頂ければ幸いにございます。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
おつらいことと存じます。
しかし、それにきちんと向かい合わねばなりません。
小生は道徳を無視しておはなしをします。
小生は、中絶というみちに進まれたことをけっして「悪」だとは
思いません。
それを「悪」にしてしまっている以上、中絶された「いのち」は、
ただ「かわいそう」でしかないのです。
中絶を経験したからこそ、いのちというものは、なんとはかなく、
なんともろく、そしてなんと「かわいい」ものであったのかを、
肌で実感されたはずです。
だからこそ同じ苦しみにいるひとたちのそばに、あなたは寄り添える
存在です。もちろん、亡くなった子供達にも、あなたは寄り添えるのです。
いのちに、しっかりと寄り添えるひとを、仏教では「菩薩」と呼びます。
その菩薩になるために、今の苦しみをしっかりと味わうのが、
このわたしたちひとつひとつのいのちの姿です。
あなたのあかちゃんも、「中絶させたまま」では苦しいだけです。
ママとして、たとえ見えなくなったいのちだとしても、育ててほしいのです。
おしゃかさまは息子でありながら、出家したために殆ど親子の関係を持てなかった
ラーフラという弟子に言います。
「あなたとわたしは、親子である。この縁は、たとえわたしたちが死んだとしても
変わることはない。あなたと私は、これからも、ずっと親子なのだ。ありがとう
わたしの素晴らしい弟子、ラーフラよ」と。
あなたと亡くなったあかちゃんは、これからも親子です。
あなたにとってその子が素晴らしい子であるように、子にとってもあなたは、
「わたしといういのちを思ってくれる尊い存在」なのです。
あなたと、あかちゃんが、安らかでありますよう、
切に、切に、祈ります。幸あれ、幸あれ。合掌
さつき様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
六年もおつらい日々を過ごされてこられましたこと、誠に心中をお察し申し上げます。
まずはこれまで真剣に、真摯にその水子さんの「いのち」と向き合われて、その水子さんへと想いを寄せてこられましたこと、本当に有り難いことではないだろうかと存じております。
さつき様の懇ろなる御供養によりて、既に阿弥陀如来様のお導き、または、地蔵菩薩様のお導き、どちらのお導きであっても、水子さんにとっては有り難く尊いご仏縁であることに変わりはございません。どうかもう水子さんのことは仏様にお任せになられて、嘆き悲しみ苦しむことから少しでも離れて、ご安心を賜われましたらと存じております。
嘆き悲しみ苦しむことは、水子さんにとって好ましくないということにつきましては、「地蔵和讃」において述べられております。このことにつきましては下記の拙回答をご参照下さいませ。
問い「娘の死、その後」
http://blog.livedoor.jp/hasunoha_kawaguchi/archives/1002966939.html
その地蔵和讃より「・・今日より後は我をこそ、冥土の親と思うべし、幼き者を御衣の、袖やたもとに抱き入れて、哀れみたまうぞ有難や、いまだ歩まぬ嬰児も、錫杖の柄に取り付かせ、忍辱慈悲の御肌に、泣く幼子も抱き上げて、なでさすりては地蔵尊、熱き恵みの御涙、袈裟や衣にしたりつつ、助けたまうぞ有難や・・」
とにかく、これ以上、あまりご自身を責め続けられず、また無理に頑張ろうともなさられずに、是非、前を向いて、幸せになって頂けましたらと存じております。
きっとまた前を向くことで、善きご縁も色々とあり、その中では新たな「いのち」を授けられることもございますでしょう。その時は、是非、水子さんにしてあげられらなかったことを二人分、目いっぱいに愛情を持ってしてあげて下さいませ。
さつき様のお幸せを祈念申し上げます。
川口英俊 合掌
水子供養やペット供養などでよくお唱えし、「すごいですね」「とてもわかりやすい」「目から鱗が落ちる感じでした」と言われているのが『地蔵菩薩讃歎(サンタン)経』です。
その一部を転載します。
「この世に過ごす父母たちよ○真にわが子の救済を○涙の中で願うなら○この世において恵まれぬ○子供や病気の人々に○わが子に代わって善根(ゼンコン)を積むことこそが供養なり○ここに地蔵の大悲心○在るを悟って自らも○地蔵となって励むべし」
「過去の罪障拭(ヌグ)わんと○念わば地蔵に心から○深く帰依(キエ)して身代わりを○たのみ参らすことなるぞ。○地蔵菩薩に帰依するは○その真言を一心に○誦持(ジュジ)することに他ならず○されば地蔵の真言は○呵々大笑(カカタイショウ)の訶(カ)字にして○至心に念誦(ネンジュ)するならば○必ずこの身に喜びの○地蔵の笑い聞くならん。」
貴方様が苦しんでおられるように、この世には、そして貴方様の周囲には、やはり苦しんでいる子供も、親も、たくさんおられるはずです。
お地蔵様へ合掌し、思いやりの心を広げればそうした人々の思いが感じられ、貴方様の心に優しい気持が起こったり、口から優しい言葉が生まれたり、優しい行動が実践されたりすることでしょう。
それは、貴方様が貴方様のいのちと心と身体そのままで、お地蔵様になっていることを意味します。
私たちは等しく、み仏の子であり、思いやりの心がはたらけばいつでも、み仏の子そのものになれるのです。そこに私たち自身へ与えられる救いがあり、救われた者はいつしか必ず周囲の誰かの何かの救いになってもいるはずです。
お釈迦様は言われました。
「たとえ私の言葉でも、必ず自分で考えてみて、納得したなら行動し、信じるようにもなりなさい」
神ならぬ私たちは誰一人として〈お告げ〉はできません。
経典に書いてあっても、誰から言われても、決して鵜呑みにせず、ものの道理と個人的感性によってすなおに受けとめられ、納得でき、信じられるかな……と思ったことを実践してみましょう。
一日も早く、脱することができますよう、陰ながら祈っています。合掌。
なお、詳しくは以下を。
http://hourakuji.blog115.fc2.com/blog-entry-4358.html
善應寺 /星 大晃 様
早々にお返事頂いておきながら、お礼を申すのが大変遅くなり、申し訳ございません!(><) お返事は見れていたのですがログインが出来なくなり返信が遅れてしまいました。 お忙しい中、お返事くださっていたのに誠に申し訳ございませんでた。 貴重なお言葉を頂き有難うございます。生まれて初めて子供を身ごもった時の何とも言えない不思議な温か身は、恐怖の経験でしかない今でも、そのことだけは感覚として覚えています。形のない夢のような、夢であって欲しいと只々願うばかりです。思い出しては涙し、思い出しては涙し、親や友人、と今でもたくさんの方を傷つけてしまっています。赤ちゃんの命の代わりになるだけのことをしないと!とぐっすり眠ることゆっくりすることも出来なかったのですが、ただ向き合うのが怖く、お返事を読ませて頂いて、もしかすると、逃げているだけなのかな?ふと手が止まりました。 亡き子を育てる…菩薩のように命に寄り添う……今まで極力無理をすることで、自分に罰を与え保育の勉強をしたり、とただがむしゃらに脇目もふらずに進むことで、罪を滅ぼしているつもりでしたが、体調を崩すことが多く無理をすることでしか前に進めなかったのですが、自分のことだけでなく、まずは少し話しかけたり、怖いですが我が子に寄り添っていこうと思います。まだまだ手探りで、先が見えないのでまたご相談させて頂くことがあるかもしれませんが、決して死を選択することなく、諦めずに進んでいこうと思います。本当にありがたいお言葉や励ましを、有難うございました。
大師山 法楽寺/遠藤龍地 様
早々にお返事頂いておきながら、お礼を申すのが大変遅くなり、申し訳ございませんでした。
そしてお忙しい中、お返事をくださり本当に有難うございます。
自業自得なのに、毎日地獄にいるようで、苦しく、胸も痛く重く辛く…と自分のことしか考えることができず、きっとわたしだけではなく、たくさんの人にご迷惑をお掛けしているのだと思います。笑うこともできず後悔の日々で、ただ無事に普通を装って生きて行くこと、日々泣かず過ごすことだけで一杯一杯で、周りの状況など全く気にする余裕がありませんでした。
我が子を殺すと、同時に自分の魂も抜け落ち真っ暗な出口のない、一生背負う罪に潰され、視野が狭まっていましたが、本当に私だけではなく、世の中にはもっともっと苦しんでいる方がいらっしゃる。それにただ何も言わずに耐えていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれない。何もわからない子供が苦しんでいるかもしれない、そう思うと、人生限られた一日、限られた時間をもう少し違う形で、生きていかなければと思いました。まだ、人を救えるほどの気力、心の痛み、子供や妊婦、笑っている方とのバランスがとれないので、時間はかかるかもしれませんが、お地蔵様に手を合わせ、キンキンに凍った張詰めた心が思いやりの心に変わり、いつか誰かの救いになれるようになればと思います。声に出すとなると何かひっかかってしまっていたので、これからは、静かにお地蔵様に合唱だけでもしてみようと思います。
お忙しい中、こんな見知らぬ私に善きことを教えて下さり、本当にありがとうございました。どうか生きて参ります。有難うございました。
岩瀧山 往生院六萬寺 /川口 英俊 様
不義理なことをしてしまし誠に申し訳ございません。
せっかくお忙しい中早々お返事を下さっていたのに、本当に返信が遅くなったうえ、さらに返信と飛ばしてしまい、恩を仇で返すようなことをしてしまい誠に申し訳ございませんでした。
前回に引き続き、今回もご回答頂き本当に有難うございます。
今まで自分では本当にどうしたらよいのかわからず、限られた友人や親に相談を致しておりましたが、友人のアドバイスも有難かったですが、やはり住職様からのお言葉が一番安堵致しました。
どれも私の心の落ち着く内容であり、また励まされました。
本当にありがとうございます。
一生のことであり、命のことなので阿弥陀如来様かお地蔵様、どちらかはっきりさせないと!と考えておりましたが、私には決めかねるので、どちらか!ではなく今は思うものすべてに敬意を払い、出来るだけの事をし、後は仏様にお任せしてみようと思います。
少し長い間子供の存在を忘れようとしたため、まだまだ嘆き悲しまないと!とは思いますが、赤ちゃんにとって嘆き悲しむことはよくないということを頭に入れておき、またあまりに、嘆き悲しみ、動くことができなくなってしまった時、その言葉を思い出しどうにか前を向いて進んで行こうと思います。
本当にこんな私の幸せなんかを思って下さり、優しいお言葉をかけて下さり有難うございました。
励まされた分、早く私も人様を励ます存在になれるよう、出来る限り前を向くようにし、命を全うしたいと思います。
本当に返答を頂き有難うございました。
どうぞご自愛くださいませ。
有難うございました。