なぜ、世の中、皆平等といいますか、
こんなことになってしまったんだろう?と思います。
今は昔と違って、便利になるのはいいですがなんか、頭が痛くなる世の中になったなと思います。
昔は、まだ自分自身が行動していて、何事にも一生懸命にやっていた気がします。だからと言って今の世の中が一生懸命じゃない訳じゃありません。
昔と違って、犯罪や詐欺、テロ、戦争など無駄な命が奪われすぎてるな!と思います。
世界は皆平等までとはいきませんが、人種は違っても皆同じ人間なのにって!
悲しくなります!
お坊さんの方々は日々世の中の平和や地域の人々の幸せを祈って下さったりして下さるのに、なんでこんなにって!
すみません、ただの一般人が生意気な質問をしてしまいまして。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
小僧をしているときに、
下呂温泉へ、電車で老僧の付き添い(アテンド)で参りました。
渓谷を電車でユラユラ…
小さな集落チラホラ…
ふと、
「昔はこの小さな小さな集落から出ずに、
生れ育ち死んだんだな…」
「でも、村祭りや、成長ごとの儀式、婚礼etc…
今と同じように幸せと苦しみがあったんだろーなー」
と物思いにとりつかれました。
遠い国のテロや、国内の寂しい事件、
知らないでも生きていけることを、
知ってしまい一喜一憂
自分の人生に集中し難い情報過多の社会
FACEBOOKetc、
誰がどこへ行こうが、何を食べようがしらねーよ
と思いませんか?
しっかり、
情報収集を自分なりにカスタマイズし、
主体的に生きていかないといけませんねぇ
いらん情報は知らなくていいじゃないですか…
私は、
暗い番組、映画
人間の裏側をあたかもしてやったりと誤情報も含めて流すような番組(ほんま〇っかTV)、
訳わからん(ぶっちゃ〇寺)
カスタマイズして見ないようにします。
ただでさえ、
比べて苦しむ娑婆世界
余計な感情をかきたてられるものからは、
自分で退きましょ!
あつどんぐり様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「平等」、「平等」と声高に叫ぶ世の中が、更に「不平等」になっていることは誠に皮肉なことです。
例えば、「貧富の格差」は拡大しています。
ご存知であるかとは思いますが、「62人」の大富豪たちが、全世界の半分の富を持ってしまっています・・
要は、権力者や既得権益者により、その言葉の持っているイメージが利用されて、私たちの不平不満を抑えつけるためのスローガン的なもの、プロパガンダ的なものとなっており、現実は、その者たちの保身のために、その言葉のイメージが良いように利用されているだけでになってしまっているのであります・・マッチポンプ的な感じもあり、ヤレヤレですよね・・このままでは「平等」という名の下に、更に「不平等」は拡大していきそうです・・
さて、この世に「差異」があるのは当然のことです。むしろその差異があるからこそ、私たちは存在することができているとも言えます。
この世が多様なモノ・コトの関係性で成り立っている以上は、その差異がなければならないのであります。
差異なるモノ・コトがあるからこそ、私たちも無数の関係性の中で、生かされて生きることができているのであります。
問題は、私たち人類においても、その「差異」における依存関係をそれぞれが認めた上で、お互いに助け合い、支え合い、分かち合いの中で過ごしていけることをもっと自覚し、互いに配慮し合って、互いに気遣い合って、共に共存・協栄の関係をしっかりと築いていくことが大切になるということでございます。
豊かさ、便利さ、楽さ・・
私たち人類にとっての本当の「幸せ」というものは何かを、今一度しっかりと見極めて参りたいものでございます。
もちろん、仏教は仏教で説く世間とは違った「幸せ」というものも追求して参ります。是非、仏教における「幸せ」とはどういったものであるのか、これを機会に、少しずつでも仏教を学び進めて頂けましたら幸いに存じます。
川口英俊 合掌
お早い、御返答頂き誠にありがとうございます。
これを機会に是非仏経の勉強をして、色々な、考え方を勉強し、幸せの感じ方を今一度勉強できたらなと思います。