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お坊様について

回答数回答 3
有り難し有り難し 59

以前よりお世話になっています。
ニックネームを変更しました。
家族が他界してから毎日お務め、花、茶水、お供えと自分なりに供養してきました。
これまで5人のお坊様とお世話になりました。(実際にお会いした)

それぞれ個人的な考えや思い、派の違いにより仕方がないことかも知れません、違うところが言動にあります。1人のお坊様は色々な勉強を幅広くされたのか、お話はとても立派なのですが、そのお言葉を自ら覆す行動をします。
細かい内容は言えませんが、色々と矛盾を感じ、お寺に伺いにくい状態になり、別のお坊様にも法事に来ていただけない状況です。
今年の法事は菩提寺の住職が他県から来ていただき、なんとか両親、先祖の供養ができました。

仏教とは、御坊さんとは、供養とは…何が本当なのか分からなくなり、段々と仏壇のお務め、供養もいい加減になりつつあります。
最近は若い方も気軽にお寺の門をくぐれルように、お寺カフェや座禅、説法、写経や癒しを求めてお寺巡り、朱印本など流行りつつあり、高野山1300年のPRもよく見かけます。お寺や神社巡りが趣味と言う若い方々もいます。
一方、無信仰だから、山や海に散骨する方、墓仕舞いして樹木葬等、普通に家代々のお墓に入る人も減っているとか。と言うことは檀家さんも減ると言うことですね。

大変失礼ですが、葬式坊主なる葬式業者数社と契約?して、葬式ばかりして儲けるお寺もあると聞きました。
5人のお坊様のうち4人にとって私は檀家でなく、業者の紹介やあるお寺の催しで出会っただけで、特に大きな収入源にもならず、どうでも良いのかも知れませんし、中には若いお坊様もいますが、頭でっかちの知識先行型なのかもしれません。

これも私の受け取り方一つなのかもしれません、お坊様に対するイメージが固まっていて、そのイメージと違うから違和感なのかもしれません。
当然、お坊様も人間、修行の身であり完全完璧でないことはわかります。ただ法事で頂いたお経は本当に、亡き家族のためになっているのか、六道の話を伺いましたが、畜生界、地獄に落ちていないか、毎日、お務めすることで両親、先祖のためになっているのか疑問が沸きます。
それまでは完全に仏教を信じ、お務め、供養が仏となった家族のためと信じきっていました。
今は半信半疑、これから供養を続けていく自信が無くなりました。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

だからこそ本当のお坊さんを探すべきではないでしょうか。
あなたは本当に救いを求めているのでしょう。
あやふやな事では満足いかないのでしょうから。
あなた自身が本当に任せられる坊さんにお願いすればよいのです。
人生の師を探すことはおろそかにすべきことではありません。
「電話で一本!24時間!すぐ行きます!お経読んでお金もろて、ほなサイナラです!」みたいな僧侶では私も満足いたしません。お経が終わった途端に今読んだお経はどういうもんで、何によって成仏したか証明してみろ!と首根っこを掴んで問答するくらいの勢いがあってもいいんじゃないでしょうか。
今や新聞の通信教育で僧侶になれてしまう宗派もあるそうです。
いかがわしい僧侶や、いかがわしいお経は沢山ある。
私自身はそういう懐疑心をずっといだいてきました。だからこそ、本当に素晴らしい師僧、参学師に出会う事が出来ました。ぜひその疑問を持ち続けて、きちんとした仏教を広めておられる方を探してみてください。

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有り難し
おきもち

僧侶の資質は、大きな問題です。

嫌な思いをされたのですね。
同じ僧侶として申し訳ありませんでした。
ごめんなさい。
まともな僧侶がいる一方、著しく堕落した僧侶がいることも事実です。

日本では、僧侶は大きく二つに分かれます。
出家しているか、していないかです。

浄土真宗系以外はみな出家をした行者です。
出家をされた僧侶というのは、即身成仏(生きているうちに仏になる)を目指す行者であり、行をしているのか、どこまでできているのか等、その僧侶自身がかなり重要となってきます。
その反対に浄土真宗系の僧侶は出家をしませんので、修行もしません。
そもそも即身成仏を目指していません。
他力(阿弥陀如来)のおはたらきによる、浄土での往生成仏を目的としています。
ですので、真宗系僧侶の仕事は修行ではなく、勉学であり、布教活動であります。
端的に言えば、僧侶の資質や人間性は檀家や信者の成仏になんら関係のない話になります。
阿弥陀如来の本願力によって、仏と成らせて頂くので、真宗僧侶はそのことをただただご法話するだけです。

往生成仏の因として僧侶の資質は関係ないので、安心して阿弥陀様に感謝できる宗派とも言えるのかもしれません。
その一方で、僧侶があぐらをかいているとも言えるのかもしれません。

僧侶の質が悪く、仏教に関心が持てないというのが多いのが事実だと思います。
私たち僧侶がそのことを自覚し、覆していかなくてはいけません。
ご指摘を紳士に受け止め、精進してまいります。

追記:真言宗が阿弥陀如来の浄土である極楽浄土への往生を説いているのかは疑問ですが、成仏した御先祖に対し手を合わせることを、仏徳讚嘆と言います。
仏様のお徳を讃え、感謝申し上げています。
これを追善供養ではなく讚嘆供養と言います。
追善とは、善を追加して成仏への応援をすることです。
『ちゃんと供養しないと云々』というのは、追善供養の事ですね。

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有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学...
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第一にまごころの〈確認〉、第二に真剣な〈選択〉をお勧めします

 まず、心よりお詫び申しあげます。
1 亡き方を供養し、慰霊しないではいられないまごころに気づく
 人は太古の昔から、死と死人と御霊とを畏怖してきました。そもそも「畏」は霊的な力の前でかしこまる気持であり、「怖」は、怖い、と、おののく様子です。死も、逝く人も、そして、去ってしまった人も放置できないのは、私たちに霊性があるからです。一個の動物として見聞きできる範囲を超えた世界を感じとる能力を持っているからです。昨日生きたように今日を生き、明日もこれが続くと無意識に信じ、漫然と生きている自分をふり返り、もしも一瞬後に、あるいは明日、あるいは来月、自分が死ぬことをリアルに想像してみましょう。また、故人となった人々を想い、自分との関係をゆっくりと思い出してみましょう。きっと、目先のことごとに追われている時とは異なる心が動くはずです。いつの間にか合掌しているかも知れません。畏怖を伴う霊性のはたらき、一種の〈まごころ〉の活動は他人との関係によって揺るがず、お寺がどうこうとは別問題です。
2 葬送や慰霊や供養が人生において大切なものであると考えるならば、それを依頼し、学ぶ相手を自分で探す
 私たちは病気になると、真剣に薬を求め、医者や病院を探します。病気は自分が処置できる能力の範囲を超えたできごとなので、信頼できるプロの力にすがらずにはいられません。ならば、〈死〉や〈死後〉について考え、何かを行おうとする時、信頼できる宗教者や寺院などを探すのが当然ではないでしょうか。自分で宗教のプロを探し、納得や安心を得るというプロセスなしに業者任せにするならば、宗教行為が商行為、あるいは商行為の延長として行わてもよいと認める〈消費者〉になることを意味します。葬祭業者様は商行為として正当な業務を行い、僧侶は宗教行為として異次元の法務を行い、両者が車の両輪としてそれぞれの持分を充分に発揮すればこそ、葬送がまっとうに行われます。そうした葬送を可能にさせるかどうかは、商業ベースに乗らず、別々なものを別々な視点から〈自分で選ぶ〉方々の姿勢にかかわるところ、大なるものがあります。賢い消費者になることが正直な店を存続させ、消費社会のペースに呑み込まれない生活を確立させるのと同じです。信念や方針が明確に掲げられている寺院を訪ね、住職と会い、重大事を〈託せる〉かどうか、ご自身の霊性で判断されるようお勧めします

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

遠藤龍地さま
ご回答ありがとうございます。
お詫びまで…申し訳ありません。

1. 仰るとおりに、正直、毎日仏壇に手を合わせ亡き家族の事を思い出し、涙することもあります。どうか極楽浄土で幸せに過ごして下さいと冥福を祈り、誰があげてもお経はお経とこちらのお坊様に教えて頂き、毎日少しでも力になれるならと思いヘタクソながらも毎日お経もあげてきました。仏教のしきたりや常識もあまり知らないまま、お坊様に接する機会を頂いたので、非常識な事もしたかもしれません。しかし、お坊様は仏教を広め、仏教の教えを説き、檀家や信者の信仰の上にいる存在だと思います。決してお寺と別物とは思えないのです。毎年のお盆、あと数年で7回忌と法事は続き、お坊様に来ていただくこたとになりますし。
2.自分で信じられるお寺さまを探すと言うのも難しい話だと思います。自分でも書いた通り、随分と敷居を低くして出入りしやすくなってきたとは言え、何か催し事をされていたりするお寺でないと、一般の人にはまだまだ敷居は高く、町のお医者さんのように、この病院はでは治らないから違う病院へみたいに次々と渡り歩くことが可能かどうか。
葬儀についても、この頃は終活やエンディングノートの存在がピックアップされていますが、それも最近の事。どの葬儀屋さんが良いのか悪いのか、母が亡くなったときは、ある程度の猶予が会ったので、目星は付けていましたが、病院で夜に亡くなり朝までには出ていけと言われ、選択の余地もなくその業者に迎えにきてもらいました。
今更ケチを付けたくないですが、家族葬20数万円~となっていましたが、本当に20万円台でお葬式をしたら、どれだけ貧相なものになっていたか。10倍は掛かりました。本当なら騙されたと思うところですが、それでも悔いなく送ってやれたと思っています。
ただ、家族の死の悲しみの中にいる人間が果して、信頼できるお坊様を探すことができるのでしょうか?
自分があの世に行くまでには、お坊様、業者もきちんと選びエンディングノートを作って起きたいと思います。
ありがとうございました。

丹下覚元さま、ご回答ありがとうございます。
やはり探す努力が必要なのでしょうか?
私のお坊様のイメージは、現代風に開けた親しみやすさもこの時代には必要なのかも知れませんが、やはりきちんとお経を呼んで、仏教とはなんぞや供養とはなんぞやとお経とはと、亡くなったものへの思い、遺族の思いを受けとめ、これから供養をしながら生きていく人間にどういう気持ちで生きれば良いのか…
家に届くのは御摩供養の申込み、本山ツアーの申込み、増築に伴う寄付の御願い等々。お盆のお布施の金額を下げるとパタッとなくなりました。
今まで施餓鬼供養や御摩供養等々、申込みその都度、お札やお守り等々が届きました。
あるお寺に何度か伺った際に、なにかあるならお話聞きますよと言ってくださり、色々と問題を抱えていたので、お話をしたんですが、私も調子にのり不用意な発言をしたようで、その場で諌められました。が、次からは露骨にな態度でに。
諫められるのは私が考えもせず発言したことが悪いのですが、次からの扱いが。そんなに露骨な言動をされるほどの大変な罪を犯したとも思えず、私は何をしにお寺へいっているのか分からなくなりました。
お坊様も人間ですから、腹も立てば、虫の居どころも悪いときもあるでしょう。まあ、もう来てもらわなくていいということですね。
僧侶に対するイメージが高すぎるのでしょうか、どうしても聖職者のイメージがあり、あまり自分の感情を出すと言うイメージが強いのです。まあ、そういう時代ではないのかもしれませんね。法事に来てもらいお経を頂き、お布施を渡せば、サヨウナラ。それで良いのかも知れません。お坊様に何を必要以上なことを要求しているのかもしれませんね。

釈心誓さま、ご回答ありがとうございます。
そんな、お詫びまで…申し訳ありません。

失礼しました、何宗とも書かず。私の家は代々、真言宗です。真言宗の中でも何々派と別れていて、同じ真言宗なら違う派のお坊様にお経を頂いてもいいということでした。しかし、それぞれお経のあげ方も違い、シンバル的なものを鳴らすお坊様もいました。
あるお坊様はお経の意味を知って唱えることこそ意味がある、他のお坊様はたぶん一般の人には分からない、そのためにお坊様がいる。私たちは意味は分からなくても声に出して読むことで効果があると…ご先祖の仏さまに御願いをしてはいけない仏さまの修行をしているから。自分の家族、先祖だからこそ困ったことは、どうか助けてくださいと御願いしなさいという。
本当にバラバラでもうわかりません。
私も母が亡くなるまで、たまに手を合わせる程度のことしかしていませんでした。それまでは母が仏壇を守っていました。今度は私が仏壇を守る番になり、色々と勉強していくほど、何が本当で何が仏さまや遺族のためになるのか、真言宗では49日で仏さまの仲間入りをすると言われています。成仏して極楽浄土で幸せに過ごしているなら、位牌やお墓に手を合わせることなどいらないことではと思ったりします。

「お寺とのトラブル・嫌なできごと」問答一覧

住職さんが怖かった

生前沢山可愛がっていただいた親戚のおじいちゃんが亡くなり、葬儀に参列して来ました。その時の住職さんが怖かったので、相談させてください。 先日、親戚のおじいちゃんが亡くなったと連絡が入り、ショックでした。 お葬式の時にきちんとお別れしよう。と思い、お寺に向かいました。 お寺に付き、葬儀が始まりました。住職さんは真っ赤な服を着てだるそうに部屋に入ってきました。服が真っ赤だった事も驚きですが、あまりにもだるそうでしたので、「お疲れなのかな…?」と思いました。 住職さんは部屋に入り、遺族や参列者にお辞儀もお話もなく、一直線でお焼香台へ行き、お焼香をし、そのまま葬儀が始まってしまいました。普段お世話になっているお寺では、葬儀が始まる前に住職さんから一言挨拶が必ずあったので驚きました。 その後、滞りなく葬儀は進み、住職さんから「お焼香。」と一言あり、遺族の方がお焼香台へ向かいました。コロナ禍でお焼香は遺族だけに絞るお寺もあると聞いていたので、私達は行っていいんだろうかと他の参列者の方とソワソワしていました。そしたら住職さんがお経を読むのをやめ、「何してるんですか?続いてください。」と怒ったように発言し、怖かったです。 その後、何とかみんなお焼香を済ませ、住職さんから「これで葬儀は終わりです」などの言葉はなく。黙って座った状態で恐らく葬儀が終わりました。喪主が え? という風にキョロキョロしてると、住職さんが「ご挨拶。あるならしたら。やるなら今やって。今しか時間ないよ。」ときつくいいました。喪主が「孫から祖父に向けた挨拶もあるのですが…」と伝えると「は?なに?」とすごく大きな声で聞き返し、喪主の人がもう一度伝えると「それ必要?」とバッサリ… 結局お孫さんからの挨拶はなく、喪主が手短にご挨拶をして終わりました。喪主がお話している時、住職さんはいそいそと片付けをしていました。 その後、四十九日法要も続けてやったのですが、その時の住職さんの服装もミントグリーンのすごく派手なものを身に付けていました。 お疲れだったのかもしれません。でも、最後のおじいちゃんとのお別れが台無しにされたようですごく悲しかったです。 このような方が住職でいいのでしょうか? また、法要の際に住職さんが派手なお色の服を着ていいのか。法要ごとに服を変える決まりがあるのか。気になったので教えて頂きたいです。

有り難し有り難し 24
回答数回答 2

お寺が性犯罪の温床になる危険性

 いつもお世話になっております。  私は、13歳から発心し、以来、様々なお寺にお参りしてきました。 長い間お寺に通ってきて、気が付いてしまった事があります。  「性的な野心を持って門を潜る男性信徒が多い」 ということです。  今まで参詣した全てのお寺で、 ・突然見つめてくる者 ・堂内がガラガラに空いているのに、わざわざ距離を詰めて向かい 合わせや隣に座ってくる者 ・後をつけてくる者 ・声を掛けてくる者 ・ナンパをする者 このような、恐ろしい淫魔のような男たちに遭遇してきました。 一人や二人ではありません。  目撃者になったこともあります。そのときは無知だったので、 被害女性を助けられませんでした。  最後は、私自身が実際に最近被害に遭いました。しかし、 地元警察の生活安全課様が懸命に対応してくれ、難を逃れることが でき、感謝しています。  私は、戦うことを決めました。お寺で少しでもそのような 動きをする者がいれば、110番をしてお巡りさんに怒って もらいます。お巡りさんはプロなので、加害者は言う事をきく ほかありません。  今回対応してくださった刑事さんも、私がこの話を告げると、 「なるほど。何かに縋りたい方が行く場所ですから、そういう事も ありえるかもしれませんね」 とおっしゃっていました。  世間一般では、 「若い人がお寺に行くのは、大きな悩みがあり、弱っていて、 自分に自信がないから」 と認識されています。事実そうです。それに乗じて、邪な 男たちが活動するのです。  「私なんか、ナンパされる器量じゃない」 「お寺に悪い人は来ない」 「私なんか、誰も友達になってくれない」 そう考える彼女たちに、まず挨拶から近づき、若いのに偉いね、 とおだて、世間話をして懐柔します。彼女たちは、 「こんな私でも、友達になってくれる人がいる」 と油断します。男は、そこで、 「今度ゆっくり話そう」 と言って個人情報を聞き出し、連れ出し、加害に及ぶのです。  先程、全日本仏教会様に意見しました。こういう事が起きている ので、お寺に対策を、信徒に注意喚起をしてくださいと投書しました。  私は、どうしても許せません。お坊様方にも、何某か活動して いただきたいです。  先生方は、どうお考えでしょうか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

住職である両親の態度に怒りが収まりせん

以前、寺の跡継ぎであった私と妻に対する、私の両親をはじめとした寺の者達の態度に納得がいかず、相談させていただいた者です。 いただいたご助言もあって、現在は、実家の寺を離れる事に踏ん切りが付き、実家と関わりを断って生活していく事を決めています。 しかし、関係を断って暮らす前に、残しておくと面倒事になりそうな事を父にメールで確認していた時の事でした。 「私が生まれてすぐに跡継ぎに指名していたくらいだから、後継ぎがいなくなる事は寺にとって大問題なんだろう。私が辞めた後、どうするつもりなのか聞かせてくれ」と私が問うと「跡取りを辞めたお前には関係ない」と父から切り捨てられました。 しかし、私は「物心がつく前から親に勝手に」寺の跡取りにさせられて、成人してから継ぎたくないなら継ぎたくないと言えば良かったと言うのは正論ですが、生まれてからずっと受けてきた親からの精神的呪縛を解くのは容易ではなく、そもそも跡取りになろうとしていたのも檀家さんの為、親の為に選んでいた事で、「私個人が住職の仕事を継ぎたいか継ぎたくないか」等という単純な理由ではないのです。 そして跡継ぎを辞退するに至った理由も私のわがままではなく、最後まで自分が継ぐ為に実家と話し合おうとして、それを拒否したのは両親なのに「”お前が”辞めると決めたのだから」もうお前には寺は関係ないと切り捨てられたのです。 実家の寺は単純に切り離せるものではなく、理不尽に関わらされたとはいえ私の人生の一部でした。 それを親から突然「もう関係ない」と言い捨てられたのは、半身をもぎ取られるような思いでした。 いくら跡取りを辞退しようと「自分の意志とは関係なく生まれながらに寺と関わらざるを得なかった人生」の私には、父達が今後の寺をどうやっていくつもりかを聞く権利があると思っています。 しかし、それは実家と揉めた事で私の精神がねじ曲がってしまっているのかもしれないとも感じています。 もう寺の事などは気にしないで自分の人生を生きた方が良いとはわかっています。しかし、上記のような思いがあり、寺を気にしない生き方がわからないのです。 今回は言われたのがメールだったから良かったのですが、目の前で直接言われていたら、私は父を殴っていたかもしれないと思う程でした。 そういう自分がとても怖く、気持ちを切り替える術が何かあればご助言いただきたいです。

有り難し有り難し 12
回答数回答 1

旦那の不倫相手にどう考えていくか

閲覧有難うございます。どうぞよろしくお願いします。 すでに離婚も裁判も終わっているのですが、旦那がイベントで知り合った僧侶と不倫をしました。 私は、結婚していても他の人を好きになってしまうのは自分ではどうにもできない、と思っており、発覚当初は二人が誠心誠意謝ってくれれば許そう。二人の結婚も祝福しようと思っていました。 しかし、裁判中、私を侮辱する発言や、寺ぐるみでの所得隠し、嘘の報告での減額の要請などがあり、結局は謝罪を貰うこともできませんでした。 誰かに吐き出したい。こんなことされた、あんな事言われたと言ってしまいたい。 ですが、親兄弟や友人に相談することもできず、死にたいと思っていても、私が死んだ後の事を考えると躊躇してしまい、死ぬこともできません。 そんななか、不倫相手が旅行に行ったり、楽しそうに他の方とSNSをしてるのを見かけると、なんとも言えない気持ちになります。 SNSを見なければいいのですが、仲良くしてくださってる方に、不倫相手の活動が好きな人がいて、どうしても耳に入ってくるのです。 彼女の僧侶としての活動は、誰かを元気にする有意義な活動だと今も思ってはいます。 しかし、僧侶としての活動と不倫は関係ないのに、どの口が法を説くのだろうか、と、否定的に捉えてしまいます。 彼女の活動は、本当に正しいのでしょうか? また、娘の不義と向き合うのではなく、共謀して、所得隠しまで手伝う住職のいる寺は、必要なのでしょうか? 私には必要ない、でも、誰かにとってはどちらも必要で大切なのです、その事実と折り合いをつけることができず、悶々としてしまっております。 不倫のこと、裁判でされた事を本山に訴え、何かしらの罰を受けてほしいと思っております。 その場合、プライバシーの侵害で、私が罰金刑等を課せられる場合もありますが、彼女に活動してほしくないという気持ちが強く、そうしてしまおうかとも思います。 彼女に活動は続けてほしくない、しかし彼女の活動で助かってる人もいる。 なにが正しいのかわからず、ずっと苦しい思いが続いております、どう考え、心に折り合いをつければいいでしょうか。 長文読んでいただきありがとうございます。 空行が反映されず、読みにくかったらすみません。

有り難し有り難し 3
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住職に墓守を頼んだ結果

私の家は絶家の運命にあります。 ですが、家族だけで永遠に穏やかに安心して眠れるお墓を建てたいと思い、公営墓地にお墓を建てることにしました。 公営墓地は承継する人がいないと墓地の取得は出来ないとの事でしたので、お寺のご住職に相談したところ、墓守になってくれることを了承してくれました。 その後、墓地の申し込みをしました。 こちらも何もお金を出さないつもりではなく、父が残したお金の中から自分達に出来るだけのお金でお願いするつもりで、ご住職にどれくらい必要か、思い切って聞いた方が良いと思い、聞いてみたところ、とても支払えない高額な冥加金や懇志を請求されました。 墓地の修繕や管理にかかる費用は別です。 合計すると600万円を超える額です。 墓地代をすでに市役所に支払ってしまい、返してもらうことが出来ません。 こちらの家計の話をし、もう少し、なんとかならないか相談しましたが、払えないならこの話は受けられないとの一点張りです。 このようなことをお願いする場合、これくらいの金額は妥当なのでしょうか? もったいないですが、お寺さんに支払えないので、墓地は泣く泣く手放し、もうこのお寺様にはお参りに来てもらうのをやめるつもりです。 若い住職で普段からお金の話と他人の悪口や葬儀社や出入りの業者の悪口などを話し、故人の話やこちらの体調などを気遣ってくれる方ではありませんでした。 大切な家族を亡くしてから、体調を崩しているから月命日のお参りを休んでいたのですが、少しの時間我慢できないのか?とかずっと月命日はお参りした方がいいと思うよ、成仏出来ないよ、と言ってきました。 同じ職業の方の悪口になり申し訳ありませんが、皆様のご意見をお聞かせ頂けませんでしょうか。 よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 29
回答数回答 2

生霊か神通力、お寺の方との関係、家の供養

感応 思念の伝達のようなものを感じます。 お寺の方からよく思われておらず、そこの一家から中傷の言葉をよく感じ取ります。 こちらが悪いことを言ったちゃんとした生き方や性格をしてないから快く思われていないという理由も、私自身の性格の汚さが原因なのだろうとは思います。 心の中なので汚く罵りました。 私のことなど、何をしているのか見られているようです。   また、おりんを鳴らしたら知らない女性と見えないもので繋がってずっと詰られていたこともあります。 その女性のことをお寺の人は擁護しました。 直接は聞けていないです。 一応薬は処方してもらってますが効果があるのかは体感としては分かりません。 ずっと批判されている中傷軽蔑嘲笑されているようで、精神的に怒りがおさまらないこともあります。理不尽に感じます。 こちらから心の中で、なじって軽蔑嘲笑したことがあります。 心の中でその人の意思が出てきて声を聞く、など体験しました。 寝ている時に夢の中や起き抜けや入眠前の微睡で声はよく感じます。 お寺の方にご供養のことや御供えの仕方など子供の頃に聞けなかったことが後悔です。 まるで神通力?霊視?のようです。 心臓にダイレクトに来て辛い時があります。 全てを環境のせいにするあなたにわかりません、と言われたのを感じました。 ふとした時にふわっと考え事をしている時に、地獄に堕ちろ、という声が響いて驚きます。 衝撃で勝手に決めつけられたように感じ、それを感じ取り悲しみと怒りで心の中で詰りました。 悲しさと傷と過去のこと、どうしたら良いのかわからなかったことも一方的にキツく言われているのを感じました。 心の中に響きます。 自分自身の汚さもよく感じました。 家の供養のことなど正しい行いを聞かなかったことが自分自身で悔しいです。 おかしなことが起きた時にお寺の方はそれを正しいのだと認めることを言っていたように感じます。 間違えたことはしていない、とも言っていました。 お寺の方と対立し、忌み嫌われたことが悔しいです。 取り留めがなくてすみません。誰かに言いたかったです。

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

院内得度しましたが、お寺に行きたくない

ご縁あってあるお寺に通うようになりました。元々神仏様はとても好きで、興味がありました。お経とか読めたらご先祖供養が出来て素敵だなーと思ってました。御住職の法話や説法がよくて1年くらい通ったある時、院内得度の話しがでました。しかし自分は自営業を営んでおりますし、お坊さんになるつもりはなかったのですが、『得度をすると先祖供養にもなるし、たまにお寺に来てお手伝いをしてくれるだけでいいから』と言われ、院内得度をしました。しかし、得度して早々直ぐに叱られたり、月の10日くらいはお寺に行かなくては行けなくなり、自営業の方に影響が出るようになり、気持ちがモヤモヤ、うつうつするようになってしまいましま。でも、得度をやめた人の末路は最悪だと言われたり、神仏を怒らせる事になると言われ怖くて辞めるなんてとても言えない状況です。本山得度は考えておりません。自分は自営業の仕事が好きだし、仕事をもっとやりたいのですが、半ば脅されてる感じです。自分以外にも数人仲間がおりますが、皆、こんな筈じゃなかったと落胆してる始末です。少し福住職(奥さん)の気に触ると集中攻撃されて皆泣かされております。だから仲間は皆、副住職の目を気にしながらオドオドするばかりで、何のためにやってるのかわかりません。お二人が旅行などでお寺を空ける時は仕事が休みの人にお寺のお留守をしないとなりません(皆仕事をもっております)。当然のことながら日当などは出ません。副住職曰く、『お寺でお手伝いが出来るんだから徳の貯金が出来る有り難い事です』と言われます。 最近は家族から呆れられて行かないでくれと言われます。もう辞めたいです。でも辞めたら祟られそうで怖いです。

有り難し有り難し 14
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ