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ビルの霊園

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また、カキコさせていただきます。

よく、テレビコマーシャルでやっているビルで管理している霊園、カード一枚で仏様に会えるという自動化したお墓、ご住職さまにはどうゆうふうに見えるでしょうか?まあ市営霊園、お寺の敷地にはもう限界が来てこれ以上墓は作れないという事情があるとおもいます。
通常の石だとお金何百万とかかりますしね。

過去にもこういう質問が有ったかと思います。
また聞かせてくださいませ。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あくまで個人的な見解です

田舎の禅僧です。
私は嫌いですが、理解は示さざるを得ません。

なぜ嫌いか?お墓とは人間社会と自然界の境界です。人はその人生を終えると大自然に還ります。その世界観をあのようなお墓から感じ取ることができるのか?という点です。難しいでしょう。いつまでも人間社会に止めおこうとする印象しか私は受けません。

もっと言えば、お供え物はすぐに持ち帰らねばならないような都会のお墓もいかがなものかと思っています。人は自然に還る…これは故人と大自然そのものがイコールになるということです。だからお墓のお供え物は故人へのお供えであると同時に、自然界への布施でもあるわけです。自然界と故人がイコールなのだから、自然界へのお供えがそのまま故人へのお供えです。昔の人はこう言いました。「お供え物は虫や動物が草葉の陰のご先祖さまに届けてくれるんだよ」と。墓地の立地も人が住む村と、自然界としての野山の中間である里に作られていました。自然の恵みをいただいてばかりではなく、お供え物を通じて定期的に人間社会から自然界へ還元していたのです。

しかし、昨今は虫や鳥が食い散らして汚くなるから、お供え物はすぐにお持ち帰りくださいと…これは形式だけですよね。実生活に根付く哲学が無いから、宗教が形骸化する。嘆かわしいことです。
山に食べ物が無くて都市部にイノシシが出るようになった!異例だ!というようなニュースの背景にもこのような日本人と自然界との関係が壊れたことがきっと関係しているでしょう。里という緩衝地帯の消滅も大きいです。

その一方で都市部でのお墓の不足も事実です。例えば保育所を建てる場所にも困っているような所でお墓を作っている余裕は無くて当たり前です。お墓だけの問題では無く、人口が過密すぎるのですよ。そういった場合にどうなるか?歴史的にはヨーロッパのカタゴンペが挙がるでしょう。ググってみてください。あるいはガンジス川に流すようなやり方です。異文化だからそう見えるのでしょうが、なかなかにおどろおどろしい感があります。それらとビルどっちを選ぶかなぁと考えると…う〜ん。。。

なんとも言えませんが、1つだけ断言できることがあります。田舎に住めば良いんです。物価も土地も桁が違います。田舎に住むだけで大概の問題は消失しますよ。仕事があれば…ですが。。。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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私一個人の意見です。

ずみひと様

釋 慧心と申します。
ご相談、拝見させて頂きました。

一つのご参考になれば。

墓地や納骨堂というものは、
宗教的な側面と、土着の文化や原始的信仰の側面、また、
現在は墓地埋葬法という、法規的な側面など、多角的に見ていく必要があり、
その中でどこに重きを置くか、で、その見方や受け取り方が変わってくると思います。

また、墓地や納骨堂などは、ご家族やご親族のご意向というのも無下には出来ません。
こちらの方が、後々の揉め事の種になりかねないこともあり、疎かに出来ないとも言えると私は思います。

墓地や埋葬の興りは、死者や死を穢れと恐れ、我々の生活圏から遠ざけて、山や谷に遺体を捨てたり、死者が災いをもたらさないよう、埋葬するようになっていったと言われております。

また復活や魂の生まれ変わりを願うなど、諸説様々です。
また、遺体をそのままにしておくと、腐敗し、悪臭や疫病が蔓延する原因になったり、野性動物が食い散らかすので、それを防ぐ為などもあげられます。

仏教では元々墓を作るという概念がございません。

しかし、仏教徒だから墓いらん。とズバッと言い捨てること難しいことです。

仏教で墓と言いますと、どちらかと言えば納骨にあたりますが、お釈迦様のご遺骨を納めたとされる仏塔がそれに近いのかも知れません。

と、長くなってしまいましたが、、私の結論を言いますと、信仰や恒久性を問わないなら、ビルや会社運営の墓地納骨堂も認めざるを得ませんということになります。
というよりは、信仰があり恒久性を求めたくても従来のスタイルが保てないのも現代の事情でしょうか。

寺院や自治体の墓地などは、一つに永く久しくそこにあり続ける可能性が比較的高いと言えるでしょう。
末代まで、思いや願いを伝える対象の一つ(宗派にもよります)となりうるでしょう。

また、先に上げました墓地埋葬法という法律上、好きなところに人骨を埋めたり撒いたり出来ません。
したがって、行政で引きとって頂くか、何らかの所定の場所を確保する必要があります。

費用や場所という、我々の生活に根差した問題も加味して考えなければ仕方がないでしょう。

行政で引きとって頂く場合、保管場所を持たない行政では、悲しいですが、人骨は産業廃棄物として扱われます(私はこれで十分ですが)。

我々の住む世界はドライな面が多いですね。

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浄土真宗本願寺派です。 有髪に非僧非俗、 肉食妻帯(現在は独身ですが)...
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先祖を想う心

こんにちは。お礼文も拝見しました。お寺の保育所経営にご理解をお示し頂き、ありがとうございます。

さて、お墓の考え方として、浄土真宗の私個人のイメージでは、お寺の本堂やおうちのお仏壇と同じような感じがあります。

「仏様に出遇える場所」という事です。

本堂やお仏壇においては仏像や絵像、過去帳を通して、またお墓においては墓石や遺骨を通して仏様の「おみのり=法」に出遇わせていただく。
ご縁は様々ありますし、形も様々なのだと思います。
ただ、両親や祖父母がしていたから~と惰性で行うよりも、自分自身にとって大切な行いなのだと理解して行う方が良いと思います。

ですので、あまり形にこだわらずに、仏様や先祖を想う心を確かに持ってすれば、それでいいと思います。
若僧の1意見ですので、ご参考までに。

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おきもち

みなさまこんにちは。 浄土真宗本願寺派の緇川(くろかわ)と申します。 ...
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質問者からのお礼

お忙しい中、そして早朝からのご回答ありがとうございます。私の家のお墓も70年代に建てた市営霊園の墓で縦長の石の墓です。やはり世代交代なのか周りの家のお墓は草ぼうぼうあれ放題の墓が増えていて、今のお墓は石がかなりコンバクトになって縦長のお墓は少なくなり、敷地もそろそろ限界に来ているのでビル管理のお墓も否定できないと思います。
ぼくの住んでる場所は森林伐採して新築の家が建って道路は綺麗になっても商店が少ない中途半端な街なので、空気の綺麗な長野県あたりに引っ越ししたいなあと思います。hasunohaのご住職さまの中にはお寺と幼稚園、保育園を経営されている方もいらっしゃいますが、檀家の高齢化、少子化で大変な状況の中運営されているのでされて大変ですね。

追記

最近、自然界の破壊、山を崩し、木を伐採し住宅地にして動物が食べ物が少ない理由で市街地に降りて来る。その他、集中豪雨による土砂崩れ、今後もなくなる事はないでしょう。

「お寺全般」問答一覧

お寺でおじさんからナンパ

先日、厄除け祈願のためお寺へ行きました。そこは初めて行く場所でとても楽しみにしておりました。 お護摩まで時間があった為、境内を散策していると、親ほどの年齢の男性に、写真を撮って欲しいと言われたので、写真を撮りスマホを返すと、地元の人ですか?と聞かれたので違います。と答えるような軽い会話をしました。するとその男性はよかったらお食事でもと誘ってきました。断ると足早に去っていき、それ以上は何もなかったのですが、20〜30は歳の離れた男性からお寺という場所でそのような目で見られたことがすごくショックで不快な気持ちになり、とても嫌な思いをしました。 思い返してみれば、写真を撮って欲しいにも関わらず、すぐにスマホが出てこなかった事と、私がお賽銭をいれる直前に声をかけてきたところからそもそもナンパ目的な点とお参りを邪魔された点にとても腹が立ってきました。 その後、無事にお護摩を終え護摩札を受け取りましたが、モヤモヤが消えません。 境内でそのような事(ナンパ)をする方をお寺の方々はどう思っているのか気になり、また嫌な思いをしたお寺は自分には合わないのかと思い相談させていただきました。

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ご先祖の菩提寺を調べたいのですが

自分の先祖の菩提寺が知りたいです。 過去帳で原戸籍以前のご先祖にどんな人がいたのか知ったり、当時何があったかわかる範囲で調べたいと思っております。 今まで、私の祖父は父の顔を見る前に亡くなったと聞かされており父方のご先祖に関する情報はほとんどありませんでした。 父本人も、祖母方の親戚筋ももうおりません。 戸籍の取り寄せで天保年間生まれの曽祖父まで辿れたのですが、それより昔の人のことや歴史上何があったか知るには菩提寺の過去帳を調べて頂いたり口伝で伝わっていることを教えて頂くことだと聞きました。 宗派もわからないのですが、ご先祖の本籍地の周辺のお寺にしらみつぶしにお手紙を書くしかないでしょうか。 現在あるお寺が新しいと意味がないし、逆にお寺がなくなっていることも考えられますよね? アタリをつけるにはどうするのがいちばんよいのでしょうか? ちなみに、途中で分家の際に苗字が変わっているものの、いちばん古い戸籍の戸主の父母の苗字もあり、「ご先祖さまはどこかの村長さんだった」とも聞いた覚えがあるので、過去帳や郷土資料に名前が残っている可能性は大きいと思います。 アドバイスが頂ければ幸いです。

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hasunohaが繋いでくれた幸せの縁

いつもありがとうございます。母の命日にお寺の近くで怪我をし門前の治療院で出会ったご縁、おかげさまで順調です。 その後、異動先でも彼は健気でした。もちろん治療院全体の患者に対する姿勢でもありましょうが、ちょっとした気遣いで人としての器を広げていく仕事環境や切磋琢磨している姿は、とても清々しく素敵でした。 気丈に振る舞いながらも新天地で生まれた弱音をこぼしてくれたこと、カーテンの向こうで波に揉まれている様子、三兄弟の次男らしく、周りに可愛がられながら、彼なりに努力している姿がありました。 帰り際、先輩からビシッと突っ込みがあった時に思わず「すみませんすみません!私の方がウッカリな所があって…」と、異動前にあったエピソード「私が予約を間違えた時に、彼が怒ったこと」や、「山程お客様に頂いた甘栗をそのまま手技療法の治療家に渡すわけにはいかないと、硬い皮をむいて、人数分差し入れた話」をこぼしました。あり過ぎて皮付きのまま渡した分は「僕と〇〇先生で、食べてましたよ」など先輩方には冗談として笑ってもらえたような記憶です。 去年の春まで介護支援記録を書いていたことから、一言一言を記し事実と感情を客観的に振り返る習慣が自分の中に未だにあるのですが、改めて今、彼の言葉の奥にある優しさや気遣い=愛情とその「真逆の言葉との違い」について鮮明になる今日この頃です。 彼が望むものは何だろうか…ずっと考えました。 きっと「自分が尽くせる存在、自分の好意を認めてくれる人」であり、自然と出る優しさ=自分の存在価値を肯定されることで、安心や落ち着き、自信に繋がるのかと思いました。 まだまだ経験を積んでいる段階なので「失敗や弱点などのミスも受けとめてくれる存在」「必要に応じてより良くなるためのアドバイスや、別の視点からヒントをくれる人」が何より有難く映るのかとも…チームそのものが成長したい気持ちに満ちた風土なので、陰からありのままを包み込んで「疲れた時に休ませてくれる存在」がいれば「ひとりでにまた前進していく」そんな風に映りました。そしてそれは、私がかつて施術者として探求、観じていた理想と一致しました。 二人共「精神的な繋がり、思いやり」があればそれぞれが日常の目標・自己実現に向かって頑張れる。そんな絆に恵まれたこと、幸せに結びつくご縁をhasunohaが繋いでくれたことに深謝の限りです。

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周りから「寺社に行くな」と言われた

 いつもお世話になっております。  ここ数週間の間、寺社で立て続けに不審者に遭遇しています。 見つめられる、近寄ってこられる…  私は、色々な寺社で男性信者から性的な前兆事案に遭っています。 「前兆事案」とは、刑事用語で、「犯罪には至らないが、やったら おまわりさんに注意される行為」のことです。  たとえば、見つめる、声掛け、後をつける、触られるなどです。 もっと厳密な意味があるのでしょうが、私の解釈はこのような感じです。  近所のお寺にウォーキングに行っていたのですが、このお寺では 2回ほど不審者に見つめられました。他にも様々な寺社で不審者に 遭っていることをおまわりさんに告げると、 「辛いかもしれないけど、お寺にはもう行かないほうがいい」 と言われてしまいました。  仲良くしているおばあちゃんにも、 「なんであんたは、変な奴が来るってわかってる所に行くんだ。 大馬鹿三太郎のやることだよ」 と言われてしまいました。  結論、「お寺好きの友達と予定を合わせて一緒に行く」という ことになりましたが、友達は医療系専門学校に通っていて、多忙です。  おばあちゃんは、 「なんとか就職できれば」 と言ってくれたのですが、 「まだ先生から、訓練すら段階的にレベルを上げて、という話で、 就職なんてまだ先」 と言われたことを伝えました。  悪しき野心を抱いたケダモノたちのせいでお参りが できなくなってしまうのは、悲しいし悔しいです。  しかし、うちには浄土宗の仏壇があるので、それを大事にして いればいいのでしょうか。でも、私は寺社のあの雰囲気が好きです。  行けなくなるのは、本当に悔しいです。

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田舎にあるお寺の娘です。 現在、父が住職をしていますが、現在跡継ぎ問題に直面しています。 うちは三姉妹で、両親は、いままでも私たち姉妹に寺を継ぐよう強く言ったことはなく、今回、両親が高齢になってきていることもあり、このタイミングでと思い、私から今後のお寺について相談?した際にも、「わたしたちが幸せになるのが一番だから」と、寺を閉じることも視野に入れて考えているようです。ですが、やはり話をしていると祖父母や代々寺を守ってきたご先祖様に申し訳ない、悲しいという気持ちも汲み取れます。お寺を閉じるという選択は、私にとっても心苦しいものでもあります。ですが、自分自身が出家して尼僧になり、後を継ぐという覚悟も決まっているわけではありません。。 ちなみに次女は結婚して家を出ており、長女は何度かお見合いもしましたがいままでは良いご縁がありませんでした。わたしは現在、一般の方と5年ほどお付き合いしており結婚も視野に入れていますが、私以外に望みがなく、私がお寺の後継者の方とご縁があれば、お別れすることも考えています。 現在の選択肢としては、 1.姉妹の誰かがうちのお寺を継いでくれるどなたかと結婚する 2.姉妹の誰かが出家し継ぐ 3.お寺を終う 上記のいずれかなのかと思います。 跡継ぎ紹介システムなど、検索してみましたが、よくわからず。。 また、父が言うにはうちのお寺は過疎地域にあり、経済的にもここを継ぎたいという人を見つけるのは難しいだろうと。。 確かにお寺だけでは収入は十分ではなく両親は他の仕事もしています。しかしお寺自体は歴史もあり、このまま閉じてしまうのは悲しいです。今後お寺を続けていくにしても、なにかお寺自体も盛り上げていく新しいやり方が必要なのかなと思います。 似たような境遇の方のお話や、跡継ぎ問題、過疎地域にあるお寺の存続問題など関してなにかアドバイスのある方がいらっしゃれば、お答えいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

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所属寺院は…

はじめまして、よろしくお願いします。 ある別院さんの納骨堂でお世話になっています。 今回、使用者名義の母が病気になりいろいろな事が難しくなったので、使用承継のお願いをしました。 書類と説明をしていただいたのですが、その際“所属寺の証明欄に必ずご記入いただく様お願いします”と言われました。 私は幼い頃からこちらの別院さんしかお参りしていないので、他にはない事や今は県外に住んでいる事を伝えると“決まりですので、どこか探してもらえませんか”と言われるばかりでした。 母が手続きをした時はどうしたのかと書類を確認していただいた所、“お母様も同じ様に言われたようで、その時特別に承諾したようですね。ですが今回は決まりですのでお願いします。こちらのお寺の名前を出してもらえばわかってらっしゃるので大体のお寺で記入してもらえるので。”と言われました。 今住んでいる県のお寺さんで探してみたのですが、夫の転勤が多く、居住地が定まらないのでご記入いただけませんでした。 書類と説明をしていただいたお寺さんの“うちのお寺の名前を…”の言葉を信じて、そのお寺さんもある県でも問い合わせしたのですが、“何日か行事に通っていただかないと記入する事は難しいですね”と言われてしました。 私がお願いにうかがうお寺さん選びが悪いのでしょうか。本当に困り果てています。 どうすれば書類に記入していただけるのでしょうか。 どうかお教えいただけませんでしょうか。 よろしくお願いします。

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檀家でない者が法要をお願いするのは

実家は真宗大谷派、私自身は現在実家から新幹線の距離の街に住んでおります。 父の死後、母と兄の私や家族に対する態度の豹変、虚言による中傷の為実家とは絶縁しています。 今年の夏、亡父の七回忌ですが、今住んでいる街で自分達だけの法要をしたいと思っております。ここ1年ほど近所の日蓮宗のお寺で写経会や行事に参加しており、事情を話しましたらご住職より快諾頂きました。 地方も宗派も違うので法要のお布施の額も全く分からず、街の仏具店で尋ねましたら、そもそも檀家でもないのに法要を行うのはその寺の檀家さんからすると義務を果たさず美味しいとこ取りともいえる、かなり図々しいことなのでお布施はこの程度はするべき、と実家の菩提寺の法要のお布施の2.5倍ほどの額を提示されました。そこまでは厳しいので多少躊躇しています。 お寺の写経会は本当にいいの?というくらいお金がかからないし、誘われるまま行事にも参加していましたが、やはり檀家さんからすると余所者がお寺を利用しているという認識もありかな、と思っております。 また、宗派も違うのに法要をお願いするのは常識外れなのではと今になって悶々としています。 住職さんは快く受けてくださいましたが、なら一層お布施くらいは高額納めるべきなのか? そして檀家でもない者が気軽にお寺を利用して良いものか。 助言くだされば有り難く存じます。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ