2022/01/20友人の死、悲しい必然の乗り越え方
先日友人が18歳という若さで亡くなりました。
通夜に参列しましたが詳細が語られる事はなかったです。
大学の同級生でした。短い時間ながらもトランプで遊んだり一緒に帰ることがありました。
彼女は才色兼備そのもので、殆どの学生が2年次か3年次に留学するのに対して1年次が終わり次第留学する事になっていた程です。その留学を目前にして亡くなってしまいました。
落ち着いた人柄で今思えば達観したような優しい子でした。
その子が亡くなったと聞いてとてもショックを受けました。
今は悲しさと共に、その子が亡くなった因果、縁起について考えさせられてしまいます。なぜそうなってしまったのかと。
考える余り自分が原因だったのではないかとさえ思ってしまいます。
彼女の気に入っていた曲の歌詞が、好きな人と別れるのが辛い、因縁だから一緒にはなれない、自分以外と幸せになるのは耐えられないという内容です。
彼女には彼氏がいると聞いていたので一線を引いた友人関係でしたが、友人として大好きでした。
彼女は誰にでも好意的な素晴らしい人格だったので、自分に向けられていた好意がもしかしたら愛欲だったのではないか、それを私は拒絶していたのではないかと考えてしまいます。
実際にそのような事を言われた訳ではないので、彼女にしか真相は分かりません。
しかし、それ程しか彼女が亡くなった原因が無いように思えてしまいます。
分からない事を考えるのは無用であると分かっていても、考えさせられてしまいます。
自分に原因があるにしろないにしろ、彼女が亡くなる必要は絶対に無かったと思います。あまりにも無念です。
葛藤を経て、私は彼女の分も勉学に励むと決意しましたが、悲しみと自責の念が残っています。
どの様にすれば悲しい必然を受け入れることができるでしょうか。
通夜の場では導師様も苦悶しながら万事無常であるとおっしゃられました。
分かっていても、受け入れられません。
ただ悲しいだけなのだと思いますが。
お力添えを戴ければ幸いです。
有り難し 28
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