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「老い・介護・看病・病気」を含む問答(Q&A)一覧

2021/11/13

助けてください

 こんばんは。お世話になっております。  僕は現在、東京に住んでいます。およそ半年前までは青森に住んでいました。少し複雑なお話ですが、2018年頃に青森に住んでいた親が東京に仕事の事情で転勤になりました。僕は当時高校生で、高校を変えたくないという理由で祖父母の家に3年間お世話になることになりました。そして半年前高校を卒業し両親が住んでいる東京に就職し、今は実家暮らしです。  今、祖母が大変な事になっています。身動きが取れず、どうにもできない状態です。祖母は現在うつ病のような症状があります。うつ病だけでなく、歩けないほどの足の痛み、内臓が下がる病まで発症しています。  それに加えて、1年半程前に祖父が脳梗塞で倒れ、脳梗塞の後遺症が原因で今は祖母が面倒を見ている状況です。しかし、祖母もとても祖父の面倒を見ながら暮らしていける状態ではありません。  祖母は息子、(僕から見たら母の弟)や親族の人にも病院に連れて行ってもらったりしていましたが、息子や親族の人達は嫌気がさしたのか祖母に何もしなくなってしまいました。うつ病は症状が外に表れないため、親族の人達は病気じゃないだの一人で頑張れだのといって全く理解してくれません。  僕の母もなんとかしてやりたいとは言っていますが、東京に住んでいるためにそう簡単には行けません。  いくら祖母が具合が悪いといっても近くにいる人は病院にも連れて行ってくれないので、今日はついに自ら救急車を呼んで病院に行ったそうです。  しかし、その後息子も病院に来て一緒に診察を受けて、息子が医者に足の痛みの症状だけを伝えて肝心のうつ病のような症状には触れずに病院から帰ってきたそうです。  母の話だとおそらく、もしもうつ病や精神病の診断が出れば後々面倒事(祖父母の介護など)になりそうだからとわざと伝えなかったのではないかと言っています。  近くにいるはずの人達は頼りにならず、どうにもなりません。僕の脳裏に浮かぶのは、このままだと祖母が自殺してしまうんじゃないかという不安です。僕にとっては3年間お世話になった第2の母のような存在で、何もせず最悪な結果になって後悔するよりは、僕が青森に帰ってなんとかしようかとも考えましたが、こんな状況にも関わらずそれをやる勇気がありません。本当に無力です。  この状況を打破できるような解決策はありませんか?回答お願いします。

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本人に余命を知らせないこと

いつも親身に聴いて下さりありがとうございます。 私の忘れられない患者さんについて、相談させてください。長文になります、申し訳ありません。 私がまだ新人の看護師一年目の時の話です。 婦人科系のガンを患い、一通り治療をしましたが、状態が悪くもう抗がん剤は使えないといった終末期の方でした。 医師より、 これ以上の積極的な治療はかえって寿命を縮めるため勧められない。との説明がありましたが、 ・本人は状態が回復したらまた抗がん剤をやりたい。自身が終末期だとは思ってもいなかったような感じでした。 ・家族は『今後の余命については本人に知らせないでください』 とのことでした。 日々状態は悪化し、全身に回ったガンの痛みと闘う日々となっていきました。もう余命1ヶ月もつかどうかといったところでした。 最初は内服だった鎮痛剤も注射薬になり、それでも痛みが取れず医療麻薬の貼付剤から麻薬の注射に変わっていきました。 最期に使う麻薬の薬は鎮静剤もはいっているので打ち始めると眠たくなって、眠ったまま逝くような形になります。 ある日先生から本人に『痛みがだいぶ辛いところまで来ていると思うのですこし眠くして痛みを和らげる薬をしますね』と告げられる日がありました。先生の話の後部屋で足浴をしながら2人きりになった時、その方は苦しそうな表情で 『私は...もうすぐ死ぬの?』 と問いかけられました。私は答えに詰まってしまい、何も答えられませんでした。 その後鎮静が始まりそのまま起きることもなく1週間ほどでお亡くなりになりました。 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いにどうかえせば良かったのだろう。 本人もわかっていたと思うんです。日々重くなる体、正常に作動しない思考、象の足のように浮腫んだ足、パンパンにたまった腹水でうまく呼吸ができなくなる、おしっこが出なくなる、ごはんが食べられなくなる、本人が1番自身が死に向かっていることをわかっていた気がするのです。なら私はなんて言葉を返したら良かったんだろう。 余命も分からず、状態が良くなるのかもわからず、でも自分の体は朽ちていくのは怖かったんだろうなと色々思い馳せてはあれこれと考えてしまいます。 今でもあの方の 『私はもうすぐ死ぬの?』 の問いに答えが返せません。 僧侶の皆様はどのように返しますか?ご助言よろしくお願い致します。

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大好きな祖母が危篤になりました。

少し遠くに住んでいる祖母が、昨日急に危篤になりました。腰の手術のために入院していたところ、病院食を喉につまらせて窒息、一時心肺停止、その後心臓は動きましたが、自発呼吸ができない状態が続き、現在人工呼吸器をつけてICUにいます。意識は戻っていません。 もともと元気な人で、腰の手術のために入院していたので、家族全員「まさか」という気持ちです。お医者さんの話では、このまま意識が戻らず、心臓が再び止まってしまうかもしれないとのことでした。もちろん、徐々に回復する可能性もありますが、年齢的に覚悟も必要だろうと言われました。 今は祖母の回復を信じて待っていますが、祖母が頑張っているときに、普通に日常生活を送っていることも焦燥感に駆られてしまいます。昨日病院に駆けつけた時に、人工呼吸器につながれている祖母も見ました。反応はなくとも声もかけました。でもどこか心の中で実感がありません。「わかっているのに、わかっていない」状態です。でもすごく別れが怖いです。 大好きで大切な人がこの世からいなくなってしまうのではないか、と考えた時に、私はどうしたらよいのでしょうか。祖母は私を本当に大切に想ってくれました。私は宝物だとよく言ってくれました。私に会いたがっていることも電話で伝わってきましたし、時間を見つけて会いに行っていました。でもまだまだ、これからも会いたかったです。まだ、祖母は頑張っています。 そんな祖母に、私にできることはあるのでしょうか?また、どのような心でいればよいのでしょうか? お忙しいところ申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願い致します。

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老いに対する恐怖

こんにちは。現在中学3年生の者です。 タイトル通り、自分は老いが怖いです。 よく、老いることと一緒に質問される「死」についてはあまり怖くありません。 もし生まれ変わりというものがあるならば、そのまま悪行を行わないようにして、また生まれ変わり、一方でもしないのであればそれを認識する術もないわけですから、特に恐怖というものは出てきません。 しかし、老いることだけはどうしても怖いんです。 僕は2004年生まれなので、もし80歳まで生きれるとしたら その時は2084年です。僕はその時、おそらくこの時代の中学生や高校生の「若さ」を羨望するでしょう。 一つ目の質問ですが、皆さんは10年前,20年前の自分、もしくはその年齢の人を「若さ」で羨むことはあるのでしょうか。 そして、二つ目の質問に関してですが、1年前、国語の授業で 「無常観」について習いました。 自然を対象とした無常観というのは、非常に美しく素晴らしい考え方だと思いました。しかし、人間関係や自分の老いに関する無常観は「儚い」という一言で表せると思ったのですが、 その「儚い」が怖いんです。 例えば、今は両親や祖父母が生きていますが、いずれ、どの順番かはわかりませんが、亡くなり、お別れが来ます。 また、今自分は「若い」という部類に入り、体力もある時期なので基本いろんなことができます。しかし、そんな自分もいつかは衰え、できることが少なくなると思うとどうしてもなんともいえない気持ちになります。 二つ目の質問なのですが、皆さんはこの「老い」についてどう思いますか、またはどう考えますか。そして、もし仏教にそれに関する教えがあるのでしたら、教えてくださると幸いです。  

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夫の死ぬ死ぬ騒ぎに疲れました

味覚障害なので死ぬそうです。 警察、病院、医師などに相談したのですが、夫の自殺をとめるにはどうすればいいでしょうか? 警察にもお世話になりました。自殺すると飛び出していったので、警察に連絡して保護してもらいました。 なんどもお坊さんにも相談しましたが、「味覚障害で自殺」という心理が私には理解できないのです。 自分も子供のころ風邪をひいて味覚障害に1か月ぐらいなった記憶があります。 そのうち治るという言葉を信じていたらそのうち治りました。ケーキの味が苦くて悲しかった記憶はありますが、死にたいとは思わなかったです。 舌癌、さらなる癌、でも闘病がんばっている女優さんもいるのに、うちの夫は味覚障害で死ぬ死ぬと毎日うるさい。 何件も病院に行きましたが、お医者さんも「はいはいはい」という対応です。 きっと医者も困っているんですね。 上顎洞がんかもしれないので、医者に内視鏡で診ますからと言われても、内視鏡は痛いからやだ。 もしも癌でほかに移転したら、死ぬほど痛いんじゃないかと思うんですが。 それも耐えられないほどの痛みで血もでるんじゃないかと。 夫は仕事も辞めてしまいました。 ほとほと疲れました。 そんなに自分の母親のいるところに逝きたいのでしょうか? ほんとう姑に申し訳ないです。せっかく育ててた息子が自殺で命落とすとは、姑も成仏できないと思います。 そう正しても夫はわからないみたいです。 今日も、いつもの死ぬ死ぬ騒ぎ発動で(私が)医者に電話したり、早退して会社から戻ってきました。

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絶望感と、寂しさ

人ではないのですが… 1月18日20時15分に、10年8ヶ月飼っていた愛犬が他界しました。 去年の12月頃から様子がおかしく、私と愛犬しかいない部屋の壁を黙って見つめていたり、夜中にクンクン鳴いたかと思うとおもちゃをくわえ壁を見つめていたりしていました。 そして、今月4日突然愛犬の両目がショボショボし始め病院へ連れて行くと白内障になりかけてると獣医に言われました。 その後、薬で治療していましたが、亡くなった日の明け方にてんかんの発作を起こし病院へ。 点滴などの治療をしましたが、その日の20時15分に、苦しみながら旅立ってしまいました…。 その後、とてつもない脱力感、絶望感と寂しさに襲われています。 私自身も一昨年暮れに大病を患い危なかったところをなんとか名医に助けられました。 しかし、まだ未だに体調は良くなく後遺症と戦っている日々での愛犬との別れてでした。 未だに、首輪につけていた鈴の音がたまに聞こえ、近くにいるのかな?と思う日々です。 親友に、虹の橋の話を聞きなるべく泣かないように、後悔しないようにしているのですが立ち直れません…。 あの子の苦しみながら亡くなった時が未だに頭に残り消えず、新しくペットを迎えるきにもなれず…。 看取れただけでも良かったでしょ? 最後まで一緒に寝られたから良かったでしょ?と家族に言われますが。笑顔で対応する事は出来ません。 私としては、ずっと愛犬のお骨を家に置いて起きたいのですが 駄目なのでしょうか? ワンちゃん用の骨堂に置いた方があの子の為によいのでしょうか? 人や、動物の死は本当に辛いです。

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頼れる親族がいないガン患者、発達障害の子どものことが心配

子宮頸がんとリンパ節転移で2年半ほど前に5年生存率20-30%、完治はしないと言われてるシングルマザーです。 母は、10年ほど前、心筋梗塞で突然亡くなり、父は再婚していますが末期ガン・脳梗塞で要介護5で施設に入所しています。 娘は、4月から中学3年生ですが、発達障害(ADHDなど)があります。 今は、だいぶ落ちつき、教室で授業をうけ友達とのトラブルも減りましたが、 「しつけがなってない!お母さんが片親だろうとちゃんとしつけをしてもらわないと困る。」と怒られ、うつになったこともありました。 今の問題は、娘が反抗期に入り今まで以上に難しくなったことです。 頼れる親戚や家族がいない私は、アメとムチを使えるわけもなく 極力、危険なこと以外は叱らないように育ててきました。 誰とどこに何時まで遊びに行く。 ごみはゴミ箱。自分の出したものは片づける。 脱いだものは洗濯機。 この3つを言うだけで、勉強しろとかそういうたぐいのことで怒ったりしたこともありません。 それに片づけがすぐにできなくても、そのままにし毎日声掛けし1週間なりしても片づけなければ叱るという程度です。 つい最近でいうと中学生の女の子が2年間監禁されていて保護された事件や、夜遅くまで遊ぶと色んなトラブルに巻き込まれ危ないからそれについては、帰るのが遅いとそのたびに叱っていました。 娘は、お母さんは心配性・過干渉、私の交友関係や視野を狭める、家に帰らないのはそのせいだ、家に無理やり帰らそうとするなら自殺するなどいい 今、児童相談所にお願いし、一時預かりをして頂いてます。 私は、看護師として働いていましたがこの数年、貯金も使い果たし今は生活保護を受けています。 ADHDの子は、欲をコントロールするのが難しく、何でも欲しがります。 娘は、口を開けば「いつから仕事するの?」 私をみれば、仕事ができる状態ではないこと他の人がみればわかる感じです。 利用価値がなく、自分の思い通りに好き勝手にできなければお母さんはいらないってことなのかと思うと辛いし、これから娘とどうしていけばいいかわかりません。

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認知症の魅力

92歳の私のおばあちゃん 住んでいるところが遠いのと 私自身の病気の為 毎年おばあちゃんのお誕生日に日帰りで会いに行くのが習慣になっています 4月20日はおばあちゃんのお誕生日です 認知症がどんどん進んでいっていますので いろいろいろいろと大変なこともありますが 私は今のおばあちゃんが大好きです 私が電話したら いつも楽しくて愉快な話?!を何回も何回も繰り返し話してくれます また認知症ですが私の前では「おばあちゃん」を崩したことがありません この前は風邪を引いて2週間電話出来ずにいましたが 久しぶりに電話をすると 「バカは風邪引かん言うからね、ばあちゃんは風邪も引かんよ!あんたは賢いけんねぇ、もっとバカにならんといけんよ!」 そう言って明るく私を励ましてくれました そして「5円玉が6つもありゃ、飴玉じゃぁなし、いろんな物が買えるじゃろ!用意して待っとるけんね!一緒にウマイもん食いに行こうや!」 とまるで自分の誕生日が近いことが分かってる風に話してくれました 「この前ばあちゃんのお母さんが死んだんよ!」 もし生きていたら世界最高齢でギネスもの! 「なかなかじいさんが帰って来んのじゃ」 まだおじいちゃんのことが好きなんだな! いろんなことを私に気付かせてくれます 有り難い存在です 今度のお誕生日プレゼントは何にしようかなぁ… 一昨年前は上より下が広い倒れ難いマグカップをあげたら「わ~末広がりじゃぁ!」と喜んでくれました 去年はおばあちゃん暑がりなので夏向きのスリッパをあげたら「わ~赤いのをばあちゃんにくれるんかね!キレイじゃね~!」と喜んでくれました 赤ちゃん戻りしてみたりおばあちゃんらしく振る舞ってみたり そんなあやふやで曖昧で新語連発するおばあちゃんが大好きです 他の家族からは文句ばっかり言って!ワガママし放題!と言われているけれど 私はそんなおばあちゃんも大好きです 人間らしさ満開!!! 人間らしさ万歳!!! さて今日はどんな話をしてくれるのかな? 楽しみですね! お坊さまは認知症のお年寄りにステキ!と魅力を感じていますか? 私はすごく魅力的な部分山積みだと思っています。

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今の医療に対する、お坊さまの願いは?

先日、ある外科医が、自分が患者となり、手術を受けた時の恐怖や不安を記した記事を読みました。 私は、自分が勤めている病院で全身麻酔の手術を受けたことがありますが、その外科医のような恐怖や不安は全く湧いてきませんでした。 執刀医を信じていたから、とかではなく、常に、いつ自分が患者側になってもいいよう心掛けていましたし、いつ患者側になるか分からないことを自らに言い聞かせながら働いていましたので、「ついに自分の番が来たか」というぐらいにしか思わなかったのです。 しかし、やはり「手術」や「全身麻酔」に対する恐怖や不安は、現役の外科医ですら感じるぐらいなので、他の患者様たちの中では、相当大きなストレスになっているのではないかと思います。 私は、出来ることなら何でも相談して欲しいと思っています。 どんな些細なことでも構わないので、自分が納得出来るまでとことん質問して、少しでも患者様の心から、恐怖や不安を減らしてもらえればと思うのですが… やはり、躊躇ったり、言い出せずにいるのではないか?と思うのです。 患者様に親身に寄り添うこと、普段から信頼関係を築いておくこと、気軽に話し掛けられる雰囲気でいること、私自身の実体験をお話しすること、など工夫していますが、そうしたところで、まだまだ恐怖や不安は拭いきれないのではないか?と思うので… お坊さまがもしご病気になり、手術を受けることになったとしたら、医療従事者側にどのようなことを望みますか? どのように接していけば、少しでも安心感が得られると思われますか? 普段から精神を鍛えていらっしゃるお坊さまでも、やはり人間です、医療に対する不安感や不信感などはあるのでしょうか? 今の医療に対して、医療従事者に対して、どのような思い、希望を抱いていらっしゃるのでしょうか? 今後の参考にさせていただきたく、質問させていただくことに致しました。 もし、何か具体的な不安等がありましたら、お答え出来る範囲内ですが、お答えしたいとも思っています。 宜しくお願い致します。

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癌で心が壊れる

8ヶ月前、妊娠中に乳癌が判明。その後流産して質問させていただいた者です。 昨年の7月、乳房温存手術を受けました。1センチ以下の初期乳癌。リンパ節転移もないとのことでしたが、術中検査でリンパ節に2つ転移が見つかり、リンパ節も切除。病理結果が出るまで鬱になりそうでした。リンパ節転移が4つ以上でステージIII。聞いていたステージIより格段に生存率が下がります。自分の命より子どもを産みたかった。家族に迷惑ばかりかけるなら今ここから飛び降りてしまおうか。夫は再婚して、娘にも兄弟ができる。家族にとって私はいない方が幸せなのではないか。 しかし、リンパ節転移は2つのみで、ステージII。亡くなった子どもが助けてくれたと、泣きました。生きなければと思いました。 手術後は4ヶ月半の抗ガン剤予定でしたが、入院数日前にふと、最初に気付いたシコリ(良性の物と言われていた)の下にシコリを見つけました。病院に行くと、触った感じもエコーも問題ないが、一応細胞検査ということに。入院当日、横になっていると、突然先生から細胞検査の結果、癌であったと伝えられました。呆然としました。急遽数ヶ所の細胞検査。結局、手術した所以外の三ヶ所から小さな癌が見つかり、多発性乳癌との診断でした。なぜ最初から分からなかったのか。妊娠中であったからだそうです。抗ガン剤は1番強い薬を2種類、半年。その後全摘手術と言われました。頭が真っ白でした。私が最初に見つけたシコリは癌だったのに、ずっと無視されてこの結末。でも治療しないわけにいかず、納得するまで主治医と話し、今は2種類目の薬を半分終えました。 2度の流産。髪はゴッソリ抜け、抗ガン剤の副作用で救急車で運ばれることもありました。左胸はなくなります。リンパ節転移のせいで、放射線治療もあります。放射線を当てると乳房再建は難しいそうです。私はまだ30代で、娘は5歳です。もう、娘の大好きな温泉やプールには行けない。様々なものがなくなっていきます。家族に負担をかけてばかり。それでも再発転移の可能性は消えない。手術は恐怖です。胸をなくしたら娘はどう思うのか。「胸がなくても関係ない」と夫は言ってくれますが、私自身がきっと卑屈になってしまう。誰かを苦しめたり、悪いことをした覚えはないのに、なぜこんな思いばかりしなければならないのでしょう。生きていることに感謝する反面、悔しくて苦しいです。

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30歳になったら死にたくなった

私は今30歳です。が、見た目は20歳くらいに見えているらしく、こちらから言わなければ実年齢は分からないようです。実年齢を伝えても信じてもらえませんが。 今まで、そういう事は気にしていませんでした。年齢をいくつに見られるだとか、実年齢との差だとか。 ただ容姿に関してはコンプレックスが強く、昔から何とかして理想に近づきたいと躍起になってきました。周りからは、容姿に恵まれていると言われてきましたが自分ではそれが分からず、そんな事で悩んでいるうちに30歳になっていました。 ふと、最近好きなアーティストの方が18歳の男の子だと知った時、いきなり自分の年齢を突きつけられたような気持ちになりました。 今までは、この人の声が好きだとか世界感が好きだと思ってそこを追求していましたが、ああそうか、自分が好きなジャンルを作っているのは自分よりもずっと年下の人達なんだと思いました。 そうすると、ここまで容姿だけにこだわってそこばかり見てきた自分には何も無いと感じました。実際特に何かを積み上げてきた経験もないです。若さもなくなり、これからもっと老いて沢山の若い才能に触れたら私は耐えられないかもしれない。そう思ったところから死を望んでしまい、食欲は全くなくなりました。自分の価値を容姿や若さにしか見出せなかった結果、手元には何も残りませんでした。これから自分としてどう生きていけばいいのか、そもそも自分としては生きたくない、30歳で自殺したとしても若いのに…とは言ってもらえない。などということをぐるぐる関する考えてしまい、目の前の現実を生きられないでいます。 何もしてこなかった自分を呪い、無駄に若さを使った事を悔み、 若さに嫉妬して、発狂しそうです。いっそ発狂でもして何にも分からなくなりたいです。 私はどうしていくべきなのでしょうか。

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