お坊さんへの相談が殺到しており、質問受付数を制限中です。

回答が追いついておりません。今を生きる人のために仏教の智慧を伝えてくれる僧侶の方を募集中です。

暴力を振るう住職って。

ニュースで、不登校やひきこもりの子どもを修行と称して料金をとって預かっている、とあるお寺の話を見ました。詳しくはわかりませんが、修行と言っても住職自ら相手をするわけでもなく、領収書の整理など私的な手伝いもさせられていたようです。

何よりショックだったのは、暴力を振るっていたことです。布団たたきでだったり、太鼓のバチでだったり、中には身体中にアザを作り、聴力が低下したお子さんもいるとか。食べ物も賞味期限切れの物や、不衛生だったようです。

逃げようにも山の中のお寺で電話もないので助けも求められず、見つかるとまた暴力を振るわれるので、その恐怖から逃げられなかったそうです。通報から児童相談所が視察に入り、ようやく子ども達は保護されたとか。

不登校に悩む親子はたくさんいます。私もその1人です。お寺さんなら何か救いの道になるのではないか。そんな、藁にもすがる思いで門をくぐったのでしょう。ところが実際には修行どころか暴力だなんて、あまりにも親子の思いを踏みにじる行為に思えます。

悲しいです。子どもはただでさえ、悩み、苦しみ、もがいているのに。そんな仕打ちを受けたショックはどれだけ大きいか。

お寺さんに救いを求めたい。
少しでもいいから立ち直る力を持ちたい。
そんな必死の思いを持ってる親子にとって、悲しすぎるニュースでした。

もちろん、そんなお寺さんが多いとは思いません。中には、本当に救いの場所になっておられるお寺さんもいらっしゃると思います。

hasunohaのご住職方は、このニュースを如何思われますか?

お坊さん
有り難し 197
回答 6

質問投稿日: 2016年11月15日 0:27

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。
回答僧

R.F

雑想感 -僧侶の品格-

初めまして、浄土真宗の藤波蓮凰と申します。
却って心に傷を負ってしまった、この住職が止住するお寺に寄宿していた青少年たちのことを思うと、いたたまれなくなります。そして宗教に対する不信感を、いよいよ募らせたに違いないでしょう。
この住職が所属する宗派は、私どもが属する宗派とは大いに異なり、厳しい修行をクリアしてステップアップして行くことを旨とする宗派です。そのように考える時、住職自身の修行経験をして、これくらいの厳しさなど許容範囲だと考えていたのでしょうか。もしそうならば、非常に愚かなことと思わずにはおれません。

さて、私がふぅさんの問いを読ませて頂いてつくづく感じたのは、僧侶の品格なり品位の在り方でした。別な表現でいえば、教養ともいえましょう。私は、教養は学歴などで得られるものではないと考えています。生きてきた環境とともに、「よき人」との出会いによって培われるものでしょう。今や僧侶も俗世間から遠い、取っ付きにくいイメージから離れて、より世間一般に近しい存在となって来ました。そして今時の僧侶を見渡してみると、一般に親しまれたいがために勘違いしている僧侶もしばしば見受けられます。特にSNSなんかを見ていると、それがとても顕著です。詰まるところ、そこに品格が見え隠れします。この《事件》を起こした僧侶も、ある種の勘違いから取り返しのつかないことに発展してしまったのでは………と思うのです。
以て、このhasunohaもまた、僧侶との距離感を縮め、親しまれる存在たるべきツールの1つです。そんな中で私は、決して回答数の多い僧侶ではありません。ただ私は、自身と真摯に向き合える問いにしか回答できないのです。それが私なりの質問者への誠意だと愚考しております。
この度、ふぅさんの問いをして、お袈裟を頂くことの重さを改めて考えさせられました。私どもの宗祖・親鸞聖人が仰せになった、「袈裟はこれ三世の諸仏の解脱幢相(げだつどうそう)の霊服なり(※)」という言葉に、深く思いを致しております。

※拙訳「袈裟はまさしく現在・過去・未来の諸仏が示して下さった、覚りの世界へ至る道しるべたる霊服なのです。」

2年3ヶ月前

煩悩を捨てられない!

見えない暴力がこの世には数限りなく存在します!
ほんの一部が見えたのですがそれが僧侶と名の付く人間だからマスコミの話題になり易いのですがTVで見る限り許される行為ではありません。
ここで問題なのは僧侶だけでなく未成年の我が子を良く調べもせず預ける保護者がいる事も忘れてはなりません。
暴力で登校拒否がなおりますか!自分の思い通りに子供がならないからとの思いも分かりますがあんな人物に預け救いを求める事の怖さを学ぶべきです。

この様な事件は繰り返し起こりいつの世になっても無く成らないでしょう。
この世に虐め戦争、嫉み恨み好き嫌いの色んな煩悩が在る限り何度も闘いを繰り返してしまう。またこれ以上進まぬよう一人一人が自覚を持たなければなりません。
煩悩を捨てなければならない私たちの仲間がこの様な行為をする事はあってはならない事です。私も自分の戒めとして受け止めなければと思いを抱きます。「人の振り見て我が振り直せ」の言葉が聞こえて来る様です。

2年3ヶ月前

本当に僧侶なのかな。ニセモノもいますから。

酷い話ですね。。。こんなの犯罪よね。。。ありえないわ。

僧侶も人間ですから、完璧ではありませんが、常に 考え悩みしています。だから、人の想いにも寄り添おうとするのです。共に悲しみ喜び、支え合いながらね。それが押し付けや、独りよがりになってはいけない。(いろんなタイプの人がいらっしゃるので、相性もあるかと思いますが。)

本当に僧侶なのかな。ニセモノもいますから。
法衣店で衣を注文すれば、なんちゃって僧侶に見えます。宗教法人と証明されれば、そこがお寺になります。でも、怪しい寺もあるわけで。必ず救われます!のような 謳い文句につられて、騙されないようにしたいものですね。
きちんと、人を見て、お寺とのご縁が出来ればよいのですけどねぇ。

2年3ヶ月前

動画観ました

こりゃ酷いですわ。
ぼんさんというか人間としてどうかなあという思いです。

何も抵抗しない相手を叩いてますよ。
こういう方に限って、コワいお兄さんにはペコペコなんですよね。
戦争で、無抵抗な市民や子供が犠牲になっている悲しいニュースをやってますが、、
このぼんさん同じことやってます。

〇〇寺のおぼうさん、、、
何も抵抗しない人間を叩くのやめようよ。恫喝って何やってんですか?
久しぶりに腹が立ちました。

2年3ヶ月前

そこで私たちこそ連鎖反応をしてはならない!

「心が統治されていないこと」がみな様も含めてこの度の事件のキーワードとなりましょう。
❶いじめた人の心が統治されていないこと。
❷施設に入れられる方、育ての親が統治されていないこと。
❸いじめた人を便乗して攻撃しようとする我々の心が統治されていないこと。
❹さらに、このhasunohaの回答をみて不満に思う閲覧者さんの心が統治されていないこと。
※先日これらの回答をご覧になられた方々が、僧侶がこんなことではダメだと、反発したり、炎上を促す方々がおられました。。
実は加害者のみならず、私たちの心も統治されていないことこそが大問題なのです。
北乃きいさん主演の「LIFE」というドラマにいじめの構造がとても見事に描かれています。
いじめっ子は最終的にいじめられっ子になってしまうという、どのみちみんな救われないという構造が描かれています。人は自分より劣等者、下を求める。親も指導者も一番問題なのは、その子たちを扱えないこと。逆らって生意気だ、言う事を聞かない奴は悪だ、と無理やり施設に入れたり、体罰で押さえつける。その子たちの声を聴いていない。
いじめは確かに悪いです。どんな理由があってもいじめ、人に危害を加える行為はいけません。
ですが、一番悪いのは「いじめの行為(人を力で押さえつける)」それ自体です。
私たちも自覚はないでしょうが、人の非をみると連鎖反応を起こしていじめの行為に加担してしまう事があります。
便乗して、今度はその加害者たちや偏った意見の人たちを攻撃しているでしょう?
本質的に同じことをしているのですよ。
非難する。責める。攻撃する。DISる。私たちの同じいじめに加担している心をみつめましょう。
私たち自身が心を治めずして人ばかり非難する。攻撃する。DISる。
世間で「問題児」とされてしまうお子さんも、そのお子さんを育てるのは親です。中には親御さんが自分で手に負えなくなると学校が何とかしてくれる、施設が何とかしてくれるというある種、無責任、責任放棄な所を感じます。(全てではありません)うちのお寺にも悪さした子や問題児をお寺で厳しくやってくれ、みたく放り込んでくる感覚の親や教員が実際にいます。
その行為自体がどうなのか。私はそれこそプチ暴力「力で押さえつける行為」だと思います。
答えはここでは申し上げません。この事件で連鎖反応をした人たちこそ自身に問うべきです。

2年3ヶ月前

感想ということで。

 溺れる者は藁をも掴むといいますが、双方そうだったのかな、と。
 つまり、その「住職」の方も溺れていたのかな、と。「こういうことで金を集めるなら、文句は言われないだろう」と思った…かどうかは知りませんが、何か切羽詰まって溺れていたのかな。もし自分がそうなったら、お寺は出よう。
 というのが感想です。

2年3ヶ月前

質問者からの有り難し - お礼

たくさんのご回答をありがとうございます。
人の気持ちに寄り添おうという姿勢は、とても大切なことですよね。とすると、お子さんを預けた親御さんもこの住職も、お子さんの気持ちには寄り添うことはできなかったのでしょうか。あくまでも結果としてですが…

親の立場や考え方も様々です。お寺さんの考え方も様々あるでしょう。

ただ、暴力はどんな立場の人であれ許されないことだと思います。暴力では何も変わらないですよね。
そんな暴力があったことが悲しいです。

私自身が今も子どものことでは悩んでいる最中なので、このニュースには敏感に反応してしまいました。

皆さまのご回答、感じることが多々あり参考になりました。
まだまだ努力して進まなければ。

hasunohaを通して、ご住職方と出会えたご縁に感謝します。

ありがとうございます。

たくさんのご回答、本当にありがとうございます。
お一人お一人のお考えに考えさせられることがたくさんあります。

「人の振り見て、我が振り直せ」の言葉、私にも響きました。
実は私自身、1度娘に手をあげたことがあるのです。登校できずに苦しむ娘と、その気持ちを理解できずに登校させようとする私と、気持ちが対立していた苦しい時でした。あの時の手の感触、娘の悲しそうな眼、私は一生忘れないと思います。親だからといって決して許されることではありません。その時以来、深く反省しています。
自信を持って言えます。
暴力は何の解決にもなりません。
傷つけ、傷つくだけです。

幸いにも、その後信頼できる先生やカウンセラーと出会い、私は娘と向き合い、受け入れることが少しずつですができるようになりました。

今もいろんなことに悩むし、苦しいです。そういう意味では煩悩の塊なのでしょう。
煩悩を捨てるというのは難しいものですね。

でも、いい出会いに感謝し学ぶことで、少しでもいいから成長できたらいいな、と思います。

今回の住職がどんな思いでこんな事を起こしたのか、理解はできません。
ただただ悲しいです。

袈裟をいただくことの重さ。
袈裟とは何か。
私なりの幼稚な解釈ですが、悟りを得るための道標であれば、試練であろうと受け入れて前へ進む、その気持ちが大事なのかな、と。

たくさんの事を考える機会をいただきました。
皆さま、ありがとうございます。

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