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働く、生きる姿勢について教えてください

回答数回答 3
有り難し有り難し 26

先日、自他に厳しすぎると言われることについて相談させていただいた者です。
あれから、自分の振る舞いに気をつけようと意識しています。(冬休みで実践の機会がまだありませんが)
その内容と少し関わることについて、ご相談させてください。

私はかつて、仕事を時給で計算し、給料分の仕事しかしないと、手を抜いて働いていた時期がありました。
そういう働き方が嫌になり、今の仕事をメインにしてから、小さくても自分に回ってきた仕事は断らず、丁寧にやるようにしてきました。
その頃に仏教の教えに出会って、今はこれを人生の指針にしていこうと思っています。

中には、名前が大きく出ない仕事は手を抜いたり他人に押し付けたりして、華やかに名を売り、出世している人もいます。
でも私の幸せはそういうことにはないんだと、たとえ出世しても中身が伴わなければ自分は納得できないんだと思って、気にしないようにしてきました。

幸い私の仕事ぶりが少しずつ評価していただけるようになり、同業者で最も活躍し、ずっと敬愛してきた方と、親しくお付き合いさせていただくようになりました。
その方からも、仕事ぶりが誠実で丁寧だと、とても褒めていただけています。

でも同時に、もっと手を抜いて良い、仕事を断らない人には仕事を回しづらいとも言われ、よく知るうちにその方もずるい面があると分かり、私のためを思って忠告してくれているのかも知れないのですが、どうすべきかわからなくなりました。

今でも多くの面で尊敬していますし、その方に評価していただけるのが嬉しくて、今日まで頑張ってきました。
でも、これは自燈明ということに反するのでは、とも思うようになりました。

今でも、上手に立ち回って良いポジションを手に入れている人を見ると、不器用で、世間では負け組と言われる境遇の自分と比べてしまい、心が揺らぐことがあります。
その度に禅の言葉を読んで気持ちを沈めています。

私がただ迷っているだけでしょうか。
もしそうなら、喝を入れていただきたいです。
よろしくお願いいたします。

2020年1月3日 0:09

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

志に「ほどほど」という戒律を

拝読させていただきました。

自利利他円満が、日本では大乗仏教の説き方をご存知と思います。

相談にありました「自他」自身と他人の両面においてですね。

目標を決め、そこに向かい邁進されることはとても素晴らしいことであります。
しかし、仏教で説きます「四苦八苦」の8つの中にあります「求不得苦」に値します。

※求めるものは手に入らないということを覚る認識を心に留めることが少し必要かも知れません。

しかし、人は時間とともに生き、学ぶ者こそ、精進怠ることなかれと感じます。そこに自身を第三者から観る事も時には大切であると感じます。

お釈迦さまは
「他人のしたことを見るなかれ、自分のしたことと、しなかったことだけよ見よ」
と、説いております。

十人十色である人間には、それぞれの時代・環境により、感覚と感性というものは異なるのが当たり前であり、人それぞれに合った話し方、人それぞれに合った対話をすることが必要ともなります。これを仏教では待機説法と申し、有名なことわざである「嘘も方便」のことでもあり、お釈迦さまのお言葉であります。

話は少し変わりますが、私は電車に乗ったときに「席を譲る若者」「席を譲らない若者」を見ます。
「若い」から譲るという答えは間違いであり、若い方の中には病気で立つのも辛い人もいれば、疲労で立つことさえできない人など、色々なのです。

思うように行かないという求不得苦もあれば、思うようにいかないからこそ、どうすれば一番ではなくベストなのかを試行錯誤することが大切でもあります。

志が高いと感じれば、お少し心に「ほどほど」を入れる(気付く)ことで、自身の中に余裕という新しいアイテムを入れることができるかも知れません。そうすることで、生きるコツ、考え方が楽になる方策に繋がるかも知れません。

人生無駄なことなど一つもありません。すべて経験が肥しとなり、人生に立派な華を開かせてください。

心より応援いたしております。

合掌

2020年1月3日 2:30
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祈るこころに佛心が宿る。 変化多き時代を生きる私たちにできること、それは...

「雲水」

あなたの信じている『正しい』は、行学一如で大変素晴らしいと思います。
「禅の修行者」として見れば…

あなたの今の『正しい』は、「本来こうあるべきだ」に基づいている。
全ての人がそれができれば、きっと素晴らしい世の中になるでしょう。

しかし、大半の人は『正しい』が『楽しい』の誘惑に負けてしまい、『楽』の中に『都合の良い正しい』を作って正当化する。
正当化しているので、『都合の良い正しい』を変えるつもりもない。

そんな中であなたの100%の『正しい』をまともに出してしまったら…

孤立するはずです。

あなたの心の支えとなるはずの『正しい』が、むしろストレスになってしまうはずです。

だからもう少し、周囲のペースにも合わせる…
「ズルをする」や「手を抜く」や「出し惜しみする」ではなく、『セーブ(抑制)する』です。

セーブして周囲との軋轢も少なくなれば、ストレスも軽減されるはずです。
『正しい』そのものは、変えていないのですから。

仙人のように1人だけ世の中と隔絶した生活ができるわけではありません。

ストレスコントロールをしながら、世の中と上手く付き合って行く…
敬愛される方からのアドバイスは、そんなあなたを心配して下さった言葉ではないでしょうか?

雲は風の吹くままに形を変え、水は方円の器に随う…
キッチリ、カッチリだけではなく、世の中と上手く付き合うには、柔軟性も大事ですょ。

~~~~~~~~~~~~
訂正追記

状況を正確に理解できていませんでした…

それならば、
「周囲から煙たがられても自分の信じる『正しい』を貫くか?」
「自分の信じる『正しい』を曲げてでも周囲に合わせ丸く納めるか?」
の選択だと思います。

もし、私だったら迷わず前者です。

勿論、そのせいで周囲にシワ寄せがなく、自分の体にも無理がなく、依頼者もしくは享受者のためになると思われる(自己満足ではない)…が前提ですが。

どちらを選択した方が、より後悔が少なくて済むか?

「他はこれ吾にあらず」
「任にあたって他に譲り難し」
「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与(あずか)らず我に関せず(勝海舟)」

ご自身で後悔の少ないと思われる選択をして下さい。

(文字数制限のため時限公開削除しました)

2020年1月3日 20:05
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GALUCHAT
曹洞宗寺院の住職です。 GALUCHAT(ガルーシャ)と読みます。 ...

自灯明・法灯明

こんにちは。亀山純史と申します。

お釈迦様は自らの死を目前にして説かれた教えが「自灯明・法灯明」ですね。「自立した自己であれ。他人に振り回されない自己であれ。他のものをよりどころとせず、仏法を人生の教えとせよ。」ということです。そして、「自灯明」は「法灯明」と一対であり、「自立した自己」「他人に振り回されない自己」とは、「仏法を人生の教えとして生きる自己」ということです。

では、この「仏法を人生の教えとして生きる自己」とは、どのような自己なのでしょうか。仏教では「自利即利他」を説きます。真の自利とは、真の利他行に繋がるものであること。また、真の利他行は、真に自分の益になっているということです。このような生き方が出来る自己こそが、「仏法を人生の教えとして生きる自己」だと思っています。

しかし、このような自己の実現は、言うは易く行うは難しですよね。ですから、私たちには、少しでもいいから、他人からの励ましや高評価が必要であり、それによって、「また頑張っていこう」と思うものです。ただ、注意しないといけないことは、人からの高評価が自分のゴールではない、ということです。また、自分の能力を超えた仕事量は、その仕事の質を下げる可能性がありますし、仏教的に見れば、「これだけ自分はやっているんだ。」という慢心に繋がる可能性もあります。人との縁を大切にし、ONE TEAMとして仕事に当たることが大切でしょう。

以上が私からの回答です。この回答から何かしらのヒントが得られればと思い、回答させていただきました。

2020年1月3日 11:34
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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

質問者からのお礼

皆さま、お忙しい中、お言葉をありがとうございました。まだ苦しみはなくなりませんが、多くの気づきをいただいたように思います。何度も読ませていただき、実践していきたいです。

法源様
お言葉の数々、ありがとうございます。結果が得られなくても過程を頑張ることが大切だと思っていましたが、そのどちらにも執着していたかもしれません。そういう時に、周囲のあり方を見て迷いが生じていたように思います。ほどほどに、力を抜くことを意識したいと思います。

亀山純史様
ご回答ありがとうございます。
自灯明と法灯明、利他ということ、改めて気づかせていただきました。
周囲からの評価は励ましにしていいのだと安心できました。高評価がゴールではないということや、多すぎる仕事量の弊害は、繰り返し思い出して戒めとしたいです。

GALUCHAT様
前回に引き続いてお言葉ありがとうございます。
自分に対して高いものを求め続けたいと願ってする仕事ぶりが、周囲に良くない影響を与えてしまうことに対して、それを抑制していくということが、具体的な実践としては正直まだよく飲み込めていないのですが、周囲と自分をよく見て行動したいと思います。それに、敬愛する方の言葉に対しても、謙虚な気持ちを思い出させてくださって、ありがとうございました。ずっと尊敬し続けていきたいと思っています。これからも迷いが生じた時には、繰り返し読ませていただきます。

(追記)
GALUCHAT様
ありがとうございます。仕事に向き合うばかりの毎日で、もちろん好きなことができる幸せと達成感はあるのですが、同時に寂しさも辛さもあり、そのような中で、一見うまく立ち回り、そう発言もしている人たちからずるく手を抜くことを勧められたり、その方たちが名を売っているのを見たりすると、自分の道はこれでいいのかと迷ってしまいます。尊敬している方からもそのように言われて迷いが生じました。他人を変えようというつもりはありませんが、自分の仕事を全力ですることすら良くないことなのかと。長くなって申し訳ありません。またご相談させてください。お心遣い誠に感謝申し上げます。

GALUCHAT様
ありがとうございます!
私の書き方が悪くてわかりづらい文章でした。お言葉胸に刻みました。
私のもとに来た仕事はすべてご縁と考え、相手のため、自分のため、迷わず、大小を問わず全力で取り組みたいと思います。名など小さなことでした。仏教と禅に出会って良かったと思います。心から感謝申し上げます。

「生きること・生きるとは」問答一覧

真剣本気になるという感覚がわかりません。

ご相談させて頂きますハルソラと申します。 40才にして物事に対して真剣本気になるという感覚がわからなくなってしまい、どうしたら本気になれるのでしょうか?というご質問です。 本気になりたい対象は…禅の修行、趣味の格闘技、仕事に対してです。 このように書くとよっぽど自堕落で努力出来ない人なんだな~と思われがちですが、日々座禅をして、書籍で古今東西の思想を学び、格闘技の練習をして、仕事はミスなくきっちりこなしています。 しかしながらそれが「本気なのか?」と自分に問うてみると、どーも本気とは言い難いのです。 かつて20代の時に仕事とトレーニングのし過ぎで心身を病んでしまい復調するまでに3年以上を費やした事がありますが、お釈迦様の「中道を究めなさい(丁度よい加減でやる)」の教えを後に知り、ほどよい加減の努力を意識してきました。 しかし近年においては「適当な努力」を継続して、やった気になっているだけで目指すところに全く届かないのです。 本気になってやろうとしても、それをセーブする怠る気持ちが強く働いて、今のままでは到底話しにならない。という感じです。 何をどうしたら本気になれるのでしょう。お坊さま方は本気についてどのようにお考えでしょうか? ご回答よろしくお願い致します。

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どう生きればいいのか

お世話になっております。コロナの影響でご相談が相次いでいる中、申し訳ありません。 僕は以前の相談でも書かせていただいたことがあるのですが、外見的な特徴(髪、肌、体型などいかにも不健康な容姿)をしています。おそらくhspでの過剰なストレスが原因です。これは非常に大切なことですが、「治そうと思っても治せません」。性質ですから。これらの理由から人から見下されたり、バカにされたりすることが毎日のようにあります。中2までは全く気になっていませんでした。中3になったある日、大人の女性からいかにも気持ち悪いものを見た時のような顔をされました。おそらく、ストレスによる酷い肌荒れです。それから人の視線を気にするようになり、やはり前述した女性のような顔をする人や目で追われたりしました。(ここでよく言われるのは、「お前が見ているから見返してくるのでは?」という疑問ですが、視線を感じた後で見ているので違います。) いずれ、これらの出来事によって人間不信になりました。大人からは鼻で笑われることもあり、とてもショックでした。大人の本性を見極めてしまったのです。人生を生きていく上では人間関係からは逃れられない。しかし、僕は人間不信です。僕の居場所など何処にあると言うのでしょうか?親さえも信じられない。たまたま縁によって僕という子供の親になったわけですから、愛情を注いでくれるのでしょうが、立場が変わればどうなります?きっと周りの大人達のように僕を見下すことでしょう。 友人も信じられませんし、いつ嫌われるかびくびくしながら毎日を過ごしています。普通は信頼関係を築けるのが本当の友人だと思いますが、人間不信だとそうはいきません。学校で安心して暮らせるために、友人関係を作ってしまっています。 もちろん本当の友人は欲しい。しかし、人間を信じるのがとても怖ろしい。おそらく、傷付きたくないのでしょう。これまで散々傷付けられ、なぜこれ以上傷付けられなければいけないのか...。「どうせまたバカにされる」と諦めムードです。 このような現実を引き受けた後、僕にはなにが出来ますか?どうかアドバイスをお願い致します。 あらかじめ書いておきますが、当然ですが僕の人生はお坊さんの人生とは違います。どうか上記の(hspの身で生まれ、不健康な人間に育ち、人間不信に陥った人生)を想像しながらアドバイスをお願い致します。

有り難し有り難し 12
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働き、生きるということの考え方

元々会社員として働いていました。 その会社は人の悪口は日常茶飯事、ある事ない事噂をして、人が人の足を引っ張るという環境でした。 精神的に打たれ弱いのと、人の目を異常に気にしてしまう性格であったのでそのような環境に耐えきれず、1年前に退職をしました。 その後すぐに転職をしましたが、精神的に参っていた状況でしたので数ヶ月で退職するといった事を数回繰り返す結果になってしまいました。 そのような経歴で特にスキルも無く、年齢的にも若くないのでもう仕事には就けないのではないかと焦りを感じていました。 そして1年前に辞めた会社の良く世話をしてくれた先輩が私の状況を見かねて戻ってこいと言われ、入社試験を受け、合格をいただきました。 合格をもらった時は行くかどうかかなり悩みましたが、勤務開始まで期間が空くので心の休養にもなるし、仕事に就いて生きていかなければという藁にもすがる思いでしたので行くという返事をしました。 しかしながら私が戻るという事に対して非難が続出しているという話を聞きました。また私が辞めた事で迷惑をかけた人達もいるのでその恨みもかっているらしいです。 また妻もその職場で働いているので非難の対象となるかもしれないという話もされました。 良くしてくれた仲間がいる事は事実であり、戻ってきてほしいと言ってくれた人は1人や2人ではありません。非常にありがたいのですが、元いた会社に出戻るという判断が正しかったのか自問自答を繰り返し、夜も眠れず、何もやる気が出ない日々が続いております。 このまま消えてしまいたい、自分が居なくなれば良いのかとも常々考えてしまいます。 心療内科に通院して心の休まる薬を処方してもらいましたがそれでも不安が勝ってしまいます。 この様な状況になってしまった私にどうかご助言をいただけないでしょうか? 長文になり申し訳ございません。

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色々考えてしまいます…

 約2年前に海外から帰国しました。ただ、その帰国は自分の望んだ物ではありませんでした。学生でしたが、パートで保育の仕事をしていました。卒業後も、卒業ビザと言う物でフルタイムで働きました。6年間そこで働き生き甲斐も感じていました。園長先生からも「ずっと働いて欲しい。」と言われました。しかし、卒業ビザが切れたのち、ビザの更新をしようとしましたが、その職種では就労ビザが出ないと言う事で、泣く泣く帰国しました。帰国後も「戻れるならもう一度行きたい。」と何度思った事でしょう。  1ヶ月前、気になったヨガのコースが以前いた都市で来年から始まると言う事を見つけ、その時は凄く嬉しく思いました。ただ、その後嬉しさが落ち着いた頃、色々な考えや質問が次々と浮かびました。 人生とは? 人生の目的とは? どうやったら、人生が楽しく、ハッピーになるの? 何を本当にしたいの? 私のいるべき所どこ? 等など、次々と出てきます。  帰国後、家族と過ごし2年が経ち、どこかで気持ちが落ち着いてしまったかもしれません。 また行くと2年は会えなくなって、一緒に出掛ける事も出来なくなり、次回帰国した時にそれが出来るのか、両親の年齢を考えると、出来る間にした方がいいのかと考えたり、祖母ももうすぐ100歳、後何回会えるのかと考えたり…その一方で、今行かなければ、自分のやりたい事がどんどん遅れてしまいます。 行く事で、ポジティブな事もあります。向こうでやっていた事がまたやれたり、やりたいと思っている事ができます。  ただ、コースに2年参加する事が真の目的かと言うと、何か違う気もします。今までやってきた事を取り戻したり、新しくやりたい事の為に参加するのかもと言う事が気持ちのどこかにある気がします。  今までの海外での生活が充実していて、その反動がきています。 今はロボットの様に、仕事と家の行き来し、1日1日が過ぎて行く日々…  自分への質問が次々と湧く中、答えも出る事なく悶々としています。 答えを出すのは最終的には自分だと解っています。 しかし、そこに到達する前に、質問の沼にはまっています。 どの様にしたらこの沼から抜け出せるのでしょう…  何か良いお話が聞けたらと思い、長々と書き込みしてしまいました。 よろしくお願いします…

有り難し有り難し 5
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一度失敗したら人生終わりなのですか?

最近、テレビで謝罪会見を見かける度に、「一度失敗したら終わりなのか」と考えてしまいます。 例えば最近の芸能界では、スーパー銭湯のアイドルの謝罪会見、芸人の闇営業、所得隠し・申告漏れなどでしょうか。 たった一度の過ちで引退や活動停止に追い込まれるのを見ると、人生は一度でも失敗したら終わりなのかなぁ、と思ってしまいます。 ついには、教師の激辛カレーいじめですら、なぜか加害者に対して「これで人生終わってしまったらかわいそう」とさえ思ってしまう自分がいます。 先の質問にもありますが、自分自身も、たった一度の失敗で信頼を失ったり、降格させられたり、ドン底に落とされした経験が何度もあります。 一度内定が出た企業を辞退したあと、やっぱり就職したいと、何度懇願しても叶わなかった経験もあります。 その度に、「もう少し寛大な心を持ってくれても良いじゃないか」と思ってしまいます。 しかし、現実は残酷で、一度失敗したら終わりなんでしょう。それが現実なのでしょう。 もちろん、被害者の気持ちやトラウマもありますし…。 そんな「一度失敗したら終わり」と世の中で、失敗しないようにするには、どうすれば良いのでしょう? アドバイスがあれば、お願いいたします。

有り難し有り難し 14
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