先日、自他に厳しすぎると言われることについて相談させていただいた者です。
あれから、自分の振る舞いに気をつけようと意識しています。(冬休みで実践の機会がまだありませんが)
その内容と少し関わることについて、ご相談させてください。
私はかつて、仕事を時給で計算し、給料分の仕事しかしないと、手を抜いて働いていた時期がありました。
そういう働き方が嫌になり、今の仕事をメインにしてから、小さくても自分に回ってきた仕事は断らず、丁寧にやるようにしてきました。
その頃に仏教の教えに出会って、今はこれを人生の指針にしていこうと思っています。
中には、名前が大きく出ない仕事は手を抜いたり他人に押し付けたりして、華やかに名を売り、出世している人もいます。
でも私の幸せはそういうことにはないんだと、たとえ出世しても中身が伴わなければ自分は納得できないんだと思って、気にしないようにしてきました。
幸い私の仕事ぶりが少しずつ評価していただけるようになり、同業者で最も活躍し、ずっと敬愛してきた方と、親しくお付き合いさせていただくようになりました。
その方からも、仕事ぶりが誠実で丁寧だと、とても褒めていただけています。
でも同時に、もっと手を抜いて良い、仕事を断らない人には仕事を回しづらいとも言われ、よく知るうちにその方もずるい面があると分かり、私のためを思って忠告してくれているのかも知れないのですが、どうすべきかわからなくなりました。
今でも多くの面で尊敬していますし、その方に評価していただけるのが嬉しくて、今日まで頑張ってきました。
でも、これは自燈明ということに反するのでは、とも思うようになりました。
今でも、上手に立ち回って良いポジションを手に入れている人を見ると、不器用で、世間では負け組と言われる境遇の自分と比べてしまい、心が揺らぐことがあります。
その度に禅の言葉を読んで気持ちを沈めています。
私がただ迷っているだけでしょうか。
もしそうなら、喝を入れていただきたいです。
よろしくお願いいたします。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
拝読させていただきました。
自利利他円満が、日本では大乗仏教の説き方をご存知と思います。
相談にありました「自他」自身と他人の両面においてですね。
目標を決め、そこに向かい邁進されることはとても素晴らしいことであります。
しかし、仏教で説きます「四苦八苦」の8つの中にあります「求不得苦」に値します。
※求めるものは手に入らないということを覚る認識を心に留めることが少し必要かも知れません。
しかし、人は時間とともに生き、学ぶ者こそ、精進怠ることなかれと感じます。そこに自身を第三者から観る事も時には大切であると感じます。
お釈迦さまは
「他人のしたことを見るなかれ、自分のしたことと、しなかったことだけよ見よ」
と、説いております。
十人十色である人間には、それぞれの時代・環境により、感覚と感性というものは異なるのが当たり前であり、人それぞれに合った話し方、人それぞれに合った対話をすることが必要ともなります。これを仏教では待機説法と申し、有名なことわざである「嘘も方便」のことでもあり、お釈迦さまのお言葉であります。
話は少し変わりますが、私は電車に乗ったときに「席を譲る若者」「席を譲らない若者」を見ます。
「若い」から譲るという答えは間違いであり、若い方の中には病気で立つのも辛い人もいれば、疲労で立つことさえできない人など、色々なのです。
思うように行かないという求不得苦もあれば、思うようにいかないからこそ、どうすれば一番ではなくベストなのかを試行錯誤することが大切でもあります。
志が高いと感じれば、お少し心に「ほどほど」を入れる(気付く)ことで、自身の中に余裕という新しいアイテムを入れることができるかも知れません。そうすることで、生きるコツ、考え方が楽になる方策に繋がるかも知れません。
人生無駄なことなど一つもありません。すべて経験が肥しとなり、人生に立派な華を開かせてください。
心より応援いたしております。
合掌
あなたの信じている『正しい』は、行学一如で大変素晴らしいと思います。
「禅の修行者」として見れば…
あなたの今の『正しい』は、「本来こうあるべきだ」に基づいている。
全ての人がそれができれば、きっと素晴らしい世の中になるでしょう。
しかし、大半の人は『正しい』が『楽しい』の誘惑に負けてしまい、『楽』の中に『都合の良い正しい』を作って正当化する。
正当化しているので、『都合の良い正しい』を変えるつもりもない。
そんな中であなたの100%の『正しい』をまともに出してしまったら…
孤立するはずです。
あなたの心の支えとなるはずの『正しい』が、むしろストレスになってしまうはずです。
だからもう少し、周囲のペースにも合わせる…
「ズルをする」や「手を抜く」や「出し惜しみする」ではなく、『セーブ(抑制)する』です。
セーブして周囲との軋轢も少なくなれば、ストレスも軽減されるはずです。
『正しい』そのものは、変えていないのですから。
仙人のように1人だけ世の中と隔絶した生活ができるわけではありません。
ストレスコントロールをしながら、世の中と上手く付き合って行く…
敬愛される方からのアドバイスは、そんなあなたを心配して下さった言葉ではないでしょうか?
雲は風の吹くままに形を変え、水は方円の器に随う…
キッチリ、カッチリだけではなく、世の中と上手く付き合うには、柔軟性も大事ですょ。
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訂正追記
状況を正確に理解できていませんでした…
それならば、
「周囲から煙たがられても自分の信じる『正しい』を貫くか?」
「自分の信じる『正しい』を曲げてでも周囲に合わせ丸く納めるか?」
の選択だと思います。
もし、私だったら迷わず前者です。
勿論、そのせいで周囲にシワ寄せがなく、自分の体にも無理がなく、依頼者もしくは享受者のためになると思われる(自己満足ではない)…が前提ですが。
どちらを選択した方が、より後悔が少なくて済むか?
「他はこれ吾にあらず」
「任にあたって他に譲り難し」
「行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与(あずか)らず我に関せず(勝海舟)」
ご自身で後悔の少ないと思われる選択をして下さい。
(文字数制限のため時限公開削除しました)
こんにちは。亀山純史と申します。
お釈迦様は自らの死を目前にして説かれた教えが「自灯明・法灯明」ですね。「自立した自己であれ。他人に振り回されない自己であれ。他のものをよりどころとせず、仏法を人生の教えとせよ。」ということです。そして、「自灯明」は「法灯明」と一対であり、「自立した自己」「他人に振り回されない自己」とは、「仏法を人生の教えとして生きる自己」ということです。
では、この「仏法を人生の教えとして生きる自己」とは、どのような自己なのでしょうか。仏教では「自利即利他」を説きます。真の自利とは、真の利他行に繋がるものであること。また、真の利他行は、真に自分の益になっているということです。このような生き方が出来る自己こそが、「仏法を人生の教えとして生きる自己」だと思っています。
しかし、このような自己の実現は、言うは易く行うは難しですよね。ですから、私たちには、少しでもいいから、他人からの励ましや高評価が必要であり、それによって、「また頑張っていこう」と思うものです。ただ、注意しないといけないことは、人からの高評価が自分のゴールではない、ということです。また、自分の能力を超えた仕事量は、その仕事の質を下げる可能性がありますし、仏教的に見れば、「これだけ自分はやっているんだ。」という慢心に繋がる可能性もあります。人との縁を大切にし、ONE TEAMとして仕事に当たることが大切でしょう。
以上が私からの回答です。この回答から何かしらのヒントが得られればと思い、回答させていただきました。
皆さま、お忙しい中、お言葉をありがとうございました。まだ苦しみはなくなりませんが、多くの気づきをいただいたように思います。何度も読ませていただき、実践していきたいです。
法源様
お言葉の数々、ありがとうございます。結果が得られなくても過程を頑張ることが大切だと思っていましたが、そのどちらにも執着していたかもしれません。そういう時に、周囲のあり方を見て迷いが生じていたように思います。ほどほどに、力を抜くことを意識したいと思います。
亀山純史様
ご回答ありがとうございます。
自灯明と法灯明、利他ということ、改めて気づかせていただきました。
周囲からの評価は励ましにしていいのだと安心できました。高評価がゴールではないということや、多すぎる仕事量の弊害は、繰り返し思い出して戒めとしたいです。
GALUCHAT様
前回に引き続いてお言葉ありがとうございます。
自分に対して高いものを求め続けたいと願ってする仕事ぶりが、周囲に良くない影響を与えてしまうことに対して、それを抑制していくということが、具体的な実践としては正直まだよく飲み込めていないのですが、周囲と自分をよく見て行動したいと思います。それに、敬愛する方の言葉に対しても、謙虚な気持ちを思い出させてくださって、ありがとうございました。ずっと尊敬し続けていきたいと思っています。これからも迷いが生じた時には、繰り返し読ませていただきます。
(追記)
GALUCHAT様
ありがとうございます。仕事に向き合うばかりの毎日で、もちろん好きなことができる幸せと達成感はあるのですが、同時に寂しさも辛さもあり、そのような中で、一見うまく立ち回り、そう発言もしている人たちからずるく手を抜くことを勧められたり、その方たちが名を売っているのを見たりすると、自分の道はこれでいいのかと迷ってしまいます。尊敬している方からもそのように言われて迷いが生じました。他人を変えようというつもりはありませんが、自分の仕事を全力ですることすら良くないことなのかと。長くなって申し訳ありません。またご相談させてください。お心遣い誠に感謝申し上げます。
GALUCHAT様
ありがとうございます!
私の書き方が悪くてわかりづらい文章でした。お言葉胸に刻みました。
私のもとに来た仕事はすべてご縁と考え、相手のため、自分のため、迷わず、大小を問わず全力で取り組みたいと思います。名など小さなことでした。仏教と禅に出会って良かったと思います。心から感謝申し上げます。