言わぬが花?知らぬが仏?回答受付中
生前の母について最も気になっていた事で相談させて下さい。
私が高校入学後から母が女子バスケ選手を引退するまでの2年間で複数回起きた事ですが、対戦した事のある男子選手とプライベートでエッチをしていたのではないかということです。
母と同年代で試合の時は仲間から童貞をイジられていた人なのでよく覚えていて、自宅近くで数回見かけたり、少し離れた場所にクルマを停めて休んでいたりしているのを見掛けました。
同じ頃から母は試合の日以外にも家で時々ユニフォーム姿になることがあり、男を近くで見た日は決まって母も家でユニフォーム姿でいましたし、その日はメイクなどの身だしなみもいつもよりきちんとしていたんです。
しかも自分が帰宅した時、母が不自然に汗をたくさんかいていたり、髪が乱れたりしていたこと。
いつもと違う時間に風呂に入っていたり、スタミナのある母が自室でユニフォーム姿のまま寝ていたりすることもありました。
決定的なのは、父が長期出張中なのに母がピルやコンドームを持っていたこと。
やはり当時の母は父以外の男とエッチしていたと考えて間違いないですか?
初恋の女性である母が父以外の男に身体をむさぼられる事に耐えられなかった私はある時、母がユニフォーム姿で汗だくの状態で寝ているのを見て我慢できなくなり、近づいてシャツやホットパンツを触って黒のブラやパンティーをはいていることを確認したことがあります。
しかも白のユニフォームでハイソックスも汗で濡れているくらいだから、全国レベルの激しい試合をベッドの上でしたのだと思いました。
その上で口紅を塗った母の唇を見て「男に代わって唇を重ね、硬くなったアソコを含んで欲しかった」とか、豊満な乳房に一晩中触れたい、乳首に舌を這わせたいと願う自分。
続いて、母の色白で健康的な長く綺麗な脚を凝視しながら「こんなに美人で背の高い女性が黒のブラやパンティー、ブルマやホットパンツ、白のハイソックス姿でいたら、全身にキスやお触りしたくなる」「多くの男が母に欲情するのもわかる」と思いました。
更に母の女子バスケで鍛えた大きなお尻に顔を近づけて匂いを嗅ぎ、興奮して大量のお漏らしをしてしまったんです。
母が他の男とエッチする姿を妄想して興奮したり、寝ているのをいいことに身体を触ったりしたいと考えていた自分は、世間の常識で変態扱いされても仕方ないのでしょうか?
最愛の彼女のプロフィール ・身長179cm(私よりも長身)、体重64kg、3サイズは上から91(Fカップ)、64、91cm。 ・私と同じ年で大学の同級生。学生時代は女子バレーボール選手として活躍し、十代の頃に某女子プロレス団体のオーディションに合格した運動能力の持ち主(入団はせず)。 ・オーディション時のビキニコスチューム姿の写真を見せてくれるほど仲は良かったが、卒業して数年のうちに疎遠となり現在に至る。 ・地方の単科大学のミスコンでファイナルの4人に残った経験あり(受賞はならず)。 女子プロレスオーディション時のイメージは以下のような感じ。 ・色白の美形と素肌にセミロングの黒髪、紅色のリップとマニキュア。 ・上下黒のスポーツブラ、ブルマを少し小さくしたようなビキニ、うっすらと割れた腹筋というスポーティーな格好。 ・はち切れそうな太腿、膝サポーター、白のハイソックス姿。
20代に戻り、最愛の彼女と恋人同士になりたい。 別の歴史として彼女が大学卒業後に長身美女レスラーとなり活躍する姿を呟きたい。 男子レスラーやファンを魅了する彼女を堪能したい。
お坊さんからの回答 1件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
答えを求めるための悩みである。
拝読させていただきました。
答えは「欲」です。
それは誰にでも持ち合わせる欲なんです。
仏教では因果の法則性を真理としています。
"変態"と自称されることは、世間で認知される変態とは異なり、因縁という原因とご縁から起こり得る結果に依りて心は形成されていきます。
この形成されるチカラをサンスカーラとも称します。
この形成される因縁の連鎖によって個性が確立され執着ともなります。
「変」は、変わる。「態」は、様態。
異質を備えている人間ではなく、そのときのご縁によって人間の性格は変化していきます。性質は元々備わっているいわゆるDNAです。
性欲というものはいわゆる生物に備わる「生理現象」でもあります。
また家庭を持ち子供を作ることはどう考えるでしょう?
この生理現象には二つに分類されます。
1、性欲
2、生殖
この2種類です。
ご質問は性欲に携わるものになるので、仏教観点では単に"少欲知足"でありなさいとなり、欲は欲でも大きな欲を持ち、他者に喜びを与える利他欲を持ちなさいと説くのが明答となります。
ドラマスティックさんのご質問の探究をすれば、細胞学まで遡ることになるでしょう。
人間の持つ「五感」
1、眼の意識(視覚)
2、耳の意識(聴覚)
3、鼻の意識(嗅覚)
4、舌の意識(味覚)
5、身体の意識(触覚)
この上記の5つの感覚器官から生じるのが、意識という第6にあたる「こころ」というものです。
母の幼少期から観察され感知していたことから妄想が自己への欲望へと変換されているだけであり、決して変態ではありません。
それは誰にでも起こり得ることなのです。
世の中キレイ事をいっている人たちは、キレイ事しか知らない他人事として片付けています。
ここで一つだけ心理でなく真理をお伝えしておきますと、仏教では「莫妄想(まくもうぞう)」という"妄想するなかれ"ということです。
この妄想は迷いが増長され、車にブレーキがないようなものなのです。
仏教では、坐禅や瞑想をしますが、妄想とは異なるものです。
これから抱く変態かも知れないという認識を何処かで「認めたい」「認めたくない」の"迷い"の渦中にいるのではないかと推測できます。
迷いは決してわるくはありません。思い悩むことが「自分はこういう人間性を持ち合わしているんだ」と気づくことにもつながります。
合掌


