2022/02/22阿呆れと怒りが湧くとき
身体障害者福祉の仕事をしている者です。
法人の方針として、利用者自身が自己選択・決定をして、責任を取ることで社会・地域の中で自らの人生を主体的に生きれるように支援する、というものです。
しかし、理念を理解せず、自らの生活保障や生存権を盾に身勝手になっている利用者が多く、阿呆れと怒りを覚えてしまいます。
例えば、自らヘルパーに対して働きかけを一切しないのに、ヘルパーとの人トラブルを全部こちらに投げ出す利用者がいます。ヘルパーが自らの生活にを密接に関わっていると考えず(または考えられない)に、あいつは嫌だとわがままばかり職員に言うだけです。
他にも、地域での一人暮らしを目指しているため、必要なことを学ぶためら自立支援ホームに入居しているのにも関わらず、家事を含め身の回りのことはヘルパーがやってくれるから自分は趣味など好きなことをやっていればいいと考えている人もいます。気を利かせてくれるヘルパーがいないと、掃除を全くしないなどでトラブルが起きることもあります。
これらのことは言い出したらきりがないです。しかし、彼らは分かっているのかどうかはわからないですが、ヘルパーがいないと生きていけないことも確かですから、自分勝手なことやわがままが通ってしまい「障害者様」が生まれてしまっているのが現実です。
確かに、障害を持って生まれたことで社会との関わりを持つ機会がなかったことで、社会性を身につける環境に身を置くことができなかったことは社会の問題ですし、体に障害があることで物理的にできることが限定されることは仕方のないことですから、同じ社会性を求めるのは酷だというのは頭では理解しようとしています。
しかし、法人の理念を理解した上で、契約をしたのに変化を受け入れず、自分の選択に責任を持たず、わがままを言い、好きなことだけやって、何も考えず子供のように振る舞い続けていることに怒りと阿呆れを覚えます。障害の有無に関係なく、なぜ人として嫌なだと感じる人達のために、サービスを提供しないといけないのかと考えてしまいます。
もともと、仕事をするなら人のためになるようなことをしようと考えて福祉の仕事を選んだのに、今ではこの仕事にモチベーションと誇りを持てなくなってしまいました。
怒りや阿呆れは日々募るばかりです。私はこの仕事に向いてないのでしょうか?
拙い文章となり失礼します
有り難し 11
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