hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

「心構え・生きる智慧」を含む問答(Q&A)一覧

これからのこと

私は未婚のシングルマザーです。 婚約者がいました。挨拶も済み、結婚の準備を進める中での妊娠でした。彼の家族(祖母と母)にはとても良くしてもらい、私の両親も彼のことが大好きでした。 私は医師から不妊体質かもしれないと言われており、彼も早く子どもがほしいと言っていたので、お互い同意の上で、妊娠がわかった時は二人でとても喜びました。 彼の家族に報告すると祖母は「おめでとう、早く式の準備をしなきゃね」と、言ってくれました。しかし、母親は電話に出ませんでした。その後、彼経由で中絶しろと言われました。その際、私からの連絡を祖母も母親も一切受けないとも言われました。彼は「この命を守る」「3人で頑張ろう」と、言ってくれましたが、実家に話に行った翌日に中絶しろと言ってきました。「君よりも今まで育ててくれた母親の方が大事だから」と。母親が反対した理由はわかりませんが、私のことを裏切り者、尻軽女、と言っていたと彼が勝手に話してくれました。勿論事実無根です。 また、母親は中絶経験者らしく、中絶を軽く考えた発言がありました。私は望んで授かった命に対してそのようなことはしたくないと伝えましたが、産むなら認知も養育費もないと言われました。その話の中で「自分が種無しじゃないことがわかってよかった」とも言われました。 その後、弁護士さんにお願いしましたが、妊娠を望んでない、親に挨拶してない等嘘を言われ、最後まで謝罪はありませんでした。それどころか、最後の調停で「子どものことは隠して生きていきたい」「職場にバラさないと約束しろ」と、言われました。 私は我が子に出会えたことに心から幸せを感じています。 誰かを恨んだり憎んだりすることに力を使うより、支えてくれる人たちに感謝の気持ちを伝えながら生きていきたいし、母として成長した姿を見せたいです。 ですが、ふとした瞬間に悔しさがこみ上げてしまいます。 そして、子どもは、これから成長していく中で、自分に父親がいないことを疑問に思う日が来ると思います。 子どもは父親に対する自分なりの想いを持ちますが、それは尊重すべきもので、私の主観を押し付けることは決してしてはいけないと思っています。真実を伝えることだけが必ずしも正しいことではないし、だとすれば、どのように‥‥。 これから私はどんな心構えでいたらいいのか、教えて頂きたいです。どうかお願い致します。

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

昔いじめてしまった友人について

相談のご観覧ありがとうございます。 私は高校時代に虐めをしてしまった友人がいます。 理由は本当に浅はかでただ気に入らないからという理由でした。 結局その友人は高校を中退してしまいました。 情けない事に良い大人になってやっと自分が友人にした事の重大さに気がつきました。自分は人を傷つけ、人生までも狂わせてしまったのだと。 どうにかして謝罪したくて連絡先を調べて謝罪のメールを送りました。 すると友人からは、「大丈夫、こちらこそ色々とごめんね」と返信が来ました。 その返信を見たときにすごくホッとしてしまった自分がいました。 結局自分は相手の為ではなく、自分が許してもらって安心したいがためにメールを送ったんだと気付き、自分は高校の時と何も変わっていない、本当に自分の事しか考えられない最低な人間なんだと情けなくなりました。 それからその友人とは連絡を取っていませんが、これから自分はどのように生きていけば良いのかわかりません。 私は今後やりたい事があります。 でも過去に人を傷つけた人間が夢なんか持って良いのかすごく悩んでいます。 仕事中でも家にいる時もその友人の事がふと頭をよぎりとても苦しくなります。 今後私は自分のしてしまった過ちに対してどのように向き合っていくべきでしょうか?

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

不安・自己嫌悪から逃れ、自信をつけたい。

お坊さんの皆様  はじめまして、hasunohaでの相談は初めてですが、何卒よろしくお願い致します。  事の発端は昨年の事でしょうか。何とはなしに使っていたSNSが突如として恐ろしく感じられるようになったのです。多くはありませんが決して少なくない数の友人とSNSを通じて繋がっておりましたが、そんな友人たちが楽しそうな交流や生活をしている様に嫉妬してしまうようになってしまいました。今までは多少気になることがありつつも大きな問題は無く見る事が出来ていたSNSが、誰かのアカウントを覗く度に何かどす黒いものが胸の内に渦巻くようになり、そんな自分の醜さにも耐えきれず、ついには殆どのSNSをやめてしまいました。  それからというもの、自分の自信の無さ、自分の駄目な部分が非常に目につくようになりました。周囲の優秀な方に臆してしまい、コミュニケーションが全く取れない。ミーティングでは質問できない所かそもそも質問が浮かばない。就職するにあたって自分のやりたい事が少しも分からない、等色々ございます。その度に"自分はなんてダメな人間だろう"と自分を責めていたように思います。  あまりにも苦しくなり、先日カウンセラーの方とも相談をしました。すぐに自虐的な考えに行きつく思考にストップを掛けなければならない。というアドバイスを頂き、実践しようと考えていた最中、少々大きな仕事を言い渡され、その仕事への不安・自信の無さからすっかり元の思考に戻ってしまいました。  最近では電話・メールの着信、SNSの通知が恐ろしく感じたりする事もあり、気が休まらない事もあり、本業にも中々手が付きません。さらには以前お世話になったカウンセラーに依存しそうな自分がある事にも気づき、余計に自己嫌悪が止まりません。  上記の諸々の問題は恐らく自分に自信が持てるようになることで解決できるものではないかと考えておりますが、頭が凝り固まってしまっており、中々改善することが出来ません。20代も半ばの人間がなんと幼稚で情けない事でしょうか。  まとまりの無い内容で大変申し訳ございませんが、もう少し上手に生きていくためにお坊さんの皆様からの視点、お言葉、お叱りなど頂ければ幸いに存じます。

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

1人で家の中にいる時寂しい時があります

自分は20歳の頃から一人暮らしをしていました 若い頃は部屋に一人でいるのは 全く寂しいことはありませんでした 今43歳になります ちょっと前まで21年間 子供と一緒に生活していましたが 子どもも成人して巣立っていきました そして、24年ぶりにまた1人暮らしになったのですが これもちょっと前までは一人は平気でした 誰に気を遣う訳でもなく気楽で良い♪という感じでした しかし、老後の事も考え(笑) 最近婚活をしました そして 5年ぶりに彼氏が出来て楽しく とても幸せな気持ちでした お互いかなり意気投合した感じはありました この人とずっと一緒にいたいという気持ちが いつもありました しかし 今彼氏が仕事が大変で会えません 彼も大変責任のある立場で 何か強烈なストレスがあったようで 体調が良くないみたいです 遠距離なのとまだそこまで深い中ではなかったので 私からは連絡もたちまちは控えています ( マメに連絡を返して下さる優しい方でしたが 身体がしんどいと言う連絡の後は 1週間ほど返信がありません ) こんなことになるとは思っていなかったので 今精神的にとても辛いです 大げさに言うと寂しくてもう死んでしまいたいくらいでした 私は彼に依存してしまいました しかし それは 自分に友達がいなかったのも 悪いと思います( 平気で待っていられず 寂しくてしょうがありません ) 彼は「 また会いに行く 」と この前のデートで言ってくれましたが もうだめなのかなとどうしても思ってしまいます ( 他に女の人がいる等 ) 何度かお会いしましたが 身体にも手を出しませんでしたし とても誠実な感じの方でしたし きっと落ち着いたらまた来てくれると 信じたいです そして、これからは同性の友達や 趣味を充実させていきたいと思っています たちまちこの喪失感を何とかする方法はないでしょうか? 薬は副作用があるので飲めません

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

どうして「自分は傷ついてもいい思考」はNGなのですか?

こんにちは。 前々からひとつ疑問に思っていることがあります。 私は、以前、「他人を優先、自分は後からでいい、自分が好きな人が笑顔になれば自分は傷ついても構わない」という思考の持ち主でした。現在はそれが少し和らぎ、自分の心を平気で傷つけたりすることは減ったのですが、たまに「自分に優しくできない人は他人に優しくできない」と周りの人から言われます。それがよく理解できません。 私は、「私が不幸だとしても、他の人が幸せならそれでいい。世の中、誰かが幸せになるために、犠牲は必要だと思う。ビジネスが全てwinwinで行われていないように。誰かが損することで誰かが幸せになる。私は他人が幸せになるために、その犠牲になっても別にどうとも思わない。」ということを考えていたことがあります。 これって、間違っていますか?自分が幸せにならなくても、他人が幸せになるために自分の何かを犠牲にすることって、何か悪いことなのでしょうか。 自分は幸せにならなくても、他人は幸せにできると思ってしまうのですが。 「他人のためなら自分は傷ついてもいい」思考がなぜ「NG」と言われるのでしょうか。悲劇のヒロインぶってるからでしょうか?

有り難し有り難し 21
回答数回答 1

これからの大学生活

私は、今年の春からミュージカル科の大学に通っています。高校生の時に、私も舞台に立ってみたいなと漠然と思っていて、やらないで後悔するより、挑戦した方が良い!と思って、ミュージカル科に入学しました。 今、大学が始まって3週間経ったのですが、同じ学科の人たちは、グループで固まって騒いでいる人が多くいて、見た目も華やかで、行動も積極的な人が多くいます。 しかし、私の場合は歳を重ねるごとに、グループで固まって行動するのがあまり好きではなくなって、昔はグループで騒いでいても無理をしているから後で疲れてしまっていたため、今は、1人で行動したり、少人数でいるのが好きです。 でも、ミュージカル俳優になるには、人との関わりが大切だといろんな先生が言っていて、、。 私は性格も大人しくて口数も少ないです。 それに、ミュージカルを見るのは好きだけど、最近舞台を見ると、自分があの舞台に立つと思うと見ていて感動するというよりも、どれだけあの人たちは苦労をしてあの舞台に立っているのかなと、考えてしまってとても怖くなってしまいます。 そう感じてしまう自体、あと性格的にも自分にはミュージカル俳優に向いてないのかな、と段々と感じてしまい、四年後卒業してから、ミュージカルの舞台に立つのではなくて、自分の性格に合った仕事に就いてのんびり暮らすのも良いな…と感じてしまっています。むしろそっちの方が幸せに暮らせそうだなと感じてしまいます。 でも、親には私がミュージカルの舞台に立ちたい!と言って、たくさん工夫をしてもらって高い学費を払ってもらっています。なので、ミュージカル俳優に絶対ならなくてはいけないと考えてしまい、毎日不安や焦りでお腹が痛くなったり、朝早くに目が覚めてしまって、睡眠不足が続いています。。 これからの大学四年間の生活で、親には申し訳ないのですが、必ずミュージカル俳優になると思うのではなく、自分の成長のために今目の前にあることを一生懸命頑張るのでも良いと思いますか?あと、人と関わるのが得意ではないので、最低限の人間関係と無理しない自分でいられる状態で頑張ってみるのでも良いのでしょうか? それとも、無理をしてでも周りと仲良くするべきなのでしょうか?

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

これからの、老後の人生設計

これまで、何度か、いろいろ質問させて頂き、アドバイス、助言を頂き、感謝してます。 今回は、ふと、独りの時間になった時に、今後の、人生、老後の人生について、いろいろ、考えるように成りました。 今は、四人の孫達(間もなく。5人目の孫、誕生)に囲まれて、幸せを、実感、感謝しつつ、毎日を、過ごして、頑張ってます。 でも、孫達も、日々、成長する事を、願いつつも、思春期にも、なってくると、友達、又は、異性に夢中になっていくと、思うと、自分自身の、これからの、人生、老後の事も、真剣に、考えて、いかなければと、よく、思うようになりました。 よく、廻りの人からは、「貴方は、沢山の孫達に囲まれて、幸せだよね。」と言われる事が有ります。 確かに、端から見れば、幸せそうに、見えるでしょう。 でも、自分の心の中では、何か、葛藤が、日々、有るのも事実です。 これ以上の幸せを、望んでは、贅沢でしょうか?甘え、自分自身に対する、エゴでしかないのでしょうか? 今も、次女家族と、同居し、将来は、「父さん、新居も構えたら、父さんの部屋も、ちゃんと作るから、一緒に住もうね。」と言ってくれてます。感謝の気持ちで、いっぱいです。 しかし、今後の人生を、廻りに家族も居て、独りで無いのは、良く理解してる、つもりですが、不安だし、自分自身の幸せも、掴みたい気持ちも事実です。 今となって、亡き妻が、緩和ケアに居る頃、ふと、夜中に、「父さん、私の棺の中に、以前、若い頃、付き合ってた頃にしていた、交換日記が、タンスの奥に、有るから、一緒に持って行きたいから、忘れず、入れてね。」と言った事の意味を、最近、良く、考えるようになりました。 未だに、その答えが、見つからずに、居ます。 長文に成りましたが、今後の自分自身の、人生、老後について、善きアドバイス、助言を頂ければ、幸いです。 宜しくお願いします。

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

菩薩に救われても菩薩になれない愚かな私…。

ご質問させて頂きますハルソラと申します。 つい先日あった事です。私が駅の階段を降りていると下から60代くらいのお婆さんが登ってきました。 そのすれ違いざま、全くぶつかるような距離ではありませんでしたが、お婆さんは下を向いて階段を登っていたので、降る私に少し驚いた様子で、その3秒後くらいに転倒していました。 本来なら声を掛け、介抱するのが良いのでしょうが、とっさに私の脳裏に浮かんだのは以前ニュースにもなった、中国で自分で転倒したお婆さんを介抱した男性がそのお婆さんから訴えられ賠償金を請求されたという酷い話です。 幸いな事に駅の階段で転倒したお婆さんは自分で立ち上がり、歩き始めたので骨折などはしていないようでした。 ちなみに以前にも旅先で10メートルほど離れた場所でお婆さんが道路の縁石に足を引っ掛け頭から転倒し、「あっ死んだかな!?」と思うくらいの勢いでしたが、お婆さんは自分で立ち上がったので助けたりしませんでした。 タイトルにも書いた様に私は観音さまに救われています。 それは苦しくて、苦しくて仕方がない私の人生において、観世音菩薩を一心に念じるだけで現状は変わらずとも、既にその心に平穏平和が訪れるという意味で救われていると思っています。 しかしながら私が他者に真に手を差し伸べる事は難しいと思われます。私にはその心の余裕と菩提心が足りないのです。 私がこの人生で求めるものは、もはやお金でも名誉でも結婚でもなく、「仏のようになりたい」ということですが、先はまだまだ遥かに遠いようです…。 一体どの様に考え行動すれば菩薩の心境に到れるのでしょうか? お坊さまのご回答、ご教授よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 21
回答数回答 2