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「仏教・お坊さん」を含む問答(Q&A)一覧

ご先祖様への感謝

はじめまして。 人との関わり、生きること自体が苦しくて…苦しくて、色々と考え、悩み…答えを求めて色んな本を読みました。それでもどうしても答えがわからず、こちらへたどり着きました。 話せばとても長くなってしまうので、要約します。 私の両親、特に母親はいわゆる毒親です。毒親だと気付いたのは5年くらい前で、それまでは、違和感を感じつつも、私は母の愛を求めていました。 私は母に手をつないでもらった記憶がありません。物心ついた時から孤独で…愛されていると実感したことはありません。 親を変えるのは無理…私の想いをわかってもらうのは無理だと諦めようと、やっと自分の人生を、自分自身を生きることに一歩踏み出そうとしてもがいているのですが… あるお坊さんが執筆した本を読んだところ「仏教は先祖への感謝が基本」というような内容がありました。 母は今、要介護状態ですが、私は母に触れることができません。触れることができないどころか、母から出てきた自分に嫌悪感を感じることもあります。 般若心経に興味を持ち意味を調べ、仏教をもっと勉強したいと思っていたのですが、「ご先祖様への感謝」が壁になっています。 あの母の考えや生き方は、そのまた母(祖母)に影響を受けているようで… 私はどうしても「ご先祖様に感謝」という気持ちが持てません。 本当に辛くて苦しい人生でした。今まで生きていてよかったと思えたことは一度もありません。 ただ、いま、親への執着を捨てて、少し楽になったところなんです。。これからは自分を生きてみたいと少しずつ行動しています。 仏教の教えを支えに生きていきたいと思ったら「ご先祖様への感謝」は必要なのでしょうか…

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信用できない

お坊様を信頼できません。 というのも、祖父が亡くなった時に、葬儀会社から紹介していただいた住職の方に、法事をお願いしたのですが、1時間遅れて某走り屋漫画で有名な86のカスタムでユーロビートを爆音で流しながら来られました。 趣味でどの車に乗るかは個人の自由ですが 外から聞こえるほどの爆音で改造車で法事に来るには不向きかと思いました。 余りにも徳を感じられず、次回から自宅の近所のお寺にお願いしたのですが、入婿の住職さんで住職さんの不倫が原因で、離婚されたのでどこかへ行ってしまいました。 次にそのお寺に来られた住職さんに、引き継いでお願いしたのですが、2時間経ってもお越しになられないので電話したところ、忘れていたとの事ですが、通話もままならぬくらいのパチンコ屋の音が聞こえました。 パチンコしてて仕事に遅れたらクビですよね? 仕事で使う車に改造車って信用問題になりますよね? 高野山にお参りした時も、坊主頭でジャージを着た若者6人が車に乗っている所を見たのですが、1人はタバコをふかし1人はダッシュボードに足を乗せ...(全員、坊主頭というだけで仏門の方かはわかりませんが宿坊に入っていきました) 私にはもうお坊様が宗教という皮を被った社会人以前の俗物にしか見えなくなってしまいました。 もちろん、真面目に徳を積まれている方もいらっしゃるでしょうが 私が10年間でお会いした方々はこんな感じでした。こうも連続で不快な印象を受けると信用出来ません。 最近では坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態でして お坊様に嫌悪感すら抱きます。 私の祖父母の菩提は弔われたのでしょうか? お経とは行って唱えればいいだけのものでしょうか? それでもお坊様は敬うべき存在でしょうか? 私が死んだらただ火葬して頂くだけで お経も戒名もいりません。 そこにお金を払うなら残された人に美味しいものでも食べてほしいと思います。

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あのときのお坊さん

どうしても気になることがあり、ご質問いたします。 5〜6年ほど前、家族で京都旅行をしていたときのことです。 東山区にある護国神社や高台寺のあたりだったかと記憶しています。 わりと広い坂道を歩いていると、デモ行進をしている団体がやってきて、その中に黒い袈裟を着た優しそうなお坊さんがおられました。 珍しい組み合わせなので思わず注目していると、お坊さんの方もこちらを見ていることに気がつきました。 そして、距離が近づくと、そのお坊さんは私に向かって手を合わせました。 立ち止まっていた私たち家族の後ろに神社があったため、最初はそちらに手を合わせているのかと思ったのですが、父に「お前に向かって手を合わせるんじゃないか」と指摘されました。 たしかに私とそのお坊さんは終始目が合っていたので、私に向かって手を合わせていると考える方が自然です。 でもなんで?どうして?とドキドキしていたのですが、お坊さんは私に手を合わせたあと、そのまま通り過ぎていってしまいました。 とてもにこやかなお坊さんでしたので、全く嫌な気持ちにはなりませんでしたが、通りすがりのお坊さんに手を合わせられたのは後にも先にもこの一度きりなので、不思議な出来事として印象深く記憶にのこっています。 そこで2点ほどお聞きしたいのですが、お坊さんは、通りすがりの誰かに手を合わせることがあるのでしょうか? (それともはやり私たちの思い違いで、お坊さんは神社に向かって手を合わせいらっしゃったのでしょうか) また、そういったことがある場合、お坊さんはどのような意図があって私に対して手を合わせられたのでしょうか? よろしくお願いいたします。

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出家するということ

こんにちは。今日は出家するということの意味について質問いたします。 俗世間は修行の場であるとつくづく思います。この数週間、こちらは夏休みということもあり、毎日仏教について学んだり瞑想したり、とても大きな生きる知恵を得ています。もちろん、知れば知るほど自らの至らなさや愚かさにビックリがっかりして足踏みすることも有ります、仏教初心者ですが残りの人生かけて努力するつもりでおります。 そこで質問です。俗世間は生きてゆく上で避けられない修行の場です。 ですが、出家するということはこの俗的な苦しみを出来るだけ避けて清らかな心にする、悟りに最適の場所を選ぶ、そういうことなのでしょうか。 出家できる環境の人もいればそうでない人もおります。 学校に例えますと、ある専門学校があるとします。そこにいくと専門職につく最適な近道になるわけです。 ところが、学校に行きたいけど状況が整わず行けない人もいます。学校になど行かなくても通信教育を受けたり、別の道は沢山あるでしょうけど、指針がしっかりないのです。 それに、こういう状況を、まあ縁だからしょうがないだろうととることもできるかもしれません。(今世はそういう時でないとか) 出家しないと得られないこととはなんですか? また、出家する人としない人の違いはなんでしょうか? お坊さんがたが、なぜ出家なさって生涯にわたってお釈迦様の教えに忠実に生きて世の中の人々の役に立とうと考えられたのか、ご自身の経験などを教えていただけると幸いです。 子供が三人おりますし、修行のみならず毎日はたくさんの喜びと幸せに満ちていますので、何もほかの人生を望んでいるわけではないのですが、出家されてお寺に従事されておられることが理想的だなあ、とちょっと思ってしまうのです。それは現在に不満があるからなではなく、仏教の生き方がまさに真の道だなあと思うからです。 回答お願いいたします。

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2024/01/22

悪人は地獄で必ず裁かれますか?

いつもお世話になっています。地獄は本当にあり、悪人は必ずそこで裁かれますか?前回質問させていただいた事と絡んでいますが、仮に義父としますが、かなり鬼畜な男で死ぬまで反省、謝罪、改心しませんでした。病気で死にましたがあまり苦しまずに死にました。また、健在な時も現世の裁きもすり抜け、バチもあたる事もありませんでした。事故に3回ほどあいましたが、なんとケガ無しでした。悪魔の強運というか、悪魔が味方についているのか?母も不思議がってました。しかし、あれだけ迷惑、悪行をして、反省しなかったのだから地獄に落ちて裁かれなくてはいけません。悪人は地獄で必ず裁かれますよね?お答えお願いいたします。なお、冥福を祈ってあげなさい というお答えは絶対しないでください。文章上、義父としましたが義父ではありません。血もつながっていないし、戸籍でも全く関係ありません。赤の他人です。この辺の経緯は話すとかなり長くなるので仮に義父としました。だから遺骨も墓もどうなっているのかわかりません。ちなみにこの男、親類、縁者他全て絶縁されてます。悪行をするからです。くどいようですが冥福、供養は絶対する気がないので言わないでください。お答えお願いいたします。追伸、どんな男か詳しく知りたい方は前回の私の質問を見てください。

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